馬を贈られてから数日が経過した。あれ以来、毎朝領地内をジャンブールと共に見回るのがセオラの習慣となっていた。
「じゃ、行ってくるよ」
揚げパンと塩ミルクティーの朝食を終え、ジャンブールはセオラの天幕から仕事に向かう。静まり返った天幕の外からは、侍従たちが仕事をしている素朴な物音だけが聞こえて来た。
(妙な男だ)
セオラは寝床にごろりと横になると、天窓を見上げた。
(私たちは、取引の上で仮初の夫婦となった関係だ。当然と言えば当然なのだが)
夜間、寝入って無抵抗のセオラをジャンブールが襲うようなことは、一度も起きていない。一つ屋根の下、幾夜も共に過ごしているというのにだ。昼間であれば冗談混じりに抱擁を迫ったり、自分の側にいてほしいといった意味の軽口は叩くこともあるが。
「いいのか、あやつはそれで」
セオラにとっては願ったりかなったりであるが、あまりにも都合が良すぎる。自分は攫われてきて虜囚となり、秘密の役目を負わされた抵抗のできぬ立場のはずなのだが。
居心地のいい住居に、美味しい食事。欲しいものはすべて与えられる生活。
(これでは、養われているだけではないか)
はね起き、ぶるっと頭を振る。
(役目を果たさねば、釣り合いが取れん)
セオラは今一度、自分に課せられた責務を思い出す。
(妃たちの中に、先王を毒殺した者がいるとジャンブールは睨んでいる。私はその犯人を見つけねばならない)
そのためには、妃たちに接触を試みなければならない。先日は、隊商の品を見に行ったついでに、第三妃イントール、第四妃オドンチメグと親交を深められたが。
(第二妃グアマラルにはどうやって近づこうか)
トゴス族出身の彼女は、本来であれば自分が第一妃になる筈だったと、セオラへ敵愾心をあらわにしていた。何と話しかければ、先王の暗殺について探ることが出来るだろうか。
(まずは話のきっかけが必要だな)
隊商のいた天幕で、山ほどの装飾品を侍女に持たせていた彼女の姿を思い出す。
(身を飾るものを贈れば気を許すだろうか)
だがセオラが用意できるものなど、既にグアマラルは持っているような気がする。
首を捻るセオラの元へ、ホランを始めとした侍女たちがやって来た。
「セオラ姫様、お茶のお代わりをお持ちしました」
「あぁ、ありがとう」
牛乳のコクと優しい塩味を持った茶が、口腔を潤し心を満たす。その時セオラは、侍女たちの顔つきが明るいことに気付いた。思えばそれは昨日今日の話ではない。
「なぁ、お前たち」
セオラの呼びかけにホランを始めとした侍女たちは振り返る。
「はい?」
「サンサルロへ来てから、不便な思いはしていないか?」
「「「全然!」」」
皆の声が一つとなった。侍女たちは互いに顔を合わせ、くすくすと笑っている。
「最初は不安でしたけど、セオラ様にお仕えさせていただけることになりましたし」
「体がつらい時は、交代しながらの仕事が許されていますし、休みも十分にいただけてます」
「食事が美味しくて、少し太ってしまったくらいですわ」
「家族に見捨てられ、攫われてきた時はどうなることかと思いましたが、今になって思えばとても幸運だったかもしれません」
晴れやかな表情の彼女らに、セオラは苦笑いをする。どれも否定できないからだ。
(ゴラウンでの彼らの扱いは、あまり良いものではなかった)
小国ゆえに労働力が少ないせいもあったのだろう。一人が仕事に支障を出せば、その影響は大きい。故に、老人や傷病者に対する目は、冷ややかなものだった。あの日「要らぬ者を出せ」と言われて追い出した側の人間の中には、清々した者もいたはずだ。
(ウチのクソ親父のようにな)
だが生憎、追い出され虜囚となった者たちは、かつての故郷での生活よりもずっといい暮らしをしている。
(約束を守ってくれたのだな、ジャンブールは)
彼はセオラに『第一妃となり反逆の意思がない象徴となること』『妃たちの嫉妬心をあおり危険な人物を見つけ出すこと』『戦友として側にいること』以上三つの役割を負わせた。その代わり、ゴラウンからの虜囚たちの生活は保障すると。
(では、私が役目を終え、第一妃でなくなればどうなるんだ?)
ゴラウンの民への厚遇は取り消しになるのだろうか。そう考えると、セオラの中に迷いが生じる。このまま第一妃の座に居座る方が、仲間たちのためとなるだろう。
(だが、私は元よりサンサルロの王子の妃になど相応しくないのだ。だからこそ、妃たちの嫉妬心をあおったり、王の座を望まぬ者としての証としてちょうどいいのだから。しかし……)
自分がジャンブールにとって不要になっても、ゴラウンの民たちだけは何とかしてほしい。随分と虫のいい話だとは思うが。例えば自分も従者の地位になり、サンサルロに誠心誠意尽くすと誓えば便宜を図ってもらえないだろうか。そんなことをセオラが考えていた時だった。
「セオラ様、お客人です」
ホランが暖簾を開き、一人の女性を天幕内へと招き入れる。
「お前は」
「グアマラル様の使いとして参りました、セオラ様」
(第二妃の!)
侍女は恭しく跪き、掌を上げる。仕草こそ優美で完璧であったが、その目つきや声音に空々しいものをセオラは感じ取った。主人のグアマラルを差し置いてなぜこの小国の女が、と見下しているのだろう。
「グアマラルの? 要件はなんだ」
「はい。主が第一妃セオラ様を、お茶会に招きたいと」
(なんだと?)
どういった風の吹き回しだろうか。
(私のことなど、憎んでも余りあるだろうに)
本来なら顔も見たくないはずだ。しかし、接触の機会を探していたセオラには好都合である。
「わかった。その招待受けよう」
「ありがとうございます」
「じゃ、行ってくるよ」
揚げパンと塩ミルクティーの朝食を終え、ジャンブールはセオラの天幕から仕事に向かう。静まり返った天幕の外からは、侍従たちが仕事をしている素朴な物音だけが聞こえて来た。
(妙な男だ)
セオラは寝床にごろりと横になると、天窓を見上げた。
(私たちは、取引の上で仮初の夫婦となった関係だ。当然と言えば当然なのだが)
夜間、寝入って無抵抗のセオラをジャンブールが襲うようなことは、一度も起きていない。一つ屋根の下、幾夜も共に過ごしているというのにだ。昼間であれば冗談混じりに抱擁を迫ったり、自分の側にいてほしいといった意味の軽口は叩くこともあるが。
「いいのか、あやつはそれで」
セオラにとっては願ったりかなったりであるが、あまりにも都合が良すぎる。自分は攫われてきて虜囚となり、秘密の役目を負わされた抵抗のできぬ立場のはずなのだが。
居心地のいい住居に、美味しい食事。欲しいものはすべて与えられる生活。
(これでは、養われているだけではないか)
はね起き、ぶるっと頭を振る。
(役目を果たさねば、釣り合いが取れん)
セオラは今一度、自分に課せられた責務を思い出す。
(妃たちの中に、先王を毒殺した者がいるとジャンブールは睨んでいる。私はその犯人を見つけねばならない)
そのためには、妃たちに接触を試みなければならない。先日は、隊商の品を見に行ったついでに、第三妃イントール、第四妃オドンチメグと親交を深められたが。
(第二妃グアマラルにはどうやって近づこうか)
トゴス族出身の彼女は、本来であれば自分が第一妃になる筈だったと、セオラへ敵愾心をあらわにしていた。何と話しかければ、先王の暗殺について探ることが出来るだろうか。
(まずは話のきっかけが必要だな)
隊商のいた天幕で、山ほどの装飾品を侍女に持たせていた彼女の姿を思い出す。
(身を飾るものを贈れば気を許すだろうか)
だがセオラが用意できるものなど、既にグアマラルは持っているような気がする。
首を捻るセオラの元へ、ホランを始めとした侍女たちがやって来た。
「セオラ姫様、お茶のお代わりをお持ちしました」
「あぁ、ありがとう」
牛乳のコクと優しい塩味を持った茶が、口腔を潤し心を満たす。その時セオラは、侍女たちの顔つきが明るいことに気付いた。思えばそれは昨日今日の話ではない。
「なぁ、お前たち」
セオラの呼びかけにホランを始めとした侍女たちは振り返る。
「はい?」
「サンサルロへ来てから、不便な思いはしていないか?」
「「「全然!」」」
皆の声が一つとなった。侍女たちは互いに顔を合わせ、くすくすと笑っている。
「最初は不安でしたけど、セオラ様にお仕えさせていただけることになりましたし」
「体がつらい時は、交代しながらの仕事が許されていますし、休みも十分にいただけてます」
「食事が美味しくて、少し太ってしまったくらいですわ」
「家族に見捨てられ、攫われてきた時はどうなることかと思いましたが、今になって思えばとても幸運だったかもしれません」
晴れやかな表情の彼女らに、セオラは苦笑いをする。どれも否定できないからだ。
(ゴラウンでの彼らの扱いは、あまり良いものではなかった)
小国ゆえに労働力が少ないせいもあったのだろう。一人が仕事に支障を出せば、その影響は大きい。故に、老人や傷病者に対する目は、冷ややかなものだった。あの日「要らぬ者を出せ」と言われて追い出した側の人間の中には、清々した者もいたはずだ。
(ウチのクソ親父のようにな)
だが生憎、追い出され虜囚となった者たちは、かつての故郷での生活よりもずっといい暮らしをしている。
(約束を守ってくれたのだな、ジャンブールは)
彼はセオラに『第一妃となり反逆の意思がない象徴となること』『妃たちの嫉妬心をあおり危険な人物を見つけ出すこと』『戦友として側にいること』以上三つの役割を負わせた。その代わり、ゴラウンからの虜囚たちの生活は保障すると。
(では、私が役目を終え、第一妃でなくなればどうなるんだ?)
ゴラウンの民への厚遇は取り消しになるのだろうか。そう考えると、セオラの中に迷いが生じる。このまま第一妃の座に居座る方が、仲間たちのためとなるだろう。
(だが、私は元よりサンサルロの王子の妃になど相応しくないのだ。だからこそ、妃たちの嫉妬心をあおったり、王の座を望まぬ者としての証としてちょうどいいのだから。しかし……)
自分がジャンブールにとって不要になっても、ゴラウンの民たちだけは何とかしてほしい。随分と虫のいい話だとは思うが。例えば自分も従者の地位になり、サンサルロに誠心誠意尽くすと誓えば便宜を図ってもらえないだろうか。そんなことをセオラが考えていた時だった。
「セオラ様、お客人です」
ホランが暖簾を開き、一人の女性を天幕内へと招き入れる。
「お前は」
「グアマラル様の使いとして参りました、セオラ様」
(第二妃の!)
侍女は恭しく跪き、掌を上げる。仕草こそ優美で完璧であったが、その目つきや声音に空々しいものをセオラは感じ取った。主人のグアマラルを差し置いてなぜこの小国の女が、と見下しているのだろう。
「グアマラルの? 要件はなんだ」
「はい。主が第一妃セオラ様を、お茶会に招きたいと」
(なんだと?)
どういった風の吹き回しだろうか。
(私のことなど、憎んでも余りあるだろうに)
本来なら顔も見たくないはずだ。しかし、接触の機会を探していたセオラには好都合である。
「わかった。その招待受けよう」
「ありがとうございます」



