昼休みを告げるチャイムが鳴り響き、校内はガヤガヤと賑やかになる。
 クラス内の会話だけでなく、壁の向こうの隣の教室からの会話もぼんやりと聞こえて来る。
 先程まで授業中で静かだった校内が、一気に別世界のようになる昼休みだ。

「優子ちゃん、お弁当食べよ」
 少し離れた席から、琴乃ちゃんがニコニコと私に話しかけた。
「うん。琴乃ちゃん、今そっち行くからちょっと待ってて」
 私は自分のお弁当と水筒、そして今日琴乃ちゃんと一緒に食べようと思って学校に持って来たお菓子を持ち、琴乃ちゃんの席に向かう。

 昼休みの教室は非常に分かりやすい。
 スクールカーストの一軍、二軍、三軍が見事に島になる。
 相川さんはフランス発のブランドだと言っていた新しいポーチを昼休みも大切そうに持ち歩いているようだ。
 私と琴乃ちゃんは教室の窓側の隅の方で、ひっそりと平和に昼休みを過ごす毎日だ。

「優子ちゃん、それ何?」
 琴乃ちゃんは私の持ち物を見て、きょとんとした様子で首を傾げている。
「えっと、ワッフル。お盆の時の旅行のお土産が余ってたから、琴乃ちゃんと一緒に食べようと思って」
「わあ、ありがとう。美味しそうだね」
 ニコリと笑う琴乃ちゃんに、私も何だか嬉しくなる。
 やっぱり素直に喜びを表現してくれるのは良いなと私は思った。

「ねえ優子ちゃん、十月の体育祭の種目決めそろそろだけど、何に出る? 一緒に二人三脚とか出ようよ」
 琴乃ちゃんは少しワクワクした様子だ。
 私も、琴乃ちゃんと一緒に過ごせるイベントは楽しみだ。
 
 スクールカースト三軍でも、気心知れた仲間がいればイベントも地獄ではなくなる。
 クラスで孤立していたら地獄だろうが。

 ちなみに、私達の高校は数年前まで九月に体育祭が開催されていた。
 しかしここ最近は九月でも暑過ぎるので、体育祭の時期が十月に変更になったのだ。
 
「良いよ。でも二人三脚、他の子達も立候補しそう」
 
 相川さんと石田さんだったり、他にも二年六組には二人で仲が良い女子はいる。
 二人三脚は競争率が高いのではないだろうかと、私は思ってしまう。
 ジャンケンなどになるのは何だか面倒だ。
 なるべく自分が出る種目は誰とも被らずすんなり決まって欲しい。
 
「やっぱりそうかな?」
 私の言葉に、琴乃ちゃんはお弁当の卵焼きを食べながらうーん、と他にどんな種目があったか考えているみたいだ。
 
 琴乃ちゃんのお弁当の卵焼き、何だか美味しそうだなと毎回思う。
 別に、私のお弁当が不味いわけではない。
 毎日父と母が交代で作ってくれるお弁当には満足している。
 もちろん、父と母には感謝している。
 私は弁当箱に詰められたブロッコリーを口に入れ、琴乃ちゃんの答えを待つ。
 ちなみに、今日のお弁当は父が担当だ。
 
「じゃあさ、玉入れは? 玉入れなら大人数で参加出来るし、私達も入れそうじゃん」
 卵焼きを飲み込んだ琴乃ちゃんだ。
 私も丁度ブロッコリーを飲み込んだところなので、首を縦に振る。
「うん。多分玉入れならいけると思うよ」
「じゃあ優子ちゃん、一緒に玉入れやろう」
「オッケー」

 私や琴乃ちゃんのような、あまり運動が得意ではないメンバーは、大人数で出る玉入れなどその他大勢に埋まってしまいそうな種目の方がきっと出やすい。私自身、体育祭はあまり乗り気ではない。琴乃ちゃんがいるから、まだ楽しみではある。しかし正直な話、吹奏楽部のステージ発表があるからそちらに注力することが出来る文化祭の方がまだ楽だと感じる。

「優子ちゃん、このワッフル美味しいね。ありがとう」
 ニコニコと機嫌良く、琴乃ちゃんは私が持って来た一口サイズのワッフルを食べている。
 私はその反応に安心した。
「琴乃ちゃんの口に合って良かった。中に入ってるキャラメル、歯にくっつくかもしれないけど」
「お茶飲んじゃえば大丈夫」
 琴乃ちゃんは持参している水筒の蓋を開け、お茶を一口ゴクリと飲む。
 口の中をさっぱりさせたようだ。

「ごめん高辻さん、そこ通らせて」
 琴乃ちゃんとの話に夢中になっていた私は、道を塞いでいることに気が付かなかった。
「あ、ごめん、涼成(りょうせい)くん」
 私は慌てて椅子を引き、涼成くんが通れるくらいの幅を作る。
「ありがとう」
 涼成くんはそう言い、琴乃ちゃんの前の席に座る。
 そこが涼成くんの席なのだ。
「あれ? そのお菓子、何?」
「あ、藤森(ふじもり)くん、これ、優子ちゃんが持って来たワッフルだよ」
 涼成くんは私が持って来たワッフルに気が付いたみたいだ。
 涼成くんからの問いには、琴乃ちゃんが答える。
「旅行のお土産で残ってたやつがあったから」

 涼成くん――藤森涼成は、私達と同じでスクールカースト三軍の男子。三軍らしく、見た目もやっぱり地味。その上背丈は小柄。背丈のことは涼成くん本人も気にしているみたいだ。

 涼成くんも私達と同じ吹奏楽部所属で、担当楽器はコントラバス。
 パートで言うと、私と同じ低音パートに所属している。
 だから涼成くんとは話す機会が割とある。

 他の学校の吹奏楽部は分からないが、私達の高校の吹奏楽部はユーフォニアム、チューバ、コントラバスを低音パートとしてまとめている。

 ちなみに、どうして私が涼成くんのことを苗字ではなく名前で呼んでいるのかというと、吹奏楽部の低音パートのチューバを担当していた一つ上の男子の先輩に藤森という苗字の人がいたからだ。
 私達が一年生だった頃、吹奏楽部に入部した際低音パートで藤森が二人だとどちらを呼んだのか分からなくてややこしくなった。
 そこで、低音パート内では先輩も涼成くんも下の名前で呼ぼうということになったのだ。
 正直な話、当初私は男子を下の名前で呼ぶことに抵抗があった。
 しかし、涼成くんの名前を呼んでいくうちに段々慣れたのである。
 ちなみに一つ上の先輩は、六月の文化祭後に引退している。

「旅行のお土産……って言うと、海外旅行の? えっと、高辻さん、どこ行ってたんだっけ?」
 涼成くんは夏休みの部活の時、私が話したことを思い出そうとしているみたいだ。
 
 吹奏楽部の低音パートには、夏休みの部活中に旅行のお土産のお菓子を渡している。
 パートは違うけれど仲が良い琴乃ちゃんにも、旅行先で買ったタオルをお土産として渡していた。
 
「ベルギーとオランダとルクセンブルクだよ。ベネルクス三国。ツアーで、八日あれば三ヶ国回れたよ」
 旅行の楽しかった出来事を思い出し、私は少し表情を綻ばせた。
 多分声色もいつもより明るくなっているかもしれない。
「優子ちゃん、ベネルクスって何?」
 聞き慣れない言葉だったようで、ワッフルをもう一つ食べながら琴乃ちゃんが不思議そうに首を傾げている。
「えっと、ベルギーとオランダとルクセンブルクをまとめた総称。三つの国の名前の頭文字合わせたんだよ」
「へえ、そうなんだ。でも優子ちゃん、オランダ要素消えてる気がするんだけど。藤森くんも、オランダどこ行った? って思うよね?」
 琴乃ちゃんは相変わらずきょとんとしている。
「まあ、確かに」
 涼成くんも聞き慣れない言葉に首を傾げているようだった。
「オランダって正式にはネーデルランドって言うから」
 私はなるべく知識を自慢するような感じにならないような口調で言った。
「そうなんだ。知らなかった。優子ちゃん、物知りだね」
「たまたま旅行したから覚えただけだよ。私もオランダに行かなかったら知らなかった」
 琴乃ちゃに物知りだと言われて私は少し恐縮してしまう。
 本当に、実際に行ったから知れただけなのだ。
 興味がある人は調べるだろうけど、多分オランダの正式名称なんて高校生で知ろうとする人は少ないと思う。
 それに、日本語と英語で国名が違う国なんてたくさんあるだろうし。

「あ、そうだ。で、これ、オランダのワッフル。中にキャラメルが入ってて歯にくっつくかもしれないけど、結構美味しいよ」
 私は今年のお盆に行った中のオランダ土産を涼成くんにも勧めた。
「俺の知ってるワッフルと大分(だいぶ)違うね」
 涼成くんは見慣れない形のワッフルに目を丸くしつつ、手を伸ばした。

 ワッフルと言っても、一般的に想像されるふわふわとした食感のものではない。
 私が旅行で買ったワッフルは、ストローワッフルという種類で、見た目はぺたんこ、食感はサクサクしている。中にはキャラメルソースが入っているものもある。

「優子ちゃんの家って結構お金持ちじゃない? だって夏に毎年海外旅行出来るんだよ。ゴールデンウィークにも国内旅行してたしさ。相川さん並みだったりして」
 琴乃ちゃんにそう言われたので私は慌てて首を横に振る。
「ただ旅行にお金をかけてるだけだよ。私の家は全然普通の一般家庭だから。相川さんみたいに豪邸に住んでるわけじゃないし」
 ワッフルを口の中に入れると、中のキャラメルがねっとりとしていた。濃いけれど美味しい甘さが口の中に広がる。

 ふと、涼成くんが私の方を見ていることに気が付いた。
「涼成くん、何?」
「……いや、別に。ワッフル、結構濃い甘さだけど美味しい。ありがとう」
「良かった」
 不評ではなかったみたいなので私は安心した。

 学校でのこの平和な時間が脅かされることなく続いて欲しい。