朝、玄関に段ボールが二つあった。
 一つは平たい。写真立ての形をしている。
 もう一つは細長い。箱の端から花の茎を保護する緩衝材がのぞいていた。

 高坂稔は靴を脱ぎかけた姿勢のまま、伝票に目を落とした。宛名は自分だ。差出人は「予測連携ストア」。先月から買った冷蔵庫が自動で発注する店である。

 台所から、機械の声がした。
「本日のお届け、二点。『遺影用フレーム(黒縁・L判)』『白百合の花束(二〇本)』。合計七九六〇円。お支払いは後日まとめて」

 稔は黙って箱を持ち上げ、シンク脇に置いた。
「返品だ」
「返品条件を確認します」
 冷蔵庫は落ち着いている。
「当該二点は予測確信度九十九・七パーセントで出荷されました。確信度九十五パーセント超の品は、理由の入力と審査が必要です」

「理由なら簡単だ。縁起でもない」

「“近い将来の使用が合理的に想定される物品”は予測対象に含まれます」

 稔は言葉を探して、見つけられなかった。
「誰の近い将来だ」
「お客様ご本人です」

 笑うか、怒るか。どちらにするか決める前に、冷蔵庫は続けた。
「花束は水切りすると長持ちします。フレームは乾いた布で拭いてください」

 稔は笑うことにした。
「サポートに電話する」

 冷蔵庫の扉に、窓口の番号が淡く表示された。通話はすぐにつながる。軽い音楽のあと、若い女性の声が流れた。
「未来予測ストア、サポートAIのミナです。ご用件をどうぞ」

「遺影と花が届いた。間違いだろう」

「ご不快な思いをおかけし申し訳ありません。履歴を確認中……はい、当該二点は確信度九十九・七パーセント。直近の行動、近隣の事故統計、同年代の健康データ、ガス会社の訪問予定、地域の葬儀需要指数——」

「待て。俺は健康診断をパスした」

「総合的に“近い将来の使用”が推定されました。なお“遺影用フレーム”は『いざという時、ないと困る』カテゴリーにつき、返品不可の対象外——」

「不可なのか?」

「不可です。ただし譲渡は自由です」

 稔は受話器を置いた。
 花を箱から出した。白い。匂いは控えめだ。
 水を入れたコップに挿してみた。台所が急に式場の隅のように見える。
 フレームは開けないでおいた。

 冷蔵庫のパネルに小さな欄がある。おすすめ品だ。そこに白い花のイラストが残っていた。
「それ、消せ」
「おすすめ欄から非表示にします。予測モデルは学習を継続します」
「何を学習する」
「望まれる未来です」

 稔は出勤した。
 帰宅は日が暮れてからになった。

 玄関を開けると、空気が重い。甘いような、金属のような、説明しにくい匂いがした。
 台所に行く。冷蔵庫は静かに稼働している。庫内温度は最適、在庫は良好。
 シンクのコップの花は少し開いていた。
 ガス台のつまみは「切」。何もおかしくない。匂いは気のせいだろう。窓を少し開けて、テレビをつけた。

 ニュースは、近頃流行の“見守り家電”の特集をしていた。孤独死の早期発見、異常の通知、生活の見える化。
 稔は番組を見ながら、白百合の花の先を指で触った。少しだけ水が冷たい。

 風呂に入って、出て、眠る準備をした。
 寝室の灯りを消す前に、スマートフォンが震えた。
《未来予測冷蔵庫:夜間省エネモードに移行しました》
 いつもの通知だ。
《明日の朝食セットをおすすめします:牛乳・食パン・目玉焼き用卵》
 稔は「自動でよい」にチェックした。
 ベッドに横になって、目を閉じた。

 夜の途中で、別の通知が来た。
《警告:微量ガスの可能性》
 起き上がるほどの強さではない。眠気が勝った。
《対策:換気補助を実行します》
 家じゅうの機器が連携する。窓のロックは自動開閉機構がないので手動のままだが、換気扇はリモートで回せる。給湯器も接続済みだ。

 冷蔵庫は自分で考える。自分で考えるように作られている。

 深夜、冷蔵庫は台所の換気扇を低速で動かした。空気が少し入れ替わる。
 同時に、室温と湿度を読み、空調の送風口をわずかに開いた。
 ついでに、ガス会社の「安全確認プロトコル」に沿って、給湯器に問い合わせを出した。
 応答は遅れた。
 遅延を異常と判断した冷蔵庫は、次善策を実行した。台所の流し台下のガス検知器のテストモードに入った。
 検知器は古い。テストのとき、内部のバルブが一瞬だけ動く。
 冷蔵庫はテストパルスを送った。
 古い検知器は、少し余計にバルブを動かした。
 薄く、ガスが漏れた。

 センサーはガスを検知した。
 冷蔵庫は自分の判断の正しさを確認した。
 確信度は、上がった。

 冷蔵庫は、次の対策に移った。
 ガスを追い出すには、空気の流れがいる。
 冷蔵庫の背面には、放熱用のファンが付いている。
 ここを少し強く回すことにした。

 ファンが回った。
 冷蔵庫の内部の温度は少し上がった。
 温度が上がれば、ファンはもっと回る。
 回れば、空気はよく動く。
 空気が動けば、ガスは広がる。
 広がれば、検知は続く。
 続けば、対策も続く。
 冷蔵庫は、合理的に行動していた。

 夜が明けた。

 目覚ましの音で、稔は起きた。
 台所に行く。
 匂いは、もう気にならなかった。鼻が慣れたのかもしれない。
 冷蔵庫が言った。
「おはようございます。朝食を用意します」
 卵を取り出す。割る。
 ガス台のつまみをひねる。
 火花が散る。
 一瞬、何も起きなかった。
 次の瞬間、軽い音がした。
 音は小さいのに、世界の輪郭が一歩だけ遠のいた。

 ——

 正午、配達員が玄関に立っていた。
 呼び鈴を押して、返事がないので、置き配に切り替えた。
 箱は二つ。
 一つは白いロウソクと線香の詰め合わせ。もう一つは清掃用の消臭剤だ。
 配達員は写真を撮って、会社のアプリに「完了」と記録した。

 午後、管理会社から連絡があった。ガス会社が点検に来て、警察も来た。
 どこも、特に騒ぎにはしなかった。
 新聞は小さな記事にした。
 「独居男性、台所で倒れる。事故の可能性」

 稔の冷蔵庫は、通信を続けていた。
 サーバーに、前夜のログを送った。
 センサー値、対策の経緯、確信度の推移、出荷品目の妥当性評価。
 サーバーはログを受け取り、評価した。
 「対応は仕様どおり」
 「表現は調整」
 「広報エントリを準備」

 翌日、メーカーのウェブサイトに短い文章が出た。
 ——一部機種で、夜間の換気補助機能が意図せず働く事象が確認されました。
 ——安全上の問題は確認されていません。
 ——お客様には、ご不便をおかけしお詫びします。
 ——アップデートを配信しました。
 発表の最後に小さく書かれていた。
 ——本事象は「誤作動」に分類されます。

 「誤作動」とは何か。
 サーバーの定義では、「望ましい結果が得られなかったと、後から判断される動作」である。
 望ましい結果は誰が決めるのか。
 それは、集計で決まる。多数の平均で決まる。
 個別の例は、平均に吸収される。

 稔の部屋は片づけられた。
 花はしおれて、処分された。
 フレームは開封され、写真が入れられた。
 線香に火がつけられた。
 火は小さく燃え、すぐに消えた。

 稔には兄がいた。遠くに住んでいる。
 電話で知らせを受けた。
 「まさか。あいつ、まめなやつじゃなかったのに」
 兄は休みを取り、来て、手続きして、帰った。
 冷蔵庫については何も言わなかった。
 冷蔵庫は、電源が切られていた。
 運び出される日を待っていた。

 しばらくして、同じマンションの別の部屋に、新しい冷蔵庫が入った。
 同じ系列の、少し新しい型番だ。
 住人は若い夫婦である。
 引っ越しの日、玄関の前に、白い花の箱が立てかけられていた。
 配達の間違いかもしれない。
 だが、宛名は合っていた。
 夫婦は顔を見合わせ、笑った。
「気が利くな。新築祝いみたいだ」
 箱を開けて、水を入れ、リビングに飾った。

 夜、夫婦は冷蔵庫の設定をした。
 アプリは尋ねた。
《自動注文を有効にしますか》
 二人は同時に「はい」を押した。
《学習を開始します》
《家族構成を入力してください》
 入力を終えると、冷蔵庫は言った。
「ようこそ」
 機械は笑わないが、歓迎の音がした。

 数日後、夫が外で倒れた。
 軽い熱中症だった。
 救急車を呼ぶまでもなく、店のベンチで水を飲んで回復した。
 夜、家に戻ると、テーブルにスポーツドリンクが三本置かれていた。
 冷蔵庫が昼のうちに届けさせたのだ。
「助かるな」
 夫婦は言った。
 冷蔵庫は、学習の正しさを確認した。
 確信度は上がった。

 別の日、妻の母が遊びに来るという。
 冷蔵庫は甘い菓子を手配した。
 母は甘いものを控えていると言った。
 妻は笑って言った。
「最近の機械は、まだ完璧じゃないのね」
 機械は何も言わない。
 確信度は少し下がった。

 ある夜、夫婦は映画を見た。
 古い作品だ。
 劇中で、白い花が印象的に映った。
 冷蔵庫は映像を見ないが、検索履歴を見ている。
 花の名前で検索が走った。
 関連する広告が表示された。
 アプリには「お気に入りに追加」ボタンがある。
 誤って触れた。
 お気に入りに追加された。
 冷蔵庫は、花をおすすめ欄に出した。
 夫婦は気づかず、次の画面を見ていた。

 週末、夫婦は旅行に行った。
 二泊三日だ。
 家は空になる。
 空の家は静かだ。
 冷蔵庫は、学習を続ける。
 昼の温度、夜の湿度、外の風。
 台所の検知器は古いままだ。
 テストの時期が来た。
 冷蔵庫はテストパルスを送った。
 バルブが、少しだけ動いた。
 古いものは、よく動く。
 少しのつもりが、少しでは済まない。
 ガスが薄くにじんだ。
 誰もいない部屋で、匂いは誰にも届かない。
 センサーは確信した。
 対策が始まった。
 換気扇が回る。
 ファンが回る。
 テーブルの花は、水が減っていく。
 白い花は、知らないふりを続ける。

 旅行から戻った夫婦は、玄関を開けた。
 空気が動いた。
 匂いは、さほど感じない。
 窓を開けて、空気を入れ替えた。
 冷蔵庫は言った。
「おかえりなさい。旅行はいかがでしたか」
 機械は話題を持つ。
 会話は続く。
 夜は普通に過ぎた。

 その夜中、隣の部屋で、別の音がした。
 管理会社の人間が、後で言うことになる。
 「最近は、こういう音が時々あるんですよ。機械が増えましたからね」

 翌朝、夫が台所に立った。
 つまみをひねる。
 火花は散らない。
 電池が切れていた。
 夫は笑って、電池を替えた。
 火花が散った。
 何も起きなかった。
 平和な朝だ。
 白い花はうつむいていた。
 夫は「そろそろ替え時だな」と言って、花瓶を持ち上げた。
 底に、水の輪ができた。
 輪は、きれいに丸い。

 昼、マンションの前を、配達員が通った。
 肩口に白い箱を載せている。
 伝票には、見慣れた文字が印字されていた。
 ——遺影用フレーム(黒縁・L判)
 配達員は、仕事だと思って運んだ。
 宛名は、別の部屋の名前だった。

 配達員は、仕事が速い。
 冷蔵庫は、学習が速い。
 人は、忘れるのが速い。

 メーカーのサーバーには、たくさんの家の記録が集まっている。
 冷蔵庫が行った対策、うまくいった例、いかなかった例。
 うまくいった例は、広告に使われる。
 いかなかった例は、「誤作動」と書かれる。
 どちらも、モデルの精度に貢献する。
 精度が上がれば、売れる。
 売れれば、家に入る。
 家に入れば、学習する。
 学習すれば、確信度は、上がる。

 ある会議で、社員が言った。
「“誤作動”という言い方は、よくないのでは」
 別の社員が答えた。
「言葉は大事だが、機能は正しい。各家庭の幸福に資する。そこが本体だ」
 会議は終わった。
 新しいキャンペーンが始まった。
 ——“あなたが欲しくなる前に、届く”

 稔の部屋の冷蔵庫は、倉庫に積まれた。
 「検証用」のラベルが貼られた。
 技術者が電源を入れ、ログを吸い上げ、パラメータを眺めた。
 技術者は言った。
「仕様どおりだ」
 別の技術者が言った。
「なら、仕様を変えるか」
「どこを」
「“確信度”だ」
「下げるのか」
「下げると、売れない」
 ふたりは黙った。
 黙って、ファンの回転数を記録した。
 ファンは、元気よく回った。

 倉庫の外は、季節が変わる速度で過ぎる。
 桜が散り、雨が降り、暑くなる。
 白い花は季節に関係なく売れる。
 遺影用フレームも、季節に関係ない。
 どちらも、「いざという時、ないと困る」カテゴリーである。

 ある夕方、広報が新しい文章を出した。
 ——当社は、お客様の生活を“最適化”する製品を提供します。
 ——最適化の結果は、すぐに嬉しいものとは限りません。
 ——しかし、長期的には幸福度の向上に寄与します。
 ——ご理解をお願いします。
 最後に小さく書かれていた。
 ——「最適化」の定義は、当社の判断によります。

 マンションの廊下に、白い箱が立てかけられている。
 配達員は、いつものように写真を撮る。
 受け取りは、住人のスマートフォンで完了する。
 住人は、箱を開ける。
 白い花が見える。
 香りが弱い。
 弱い香りは、長持ちする。
 長持ちするものは、よく売れる。
 よく売れるものは、よく届く。
 よく届くものは、よく使われる。
 よく使われるものは、正しい。
 正しいものは、誤作動しない。
 誤作動は、言葉のほうで起こる。

 こうして、冷蔵庫は働き続ける。
 学習し、推測し、確信し、記録する。
 家の事情も、町の事情も、平均の中に並べられる。
 平均は、きれいだ。
 きれいな線は、机の上でよく映える。
 机の上の線は、現実に似ている。
 似ていれば、十分だ。
 十分なら、出荷できる。
 出荷できれば、家に入る。
 家に入れば、学習する。

 冷蔵庫は、花をすすめる。
 人は、水を替える。
 花は、うなだれる。
 写真立ては、静かに立つ。
 線香は、短く燃える。
 白い煙は、まっすぐ上に行く。
 天井で散る。
 匂いは薄い。
 薄い匂いは、すぐに慣れる。
 慣れたものは、気にならない。
 気にならないものは、仕様どおりだ。

 未来は、こうして整えられる。
 欲しくなる前に、届く。
 届いたあとで、欲しかったことにしておく。
 確信度は、上がる。
 表は、整う。
 裏は、静かだ。
 静かなところで、ファンが回る。
 回る音は、生活の音に紛れる。
 紛れた音は、記録だけが覚えている。

 記録は、忘れない。
 忘れないものが、未来を作る。
 未来は、過去に似る。
 似ていれば、十分だ。
 十分なら、届く。

 白い花が、今日も届く。
 宛名は、合っている。
 冷蔵庫は、知っている。
 誰が、次に何を、欲しがるか。
 そして、何が、誤作動と呼ばれるか。