相川さん、石田さん、宮野くん、吉岡くん達のトラブルは大喧嘩にまで発展して、二年六組の教室入り口には人だかりが出来ている。
 他のクラスからの野次馬らしい。
 他のクラスで何かヤバそうなトラブルがあれば興味本位で見に来る。彼らもきっと暇なのだろう。
 私は野次馬達を見て少し呆れてしまう。
 野次馬達の中には、去年のクラスメイトや吹奏楽部の部員もいた。
 低音パートの子もいるので、恐らく今日の部活の時二年六組で何があったのか聞かれるだろうなと私は思った。

「お前ら! 何やってる!?」
 そこへ、先生の怒号が響き渡った。
 体格の良い体育教師だ。

 私の隣で、琴乃ちゃんは体育教師の怒号にピクリと肩を震わせた。
 琴乃ちゃん以外にも、体育教師の怒号に驚いた人達はかなり多い。

 うちの高校でもかなり声が大きく、生徒達から恐れられているのがこの体育教師だ。普段ふざけている男子生徒も、この体育教師の前だけは真面目にしている。
 ふざけた姿と真面目な姿の落差があり過ぎて、この体育教師を前にした普段はふざけている男子生徒を目にした時、私は思わず吹き出しそうになった。もちろん吹き出してしまったら私がこの体育教師に叱られるので、何とか我慢はしたが。
 正直な話、どうしてそうふざけないとやっていけないのか、私には理解出来ない。理解する気も全くないし、正直そのふざける男子生徒のことはどうでもいい。

 体育教師以外にも、野球部顧問や他の運動部顧問も相川さん達の喧嘩を止めに来ている。
 クラスメイトの男子が先生を呼んだのだ。

 先生達の怒号により、二年六組の教室前に集まっていた野次馬達が一斉に散り出す。まるで蜘蛛の子を散らすような感じだ。

 先生達が来たお陰で、相川さん、石田さん、宮野くん、吉岡くん達四人の喧嘩は一旦収まった。
 相川さん、石田さん、宮野くん、吉岡くん達四人は先生達に連れられお説教タイムになるだろう。

「えっと、とりあえず教室片付けようぜ」
 そうクラスのみんなに声をかけたのは、先生達を呼びに行ってくれた男子生徒。川島(かわしま)くん――川島洸平(こうへい)だ。

 川島くんは、確かバレーボール部だったはず。クラスでの立ち位置は、二軍の上の方。しかし、宮野くん、吉岡くんが目立っているので少し地味な印象だ。
 あまり話したことはないけれど、良い人っぽくはある。

 二年六組は皆川島くんに続き、荒れた教室を片付け始めた。
「相川さん達、ヤバかったね」
「宮野くんってめっちゃ最低な奴じゃん」
「石田さんもさ、人の彼氏と普通に浮気するし、正直どうなの?」
「吉岡くんも何かね……」
 片付けながら、クラスの女子達はそう話している。
 現在、相川さん達四人が先生達に連れられて教室にいないので、女子達は堂々と批判している。
「でもさ、ウチらのクラス、体育祭大丈夫かな?」
「ああ、確かに。あの四人のせいでクラスがボロボロだもんね」
「何かイベント潰された感じ」
 女子達はそんなことを話していた。
 ……『暇つぶし』のことは頭から抜けているのだろうか?
 ふと私はそんな風に思ってしまった。

 結局その後、相川さん、石田さん、宮野くん、吉岡くんは一週間の停学処分になった。
 今から一週間、あの四人がいない二年六組。
 クラスの中心人物だった四人がごっそり抜けたクラスはどうなるのだろうか?
 そう疑問に思ったが、二年六組の再構築は割と早かった。

 男子の新たなトップには、先生を呼んでこの場を真っ先に収めようとした川島くん。女子のトップには澤村さんがなったのだ。
 二人共、元々はスクールカースト二軍の上の方にいたので当然と言えば当然かもしれない。

 昼休み、私は相変わらず教室の隅っこで、琴乃ちゃんと平和に過ごしている。

 ふと窓の外に目を向けると、雨が降り始めていた。
 今朝のテレビで見た天気予報では、午後から雨が降ると言っていた。傘を持って来ておいて正解だ。

「優子ちゃん、何というか……今朝、色々と大変だったね」
 今朝の相川さん達の騒ぎを思い出し、琴乃ちゃんは困ったように苦笑している。
「そうだね」
 私も苦笑しながら琴乃ちゃんに同意した。
「何か私、今朝色々あったせいで今日の授業あんまり集中出来なかった」
 琴乃ちゃんはお弁当に入っているミートボールを口に入れ、へにゃりと笑う。

 今日の琴乃ちゃんのお弁当にも卵焼きが入っている。
 素朴な見た目の卵焼きは、やはり何だか魅力的だった。
 私もお弁当箱に入っているおかずを一口食べる。

「優子ちゃんのお弁当、何かお洒落で美味しそうだね。そのおかず何?」
 琴乃ちゃんは興味津々な様子で私のお弁当箱の中身を見ている。
「えっと、白身魚のエスカベッシュ」
「エスカベッシュ? 何それ?」
 聞き慣れない単語だったようで、琴乃ちゃんは首を傾げている。
「私も詳しいわけじゃないけど、焼いた肉とか魚をお酢とか……オリーブオイルとかハーブで漬け込んだマリネみたいなやつ」
 何となくネットで見た情報を思い出してみた。
「へえ。優子ちゃんのお母さん、料理上手なんだね」
 琴乃ちゃんはエスカベッシュを見ながら目を丸くしていた。
「あ、これはお父さんが作った。お父さん、結構凝った料理作るの好きだからさ」

 私は家で父が上機嫌な様子で料理をしている姿を思い出し、思わず笑ってしまった。
 私も母も、父が作る凝った料理は割と好きなのだ。

「ええ、優子ちゃんのお父さん、凄いね。うちのお父さんじゃ絶対こんなお洒落な料理作れないよ。お母さんですら怪しい」
 琴乃ちゃんはミートボールをもう一個口にしながら苦笑している。
「……良かったら食べてみる? 生姜も割と効いてるけど」
「良いの!? 私、生姜全然いけるよ!」
 私の問いかけに、琴乃ちゃんのテンションは若干上がっていた。
 その様子に思わず笑ってしまう。
「うん。その代わり、琴乃ちゃんの卵焼き一個ちょうだい。何か美味しそう」
「え、私の卵焼きなんかで良いの?」
「うん。琴乃ちゃんのお弁当に入ってる卵焼き、何か美味しそうだなってずっと思ってたから」
 交換条件ということで、私は以前から気になっていた琴乃ちゃんの卵焼きを一つもらうことにした。

 琴乃ちゃんの卵焼きは、出汁が効いていて優しい味だった。
「琴乃ちゃんの卵焼き、優しくて美味しい」
 私は思わず表情を綻ばせていた。
「本当? いつもの卵焼きだけど、ありがとう。お母さんに伝えておくね」
 琴乃ちゃんはどこか嬉しそうに口角を上げている。
「優子ちゃんのエスカベッシュも美味しい。さっぱりしてるし生姜が良い感じ。優子ちゃんのお父さん、凄いね」
 私のお弁当箱に入っていたエスカベッシュを食べた琴乃ちゃんは、満足そうな表情だ。
 良かった。父には友達に好評だったと伝えておこう。
 母もそれを聞いたら多分喜ぶだろうな。

 その時、ふと琴乃ちゃんの前の席に座り黙ってお弁当を食べている涼成くんと目が合った。
 涼成は私と目が合うなり、フィッと目をそらした。
 一体どうしたんだろうか?
 不思議でならなかった。

「そうだ、優子ちゃん、この前ね……」
 琴乃ちゃんが話を始めたので私は琴乃ちゃんの方に目を向ける。
 ゲームの話をする、楽しそうな琴乃ちゃんだ。
 私はそんな琴乃ちゃんを見てクスッと笑う。

 私にとって大切なことは、この教室の隅の平和だ。