清い交際を続けるミキオと朱莉。純粋ゆえか、通行の多い道端で堂々と抱き合い、男の方は女の子の頭を撫でながら、甘い言葉を互いに(ささや)き合っていた。

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 そこにタイミング悪くガラの悪い連中が絡んできた。三人組だ。

「よぉ、可愛い娘、連れてるじゃねーか」

「一緒に遊ばない? 男ばかりだからさ、むさくるしいんだよな」

「楽しくて気持ちいいところを知ってるぜ」

 ミキオは、はぁ、また不死鳥の如く蘇ったかと溜息をつきながら朱莉を背中に隠し、殺気を込めない程度の目で相手達を睨んだ。本気を出さなくても三人なら簡単に追っ払えるので、何の問題もないのだが、この二週間に繰り返されたナンパ撃退で辟易していた。また、繰り返されたことで油断に繋がってもいた。

「女の子だけで好いぞ、男の方は邪魔だからな、消えろ」

「男は痛い目見たくなけりゃ、今直ぐどっか行けや」

 ナンパ連中はミキオを侮蔑の目で睨みながら口々に似たような台詞を吐き、ごく当たり前のように朱莉へ歩を寄せてきた。そして一人の男が馴れ馴れしく朱莉の肩に触れようとしたが、朱莉はその手を躱し、ミキオの背中にさっと隠れた。

 ミキオのこめかみに青筋が浮かぶ。

「あ~、おいおい何かつれないなぁ」

「お嬢ちゃん、恥ずかしがったら駄目だよ」

「へへへ」

「……朱莉、駅はすぐそこだ、先に行っててくれ」

「ミキオくん……」

「大丈夫だ、いつも通りオレが相手する。駅で会おう」

「分かったわ、ミキオくん、後でね」

「ああ」

 行き交う人たちが遠巻きになった。行き交う人が多くとも彼らは助けてはくれないのでトラブル対処はあくまで自力で行わなければならない。朱莉はミキオの指示通りに走って駅に向かった。人通りもあるし、彼女が走れば五分ぐらいで駅に着けるだろう。朱莉が離れたのを確認し、改めてナンパ連中をギロリと睨んだ。

「こんな連中如きに、恋人同士の楽しく甘い時間を邪魔されてなるものか。せっかく幸せな抱擁をしてたのに」

 ミキオは怒り心頭だった。そして、いつも通り簡単に解決できると全く心配していなかった。ここに彼らしからぬ致命的な油断があった。本来、朱莉と離れるべきではなく、離れるとしても、もし仲間がいたら仲間の一人をつけるべきだったと、後から振り返れば後悔するレベルだ。

「辛気臭いお前らクズ共に正義の鉄拳を見舞ってやる。覚悟しろ」

 幹夫の動きは尋常ではなく、三人いたとしても相手にならず、あっという間に決着がついた。

 ミキオは目の前の三人のチンピラを叩きのめした後で駅に向かったが、その駅には、先に行ってたはずの朱莉はいなかった。スマホでメッセージを送っても既読にならず暫く待っても彼女とは会えなかった。

「朱莉が居ないという事は……攫われた? 今まで警戒してきたのに、こうもあっけなく? 治安が悪すぎだろ、この町」

 後の祭り、背筋に冷や汗が垂れるミキオであった。

「こんなことなら、一緒に居れば良かった……」

 そう、あの僅かな時間の隙間で未成年者誘拐……未成年略取が発生していたのだ。

【朱莉の幼馴染:達也】

「すまない朱莉。もう無理だ。もう我慢できない。たとえもう二度と笑ってもらえなくなっても、それでも俺はお前が好きで、好きで好きで、好き過ぎて、どうしようもなくて俺は狂ってしまった。お前を犯すことを決めた。本当にすまない朱莉。俺は手放したくない。ずっと幼馴染としてではなく恋心を抱いてきたんだ。お前を奪われたくない」

「ん? 何だこれ、俺が朱莉のスマホに仕込んだ転送か。助けてくれって? 緊急メッセージの類か」


【とある廃屋倉庫】

 ぐったりと座っている朱莉は泣いている。あまりの恐怖に心が折れてしまった朱莉の精一杯の救済を求める嘆き。まるで迷子になった仔猫が助けを呼んでいるようだった。心が折れてしまっても、それでも朱莉はミキオに救いを求めようとしている。

 そんな悲しそうな女の子の姿を目にしたら、普通なら助けてあげようとしてしまう。ただ、ここまで彼女を連れ去ってきた暴漢たちは、自分が如何に極悪で非道で鬼畜な人間なのかには全く自覚できない質である。

「ひっ」

 男が足を一歩踏み出したことでビクッと震えた朱莉が小さな悲鳴を上げた。さらに足を踏み出せば、震える朱莉が小さな悲鳴を上げ続ける。そして両手を後ろに付き必死に逃げようとした。だが腰が抜けているのか後退しようとしても殆ど下がることができない。それでも膝を立てて両手と足を使って後退しようとした。

 徐々に徐々に少しずつ後退していく。

「ま、待って、お願いですから待ってください」

 ゆっくりと近付く男に対し、泣いている朱莉が震える声で許しを乞う。いずれ彼女を襲ってくる破滅の道を辿ることを(いや)(おう)でも悟ってしまう。まさか今日、絶望の日が来るだなんて思ってもみなかった。

「すまないな。残念だがお前の希望は聞けない」


 血圧が上がり真っ赤な顔に引き攣った悲壮な表情を浮かべ、男を何とか説得しようと試み、後退しながら絶望的な状況に唖然とする朱莉。物理的な力では男たちに勝てない。だから朱莉はひとまず男たちに同調するフリをして何とか逃げることを考えていた。

「反抗はしませんから、乱暴しないでください」

 とにかくここから逃げ出す。そのために男たちに隙というか逃げる時間の猶予を作り出すこと。ここから逃げ出すことさえ出来れば、あとは110番してミキオたちに助けを求め、男たちに二度と会わなければいい。

「絶対に逃がさないよ」

「に、逃げませんから」

 男たちを説得し、朱莉は、どうにかこの場を切り抜けようとしている。徐々に後退しつつ、床との摩擦で皮膚が擦り切れ、痛みが走りだした。

「お前の名前は? 可愛い顔してるな」

「う、水野です、ふぐっ、ううっ」

 口から勝手に漏れ出す嗚咽が止まらなかった。

「水野さんか。下の名前は? お前には楽しませてもらうからな」

「あ、朱莉です……」

 あまりの恐怖で素直にしゃべってしまった。

 周りを見渡すと、この廃屋の倉庫内に暴漢の仲間が十人ほど居た。我慢していても目から溢れる涙が頬を伝ってゆく。正攻法で逃げるのは諦め、朱莉はトイレの窓から逃げ出すことにした。

「あ、あの、おトイレに行かせてください」

 男の足元に縋り付き、媚びるように懇願した朱莉。

「あそこだ。行ってこい」

「ありがとう、ございます」

「ただし」

「えっ」

「俺も一緒に入る」

「……ええっ」

 受け答えする男を見た朱莉がギョッとしながら声を上げた。

「一緒に入るって言っただけだ」

「どうしてもダメですか……」

「絶対に駄目だ」

「い、いや」

 男の言葉に固まった朱莉が、やや間を置いて声を上げた。特にトイレに行きたいという事は無かったが、朱莉の作戦は見抜かれており、最早、どうしようもなかった。動揺し、混乱し、それでも必死に歯を食いしばった。

「そ、それなら、もういいです」

「じゃ、始めるか。録画の担当のヤツ、用意しろ。それから男二人ぐらいで3Pから始めろ」

(きっとミキオくんが助けてくれるわ、がんばれ私、きっと今は向かってきてくれている筈、がんばれ自分)

 こういう時のためにポケットの中にあるGPSが自分の所在をミキオに教えている筈。きっと直ぐに来てくれる。心配しないでミキオくんを信頼して私は待つ……我慢する。

 すると外から倉庫の扉を誰かが開けようとする音がした。

 ガチャ、ガンッ!

「あ、朱莉っ!」

「ああーん、お前、誰だ?」

「おい、お前等、俺の大切な朱莉をこんな所に連れ込んで……どういうつもりだ? ただじゃおかんぞ」


「た、達也くん……」

 一つ年上の幼馴染の達也であった。朱莉はホッとしたが、彼は一人だった。ここには十人ぐらいの男がいる。幼馴染の達也まで拘束されたらより一層の状況悪化を招くかもしれない。朱莉は絶叫した。

「達也君、危ないわ! ここから逃げて!」

 それまで男たちに従順さを見せていた朱莉の態度が一転し、大きな声で叫んで達也を逃がそうとした。

「お前の彼氏か……、一人で乗り込んでくるとは大した野郎じゃないか」

「無謀にもほどがあるだろ」

「お前ら、何してるんだ、俺の朱莉を放せ!」

 朱莉は諦めて絶望した。朱莉たちがここから逃げ出す方法は限られている。一人の時はトイレの窓から脱出、スマホで警察と連絡を取る、ミキオを待つ、思い切って男たちの股間を蹴り飛ばす、背後から頭を殴打するなどの方法を考えていた。

 しかし達也がリンチされ拘束されてしまって二人となると、逆に一人が人質にされ、例えミキオが仲間を連れて男たちと格闘したとしても、二人揃って逃げるのが難しくなる。男たちの隙を突き、助けを求める方法がもう思いつかない。しっかりと監視されていれば容易に防がれる。

 そもそも朱莉が男を怯ませ、その隙に逃げ出す、何てことが可能性としても成功率は低かった。あっけなく達也は拘束され、今まさに殴る蹴るの暴行を受けていた。

「クソっ! や、やめ、やめろぉーーー」

「達也くん……」

 朱莉は涙した。どうしてこんな事になっているのか? 先ほどまでは彼氏のミキオと幸せに街を歩いていただけなのに。

「達也君、もういいから、抵抗しないで、酷くなって大怪我しちゃう」

「朱莉……」

「チッ、余計な邪魔者に手間取らせやがって」

「俺を蹴りたければ蹴ればいい。俺は朱莉を助けるまでは屈しないぞ」

「達也君……」

「朱莉、俺は……俺はな、お前を助けられるのなら何でもいい、大切に思ってる」

 俺に脅しは通用しない。この命を賭けて朱莉を逃がす。そしてコイツらは朱莉を傷つけようとした。こいつ等は全員逃がさない。

 ちょうどいい。俺の命を賭けようじゃないか。