後日の夕方、ミキオは廃倉庫での達也と朱莉の妙な雰囲気が気になっていた。両手をズボンのポッケに入れながら、公園横を少し背を丸めながら通り過ぎようとしていたところ、朱莉と達也がベンチに座っているのを見かけた。

 公園で朱莉と達也を見かけた次の日。ミキオはいつも通りに登校した。公園で二人を目撃したことは誰にも話さずにいた。なぜか? あの日、実はミキオは朱莉をカフェに誘ったが断わられていたからだ。にも拘らず、朱莉は公園で達也と一緒にいた。非常にショックだった。初めて経験する衝撃。

 もし公園でキスシーンを見てしまっていたらミキオは迷わず死ねる程だが、二人が仲良くベンチに座っていたとしても幼馴染なら普通だと考えるようにしていた。ヘタレと云うのは未だ早い、揺さぶられる心を落ち着かせるために。「義孝と瑞葉だって幼馴染だ、別に普通じゃないか……」と連想していたら「あいつら恋人同士だったわ」と思考に意味が無かったことにミキオは我ながら唖然とした。

 思春期の思考のおかしさは大人になると懐かしいが当事者にとっては大変である。

【教室にて】

 朱莉「あ、分かりました! ミキオくんとサトシさんのお二人の能力は空中元素固定装置ですねっ!」

 瑞葉「それはキューティーハニー、正解は……加速装置(サイボーグ009)よ」

 サトシ「僕は人間だよ! サイボーグにしないで」

 ミキオ「……口止めしたのに何故教室で堂々と話してるんだ……?」

 こんなくだらない会話を繰り広げていた昼休み、朱莉は瑞葉の言葉をしばらく反芻(はんすう)していた。加速装置。そんなワードが彼女の形の良い唇から繰り返し漏れ出している。

「ねぇねぇ、ミキオくんたちは、もう恋人同士のラブラブ行為はしたの?」

 急に目を輝かしたハルちゃんが爆弾を投下した。

「まだ何もしてねーよ」
(それより公園の達也先輩のツーショットが気になってるんだ、ラブラブな話をする気分じゃねーぞ)

 話を終わらせようと速攻でミキオが返事をする。

「こ、恋人同士の行為って?」

 朱莉は初めての恋人がミキオだった。ゆえに耳年増の正反対を驀進していた。女の子の友達から色々と話を聞くこともなく、ボッチ街道まっしぐらだった故に、カップルの生態について全くの無知だった。

「うーんとね、キスとか、お互いに裸で抱き合ったり……最後は加速装置(私の知らない世界)が働いてね、とても気持ちが良くなるらしいの」

「は、ハルちゃん!」

 すかさず反応したのは瑞葉だった。顔が真っ赤っかになっている。頭の中で義孝との行為を具体的に妄想してしまったのだろう。「結婚するまではダメなのに……」等々ぶつぶつ聞こえない独り言を呟いている。

「へぇ……恋人同士の行為ってそんなにいいんだ――」

 朱莉も耳まで赤くして何か呟いていた。そこまで言ってから、彼女はふいに黙り込んだ。ミキオがちらりと顔を覗き込むと、彼女も茹でダコみたいに真っ赤な顔をしていた。気怠(けだる)い保険体育の授業で習った知識が確かな形を得て、ミキオとの行為の具体的なイメージが脳裏に浮かんできたのだろう。

「ハルちゃんは耳年増だからねぇ」

 瑞葉はジト目で反撃した。

「ちがっ! 私だってこんなこと話すの恥ずかしいんだからね!」

 ハルは経験のない自分を誤魔化し、交際ベテランだという雰囲気を出しながら、未経験の純真無垢な女の子をからかう時のよくある手順そのものだった。まさか彼女がマウントを取りたがるとはサトシも驚いていた。

「べ、勉強にはなります……」

 と言いつつ朱莉はめちゃくちゃ恥ずかしがって真っ赤な顔でミキオを凝視していた。

「何を真剣そうに話し合っているかと思えば……」

 聞き耳を立てた義孝が話しかけてきて、瑞葉と朱莉は震えだす。

「ヨシくんはそういう事に興味あるの?」

 ハルが一番聞きたかったことをストレートに尋ねる。

「男の子にそんなことを訊くなんて……」

 愛しの恋人が何を返事するか瑞葉が困っていた。朱莉は両手で頬をおさえて激しく身悶えた。

「そりゃ、興味がないと言ったら嘘になるけどさ、男子たちのワイ談じゃなくて女子が教室で話してるのは焦るな」

「ヨシくんも興味があるんだ……」

 義孝の返事を聞いたハルは好きな義孝とのえっちな光景を妄想しているのかポカーンとしている。

「け、結婚するまでは求めちゃダメだからね!」

 精一杯の発言をして、これ以上会話の発展をしないよう願う瑞葉。

「――私達ってはしたないかな……?」

「いや寧ろハルちゃんたちが何も知らないから堂々と話し合ってるとは思うが……」

 義孝に見つめられたハルがなぜか可哀想な程に耳まで真っ赤になってしまっている。

「義孝君、そんな……」

「そんなハルちゃんを見ていると、僕はすごくいけない気分になってしまうよ」

 ここまで黙って会話を聞いていただけだった空気を読まないサトシが口をはさんだ。

「サトシがモテそうなのにモテない理由が少し解った気がする」

 ミキオが先輩風をふかした。

 くだらない日常が過ぎていく。

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 ――その日の夜、ミキオは朱莉の恥じらう顔を思い出していた。そんなことを妄想していたタイミングで電話がかかってきた。その当事者の朱莉からだ。

『今晩はビデオ通話しない?』

「いいよ」

『ふふ、こうやって顔が見えるといいね』

「そうだな」

 朱莉は制服ではなくピンク主体の部屋着だった。そうして他愛のないことをしゃべる。いい感じに時間も過ぎたころ朱莉の母親だろうか、声が聞こえた。

『朱莉ー、達也君が来たよー』

『はーい、ちょっと待ってもらって』

(何? 達也先輩だと……、こんな夜に遊びに来るのか)

『お母さんに呼ばれちゃった。ごめんね、ミキオくん。大好きだよ、おやすみ』

「ああ、お休み」

『――今日も楽しかったぁ』

 朱莉の声がした。スマホの画面を見ると未だ彼女の部屋が映っている。

(通話が切れてない……)

 このビデオ通話の後で二人に亀裂が入る出来事が起こるのだが、その事実をミキオが知るのは後日になってからだった。

 たまにスマホでこういう事がある。彼女は気づいていないみたいだし通話を切ろう、ミキオは紳士的にそう思ったが、画面の中の朱莉がいきなり脱ぎ始めた。それは思春期のミキオにとって衝撃だった。

『……よいしょっ』

(!)

 暫くの間、ミキオはあまりの驚きでフリーズしてしまった。体育の更衣室ではない女の子の脱衣の光景に目が釘付けになる。見たところ、朱莉は部屋着から対人向けの服に着替えようとしているようだ。

『ふぅ~、ちょっと胸がきつくなってきたかなぁ~』

 スルスルと彼女はスカートを脱ぎTシャツにパンツ一枚という姿になった。イチゴのパンティ(ショーツ)が目に眩しい。

(朱莉はこんな可愛い下着をつけてるんだな。義孝が前に言ってたが、彼はイチゴパンティが好きで、いつか瑞葉に穿()いて貰いたいって口に出して願っていたら、後ろに瑞葉がいて叩かれていたな。……いや待て、オレは何を考えているんだ!

 いかん、これ以上は見てはいかん。さっさと通話を切るんだオレ! ……しかし、オレの指が動かない。金縛りにあったように視線が画面に釘付けになる。本能は偉大だ、だから本能には逆らえない)

 そうこうしながらミキオが思い悩んでいると、唐突に幸せな時間に終わりが来た。朱莉はスマホを取ろうとして、いまだ通話が切れていないことに気がついたのだ。

『えっ!』

 ミキオと朱莉が画面越しに目と目が合ってしまった。

「(マズい。マズ過ぎる)」

『ええっ! ミキオくん……ご、ごめんなさいっ』

「あ……あかり……」

 プチッ

「(切れた。切れてしまった)」

 何も言えなかった。ど、どうしよう。

 明日はどんな顔をして会えばいいんだ? 直ぐに切らなかった後悔が重くのしかかってくる。

 それにしても、こんな夜更けに達也先輩だと? しかも親公認で朱莉の部屋に入ってくる感じだったぞ。これはどういうことだ。浮気が始まるのか? もしビデオ通話が切られていなければ証拠の映像が撮れたかもしれないのに……と惜しがってしまった。

 あの公園でも二人して仲良くベンチに座っていたしな。一抹の寂しさがよぎる。

 オレが具体的に思い浮かべる幼馴染というのは、義孝と瑞葉の関係しか知らない。確かに彼らはラブラブなカップルだ。まさか朱莉と達也先輩も、でも、朱莉はオレのこと好きだって言ってくれてたし……彼氏としては彼女を信じなくてどうする? と自問自答した。友達だってそうだ。友人を信じなくてどうする?

 取り急ぎミキオは

「さっきはごめん、イチゴは義孝も好きだし、オレも、もちろん大好きだ!」

 という謎のメッセージを送ってしまった。

 図らずして義孝の好みまで巻き込んで暴露してしまい、夜は更けていった。この通話の切れた後の出来事は後日朱莉から語られミキオは大層なショックを受ける。

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【NTRの前兆】

 さて、スマホのビデオ通話の切り忘れで朱莉の着替えを覗いてしまったミキオだったが、次の日には険悪な雰囲気にはならず、寧ろ朱莉が顔を赤く染めて恥じらう姿勢を見せ、より一層のラブラブ感を醸し出した。謎であった。そしてミキオと朱莉の交際は変わらず続き、互いの家に行ききして順調に愛をはぐくんでいた。

 しかし自宅デートはあっても、相変わらず二人は純愛を貫いており、いまだにキスにも発展していなかった。ミキオがヘタレというより朱莉のガードが堅かった。身が堅いという代表格の瑞葉レベルとも少し違う印象で、周囲の友人たちをヤキモキさせていた。

 時が流れ、ラブラブ感情も安定し始めたころ、ミキオはバスケ部の大会に向けた特訓で忙しくなり、徐々に朱莉とすれ違い、教室では会えるものの放課後に会えない日が増えていった。会えない代わりにミキオは朱莉への連絡だけは毎日必ずしていた。……していたのだが……朱莉から返信がすぐに返ってこなかったり、ビデオ通話どころか電話もしない日が増えていった。

 幹夫からのメールに対する返信が次の日になることが珍しくなくなった頃には、とうとうミキオも朱莉と電話で話していてもそっけなくなってしまった。デートも都合が合わずに断られてしまうことが互いに増えて行った。

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「朱莉、次の週末、デートしないか?」

「ごめん、忙しくて都合がつかないや」

「忙しいのか……そうか、じゃあ……またな」

「うん、ごめんね」

 彼女が忙しい理由は具体的には聞かされていない。

「(朱莉が忙しい理由って何だろうな、気を使って聞かなかったけど)」

 さすがに一ヶ月以上もすれ違っているとミキオでも疑心暗鬼になる。毎晩、朱莉のことを考え悶々としていた。朱莉に連絡を入れてもリアルタイムで返信がないので、朱莉の自宅に直接会いに行くことにした。近所の公園にでも行って話をしたいと考えたのだ。

 まずは(あらかじ)めスマホで連絡をする。

「朱莉、今夜(公園で会える)時間あるか?」

「うーん、今夜は忙しいので(電話で喋る)時間は難しいです」

 そして朱莉の自宅に着き二階の朱莉の部屋を見上げるとミキオは不安に駆られた。


 窓を通して、朱莉の部屋の中に朱莉の他に男がいるのが見えた。

「!」

 今、まさに朱莉の部屋に男がいるのだ。まさかと思ってはいたが青天の霹靂だった。

 父親とは違う、きっと達也先輩なのだろう。楽しそうに笑い合っている声が聞こえ、そして静かになった。耳を澄まして聞いていたが、もう何も聞こえない。

 やはり朱莉は浮気をしているのじゃないか?

(オレと会う時間がないと言っていたのは、他の男と会っているからなのか?)

(忙しいから時間ないって言っていたのに朱莉の部屋には男子が居るじゃないか!)

 ミキオは、朱莉の家で呼び鈴を鳴らすこともなく、そのまま自分の家に帰った。