雨に降られてビショビショになった由愛と俺。

 急いで服を着替えて洗濯機を回す。由愛が脱いだ際に俺の顔をチラチラ見ながら右へ行ったり左へ行ったりしたことは気にしない。「はしたないぞ」などと口に出せば「お兄ちゃんになら見られてもいいから」みたいに返事が来ることは確実だから敢えて何も言わない。

 特に体の体形については今の妹にとってはタブーだ。胸について指摘しようなら何を言っていても最終的に「なら触って感触を確かめてみる?」みたいな返事が決め台詞になるに違いない。こんな先まで想定出来てしまうので、また何も言えなくなる俺、少しコミュニケーションの取り方を工夫しないといけない段階になっている気もする。

 そんなこんなで母親が夕飯を作り出しているのだが、なぜかリビングのソファーで隣に小林幹夫が座っている。先ほど大雨の中、ピンポーンと呼び鈴がして玄関を開けてみるとミキオだった。スマホで駅前で待ち合わせするのではなく直接訪問するだなんて珍しい。何があったのだろうか?

「なにがあったのかね? ミキオくん」

 少し嫌そうな雰囲気を出しながら聞いた。俺への説教でなければ何でもいいのだが、いや、気づかないうちに何かしでかしたかな? 俺って。

「あのな、少し報告があるんだ」

 ふむふむ、何かな。

「続けてくれたまえ」

「俺に念願の彼女が出来た。というか出来てた」

「「な、なんだってぇぇぇーーーー!」」

 冗談じゃないよな? こんな大雨の中、自宅にまで来るんだ。嘘でそこまで出来まい。

「聞いてくれ。これは昨日までの話だ。クラスメイトに水野朱莉(あかり)ちゃんっているだろ……」

 ……小林幹夫君の話が長いので、簡単にまとめよう。白い部屋で記憶がインストールしているからだ。

 クラスの水野朱莉ちゃんは地味な感じの子で、いつも一人でいて、背は小さく、髪は三つ編み、前髪は鼻先まで長く、頭の天頂にアホ毛が二本、顔の全体像を知る者はいない。というボッチタイプの大人しい子で、休憩時間は本を読み、またはノートをとって勉強している。活発とは無縁で、他の生徒と話しているところは滅多に見られない。

 義孝(ヨシタカ)瑞葉(ミズハ)や学級委員長などクラスの主要メンバーが下校したあとで、彼女に対するイジメが発生していたのを小林が目撃した。主に容姿を(いじ)る方向で行われ「水野は本当にブサイクだな」「前髪あげろブス」「声出るのかよサイレンサー」など。

 小林が男連中に文句を言ってやろうとクラスへ入ろうとしたら、水野さんは「だ、だよねー私ブスだし頭悪いから、どうしようもないよねーアハハ」と笑い声で男子たちに同調する様子を見せたので小林は何も言わずに忘れ物を取りに帰った感じで誤魔化しながら出て行った。

 別の日に、というか、ほぼ毎日、彼女は放課後に遅くまで残って掃除や窓ふき、植物への水やり葉っぱの間引きなどをやっているので、イジメでやらされていると確信、水野さんに声を掛けたという。

「水野、イジメがあるならオレに言え。助けてやる」

 ところが彼女はイジメについては何も言わず、こう返事した。

「これは自主的にやってることで強制されているわけじゃないから安心して。それと小林くん、私を気遣ってくれてありがとう。こないだもブスって言われてた時、介入して私を助けようとしてくれたんでしょ。大丈夫だよ、中学から言われてるし馴れているから。本当にありがとうね」

 ……という。それに小林が切り返した。

「いや、水野が言うことは分かるが、ブサイクって言われて気分いいはずないだろ、あいつら許せんな。弱い者イジメてクズ野郎どもが……」

「だめ、だめよ小林くん。きっと彼らに小林くんも迷惑かけられちゃうから。私の為の事を思うのだったら何かしちゃ嫌だよ。私大丈夫だから。お願い、約束して」

「お、おう……約束する」

 ということで水野さんの勢いに押されて指切りげんまんをしてきたらしい。小指が可愛くて小っちゃかったと小林の感想。

「でももう一度言うけどな、オレは思うわけだよ、ブサイクとか言われて嬉しい女子はいない。ほんと無理すんなって」

 で、昨日の話。

 水野さんが世話をしていた花壇に、男子らが土を掘り起こしたりして嫌がらせ、しかも彼女の目の前でその嫌がらせは行われた。小林が見かけて男子たちに文句を言おうとした彼を彼女は止めて、以前と同じようなこと「私は大丈夫だから、もし気になるのだったら、後で掘り起こされた土を、一緒に埋めない?」と説き伏せられた。

 小林は土を埋めている作業中に、自然と彼女の事が可愛くて仕方が無くなった。そして彼女も一緒に作業できて嬉しいと言った。目を見つめ合っていたら小林の水野可愛いという意識と庇護欲の想いが暴走してしまい……

「オレお前のこと好きだぜ。いつでも(花の世話)付き合ってやるよ」

 と言ってしまったという。

「ほんと? 嬉しい。小林くん、私も大好きっ付き合いたい」

 付き合いたいの意味が違っていたが、それを指摘するのは野暮であろう……。
 こうして愛が芽生えたフレッシュなカップルが誕生した。

・・・・・

「以前さ、小林って由愛に一目ぼれしてたよな? 水野さんが恋人でオーケーなん?」

「うむ、由愛ちゃんは一番だが、その次に朱莉ちゃんが一番だな」

「そうか」

 これまた()()の使い方が間違っているような気がするが、由愛が残念がるだろうな。小林先輩にフラれた! って。こんなこと由愛が知ったら、悲しんで今夜は眠れないと思う。うん。お兄ちゃんが慰めてやるか。

「さっきからさ、最初から、ここで聞いてるんだけど……お兄ちゃん」

 帰宅してから義孝や由愛、家に遊びに来た幹夫はいつも通りだった。両親はごく普通に義孝らを迎えて日々下駄ばきの生活をこなしており、義孝と由愛は、異世界の事や夢の世界の事も、生活に不必要な記憶が揺らいでいることすら親に何も話さなかった。

 聡と瑞葉は自宅でどう過ごしているだろうか。(ハル)は……?

 改めて両親たちとは前もって話す必要性はないと思えるので、何か日常生活に問題を起こす致命的な出来事が生じたら正直に異世界や夢の世界のことを話して相談に乗ってもらおうと優先順位を考えなおした。

 異世界に行って平和にしてきた、夢の世界では白い部屋が不思議だった、そもそも華が女神だなんてことは話せない。義孝は由愛と幹夫の顔を交互に見ながら溜息をついた。

 その日の夜は、洗濯をし、ミキオも加えて夕飯を摂り、瑞葉やクラス委員長たちに野暮用の電話をかけ、布団の中に侵入しようとする由愛を躱し、平穏無事、安眠できた義孝であった。

・・・・・
・・・・・

 不思議なことに次の日から水野さんがイジメられることが無くなったという。

「ねぇ小林くん、私のために何かしてくれたの?」

「いや、何もしてないな、オレは何もしないと約束しただろ?」

「でも不思議なのよね、ブサイクとか言われなくなっちゃったの」

「それは水野がブサイクじゃなかったってことだろ、良かったじゃねーか」

「何言ってるのよ、私は自分の事は分かってるからさ、ブスだって」

「よく聴け朱莉! それを決めるのはお前じゃねぇ、このオレだ。お前が奇麗なのはオレが一番よく知ってるぞ。タイプそのもの、ストレートフラッシュだ」

「でもね、花壇の事だってクラスの男子たちが直して整地してくれてたんだよ。これからは、ちゃんとローテーション組もうねって女子達にもゴメンって言われたの」

「それはな、朱莉の人徳だぞ。胸を張れ」
(たぶん義孝のヤツが裏で動いてくれたんだろうな。友達思いのお節介野郎だぜ、まったく)

「ねー小林くん、いえミキオ君、こんな私で好いの? こんなブサイクな私で好いのかな? 本当にミキオ君の恋人にしてくれるの?」

「あったり前だろ。俺たちのバカップルぶりを学校中に知らしめてやろうぜ」

 恥ずかしがって下を向いて顔を上げられなくなった純真無垢で可愛い朱莉であった……。

【彼女が前髪を切ると】

 いつものように小林幹夫は、放課後、同じクラスの水野朱莉(あかり)を教室に迎えに行く。

「朱莉、彼氏が来たよっ!」

 早速、茶化される。

「うん、じゃあ、私帰るね……あ、でもね、小林くんとは付き合ってなくて、未だお友達だよ」

 頬を染めて教室から出てくる朱莉は嬉しそうで、また、少し控えめで遠慮している様子もあった。ミキオと朱莉は合流すると教室から玄関口へ向かう。背後からクラスメートたちの噂話をするのが聞こえてきた。

「あの二人がデキているという噂は本当なのかな?」

「”まだ”友達って言ってたな」

「小動物系、かわゆす」

「どう見ても既に付き合ってるようにしか見えないけど?」

「ヨシタカくんは何も言ってなかったけど」

「私の小林くんが……」

「俺のミキオが……」

「おい変な奴が混じってるぞ」

 噂というのは一般的に事実と異なる話に更に背びれ尾ひれがついていくものだが、幸いなことに何の弊害も起きなかった。今のところは。

「なぁ朱莉、ちょっと質問なんだが、前髪をのばす理由って俺にも教えられることか?」

「えっ、私が前髪をのばしてる理由?」

「ああ、こないださ、髪の隙間から目がかろうじて見えたんだが、じっと見ないと目が分からんのだわ」

「うーん、中学生から伸ばしてカットしても鼻先で揃えてるんだ」

「イジメか?」

「そんなところ……顔が見えないようにって」

「どんな理由でそうなったのか教えてくれないか?」

「うん、ミキオ君には話そうと思っていたんだ。だから大丈夫よ」

「よし、話してくれ」

「うん。私ね、小学校の五年生ごろから急に男の子たちからブサイクやブス呼ばわりの意地悪が増えたんだ」

「担任の先生は何か仲介してくれたのか?」

「ううん」

「放置か、残念な先生だったんだな」

「先生の見てないところで意地悪されてたのが中心だったからかな」

「そうか。ブサイクとか言われたキッカケとかあったのか?」

「分からない……」

「俺から見るとブサイクには見えないがな」

「ほんと?」

「ああ、寧ろ俺のタイプだぞ。顎のラインや頬の柔らかそうなところ、鼻筋、唇の形などな」

「ミキオくんにそこまで言われると、本当でも嘘と思っちゃうよー」

「そ、それは、まぁいい、小学校を卒業してからはどうよ?」

「そうだね、中学に入ったらクラスメイト中心だけど、他クラスまで男女関係なくブサイク呼ばわりから靴を隠されたり悪戯されたりしたんだ。ブサイク呼ばわりが嫌で、中学一年から顔を前髪で隠したの」

「今高校二年だから四年ちょっとか。長いな」

「うん、ごめんね。でも慣れちゃったよ」

「だから慣れるなって。今度からブサイク呼ばわりは俺が許さんから心配すんな」

「ありがと」

「じゃ、ということで髪の毛を切りに行こうぜ」

「何が、……ということで、なの?」

「朱莉は知らないだろうがな、美容室でだな、陰キャぼっちが前髪を切って目を出して、髪形を奇麗にすれば、間違いなく美男美女に変身して馬鹿にしてたクラスメイト達が度肝を抜かれるんだ」

「ええっ、そんなの聞いたことがないよー」

「突然、カーストトップの美人がクラス内に出現するんだよ、しかも転校生じゃない。知らんのか?」

「知りません。ソースは何があるんですか?」

「ライトノベルってやつだ」

「……」

「……」

「話を元に戻して、兎にも角にも前髪を切りに行こう」

「えー、嫌と言ったら?」

「オレが切ってやるよ」

「えー」

 ……このような意見のぶつかり合いが数時間、ミキオと朱莉の相性が良いのか、議論が白熱した結果、朱莉の髪の毛を切ることになり、そしてお約束の通り、大変可愛らしい顔が出現したのであった。

 イジメの原因は、ミキオの想像通り「朱莉が可愛くて男子は惚れてしまって悪戯した、女子は嫉妬で意地悪した」というパターンが中心であり、高校生にもなって悪戯かよ……というレベルには、朱莉の可愛すぎる顔が要因としてあげられた。

 ミキオ自身も朝の通学待ち合わせ時に朱莉の顔を見た瞬間、驚き、見惚れてしまった。二人で朝の登校から教室に入るまで生徒たちの注目を朱莉が独占というか集めるに至った。

 誰もが一目見れば朱莉がお人形さんのように可愛い、という評になるほどその可愛らしさには説得力があった。

「なぁ朱莉、皆からの視線を見ろよ、今までと違って、朱莉のことを羨ましいとか、朱莉みたいになりたいとか、羨望みたいな印象が伝わってくるだろ。良かったな」

「うん!」

「高校生活で嬉しい転換期だな。オレも前髪程度でここまで変わるだなんて想像できてなかった」

「嬉しいと言えば、高校生活が変わる……、大人に変わる……狭間なのよね、今って」

「ああ、こうやって一歩一歩、大人の階段を上っていくんだぞ、若者は沢山の分岐点を持っているんだ」

「私は……私の初めてを、ミキオくんにあげられるのが嬉しい!」

「急に何を言い出すんだ朱莉さんや……大人の階段の解釈違いか……」

「あ……」

 両手で顔を覆う朱莉の耳や首が真っ赤に染まった。その様子を観て、朱莉は何か単語を軸に妄想をしていて、そのまま精神垂れ流しで口に出したのだと、まるで残念女史かポンコツ女神かと推測するミキオだった。が、この彼女のうっかり? によって朱莉の本当の姿が垣間見えたのは収穫だった。

 ちなみに朱莉が小林(ミキオ)に「なんのラノベを読んでるの?」と聞いたところ、以下のラインナップだったという。

『妹のエプロンは黄色のカエルさん。お兄ちゃんが脱がせようとするの』
『クビになった荷物持ちの義妹に勇者パーティの男どもが群がる件について』
『それはネトラレから始まった。い、いや、止めて下さい』

「何コレ?」

 なんでも西之原(ヨシタカ)君と彼の妹の由愛ちゃんがお勧めしてくれたそうだ。朱莉は意味の分からないタイトルの羅列に唖然としていた。ミキオ君に変な性癖がつかないよう守ろうと心から思った。

「そうだな、朱莉にお勧めしたいのはコレかな」

『異世界の白い部屋だと思ったら義妹の白い下着の中だった恐怖(ホラー)』
『幼馴染の靴下に穴が開いてるザマァ! から始まる恋愛下剋上』

「……」


【オマケ】
小林ミキオ君イメージ


前髪をあげた朱莉のイメージ↓(植物の世話も大好き)