Ⅰ 春のノート

 ノートを開くたび、春の匂いがする。
 インクの匂いとも違う。ページの隙間にまだ残っている風の匂い。
 日向が病室の窓を少しだけ開けてくれた日、外から入り込んだ風が、ページの間に閉じ込められているのだと思う。

 「忘れる前に、全部書こう」

 そう言ったのは、日向の方だった。
 あの頃の彼女はまだ元気で、病気の言葉を自分ごとのように信じていなかった。
 だけど、先生が伝えた診断の言葉――“若年性アルツハイマー”――は、私たちの時間をゆっくりと削り始めた。

 日向は言った。
 「消えていく前に、私を残したい」
 だから、私が代わりに書くことにした。
 日向の言葉を、日向の声で。
 書き写したインクの線が、彼女の存在の延長になるように。

 ルールは三つ。
 一、嘘は書かない。
 二、思い出せないことは、想像してもいい。
 三、最後のページは、澪(わたし)が書く。

 ページの一番上に、日向の丸い文字で書かれている。
 それがこのノートの、唯一の署名だった。

Ⅱ 六月の風

 六月の風は、少し湿っていて、窓のカーテンを膨らませる。
 放課後の教室で、私と日向は机を並べ、ノートを広げる。
 部活動の声が遠くに響き、チョークの粉の匂いがまだ残っていた。
 「今日はね、放課後に澪とパンケーキ食べたって書いて」
 「うん」
 「で、澪はどんな顔してたっけ?」
 「え?」
 「思い出せないんだ。澪って、どんな顔?」

 私の名前を呼ぶたび、彼女は少し戸惑う。
 笑いながらも、探るように。
 その仕草が、だんだん日常になっていった。
 「笑うと鼻の横にえくぼができるよ」
 「へぇ、かわいいね」
 「でしょ」
 私たちは笑い合う。
 でもその笑いは、もう同じ時間を生きているものではなくなっていた。

 ペンの先が紙を滑る音が心地よくて、私はなるべくその音を絶やさないようにした。
 ノートの余白に小さく、「今日の天気:晴れ」「風:やや強い」「気温:25℃」と書き足す。
 それはまるで、記憶の座標を記していく作業のようだった。
 忘れたあとでも、このページを開けば、たどり着けるように。

Ⅲ “もうひとりの私”

 夏が近づくころ、日向のノートに変化が出た。
 そこには、私の知らない“澪”がいた。
 その“私”は、日向にとって理想の友だった。
 元気で、勇敢で、いつも先に笑って、泣かない。
 現実の私は、そんなに強くなかった。

 「ねえ、日向。この澪、ほんとの私と違うよ」
 「うん。知ってる」
 「じゃあ、なんで書いたの?」
 「私の中では、この澪が本物なんだよ」
 「本物?」
 「だってね、澪のことを思い出すとき、いつもこの顔になるの。
  だから、たぶん、私の記憶の中ではこの澪が正解なの」

 彼女の声は穏やかで、どこか寂しそうだった。
 “記憶の中の澪”と、目の前にいる“私”が、少しずつずれていく。
 そのずれが、痛かった。
 でも、その痛みを誰にも見せたくなくて、私は笑った。

 ある日、私はためしに聞いた。
 「私の誕生日、覚えてる?」
 日向は少し考えて、「七月の、えっと……八日?」と答えた。
 正解は六月二十八日。
 でも、私はうなずいた。
 「そう。七月八日」
 たとえ記憶がずれても、彼女の中に“私”が残っているなら、それでよかった。

 その夜、私は家に帰って、自分の日記を開いた。
 日向のノートと同じメーカーの、少し厚手の紙のノート。
 そこにこう書いた。
 「本当の記憶と、彼女の記憶。どちらが“現実”なんだろう」
 インクの滲みが、まるで境界線のようだった。


Ⅳ 秋の空白

 九月に入ると、日向は一気に変わった。
 ノートに書く文字が、細く、揺れるようになった。
 「今日、駅前のパン屋に行った」と書いたはずの行が、次のページでは「パンの駅に行った」になっていた。
 意味が少しずつ裏返り、世界の順序が崩れていく。
 それでも、彼女は毎日書いた。
 たとえその文字が、昨日と繋がっていなくても。

 私は彼女の代筆を続けた。
 ノートに書くことが、“今日”を確かめる唯一の方法だから。

 日向の母親はよく病室に花を置いていった。
 カスミソウやチューリップ、時々ミモザ。
 「この子ね、花の名前も忘れちゃって。でも香りは覚えてるのよ」
 そう言って微笑む顔が、少しだけ泣きそうだった。

 ある日、私はいつものようにノートを開いた。
 そこに、“私の知らない私たち”がいた。
 「澪と映画を見た。泣いた。手を握ってくれた。」
 ――そんなこと、していない。
 私は映画館には行っていない。手も握っていない。
 けれど、彼女の中では、確かにそれが起きているのだ。
 その行を読みながら、胸の奥が静かに熱くなった。
 “彼女の世界”の中で、私はまだ誰かを支えていた。

 私たちの友情は、もう「同じ記憶を持つこと」ではなくなっていた。
 “違う記憶を共有する”ことが、絆になっていた。
 たとえ現実と食い違っていても、彼女の物語の中で私が笑っているなら、それでよかった。

Ⅴ 冬の手紙

 冬になると、日向は自分の名前を忘れた。
 カルテの名前を見て、「この人、私に似てるね」と笑った。
 私は笑い返した。
 「たぶん、同じくらい優しい人なんだよ」
 「ふふ、じゃあ友達になれるかな」
 「きっともう、なってるよ」

 ノートの残りはあと三枚。
 雪が降った日、彼女は言った。
 「澪、もう書かなくていいよ」
 「どうして?」
 「澪が書くたびに、私が薄くなっちゃう気がするの」
 「そんなことない」
 「ううん。……でもね、最後に一つだけお願い」
 「なに?」
 「“忘れる前に”じゃなくて、“消えるまで”にして」

 私はゆっくり頷いた。
 “忘れる”は終わりだけど、“消える”は続きだ。
 その違いを、彼女はわかっていたのだと思う。

 その夜、私は家で最後のページを書いた。
 日付を入れ、ペン先を整え、呼吸を整える。
 ページの見出しに、ゆっくりと書く。
 『消えるまで、友でいよう。』

 そして、文字の下に行を空けて、書いた。

私が覚えているかぎり、日向はここにいる。
思い出は私の中に引っ越して、今日も息をしている。
それが、私たちの“永遠”の形。

 インクが少し滲んで、青が濃くなった。
 その滲みの中に、彼女の声がまだ残っている気がした。

終章 記憶の灯

 日向がいなくなったのは、それから一週間後だった。
 朝、母親から届いた短いメッセージは、文字だけで、音がなかった。
 それなのに、不思議と“声”が聞こえた。
 ――「ありがとう」

 葬儀の日、冬晴れの空は、やけに青かった。
 風がノートのページをめくり、春のページが顔を出した。
 「忘れる前に、全部書こう」
 その言葉のすぐ下に、知らない一文があった。

ありがとう。私の記憶になってくれて。

 私の筆跡じゃない。
 彼女の文字でもない。
 でも、確かに“彼女”がそこにいた。

 私はノートを閉じ、胸に抱えた。
 外では、風がまだ吹いていた。
 誰かの名前を呼ぶような、やさしい風。

 日向がいなくなって、もう三年が経つ。
 大学に入って、毎日をこなすうちに、彼女のことを思い出さない日も増えた。
 でも、ふとした瞬間に、彼女の口調で自分が話しているときがある。
 鏡に映った自分の笑い方が、あの頃の彼女に似ている気がする。

 そのたびに思う。
 ――友情とは、相手の記憶を生きることだった。

 だから私は今も、生きながらにして、彼女の一部だ。
 日向が笑った午後も、泣いた夜も、私の中で今日のように息をしている。
 人は死んだあとに消えるんじゃない。
 忘れられたときに、初めて消える。
 だから私は、彼女を忘れない。
 “消えるまで、友でいよう。”

 春が来る。
 桜の花びらが風に舞い、ページの上に落ちる。
 新しいノートを開き、私は小さく書く。

「一、嘘は書かない。
 二、思い出せないことは、想像してもいい。
 三、最後のページは、澪が書く。」

 インクの先が、ふるりと震えた。
 彼女がそこに手を添えたような気がした。

 風が窓を揺らす。
 ページの端がめくれ、
 光の中で、日向の笑顔が一瞬よぎった気がした。

エピローグ

 ノートの最終ページ、角が少し折れている。
 その裏に、細い文字があった。

「澪へ。思い出してくれて、ありがとう。
 あなたの中で、生きていられてよかった。」

 私はページを閉じ、空を見上げた。
 青が深くて、どこか懐かしかった。

 ――日向。
 私はまだ、書いてるよ。
 君の続きのページを。
 風が吹くたび、ページがひとりでにめくれる。

『消えるまで、友でいよう。』

(了)