国が「友情試験機」を導入したのは、去年の秋のことだった。
 目的は“人間関係の最適化”。
 仕事も結婚も、「相性スコア」がなければ成立しなくなった時代。
 そしてついに、友情も数値で判定されるようになった。

 ポスターには、白い笑顔の青年が印刷されていた。
《友情にも、正確さを。友情試験機で、あなたの人生を見つめ直そう》
 市役所の壁に貼られたその宣伝文を見ながら、僕は呆れた。
 だが、隣の健は興味津々だった。

「おれらなら満点いけるだろ」
「なにを根拠に」
「小一からずっと一緒だぞ。あのテストで満点取れなきゃ、世の中終わってる」

 彼は昔からこうだった。自信満々で、冗談みたいに前向きで、僕の愚痴も軽く笑い飛ばす。
 そんな健に救われたことも、一度や二度じゃない。
 だから、僕は彼の誘いを断れなかった。

 休日の午前、市民センターの一角。
 銀色の装置が十台ほど並んでいる。
 名前を書き、免許証をかざし、指紋を登録。
 受付の職員は慣れた口調で言った。

「お二人はペア登録ですね。結果は同時に表示されます」

 僕と健は隣同士に立ち、パネルの上に手を置いた。
 冷たい金属の感触。
 次の瞬間、装置が低い電子音を鳴らした。

 モニタに、無機質な文字が浮かぶ。

《友情度:0%》

 数秒の沈黙。
 健が笑った。
「……え、バグってない? ゼロって」
「知らないよ。手の汗でも誤検知したんじゃない?」
「いや、だって俺ら……ゼロってことは、敵同士とか?」

 係員が寄ってきた。
「お客様、再検査は制度上お受けできません」
「バカ言うなよ、機械が壊れてんだろ!」
「申し訳ありません。結果は政府データベースに即時反映されます」

 僕は顔が熱くなるのを感じた。
 周囲の人々がこちらを見ている。
 健が口をへの字に結び、装置のパネルを殴った。
 ガシャン、と鈍い音。
 透明カバーが割れ、内部の配線が火花を散らす。

 係員が悲鳴を上げた。
「やめてください! 国家財産の破壊です!」
 健は無視した。
「こんなもんに、俺たちの関係を決められてたまるか!」

 その瞬間、装置のスクリーンが赤く光った。
 割れたガラスの向こうで、文字が切り替わる。

《友情度:100%》

 周囲がざわついた。
 係員も、僕も、言葉を失った。
 健は呆然と立ち尽くし、壊れたパネルの中の光を見つめていた。
 そして、ひとこと。
「……やっと、まともな結果が出たな」

 ――それが、「友情試験機」が最後に記録した出力だった。



 その夜、ニュース番組で事件が報じられた。
 「友情試験機破壊事件」――全国で初のケース。
 報道によると、装置のシステムには「行動認証モード」という隠し機能があり、
 被験者が特定条件を満たしたときのみ真の判定が行われる、という。

 条件は非公開だった。
 ただ、官房長官が記者会見でこう言った。

「友情とは、数値では測れない感情だという苦情が多く寄せられております。
 本機の開発者は、それを見越して特殊な判定法を組み込んでいたようです」

 翌日の新聞には、こう書かれていた。
《機械を破壊した瞬間、テストは“合格”と認定》

 皮肉な話だ。
 だが、健らしい結末でもあった。



 事件のあと、僕のスマートフォンに通知が届いた。
 【友情スコア更新:あなたの登録パートナーはシステムにより削除されました】
 その文面を見た瞬間、胸の奥が空っぽになった。
 僕は何も壊していない。ただ、立っていただけだ。
 それなのに、「友情0%」のまま。

 だが、その夜。
 僕のポケットの中に、健の手書きメモが入っているのを見つけた。
 昼間、受付でもらった書類に紛れたらしい。
 そこには、こう書いてあった。

《おれはお前のこと、100%信じてる。機械が0って言うなら、壊すまでだ。》

 字は雑で、インクが少し滲んでいた。
 思わず笑ってしまった。
 あいつらしい、と。



 一週間後、市は「友情試験機」の運用を一時停止した。
 国中のSNSでは、スコアに不満を持つ人々が装置を叩き壊す動画を投稿しはじめた。
 皮肉にも、それが「真の友情」の証明だと話題になり、
 政府は急遽、スローガンを変更した。

《友情とは、壊してこそ真実である》

 街の電光掲示板が、その文句を映し出していた。
 誰が考えたのか知らない。
 けれど、あいつなら笑っていただろう。

 夕方、帰り道で通り雨に降られた。
 傘を持っていなかった僕は、商店街のアーケードに駆け込む。
 その屋根の隙間から、雨粒がいくつか落ちてくる。
 ひとつ、頬に当たった滴が、なぜか温かく感じた。

 僕はポケットから健のメモを取り出し、空を見上げた。
 雨に濡れて、インクがにじむ。
 にじんだ文字の中で、「100%」の数字だけがはっきり残っていた。

 ――もしかすると、あの機械は、最初から正しかったのかもしれない。
 友情は、壊されて初めて本物になる。
 そういうふうに、設計されていたのだろう。

 ただのバグか、それとも人間の救いか。
 その答えは、誰にもわからない。
 けれど僕は、あの壊れた画面に浮かんだ数字を信じている。

《友情度:100%》

 そして今日も、僕はあの市役所の跡地に立つ。
 新しく建てられたフェンスの奥で、修理工たちが装置を運び出している。
 灰色のケースに印字されたアルファベット。
 “FRIENDSHIP TESTER - MODEL 02”。

 ――改良型が出るらしい。
 また誰かが、それを試すのだろう。

 僕は笑った。
 風が吹き、壊れかけのポスターがめくれる。
《友情にも、正確さを》の文字が、途中で破れ、
 代わりに小さく印字された注意書きが現れた。

《※試験結果は必ずしも人間の感情を反映するものではありません。》

 読んで、思わずつぶやいた。
「知ってるよ。そんなこと、最初から」

 風がポスターを飛ばした。
 灰色の空の下で、僕は笑いながらそれを見送った。
 その笑いは、たぶん健が聞いたら、また馬鹿にして笑い返すだろう。

 けれど、それでいい。
 だって――

 壊した瞬間、テストは合格になったのだから。