見捨てられ嫌われ姫の打算婚【長編版】

 天幕群へ隊商が訪れたのは、僅か数日後のことだった。
「セオラ、おいで」
 ジャンブールに手を引かれ、セオラは隊商の来ている天幕へと向かう。
「手を離せ、ジャンブール」
「えー、やだよ。仲良くしよう?」
「こんな真似する必要ないだろう」
「あるよ」
 言ってジャンブールは、セオラを更に引き寄せる。そして耳元へ口を近づけると、そっと囁いた。
「僕たちが仲睦まじく振舞っていれば、犯人が尻尾を出すかもしれないだろ?」
 そう言われてはセオラも拒絶出来なくなる。
(一日も早くこの役目を終えるためには、やむを得んことだ)
 覚悟を決め、セオラは大人しくジャンブールに(いざな)われるまま、隊商の来ている天幕へ足を踏み入れた。

 天幕の中へ入ると。ジャンブールはすぐさま、入り口近くに立っていた異国の商人へ話しかけた。
 ぺらぺらと聞き慣れない言葉で会話する彼の姿に、セオラは目を見張る。
(この男は、異国の言葉も操るのか)
 やがてジャンブールは商人と笑顔を交わし、握手をするとセオラの元へ戻って来た。
「何を話してたんだ?」
「ん? セオラの欲しいものがあるかどうか聞いていたんだ。ほら、こっちおいで」
 ジャンブールに手を引かれ、セオラは所狭しと並べられた商品の間を歩く。生鮮食品や花の置いてある場所へ辿り着くと、ジャンブールはセオラの背に軽く触れた。
「ほら、セオラ。こちらが白梅、そこにあるのが白檀だ」
「本当だ……」
「白梅の実はちょうど今が旬のようだね。どれくらい必要なんだい?」
 セオラが答えると、ジャンブールは言われた量をさっさと袋へ入れる。そしてセオラへ手渡した。
「他に欲しいものは? いい機会だから、ゆっくり見て回るといいよ」
「待て、ジャンブール。支払いについてだが……」
「ん?」
「私はここへ攫われてきた。……恥ずかしながら、先立つものがない」
 それを聞いて、ジャンブールは「あぁ」と小さく頷いた。
「お金なら必要ないよ」
「それでは商人が困るだろう」
「いや、ここにあるものは既に、全て監国(かんこく)である弟のガンゾリグが買取済みだ」
 監国とは、王の不在期間に王に代わり国を統治する役割のことだ。
「君は欲しいものがあれば好きに持って行けばいい」
(ここにある品が、全て買取済みだって?)
 セオラは天幕の中を見回す。高級そうな絨毯や宝石、香辛料や磁器などがひしめき合っている。
(サンサルロ国は裕福だと知っていたが、そんなことまで出来るのか……)
 小国ゴラウンで生きて来たセオラにとって、それは現実離れした光景だった。
「これなんてどうだい?」
 ジャンブールが、黒貂(ブルガン)の毛皮を手に取る。そっとセオラの肩にかけると、満足気に頷いた。
「うん。僕の第一妃に相応しい装いだ」
「こっ……」
 黒貂の毛皮は高級品の中でも群を抜いている。国同士の交渉の際の手土産にもなる代物だ。
「こんな高いもの、私は受け取れん。いくらなんでも、申し訳なさすぎる」
「そう? 似合ってるのに」
「似合っているとか、そう言う問題ではない。私はお前から、これをもらう理由がないのだ」
「サンサルロ王子の、第一妃への贈り物としては、妥当な品だと思うけどね」
 肩にかけられた毛皮を引き剥がすように脱ぎ、元の場所へセオラが戻した時だった。背後から甘い香りが漂って来た。
「ジャンブール様ぁ」
 そこに立っていたのは、艶やかな第二妃グアマラルであった。彼女の背後には、両手いっぱいに品を抱えた侍女が立ち並んでいる。化粧品や装飾品など、身を飾る品が多いようだ。
「グアマラル」
 名を呼んだセオラを無視して、グアマラルはジャンブールへ飛びついていく。胸に顔を埋め、幸せそうに頬を摺り寄せた。真紅の衣が、ジャンブールのオレンジ色の衣に馴染む。
「ジャンブール様、お会いしたかった。せっかく妃になれたというのに、わたくしの天幕に全然来て下さらないんですもの」
 グアマラルは形の良い唇の間から真珠のような歯をのぞかせ、潤んだ瞳でジャンブールを見上げる。目の縁がほんのり紅色に染まっているのが艶めかしい。ジャンブールの胸に添えた両手の爪は、染められ磨かれ宝石のように輝いていた。
 絵になる二人だと感じた途端、セオラはなんとなくもやっとした気持ちになった。
「やぁ、グアマラル。元気そうで何よりだ」
 言いながらジャンブールはさりげなく第二妃の肩を掴み、自分から引き剥がす。
 それにもめげず、グアマラルは再びジャンブールへとすり寄ろうとする。しかしジャンブールはごく自然な足取りで、グアマラルから距離を取った。親しみを瞳に宿したまま。
 少しムッとなったグアマラルではあったが、すぐに気を取り直したように極上の微笑を浮かべる。
 そしてくるりと振り返ると、先ほどセオラが台へ戻した黒貂の毛皮を手に取った。
「まぁ、なんて素敵な黒貂の毛皮!」
 舞うようにしながら、自分の肩へかける。そしてそれに(くる)まれると、ジャンブールを見上げた。
「ジャンブール様ぁ、似合います?」
「え? あ、あぁ、そうだね。でも、これは第一妃に……」
「わたくし、これをいただきますわ」
 グアマラルは、ジャンブールの声が聞こえていないかのようにはしゃぐ。そして、小首をかしげて婀娜(あだ)っぽい視線を送った。
「ジャンブール様が、わたくしに似合うとおっしゃってくれたんですもの。大事にいたしますわ」
 グアマラルは一礼すると、足早に立ち去ろうとする。その背へ、ジャンブールが慌てて手を伸ばした。
「待て、グアマラル。それは僕がセオラに」
「いい」
 セオラはジャンブールの伸ばした手をそっと押さえる。
「私には似つかわしくない品だ。あれは彼女のような美人が纏うのが相応しい」
「……」
 セオラの言葉に、珍しくジャンブールが眉をしかめた。セオラの心臓が僅かに弾む。
「あの……」
 何か悪いことをしてしまったかと、セオラが問いかけようとした時だった。
 親衛隊(ケシクテン)の男が駆け込んできた。
「ジャンブール様、こんなところにいらっしゃった! 今すぐお越しください」
「ん? どうした?」
 ジャンブールの顔から、先ほどまでの不機嫌さがスッと消える。男が説明を終えると、ジャンブールは一つ頷き、セオラを振り返った。
「すまないが、僕は急用が出来た。買い物は一人でしてくれるかい? 帰り道については、君を天幕まで送り届けるようきちんと誰かに言いつけておくから」
「あ、あぁ。私は構わない」
「気に入ったものは、遠慮なくどれでも持って行くといい、じゃあね!」
 ジャンブールが慌ただしく天幕から出ていく。やがて、馬のひづめの音が遠ざかって行った。
(さて、どうするか)
 白梅と白檀の実を入れた袋を手に、セオラは辺りを見回す。
 退屈しのぎに色々見て回りたい気もしたが、既に目的の品は手に入れた。それに、ジャンブールが側にいないと、どうにも心許ない。
(……戻るか)
 そう考え、自分を送る役目の者を探そうとしたセオラの目に、見覚えのある人物が映った。
(あれは、ジャンブールの第三妃と第四妃?)