三日後、セオラはグアマラルの天幕群を訪れた。
馬を柵に繋ぎ、真紅の暖簾を垂らしたひときわ豪華で目立つ天幕へと向かう。
だがその途中、思いもかけぬ光景を目にすることとなった。
「あらぁ、セオラ様」
「セオラ!」
そこには焦った表情のジャンブールと、彼の逞しい胸にうっとりとしなだれかかるグアマラルの姿があった。とろけたように瞳を潤ませながらも、その姿はどこか捕食者のようである。
「……私は日取りを間違えたか?」
セオラの口から、本人も予想外の低い声が漏れた。
「失礼した。今日はジャンブールと過ごす日だったのだな。私は遠慮するとしよう」
「セオラ、ちょっと待ってくれ! グアマラル、離してくれるかな」
「あんっ」
きびすを返し、馬を繋いだ柵の方へ歩き始めたセオラの後を、ジャンブールが追う。
「誤解だ、僕はただ」
「何を慌てている。妃の元へ夫が訪問するのは、別段珍しいことじゃない」
「違うんだ、セオラ!」
「むしろ、私の元に居すぎるくらいだ。全ての妃に平等に接するのが夫の甲斐性だと思えば、お前は当然のことをしたまでのこと」
すたすたと早足で立ち去ろうとするセオラの腕を、ジャンブールが強引に掴む。セオラはすかさず振り返り、ジャンブールの腕を掴み返し投げ飛ばそうとした。しかし。
(なんだ?)
彼の足は、まるで根でも生えたようにびくともしない。セオラが重心を崩そうとしても、全く動かないのだ。
(なぜだ。この間は軽々と放り投げられたのに)
「セオラ」
ジャンブールの真剣な眼差しが、セオラを射る。
「ここに僕が来たのは、グアマラルに会うためじゃない。君にこれを渡すためだ」
物陰で声を潜め、ジャンブールは懐から小刀を取り出す。龍の紋章のついた、立派なものだった。怪訝な表情のセオラの手に、ジャンブールはぐっとそれを押し付ける。
「さすがに君を招いておきながら、毒殺なんてしないと思うけど」
「毒殺? グアマラルが私を?」
「可能性の一つだよ。明らかに自分が犯人と疑われるような真似をするほど、彼女も愚かじゃないと思うけどね。けれど」
小刀を受け取ったセオラの手を、ジャンブールは温かな手で包む。
「人を使って君を襲わせる可能性は捨てきれない。その時は、これで身を守ってほしい」
「わかった」
ジャンブールが、口端を軽く上げる。
「君なら、そんなものがなくとも大丈夫だと信じているけどね」
「……当然だ」
そう返したものの、セオラはスッキリしない気持ちを抱えていた。先ほどジャンブールに仕掛けた時、彼の足元を崩すことすらできなかった。
(ここでの安穏とした生活のせいで、腕が落ちたか?)
だとすれば、小刀に頼らなくてはならない境地に陥るかもしれない。
「ありがたく受け取っておく。ではな」
セオラはジャンブールに背を向け、歩き出す。今一度、体を鍛え直さねばと考えながら進むセオラへ、ジャンブールの声が追いかけて来た。
「くれぐれも気を付けてくれよ」
「ようこそおいで下さいました、第一妃セオラ様」
セオラを迎え入れたグアマラルは、勝ち誇った笑みをたたえていた。ジャンブールとの仲睦まじい姿をセオラに見せつけることが出来、一撃かましてやったと上機嫌なのだろう。紅花の頬紅で彩った顔は、今日も艶やかである。
グアマラルの天幕に一歩足を踏み入れた瞬間、セオラは思わず息を飲む。
(すごい……!)
そこはきらびやかに飾り立てられ、まさに「上級妃の住まい」と呼ぶに相応しいたたずまいであった。
かぐわしくも上品な香りが、天幕内を満たす。それはいつも、グアマラルが纏っているものだった。この天幕に入った瞬間、彼女に包まれたような錯覚に陥る。
艶やかなシルクの寝床には見事な刺繍の布団が重なっていた。棚にはまばゆい装飾品が行儀よく陳列され、芸術的ですらある。その中には、先日彼女が手に入れた、黒貂の毛皮も見せつけるように置いてあった。
一分の隙もないほど豪奢に整えられた部屋に圧倒され、セオラは言葉を失う。
「あら、そのような呆けた顔をなさって、いかがなさいましたの?」
余裕たっぷりにグアマラルが微笑む。
「い、いや。美しい住まいだと思って」
「あら御冗談を。ジャンブール様から最も愛されている第一妃様のお部屋に比べれば、きっと質素そのもの。お恥ずかしいことですわ」
露骨にあてこすりながら、第二妃は得意げに鼻を鳴らす。だがセオラにしてみれば、この部屋はただただ美しく、賞賛の念しか湧きあがらなかった。
「ところでセオラ様、お伺いしたいことがございますの」
椅子に座るや否や、グアマラルは刺々しい声で詰問してきた。
「一体ジャンブール様はあなたのどこがいいのかしら?」
「さてな。本人に聞いてみればいい」
「ほら、それですわ!」
美しい瞳に険が宿る。
「まるで男のような所作に物言い。人を見下したかのような態度。ろくに手入れのしていない身なり。セオラ様には、殿方に愛される要素が全く見当たりませんもの!」
随分な言われようだが、セオラは「そうだな」としか思わない。セオラ自身の自己分析と、グアマラルからの評価に差異は殆どなかった。だが、全く堪えていないセオラの様子に、グアマラルはますます逆上した。
馬を柵に繋ぎ、真紅の暖簾を垂らしたひときわ豪華で目立つ天幕へと向かう。
だがその途中、思いもかけぬ光景を目にすることとなった。
「あらぁ、セオラ様」
「セオラ!」
そこには焦った表情のジャンブールと、彼の逞しい胸にうっとりとしなだれかかるグアマラルの姿があった。とろけたように瞳を潤ませながらも、その姿はどこか捕食者のようである。
「……私は日取りを間違えたか?」
セオラの口から、本人も予想外の低い声が漏れた。
「失礼した。今日はジャンブールと過ごす日だったのだな。私は遠慮するとしよう」
「セオラ、ちょっと待ってくれ! グアマラル、離してくれるかな」
「あんっ」
きびすを返し、馬を繋いだ柵の方へ歩き始めたセオラの後を、ジャンブールが追う。
「誤解だ、僕はただ」
「何を慌てている。妃の元へ夫が訪問するのは、別段珍しいことじゃない」
「違うんだ、セオラ!」
「むしろ、私の元に居すぎるくらいだ。全ての妃に平等に接するのが夫の甲斐性だと思えば、お前は当然のことをしたまでのこと」
すたすたと早足で立ち去ろうとするセオラの腕を、ジャンブールが強引に掴む。セオラはすかさず振り返り、ジャンブールの腕を掴み返し投げ飛ばそうとした。しかし。
(なんだ?)
彼の足は、まるで根でも生えたようにびくともしない。セオラが重心を崩そうとしても、全く動かないのだ。
(なぜだ。この間は軽々と放り投げられたのに)
「セオラ」
ジャンブールの真剣な眼差しが、セオラを射る。
「ここに僕が来たのは、グアマラルに会うためじゃない。君にこれを渡すためだ」
物陰で声を潜め、ジャンブールは懐から小刀を取り出す。龍の紋章のついた、立派なものだった。怪訝な表情のセオラの手に、ジャンブールはぐっとそれを押し付ける。
「さすがに君を招いておきながら、毒殺なんてしないと思うけど」
「毒殺? グアマラルが私を?」
「可能性の一つだよ。明らかに自分が犯人と疑われるような真似をするほど、彼女も愚かじゃないと思うけどね。けれど」
小刀を受け取ったセオラの手を、ジャンブールは温かな手で包む。
「人を使って君を襲わせる可能性は捨てきれない。その時は、これで身を守ってほしい」
「わかった」
ジャンブールが、口端を軽く上げる。
「君なら、そんなものがなくとも大丈夫だと信じているけどね」
「……当然だ」
そう返したものの、セオラはスッキリしない気持ちを抱えていた。先ほどジャンブールに仕掛けた時、彼の足元を崩すことすらできなかった。
(ここでの安穏とした生活のせいで、腕が落ちたか?)
だとすれば、小刀に頼らなくてはならない境地に陥るかもしれない。
「ありがたく受け取っておく。ではな」
セオラはジャンブールに背を向け、歩き出す。今一度、体を鍛え直さねばと考えながら進むセオラへ、ジャンブールの声が追いかけて来た。
「くれぐれも気を付けてくれよ」
「ようこそおいで下さいました、第一妃セオラ様」
セオラを迎え入れたグアマラルは、勝ち誇った笑みをたたえていた。ジャンブールとの仲睦まじい姿をセオラに見せつけることが出来、一撃かましてやったと上機嫌なのだろう。紅花の頬紅で彩った顔は、今日も艶やかである。
グアマラルの天幕に一歩足を踏み入れた瞬間、セオラは思わず息を飲む。
(すごい……!)
そこはきらびやかに飾り立てられ、まさに「上級妃の住まい」と呼ぶに相応しいたたずまいであった。
かぐわしくも上品な香りが、天幕内を満たす。それはいつも、グアマラルが纏っているものだった。この天幕に入った瞬間、彼女に包まれたような錯覚に陥る。
艶やかなシルクの寝床には見事な刺繍の布団が重なっていた。棚にはまばゆい装飾品が行儀よく陳列され、芸術的ですらある。その中には、先日彼女が手に入れた、黒貂の毛皮も見せつけるように置いてあった。
一分の隙もないほど豪奢に整えられた部屋に圧倒され、セオラは言葉を失う。
「あら、そのような呆けた顔をなさって、いかがなさいましたの?」
余裕たっぷりにグアマラルが微笑む。
「い、いや。美しい住まいだと思って」
「あら御冗談を。ジャンブール様から最も愛されている第一妃様のお部屋に比べれば、きっと質素そのもの。お恥ずかしいことですわ」
露骨にあてこすりながら、第二妃は得意げに鼻を鳴らす。だがセオラにしてみれば、この部屋はただただ美しく、賞賛の念しか湧きあがらなかった。
「ところでセオラ様、お伺いしたいことがございますの」
椅子に座るや否や、グアマラルは刺々しい声で詰問してきた。
「一体ジャンブール様はあなたのどこがいいのかしら?」
「さてな。本人に聞いてみればいい」
「ほら、それですわ!」
美しい瞳に険が宿る。
「まるで男のような所作に物言い。人を見下したかのような態度。ろくに手入れのしていない身なり。セオラ様には、殿方に愛される要素が全く見当たりませんもの!」
随分な言われようだが、セオラは「そうだな」としか思わない。セオラ自身の自己分析と、グアマラルからの評価に差異は殆どなかった。だが、全く堪えていないセオラの様子に、グアマラルはますます逆上した。



