通信制高校、みなみ学園高校の放課後。
音楽室で、これから軽音楽部主催の「新入生歓迎演奏会」、通称「新歓演奏会」が始まる。
開演30分前だが、すでに用意された座席はほぼいっぱいになっていた。
満員の聴衆には、軽音部の先輩部員たちはもちろん、ほかの生徒たちも、そして先生の姿も数人がいる。
みんな、演奏会が始まるのを心待ちにしている。
工も、前列二列目の真ん中近くの席にすでに着いていた。
どんな演奏会になるのか。
わくわくして待っていた。
それにしても、今年の新歓演奏会は例年とはひと味ちがった空気が漂っている。
というのも、いままでにないくらい、個性的な新入生たちが出演するからだ。
いちばん話題になっているのは、望月七海たちによる新入生バンド「Yes We Can」。
バンド名は、直前になって七海たちが思いつきでつけたものだ。
全員が新入生のメンバー、しかも演奏する曲はイエスの「ラウンドアバウト」。
それが話題にならないはずがない。
軽音部の先輩部員たちの間でも、彼らの話題で持ちきりだ。
「……おい、今年の新入生、バンドで『ラウンドアバウト』やるんだってよ。
どんだけテクあるんだ!……」
「……こりゃ、オレら年長組にとって脅威やぞ……」
などなど。
そしてもうひとりは、ボサノバ少女、嶋野舞彩亜。
高校生にしてボサノバスタンダード曲の弾き語り。
しかも、オリジナルどおりポルトガル語で歌うという。
七海たちほどの騒ぎにはなっていないが、それでも舞彩亜の存在は静かな話題になっていた。
「……ボサノバかあ。
カフェとかで流れてくるような、あのおしゃれな感じの音楽?……」
「ポルトガル語で歌うんだって。
マジで!
あたしら、英語でもろくに歌えんのに……」
「……未知の音楽やね。
そんな渋い趣味の子が、いるのねえ……」
そんな、期待と好奇心の混じったような部内のさまざまな声の群れから、出演者の新入生たちを守るため、部長の柊と副部長の田島はいろいろと気を遣っていた。
音楽室の中、そのさらに奥に、音楽準備室という部屋がある。
楽器や関連設備の倉庫として利用されたり、パート別の練習用に使われたりする部屋だ。
きょうはここが、新歓演奏会の出演者たちの控室になっている。
柊部長と田島副部長は、彼らが到着するとすぐ、まっすぐにこの控室に入れた。
外部の雑音から彼らを可能な限り遮断するためだ。
「Yes We Can」のメンバー全員、つまり七海、みちる、元、唯花、一子もすでに揃っていた。
そして、舞彩亜もここにいた。
ほかの出演者とともに、自分の出番が来るのを待っていた。
控室は音楽室と同様、防音対策がしっかりしているので、中は静かだった。
七海たちバンドメンバーは、始めのうちこそその静寂に合わせるように静かにしていたが、やがておしゃべりをし始めた。
おたがいに話し合っては、ともにうなずいたり笑い合ったりしている。
バンド結成から十日間ほどしか経っていないが、彼ら彼女らはすでにすっかり打ち解け合っていた。
服装も特に演奏会を意識してはいないようで、いつもと同じだ。
一方で、ほかの出演者たちは緊張で一様に黙りこくっている。
舞彩亜も、ギターをすぐ自分の横に立て掛けて、バッグに片手を置いたまま沈黙していた。
ただ、舞彩亜の沈黙は緊張からではない。
これから自分が弾き、歌う。
最高のパフォーマンスができるよう、集中しようとしているがゆえの沈黙だ。
ふと、舞彩亜が顔を上げて、周囲のほかの出演者たちを眺めた。
自分の向かいに座っている女の子は、アコースティックギターを傍らに置きながらも、落ち着かない様子であちこちに視線を漂わせながら身体を震わせている。
エレキギターとベースの女子二人組は、肩を並べあってともに硬い表情でいる。
……みんな、やっぱり怖いんやな……。
初めて人前で演奏する子も多いんやろし……。
舞彩亜も、右手で愛機のガットギターを、ぎゅっ、と握った。
あたしには、このギターがいてくれる……。
おじいちゃんの歴史が詰まった、タカミネのギター……。
そう思うと、不思議と力が湧いてくる気がした。
舞彩亜は心の中で、ギターに声をかけた。
ありがとう、力をくれて……。
本番まで、よろしくな……。
ふと気がつくと、そばに七海がしゃがんでいた。
「やあ!」
「七海ちゃん……!」
舞彩亜は、びっくりして七海を見つめた。
七海は、にこっ、と笑って首を傾げて見せた。
ブルーとグレーのメッシュ髪を、きょうは後ろで束ねてポニーテールに。
制服のブレザーの下には黒のカーディガン。
ウールだろうか、ふわふわした素材でライトグレー、ベージュ、ピンクといった色彩のブロックチェック柄のスカーフを首に巻いている。
スカートはいつもどおり、思いっきり上げてミニに。
スニーカーも白とピンク、底が厚めのナイキのスニーカー。
ふだん着の中に、ちょっとずついつもとちがうおしゃれを混ぜている。
無造作なようでいて何気なく見せるおしゃれのセンスは、なかなかのものだ。
舞彩亜は、その七海の何気ないおしゃれに、思わず目が行って見とれてしまう。
「どう、調子。
緊張してる?」
舞彩亜はにこっと笑って答えた。
「ううん。
ぜんぜん緊張してないと言ったらウソになるけど、それよりも、これからみんなの前で弾き語りできるのが楽しみ。
その気持ちのほうが強いかな」
七海は感心したように笑みを浮かべて言った。
「おー。
やっぱりすごいね、舞彩亜ちゃんは!
大物やわ」
「そんなん、ちゃうって!」
「あたしらも、みんなめっちゃ緊張してると思うで。
そやけど!
むしろそれを武器にして、テンションMAXにする!
そして最高の演奏したる!」
舞彩亜は、七海といっしょにうなずくと笑った。
「あたしも七海ちゃんたちのバンド、楽しみ。
トリやしね、盛り上がるやろなあ」
七海バンド「Yes We Can」は、プログラムで出演順が最後に決まっていた。
まず曲の演奏時間が出演者の中で最長であること、また、メンバーの数も出演者中最大編成であり、キーボードの設置など準備に時間がかかることもあって、一番最後の出番に回されたのだった。
ちなみに、舞彩亜の出番はその直前。
つまり新歓演奏会のラスト二組は、舞彩亜、そして七海たちのバンドというわけだ。
舞彩亜のすぐあとが、七海たちYes We Canの出番となるわけだが、舞彩亜には不思議とそのプレッシャーはなかった。
自分の音楽をやろう。
そうすれば、それが自分にいちばん満足のいくものになる。
そうローザ先生とも話し、それに集中すると心に決めていたから。
「舞彩亜ちゃんに全部先に持っていかれないか、そればっかりめっちゃ気にしてるよ」
「んなわけ、ないやーん!
こっちはひとり、七海ちゃんとこは五人もおるやん!
頭数ですでに負けとるわ!」
「数の問題ちゃうって!
……あたしさ、聞いたんよね、寺崎くんに。
『舞彩亜ちゃんの弾き語りって、どんな感じ?』って。
彼、言うてたよ。
『すごいです。
プロかって思うくらい上手いし、歌も繊細で力強くて。
将来すばらしいミュージシャンになるんやないか。
そう思います』
って。
……こんなん聞いて、期待しないでいられるわけないやん!」
舞彩亜は、急に顔がのぼせ上がった。
「ウソ、七海ちゃん、いつの間にそんなん、工くんに聞いてたん!?
つか、工くんがホントにそんなこと言うてたん?
……恥ずかしいわ!!」
七海は赤くなって両頬に手を当てる舞彩亜を見て、微笑ましそうに、ふふっ、と笑った。
「もう来てるやろ、彼?」
「ああ、たぶん来てると思う」
「舞彩亜ちゃん。
いいとこ、見せたれや!
あんなに舞彩亜ちゃんに熱心なサポーターやで。
大切にしてあげにゃ!」
「うん。
そやな、七海ちゃんの言うとおりやな」
舞彩亜と七海は、二人で笑った。
「おたがい、楽しみやね。
がんばろう、舞彩亜ちゃん!」
「七海ちゃんたちもね」
「おう!」
立ち去っていく七海を、舞彩亜は目で追いながら微笑んだ。
「さて、みなさんお待たせいたしました!
2026年、みなみ学園高校軽音部、新入生歓迎演奏会を、ただいまから開催いたします!」
柊部長の、威勢のいい声が音楽室に響き渡ると、一斉に拍手と歓声が沸き起こった。
「この新歓演奏会も、初回から数えて5回目となります。
おかげさまで毎回たいへん好評で、ここまで続けてくることができました。
これまでにも、この新歓演奏会からデビューしていった先輩がたが何人もおられます。
ロックバンド「2 BUSY」のベーシスト、新城あたるさん、シンガーソングライターのマチネ清彦さんなど……。
今年も、これまで以上に個性的な人たちが、あらたな軽音部員としてわたしたちの仲間に加わってくださいました。
この新入部員のかたがたの演奏を、みなさんも楽しんでいただけると信じています。
では、本日の新歓演奏会の出演者、出演順に紹介いたします!
1番目は、アコースティックギター弾き語りで、一宮その子さん。
2番めは、ピアノとエレアコギターの合奏で、小谷真奈さんと大野仁さん。
3番めは、エレキギターとベースの合奏&歌で、SinomiさんとMasudonさん。
4番目は、ガットギターの弾き語りで、嶋野舞彩亜さん。
嶋野さんは、ボサノバ曲の演奏となります。
オリジナルどおりのポルトガル語で歌うということで、こちらも楽しみですね!
5番目、ラストとなりますのは、バンド「Yes We Can」。
新入生部員たちで結成したばかりのバンドということになります。
出会ってから間もない、この短期間でバンドを結成したということだけでもたいしたことですが、演奏する曲も高度なテクニックが必要となるものです。
イエスの『ラウンドアバウト』をやるということです。
すごいことになりそうです!
以上のプログラムで進めてまいります。
3番目SinomiさんとMasudonさんが終わったあとに、10分間休憩がございます。
また、4番目嶋野さんのあと、最後の「Yes We Can」の前にも、機材セッティングのため5分ほど休憩時間をとる予定です。
なお、開演中の出入りは自由ですが、ほかのお客様の迷惑にならないよう、じゅうぶんご配慮いただけると幸いです。
それでは……一宮さん、準備のほうOKでしょうか?
……よいようですので、始めていきたいと思います!
1曲め、一宮その子さんによるアコースティックギター弾き語りで、曲はユーミン、松任谷由美の……」
1番目、2番目と、演奏は進んでいった。
一宮さんのアコギ弾き語りは、緊張してちょっと固い表情、固い演奏だったが、それでも高校生になったばかりの少女の心情を歌った、初々しい美しさが感じられた。
2番目の、小谷さんと大野さんによるピアノとエレアコギターの合奏も息が合っていてよかった。
いま、3番目、Sinomiさんの歌とエレキギター、Masudonさんのベースとコーラスによる演奏が続いている。
彼らも出番の待機中はそうとう緊張していたようだったが、ステージに立つとしっかりと演奏していた。
やはり、この学校の軽音部に入ってくる人はみんな、けっこうレベル高いな……。
舞彩亜は演奏を聴きながら思った。
あたしも、がんばんなきゃ……。
SimomiさんとMasudonさんの演奏が終わって、10分間の休憩に入った。
オーディエンスの先輩部員、演奏会に出演していない新入生部員たち、軽音部以外から来た生徒や先生たちは、みなほかの人と会話したり、一時外に出たり、トイレに立ったりしていた。
舞彩亜はギター弦のチューニングを確認していた。
しっかり合っていることを確かめると、よし、とひとり声を出した。
ふと、ドアの脇からそっと客席を覗いてみた。
工がいた。
前列のほう、真ん中近くの席に座っている。
足を片方ずつ、軽く伸ばしてストレッチしたりして時間をつぶしている。
舞彩亜は、その工の姿をみて高鳴る心臓を落ち着かせようと、深呼吸した。
……集中だ、集中……。
これから歌う一曲に、いまのあたしのすべてを込める。
あたしの歌が、工くんにも、ここにいるみんなにも伝わるように……。
柊部長がマイクを持って声を出した。
休憩時間の終わりだ。
「みなさん、10分経ちました。
休憩時間は終了です。
席にお戻りください。
……では、プログラムの4番目、嶋野舞彩亜さんのガットギター弾き語りです!
曲は『彼女はカリオカ』です!」
拍手とともに、舞彩亜がガットギターを持ってステージに登場した。
用意された椅子に座ると、ギターを抱くようにかかえる。
マイクに触って位置を調整し、ステージの脇に立つ柊部長、田島副部長のほうを見た。
二人が軽くうなずく。
舞彩亜は話し始めた。
「え、みなさん、こんにちは。
嶋野舞彩亜です。
ボサノバの弾き語りで『Ela é Carioca』、『彼女はカリオカ』という曲をやります。
あたしは中学に入ったころからずっと、このボサノバという音楽をやってます。
ブラジルの音楽なんですけど、ブラジルというとみなさんがイメージするのは、サンバのような陽気な音楽かもしれません。
ボサノバは、そういう音楽とはちょっとちがっています。
穏やかで、静かめで、ちょっと冷静な音楽って感じです。
でも、ときに激しく、ときに陽気なところもあって……。
なんていうか、いろんな顔を持った音楽なんです。
馴染みのない人も多いかもしれませんが、これから弾き語りするあたしの音楽を聴いて、そんなボサノバの魅力がみなさんに少しでも伝わればいいな、と思います。
『彼女はカリオカ』は、アントニオ・カルロス・ジョビンという人が作曲し、ヴィニシウス・ヂ・モライスという人が作詞しました。
この二人は、ボサノバの世界の『黄金コンビ』と言っていい人たちです。
多くのボサノバの定番曲が、このコンビによって作られました。
『カリオカ』というのは『リオデジャネイロにいる女の子』という意味です。
リオデジャネイロは、首都のサンパウロと並ぶブラジルの大都市。
この曲は、そんなリオにいる女の子に恋をしてしまった男の子の、心の思いを語っている歌詞です。
こんな内容の歌です。
彼女はリオの子なんだ、
彼女の瞳にリオの光、海、空が見える、
美し過ぎて、ぼくにはとても手が届かない、
そんなリオの子が彼女なんだ……」
舞彩亜は、そこで言葉を一瞬止めた。
みんな、しんとして舞彩亜を見つめている。
舞彩亜はすべてを集中させて、言葉を続けた。
「……では、みなさんお聴きください。
そして、楽しんでください。
『Ela é Carioca』、『彼女はカリオカ』」
ギターを構えると、左手でD/F#のコードを押さえた。
そして、右手で弦を弾くと同時に、スキャットを歌い出した。
バッ、バッ、バーラララ、バーラララ、バーラララ
バッ、バッ、バーラララ、バーラララ、バー
バララー……
スキャットの切れ目ともに、ギターの1弦と2弦が、突然高く飛翔するように高い和音を奏でる。
そして、ゆるやかに弧を描いて下り立っていくように和音はだんだんと低い音に移り変わっていき、長調だが不穏な響きのテンションコードに着地する。
一度聴いたら忘れられない、この曲の印象的なイントロ。
彼女はカリオカ
彼女はカリオカ
あの足取りを見てごらん……
舞彩亜の歌声は、素朴だが艷やかで、なんともいえない味があった。
美しかった。
そして、その歌声を支えるギター。
枯れた渋い、でも適度に輝きと明るさもある、こんな音楽にぴったりの音。
そんな舞彩亜の声とギターの音に、居合わせたみんなは釘付けになった。
柊部長も、田島副部長も、先輩部員たち。
準備室で聴いている七海と、バンドメンバーたち。
そしてもちろん、工も。
……やっぱり、すごい……。
工は虜になったように、目の前の舞彩亜の歌声とギターの音に聴き惚れた。
歌の途中に、舞彩亜は軽いギターソロを入れた。
歌のメロディーをもとに、自由に跳ね回り、そしてハーモニーを奏でるソロ。
簡潔だが、足りないところも無駄もない、完璧なソロギター。
これにも工は聴き入った。
こんなソロも弾けるんや……。
かっこいいな……。
オーディエンスのみんなも同様だった。
ただ、舞彩亜の歌とギターに酔いしれた。
ぼくは彼女に夢中なんだ
あまりに美し過ぎて
ぼくにはとても手が届かない
彼女はカリオカ
彼女はカリオカ……。
バッ、バッ、バーラララ、バーラララ、バーラララ
バッ、バッ、バーラララ、バーラララ、バー
バララー……
最後のスキャットととともにギターがあの美しく、不穏な響きのコードを鳴らした。
曲が終わった。
沈黙があった。
舞彩亜は思った。
みんな、どう聴いてくれただろうか?
いいと思ってくれただろうか?
どきどきした。
工が夢から覚めたように気がついて、拍手しようとしたそのとき。
先に静寂を破るように拍手が鳴った。
柊部長、田島副部長。
そして、準備室から七海と、バンドメンバーたちだった。
すぐに会場は、拍手でいっぱいになった。
舞彩亜は笑顔になって、椅子から立つと思いっきり頭を下げた。
「……ありがとうございました!」
その頬は紅潮していた。
工はだれにもまして力いっぱい拍手をした。
……ぼくにはとても手が届かない、か……。
それはぼくにとって、舞彩亜さん……。
工は心の中で思った。
舞彩亜の目は、そんな工の姿をとらえた。
自分の歌が、伝わった。
表情を見ただけでそれはわかった。
うれしい……。
もう一度深くお辞儀をすると、舞彩亜はギターを持って準備室に戻っていった。
拍手は彼女の姿が消えるまで続いた。
準備室に戻ったとたん、七海が舞彩亜に抱きついてきた。
「舞彩亜ちゃーん、すごかったよー!
すばらしかったよー!!」
舞彩亜はよろけそうになって、あわててギターを両手で守るように持つと叫んだ。
「な、七海ちゃん、倒れるわ……!」
しかし七海は、両腕でしっかりと舞彩亜を支えた。
「ごめんな。
でも、ホント、すばらしかったんやもーん!
舞彩亜ちゃんって、こんなにすごい人やったんや、ってびっくりした!」
舞彩亜は少し照れて返事した。
「いや、ぜんぜんすごくなんか、あらへん。
ただ、中学のときからずっとひたすら、こればっかやってただけや。
……それだけ」
七海は舞彩亜から身体を離して、舞彩亜を正面からじっと見つめると言った。
「それだけ、って、そのそれだけがすごいんよ!
ボサノバって、いままでちゃんと聴いたことなかったけど、こんないい音楽やったって、舞彩亜ちゃんの弾き語り聴いてわかった!
……ありがとう、すばらしい音楽教えてくれて!」
舞彩亜は照れながらも、真剣な七海の眼差しを見つめて、あらためて感謝するように答えた。
「こちらこそ、聴いてくれて、本当にありがとう。
七海ちゃんも、バンドのみなさんも!」
七海のうしろに、みちる、元、唯花、一子も集まってきていた。
みんなも舞彩亜に花向けの言葉をくれた。
「嶋野さん、すばらしかったよ!」
とみちる。
「いやー、ボサノバって、ホンっと、いいもんですねー!」
と元。
「同じ歌い手として、ちょっと嫉妬しちゃうくらい、感動しちゃいました」
と唯花。
「ただただ、美しかったです……。
ほかにいい形容が見つかりません……」
と一子。
舞彩亜はひとりひとりに礼を言った。
「みなさんのバンドも、がんばってください。
客席から聴かせていただきます!」
七海が舞彩亜に握手すると、
「ありがとう、こっちもがんばる。
……っていうか、全部、こっちが持っていきますからー……!」
と言いかけて、みちるに頭を軽く叩かれた。
「そういう失礼なこと言わない!」
「てへっ、ぺろっ!」
七海はマンガのように舌を出し、右手で拳を作ると頭に当てた。
舞彩亜は七海の様子に、くすっ、と手の甲を口に当てて笑った。
七海は舞彩亜に、ごめん!と表情と手でジェスチャーすると、くるりとバンドメンバーの方に振り向いて手を上げた。
「よーし、これからみんな、やるぞー!」
ほかのメンバーも全員、手を頭上で合わせると歓声を上げた。
「おー!!」
舞彩亜は七海たちにあいさつすると準備室を出て、会場である音楽室に戻った。
柊部長や田島副部長も舞彩亜を讃えてくれた。
彼らとの会話をそこそこにして、舞彩亜は工を探した。
工は同じ席に座っていた。
すぐに舞彩亜に気がついて、席を立った。
「なんと言ったらええのか、とにかくすばらしかったです!」
「あー、まあそこに座っててええよ。
あたしはうしろで七海ちゃんたちを聴くことにするわ」
「いや、舞彩亜さんといっしょに聴きたいですから。
……いっしょにうしろに行きましょう」
「え……?」
工は舞彩亜の背中を軽く押して、いっしょに客席の後方へと移動していった。
「な、なんでやねん?
せっかくいい席取ってるのに……」
「あそこは舞彩亜さんを聴いて見るために取った席ですから。
もう舞彩亜さんの出番が終わったからいいですよ。
いっしょに七海さんたちのバンド、聴きましょうよ」
「ん、ああ、うん……」
工くん、なんか積極的やな。
なにが起こったんか……。
舞彩亜は少しうろたえながら、頭の中で思った。
あ……もしかして、あたしの弾き語りが、火、つけちゃったんか……?
それならそれで目標どおりやから、うれしいことやけど……。
そう思うと、舞彩亜の頭の中が、かあーっとしてきた。
「……舞彩亜さん、だいじょうぶですか?」
「あ?」
工が心配そうに舞彩亜の顔を覗き込んでいる。
「……ああ、演奏終わったし、疲れがどっと出てきた、かな」
「まあ、そうですよね。
もうこれからの時間はリラックスしてください」
「うん、ありがと」
舞彩亜は、笑顔になって応えた。
いつも自分のことを気にかけてくれる工に、あらためて感謝の念を感じた。
やっぱり彼って、すごくいいやつや……。
新歓演奏会は再び小休憩時間に入り、ステージ上では七海たちのバンド「Yes We Can」のセッティングが行われていた。
一子のキーボードを先輩部員たちが担ぎ上げ、スタンドの上に注意深く下ろしているのが見えた(一子のキーボードNORD Grand 2は80万円前後という高価な品のため、先輩部員たちも相当気を遣っている様子だった)。
みちると七海がそれぞれ、自分のベースとギターにシールドを差してアンプにつないでいる。
元はスティックを持って、ドラムのスネア、タム、とチューニングしていきながら叩いて、キック(バスドラ)とともに感触を丁寧に確かめていた。
一子もキーボードの設置が終わりアンプにも接続されると、試しに音を出して聴こえ方を確認し始めた。
その様子を眺めながら工が言った。
「舞彩亜さん」
「ん?」
「ぼく、投稿サイトに小説を出すことにします。
いままで書き溜めてきたものがあるんで、少し手を入れて。
まずは短編から、と考えてますけど、そのうち連載も」
「……ほんま?
それはええなあ!
ってことは、サイトに出たらあたしも読めるということやな?」
工は少し恥ずかしそうに横顔を向けた。
「……いえ、まず、舞彩亜さんには先に見せます。
というのもお願い、というか、厚かましいかもしれないですけど……。
公開する前に、もしできれば感想をもらいたいと思って……」
舞彩亜は、うれしそうに弾け飛んで声を上げた。
「え、マジで!
世界中でだれよりも先にあたしが読めるってこと?
……でもあたし、小説のこととか、あんまようわからんで」
「でも、けっこう読んでらっしゃったやないですか?
こないだ、読んだことのあるものちょっとだけ聞きましたけど」
「そうやったな。
あんとき話したのは……時をかける少女、人間失格、オリエント急行の殺人、月と六ペンス、あと児童文学いくつか……そんなもんやで」
「どれも第一級の文学作品やないですか。
十分過ぎるくらいです。
そういうのを読んでらっしゃる舞彩亜さんなら、おもしろい小説か、おもしろくないか、そういう良し悪しはわかるはずです」
「そうなんかな。
まあ、工くんの助けにあたしがなれるんなら、ええけどな」
「なれます、絶対に!」
工の表情は確信に満ちているように見えた。
舞彩亜は、思わず心を動かされた。
「ほんなら、読ませてもらう。
工くんの最初の読者になれるなんて、光栄なことやわ。
……よろしくお願いします」
舞彩亜が頭を下げたので、工はあわてて、いえいえ、お願いしてるのはこちらのほうなんで、と舞彩亜に頭を起こすように言った。
「不躾なお願いですみませんけど、どうかよろしくお願いします。
舞彩亜さんの音楽にいつも力をもらってるから、ぼくもなにかしら少しでも、舞彩亜さんが楽しんだり、なにかの糧になれるようなものが書けたら、と」
舞彩亜は、心底愛おしいと思っているような笑顔を工に向けて言った。
「もういつも、あたし力もらってるよ、工くんに」
「……そうですか。
なら、うれしいです」
工は舞彩亜の表情を見て、少し照れたように目をそらすと、ステージを見た。
「あ、始まりますよ」
「……おー、そうやな」
七海たちのバンドの準備ができたようだ。
柊部長が紹介する。
「みなさま、お待たせいたしました。
この新入生歓迎演奏会、プログラム最後の演奏となりました。
新入生部員によるバンド「Yes We Can」です!
曲はプログレッシブロックバンド、イエスの名曲『ラウンドアバウト』となります!」
ひときわ大きく拍手が鳴った。
七海、みちる、唯花、一子、元が頭を下げた。
七海がマイクを取った。
「……えー、『Yes We Can』です。
ギターの望月七海です。
いちおうこのバンドのリーダーってことになってます。
メンバーを紹介します。
ベース、飛鳥みちる。
ドラム、三上元。
ヴォーカル、新唯花。
キーボード、井久田一子」
みんなが順々におじぎした。
七海は続けた。
「柊部長の紹介のとおり、このバンドは新入生だけで急ごしらえで結成したものです。
で、やる曲をメンバーみんなで相談したら、全員が演奏できる曲がイエスの『ラウンドアバウト』やったことから、これをやるバンドってことで、前のアメリカ大統領の言った言葉にかけてしゃれでこのバンド名をつけました。
ちなみにアイディアはあたしです。
ウケてくださるとうれしいんですが……。
(場内数か所から苦笑)ありがとうございます。
とにかく、このバンド、すばらしい人たちが集まりました!
そのことが、これからやる演奏でわかっていただけると思います。
難曲中の難曲に数えられるこの曲ですが、みなさん楽しんでいただけると幸いです。
……あ、前もって言っておきますが、この曲、8分近くと、ちょっと長い曲です。
そして、きょうの出演者の中でもいちばん長く時間をいただいてます。
図々しいやつらやと思ってください。(場内笑)
調整してくださった先輩部員のみなさまにも感謝です。
……では、やります、『ラウンドアバウト』」
マイクをスタンドに戻し、ギターのネックに手をやると、七海はメンバーひとりひとりを見つめた。
みちるが、唯花が、元が、一子がうなずいた。
七海もうなずくと、コードを押さえて一子を見た。
一子がシンセで、静寂から徐々に大きくなっていく効果音を鳴らし始めた。
音が最も強くなった瞬間、七海のギターが低音弦を、ポーン、と、次いでハーモニクスで、
ポロローン!
とコードを鳴らした。
続いて、フォーク調のフレーズ。
再び一子のシンセ音が迫ってくる。
七海のハーモニクス音。
フレーズ。
……美しいな……。
舞彩亜は二人の奏でる音に聴き惚れた。
工も同じだった。
二度目のフレーズが断片のまま止まり、急にテンポを早めた別のフレーズが飛び出す。
その和音の群れが下っていくとともに、前のめりにドラム、地響きのようなベースの音が鳴り響く。
『ラウンドアバウト』、約8分間の旅の始まりだ。
元が叩く正確無比なドラムと、みちるのゴリゴリとした地響きのようなベース音がぴったりとくっついて前進していく。
そのリズムに合わせて、七海がハーモニクスによるコードで今度はバッキングに回る。
その鉄壁のようなグルーヴの上に、唯花のハスキーだがよく伸びるヴォーカルが入る。
わたしはラウンドアバウト(注)になっていく
言葉たちが次から次へと飛び出してくる……
注:ラウンドアバウト(roundabout):
環状交差点。海外の高速道路や都市でよく見られる、一方向に周回する円形の交差点。
信号がなく、車が一時停止する必要なしに常に合流・分岐して進行方向を変えられる。
唯花は歌う。
こう呼ぼう
サウンドと谷間をくぐり抜ける、朝のドライブと
あの部分が来た。
リハーサルでみんなが合わせるのに苦労していた、例の一番目の戻りだ。
唯花が透き通るような声で
「...in and out the valley---...」
と伸ばす中を、元がスティックを鳴らす。
カッ、カッ!
そして、すぐさまドラムのフィルを叩く。
ドーン!とみちるのベースがそこに飛び込み、七海のギターがぴったりとくっついていく。
うまく合った、成功だ!
七海が元とみちるに目をやり、ニヤッと笑みを浮かべる。
元とみちるも目を輝かせて笑顔を見せた。
舞彩亜と工は、息を呑んで彼らの演奏を聴いて、そして見た。
……これ、すごい……。
舞彩亜は思った。
こんな、すごい音楽をやれるんだ、七海ちゃんたち……。
工も舞彩亜の隣で聴きながら、思った。
すごい演奏力だ……。
舞彩亜さんとはちがう世界の音楽だけど、これも心を鷲掴みにされる、というか……。
七海たちの音楽はずんずん突き進んでいく。
ボゥン!と突然、ベースが止む。
唯花が新たなメロディーを歌う。
そこは七海のギターによるカッティングがバック。
ドラムはハイハットだけを刻んでいる。
そして、そこに一子のキーボードによるオルガンの音色が入ってくる。
速いパッセージのアルペジオだが、指使いは正確だ。
さらに、途中からみちるのベースが戻ってくる。
威嚇するように鋭く、重く、しかしすばやく跳ね回るような音。
変則的なブレイクも、彼らはぴったりとこなしていく。
短い時間の中、ひとりひとりも練習を重ねたのだろう。
それがよくわかる息の合いかただ。
そして要所要所で唯花のヴォーカルに、みちる、一子がコーラスをつけていく。
これもしっかりとハモって、美しく響く。
みちると一子は、歌もけっこうイケるようだ。
展開部。
元がタムを叩きまくり、みちると七海がそれに合わせてユニゾンでリフを重ねる。
唯花が、空の牛乳瓶の中に木の棒を入れ、内側から鳴らしながら歌う。
オリジナルレコーディングで鳴っている、あの音を再現したわけだ。
聴いているオーディエンスの中からも、おぉ、と歓声が漏れた。
一子が途中から激しいオルガンの音で割って入ってくる。
やがて、嵐が徐々に収まっていくかのように音が静まっていく。
最初と同じ、七海のハーモニクス音が鳴る。
しかし今度は、バックに小さく一子のシンセが鳴らすシーケンサー音が寄り添っている。
唯花が静かに、愛を込めた調子で歌う。
湖のまわりに山々がそびえ立つ
24時間後にはきみと
いっしょにあそこにいるよ
グワァー、と一子のオルガン音がグリッサンドで、だんだん音を大きくして迫ってくる。
音が高音でなりだした瞬間、元のドラムとみちるのベースが加わった。
二人のリズム隊の上で、一子のハモンドオルガンソロが暴れまわる。
この曲、最大のクライマックスだ。
ここは、一子と元が主役だ。
元が、変則的なスネア打ちとフィルを混じえた複雑なドラミングで、みんなを唖然とさせる。
そして、一子が長い髪を振り乱すようにしながら弾きまくる。
外見はおしとやかな、お嬢様然としている一子だけに、そのギャップは聴いているみんなを驚かせた。
しかし、その弾きっぷりに相反して演奏は極めて正確だ。
速いフレーズもなんなく弾きこなしている。
幼少期からクラシックピアノの修練を重ねてきたことが、よくわかるうまさだ。
元も同様。
ノリノリで叩きまくっているが、ビートは寸分も乱れない。
みちるのベースと、ぴったりと合わせながら前進していく。
そこに七海のギターのリフが乗っかっていく。
みんな一体となって、飛ぶ鷲のように突き進む。
その表情には、この音楽をともに演奏する喜びがあふれていた。
七海だけではない。
元も、みちるも、一子も、そして唯花も。
旅の終わりまで、もうすぐだ。
ラストスパート!
七海のギターが、みちるのベースがともに音程を駆け上がっていく。
そして、上がりきった頂点で、七海だけが高音域をトレモロで行き来する。
最初の歌に戻ってきた。
わたしはラウンドアバウトになっていく
言葉たちが次から次へと飛び出してくる……
いまや、メンバーたちは楽しそうに、余裕さえ感じられる表情で演奏している。
ここまで乗り切ってきた。
ゴールまで、あともう少しだ。
元のドラムがはじける。
みちるのベースがうなる。
一子のシンセが響く。
唯花の声が輝く。
五人の奏でる音は、喜びの讃歌だ。
そして、唯花のヴォーカルが、
「...I'll be there with you-...」
と歌い終わる瞬間、ベースとキーボードが止んだ。
ドラムはブラシで叩かれるスネアの軽い音とハイハットだけになり、七海がミュート気味に小さくコードストロークする。
その上で、唯花、みちる、一子がコーラスをつけていく。
「タラララ、ラー、ラー、ラ、
タラララ、ラー、ラー、ラ……」
三人の天から降ってくるかのような美しいハーモニーが音程を高めていく。
そして高まったところでコーラスとドラムは急に切れ、そこに七海のギターが曲の最初と同じ、スコットランド民謡にも似たフレーズを奏で、そのラストにシンプルなEのコードを
ジャラーン!
とストロークで鳴らした。
曲が終わった。
Yes We Canのメンバー、五人は、満ち足りた表情だった。
やりきった!
七海は、みちる、元、唯花、一子を順々に見た。
それぞれが、おたがいに喜びの笑顔でうなずいた。
数秒の沈黙のあと、割れるような拍手が会場中に響いた。
柊部長と田島副部長も、熱狂したように拍手しながら話し合っていた。
七海がピックを持った右手を挙げて、深くおじぎをした。
メンバーたちも、いっしょに礼をした。
柊部長がマイクを持つと、感動に上ずった声で叫んだ。
「すごい演奏でした!
……もう、ほかに言う言葉が見つかりません!
すみません!
バンド『Yes We Can』のみなさんでした!
あらためて、彼ら彼女たちに盛大な拍手をお願いします!」
メンバーたちは拍手に答えて、オーディエンスに手を振ったり、おじぎをしたりしていた。
舞彩亜が七海のもとに駆け寄ってきた。
「七海ちゃん!
すごい、すごいよかった!
すごかったよー!!」
そして七海に抱きついた。
涙を流していた。
「ちょ、舞彩亜ちゃん、なんであなたが泣く?
泣くべきは、あたしやろが!」
「だって、めっちゃめちゃ感動したんやもーん!!」
七海は舞彩亜の頭を撫でると言った。
「舞彩亜ちゃんも、すっごくよかった!
なあ、あたしら、やってる音楽はちがうけど、おたがいに影響与え合っていい友だちになっていけると思わん?
これからもいっしょにがんばっていこうよ!」
舞彩亜は顔を上げて七海を見つめると、うなずいた。
「うん。
あたしもそう思う。
……この学校入って、軽音部に入ってよかった!
七海ちゃん、いっしょにがんばろう!」
みちる、唯花、一子も、そしてドラムセットから出てきていっしょに立った元も、七海と舞彩亜を見ながら笑顔でうなずいていた。
舞彩亜は会場の後方にいる工に手招きして叫んだ。
「工くーん!
なに、そんなうしろにおんの!
いっしょにこっち来てやー!
七海ちゃんたちを、いっしょに祝福しよう!」
みんなの様子をうしろで見守っていた工は、ふっ、と小さく笑いながら前に進み始めた。
心の中で、こうささやきながら。
舞彩亜さん、これからもがんばってほしい。
七海さんたちも……。
ぼくも、がんばるよ。
みんなそれぞれ、道が開けていくといいな……。
音楽室で、これから軽音楽部主催の「新入生歓迎演奏会」、通称「新歓演奏会」が始まる。
開演30分前だが、すでに用意された座席はほぼいっぱいになっていた。
満員の聴衆には、軽音部の先輩部員たちはもちろん、ほかの生徒たちも、そして先生の姿も数人がいる。
みんな、演奏会が始まるのを心待ちにしている。
工も、前列二列目の真ん中近くの席にすでに着いていた。
どんな演奏会になるのか。
わくわくして待っていた。
それにしても、今年の新歓演奏会は例年とはひと味ちがった空気が漂っている。
というのも、いままでにないくらい、個性的な新入生たちが出演するからだ。
いちばん話題になっているのは、望月七海たちによる新入生バンド「Yes We Can」。
バンド名は、直前になって七海たちが思いつきでつけたものだ。
全員が新入生のメンバー、しかも演奏する曲はイエスの「ラウンドアバウト」。
それが話題にならないはずがない。
軽音部の先輩部員たちの間でも、彼らの話題で持ちきりだ。
「……おい、今年の新入生、バンドで『ラウンドアバウト』やるんだってよ。
どんだけテクあるんだ!……」
「……こりゃ、オレら年長組にとって脅威やぞ……」
などなど。
そしてもうひとりは、ボサノバ少女、嶋野舞彩亜。
高校生にしてボサノバスタンダード曲の弾き語り。
しかも、オリジナルどおりポルトガル語で歌うという。
七海たちほどの騒ぎにはなっていないが、それでも舞彩亜の存在は静かな話題になっていた。
「……ボサノバかあ。
カフェとかで流れてくるような、あのおしゃれな感じの音楽?……」
「ポルトガル語で歌うんだって。
マジで!
あたしら、英語でもろくに歌えんのに……」
「……未知の音楽やね。
そんな渋い趣味の子が、いるのねえ……」
そんな、期待と好奇心の混じったような部内のさまざまな声の群れから、出演者の新入生たちを守るため、部長の柊と副部長の田島はいろいろと気を遣っていた。
音楽室の中、そのさらに奥に、音楽準備室という部屋がある。
楽器や関連設備の倉庫として利用されたり、パート別の練習用に使われたりする部屋だ。
きょうはここが、新歓演奏会の出演者たちの控室になっている。
柊部長と田島副部長は、彼らが到着するとすぐ、まっすぐにこの控室に入れた。
外部の雑音から彼らを可能な限り遮断するためだ。
「Yes We Can」のメンバー全員、つまり七海、みちる、元、唯花、一子もすでに揃っていた。
そして、舞彩亜もここにいた。
ほかの出演者とともに、自分の出番が来るのを待っていた。
控室は音楽室と同様、防音対策がしっかりしているので、中は静かだった。
七海たちバンドメンバーは、始めのうちこそその静寂に合わせるように静かにしていたが、やがておしゃべりをし始めた。
おたがいに話し合っては、ともにうなずいたり笑い合ったりしている。
バンド結成から十日間ほどしか経っていないが、彼ら彼女らはすでにすっかり打ち解け合っていた。
服装も特に演奏会を意識してはいないようで、いつもと同じだ。
一方で、ほかの出演者たちは緊張で一様に黙りこくっている。
舞彩亜も、ギターをすぐ自分の横に立て掛けて、バッグに片手を置いたまま沈黙していた。
ただ、舞彩亜の沈黙は緊張からではない。
これから自分が弾き、歌う。
最高のパフォーマンスができるよう、集中しようとしているがゆえの沈黙だ。
ふと、舞彩亜が顔を上げて、周囲のほかの出演者たちを眺めた。
自分の向かいに座っている女の子は、アコースティックギターを傍らに置きながらも、落ち着かない様子であちこちに視線を漂わせながら身体を震わせている。
エレキギターとベースの女子二人組は、肩を並べあってともに硬い表情でいる。
……みんな、やっぱり怖いんやな……。
初めて人前で演奏する子も多いんやろし……。
舞彩亜も、右手で愛機のガットギターを、ぎゅっ、と握った。
あたしには、このギターがいてくれる……。
おじいちゃんの歴史が詰まった、タカミネのギター……。
そう思うと、不思議と力が湧いてくる気がした。
舞彩亜は心の中で、ギターに声をかけた。
ありがとう、力をくれて……。
本番まで、よろしくな……。
ふと気がつくと、そばに七海がしゃがんでいた。
「やあ!」
「七海ちゃん……!」
舞彩亜は、びっくりして七海を見つめた。
七海は、にこっ、と笑って首を傾げて見せた。
ブルーとグレーのメッシュ髪を、きょうは後ろで束ねてポニーテールに。
制服のブレザーの下には黒のカーディガン。
ウールだろうか、ふわふわした素材でライトグレー、ベージュ、ピンクといった色彩のブロックチェック柄のスカーフを首に巻いている。
スカートはいつもどおり、思いっきり上げてミニに。
スニーカーも白とピンク、底が厚めのナイキのスニーカー。
ふだん着の中に、ちょっとずついつもとちがうおしゃれを混ぜている。
無造作なようでいて何気なく見せるおしゃれのセンスは、なかなかのものだ。
舞彩亜は、その七海の何気ないおしゃれに、思わず目が行って見とれてしまう。
「どう、調子。
緊張してる?」
舞彩亜はにこっと笑って答えた。
「ううん。
ぜんぜん緊張してないと言ったらウソになるけど、それよりも、これからみんなの前で弾き語りできるのが楽しみ。
その気持ちのほうが強いかな」
七海は感心したように笑みを浮かべて言った。
「おー。
やっぱりすごいね、舞彩亜ちゃんは!
大物やわ」
「そんなん、ちゃうって!」
「あたしらも、みんなめっちゃ緊張してると思うで。
そやけど!
むしろそれを武器にして、テンションMAXにする!
そして最高の演奏したる!」
舞彩亜は、七海といっしょにうなずくと笑った。
「あたしも七海ちゃんたちのバンド、楽しみ。
トリやしね、盛り上がるやろなあ」
七海バンド「Yes We Can」は、プログラムで出演順が最後に決まっていた。
まず曲の演奏時間が出演者の中で最長であること、また、メンバーの数も出演者中最大編成であり、キーボードの設置など準備に時間がかかることもあって、一番最後の出番に回されたのだった。
ちなみに、舞彩亜の出番はその直前。
つまり新歓演奏会のラスト二組は、舞彩亜、そして七海たちのバンドというわけだ。
舞彩亜のすぐあとが、七海たちYes We Canの出番となるわけだが、舞彩亜には不思議とそのプレッシャーはなかった。
自分の音楽をやろう。
そうすれば、それが自分にいちばん満足のいくものになる。
そうローザ先生とも話し、それに集中すると心に決めていたから。
「舞彩亜ちゃんに全部先に持っていかれないか、そればっかりめっちゃ気にしてるよ」
「んなわけ、ないやーん!
こっちはひとり、七海ちゃんとこは五人もおるやん!
頭数ですでに負けとるわ!」
「数の問題ちゃうって!
……あたしさ、聞いたんよね、寺崎くんに。
『舞彩亜ちゃんの弾き語りって、どんな感じ?』って。
彼、言うてたよ。
『すごいです。
プロかって思うくらい上手いし、歌も繊細で力強くて。
将来すばらしいミュージシャンになるんやないか。
そう思います』
って。
……こんなん聞いて、期待しないでいられるわけないやん!」
舞彩亜は、急に顔がのぼせ上がった。
「ウソ、七海ちゃん、いつの間にそんなん、工くんに聞いてたん!?
つか、工くんがホントにそんなこと言うてたん?
……恥ずかしいわ!!」
七海は赤くなって両頬に手を当てる舞彩亜を見て、微笑ましそうに、ふふっ、と笑った。
「もう来てるやろ、彼?」
「ああ、たぶん来てると思う」
「舞彩亜ちゃん。
いいとこ、見せたれや!
あんなに舞彩亜ちゃんに熱心なサポーターやで。
大切にしてあげにゃ!」
「うん。
そやな、七海ちゃんの言うとおりやな」
舞彩亜と七海は、二人で笑った。
「おたがい、楽しみやね。
がんばろう、舞彩亜ちゃん!」
「七海ちゃんたちもね」
「おう!」
立ち去っていく七海を、舞彩亜は目で追いながら微笑んだ。
「さて、みなさんお待たせいたしました!
2026年、みなみ学園高校軽音部、新入生歓迎演奏会を、ただいまから開催いたします!」
柊部長の、威勢のいい声が音楽室に響き渡ると、一斉に拍手と歓声が沸き起こった。
「この新歓演奏会も、初回から数えて5回目となります。
おかげさまで毎回たいへん好評で、ここまで続けてくることができました。
これまでにも、この新歓演奏会からデビューしていった先輩がたが何人もおられます。
ロックバンド「2 BUSY」のベーシスト、新城あたるさん、シンガーソングライターのマチネ清彦さんなど……。
今年も、これまで以上に個性的な人たちが、あらたな軽音部員としてわたしたちの仲間に加わってくださいました。
この新入部員のかたがたの演奏を、みなさんも楽しんでいただけると信じています。
では、本日の新歓演奏会の出演者、出演順に紹介いたします!
1番目は、アコースティックギター弾き語りで、一宮その子さん。
2番めは、ピアノとエレアコギターの合奏で、小谷真奈さんと大野仁さん。
3番めは、エレキギターとベースの合奏&歌で、SinomiさんとMasudonさん。
4番目は、ガットギターの弾き語りで、嶋野舞彩亜さん。
嶋野さんは、ボサノバ曲の演奏となります。
オリジナルどおりのポルトガル語で歌うということで、こちらも楽しみですね!
5番目、ラストとなりますのは、バンド「Yes We Can」。
新入生部員たちで結成したばかりのバンドということになります。
出会ってから間もない、この短期間でバンドを結成したということだけでもたいしたことですが、演奏する曲も高度なテクニックが必要となるものです。
イエスの『ラウンドアバウト』をやるということです。
すごいことになりそうです!
以上のプログラムで進めてまいります。
3番目SinomiさんとMasudonさんが終わったあとに、10分間休憩がございます。
また、4番目嶋野さんのあと、最後の「Yes We Can」の前にも、機材セッティングのため5分ほど休憩時間をとる予定です。
なお、開演中の出入りは自由ですが、ほかのお客様の迷惑にならないよう、じゅうぶんご配慮いただけると幸いです。
それでは……一宮さん、準備のほうOKでしょうか?
……よいようですので、始めていきたいと思います!
1曲め、一宮その子さんによるアコースティックギター弾き語りで、曲はユーミン、松任谷由美の……」
1番目、2番目と、演奏は進んでいった。
一宮さんのアコギ弾き語りは、緊張してちょっと固い表情、固い演奏だったが、それでも高校生になったばかりの少女の心情を歌った、初々しい美しさが感じられた。
2番目の、小谷さんと大野さんによるピアノとエレアコギターの合奏も息が合っていてよかった。
いま、3番目、Sinomiさんの歌とエレキギター、Masudonさんのベースとコーラスによる演奏が続いている。
彼らも出番の待機中はそうとう緊張していたようだったが、ステージに立つとしっかりと演奏していた。
やはり、この学校の軽音部に入ってくる人はみんな、けっこうレベル高いな……。
舞彩亜は演奏を聴きながら思った。
あたしも、がんばんなきゃ……。
SimomiさんとMasudonさんの演奏が終わって、10分間の休憩に入った。
オーディエンスの先輩部員、演奏会に出演していない新入生部員たち、軽音部以外から来た生徒や先生たちは、みなほかの人と会話したり、一時外に出たり、トイレに立ったりしていた。
舞彩亜はギター弦のチューニングを確認していた。
しっかり合っていることを確かめると、よし、とひとり声を出した。
ふと、ドアの脇からそっと客席を覗いてみた。
工がいた。
前列のほう、真ん中近くの席に座っている。
足を片方ずつ、軽く伸ばしてストレッチしたりして時間をつぶしている。
舞彩亜は、その工の姿をみて高鳴る心臓を落ち着かせようと、深呼吸した。
……集中だ、集中……。
これから歌う一曲に、いまのあたしのすべてを込める。
あたしの歌が、工くんにも、ここにいるみんなにも伝わるように……。
柊部長がマイクを持って声を出した。
休憩時間の終わりだ。
「みなさん、10分経ちました。
休憩時間は終了です。
席にお戻りください。
……では、プログラムの4番目、嶋野舞彩亜さんのガットギター弾き語りです!
曲は『彼女はカリオカ』です!」
拍手とともに、舞彩亜がガットギターを持ってステージに登場した。
用意された椅子に座ると、ギターを抱くようにかかえる。
マイクに触って位置を調整し、ステージの脇に立つ柊部長、田島副部長のほうを見た。
二人が軽くうなずく。
舞彩亜は話し始めた。
「え、みなさん、こんにちは。
嶋野舞彩亜です。
ボサノバの弾き語りで『Ela é Carioca』、『彼女はカリオカ』という曲をやります。
あたしは中学に入ったころからずっと、このボサノバという音楽をやってます。
ブラジルの音楽なんですけど、ブラジルというとみなさんがイメージするのは、サンバのような陽気な音楽かもしれません。
ボサノバは、そういう音楽とはちょっとちがっています。
穏やかで、静かめで、ちょっと冷静な音楽って感じです。
でも、ときに激しく、ときに陽気なところもあって……。
なんていうか、いろんな顔を持った音楽なんです。
馴染みのない人も多いかもしれませんが、これから弾き語りするあたしの音楽を聴いて、そんなボサノバの魅力がみなさんに少しでも伝わればいいな、と思います。
『彼女はカリオカ』は、アントニオ・カルロス・ジョビンという人が作曲し、ヴィニシウス・ヂ・モライスという人が作詞しました。
この二人は、ボサノバの世界の『黄金コンビ』と言っていい人たちです。
多くのボサノバの定番曲が、このコンビによって作られました。
『カリオカ』というのは『リオデジャネイロにいる女の子』という意味です。
リオデジャネイロは、首都のサンパウロと並ぶブラジルの大都市。
この曲は、そんなリオにいる女の子に恋をしてしまった男の子の、心の思いを語っている歌詞です。
こんな内容の歌です。
彼女はリオの子なんだ、
彼女の瞳にリオの光、海、空が見える、
美し過ぎて、ぼくにはとても手が届かない、
そんなリオの子が彼女なんだ……」
舞彩亜は、そこで言葉を一瞬止めた。
みんな、しんとして舞彩亜を見つめている。
舞彩亜はすべてを集中させて、言葉を続けた。
「……では、みなさんお聴きください。
そして、楽しんでください。
『Ela é Carioca』、『彼女はカリオカ』」
ギターを構えると、左手でD/F#のコードを押さえた。
そして、右手で弦を弾くと同時に、スキャットを歌い出した。
バッ、バッ、バーラララ、バーラララ、バーラララ
バッ、バッ、バーラララ、バーラララ、バー
バララー……
スキャットの切れ目ともに、ギターの1弦と2弦が、突然高く飛翔するように高い和音を奏でる。
そして、ゆるやかに弧を描いて下り立っていくように和音はだんだんと低い音に移り変わっていき、長調だが不穏な響きのテンションコードに着地する。
一度聴いたら忘れられない、この曲の印象的なイントロ。
彼女はカリオカ
彼女はカリオカ
あの足取りを見てごらん……
舞彩亜の歌声は、素朴だが艷やかで、なんともいえない味があった。
美しかった。
そして、その歌声を支えるギター。
枯れた渋い、でも適度に輝きと明るさもある、こんな音楽にぴったりの音。
そんな舞彩亜の声とギターの音に、居合わせたみんなは釘付けになった。
柊部長も、田島副部長も、先輩部員たち。
準備室で聴いている七海と、バンドメンバーたち。
そしてもちろん、工も。
……やっぱり、すごい……。
工は虜になったように、目の前の舞彩亜の歌声とギターの音に聴き惚れた。
歌の途中に、舞彩亜は軽いギターソロを入れた。
歌のメロディーをもとに、自由に跳ね回り、そしてハーモニーを奏でるソロ。
簡潔だが、足りないところも無駄もない、完璧なソロギター。
これにも工は聴き入った。
こんなソロも弾けるんや……。
かっこいいな……。
オーディエンスのみんなも同様だった。
ただ、舞彩亜の歌とギターに酔いしれた。
ぼくは彼女に夢中なんだ
あまりに美し過ぎて
ぼくにはとても手が届かない
彼女はカリオカ
彼女はカリオカ……。
バッ、バッ、バーラララ、バーラララ、バーラララ
バッ、バッ、バーラララ、バーラララ、バー
バララー……
最後のスキャットととともにギターがあの美しく、不穏な響きのコードを鳴らした。
曲が終わった。
沈黙があった。
舞彩亜は思った。
みんな、どう聴いてくれただろうか?
いいと思ってくれただろうか?
どきどきした。
工が夢から覚めたように気がついて、拍手しようとしたそのとき。
先に静寂を破るように拍手が鳴った。
柊部長、田島副部長。
そして、準備室から七海と、バンドメンバーたちだった。
すぐに会場は、拍手でいっぱいになった。
舞彩亜は笑顔になって、椅子から立つと思いっきり頭を下げた。
「……ありがとうございました!」
その頬は紅潮していた。
工はだれにもまして力いっぱい拍手をした。
……ぼくにはとても手が届かない、か……。
それはぼくにとって、舞彩亜さん……。
工は心の中で思った。
舞彩亜の目は、そんな工の姿をとらえた。
自分の歌が、伝わった。
表情を見ただけでそれはわかった。
うれしい……。
もう一度深くお辞儀をすると、舞彩亜はギターを持って準備室に戻っていった。
拍手は彼女の姿が消えるまで続いた。
準備室に戻ったとたん、七海が舞彩亜に抱きついてきた。
「舞彩亜ちゃーん、すごかったよー!
すばらしかったよー!!」
舞彩亜はよろけそうになって、あわててギターを両手で守るように持つと叫んだ。
「な、七海ちゃん、倒れるわ……!」
しかし七海は、両腕でしっかりと舞彩亜を支えた。
「ごめんな。
でも、ホント、すばらしかったんやもーん!
舞彩亜ちゃんって、こんなにすごい人やったんや、ってびっくりした!」
舞彩亜は少し照れて返事した。
「いや、ぜんぜんすごくなんか、あらへん。
ただ、中学のときからずっとひたすら、こればっかやってただけや。
……それだけ」
七海は舞彩亜から身体を離して、舞彩亜を正面からじっと見つめると言った。
「それだけ、って、そのそれだけがすごいんよ!
ボサノバって、いままでちゃんと聴いたことなかったけど、こんないい音楽やったって、舞彩亜ちゃんの弾き語り聴いてわかった!
……ありがとう、すばらしい音楽教えてくれて!」
舞彩亜は照れながらも、真剣な七海の眼差しを見つめて、あらためて感謝するように答えた。
「こちらこそ、聴いてくれて、本当にありがとう。
七海ちゃんも、バンドのみなさんも!」
七海のうしろに、みちる、元、唯花、一子も集まってきていた。
みんなも舞彩亜に花向けの言葉をくれた。
「嶋野さん、すばらしかったよ!」
とみちる。
「いやー、ボサノバって、ホンっと、いいもんですねー!」
と元。
「同じ歌い手として、ちょっと嫉妬しちゃうくらい、感動しちゃいました」
と唯花。
「ただただ、美しかったです……。
ほかにいい形容が見つかりません……」
と一子。
舞彩亜はひとりひとりに礼を言った。
「みなさんのバンドも、がんばってください。
客席から聴かせていただきます!」
七海が舞彩亜に握手すると、
「ありがとう、こっちもがんばる。
……っていうか、全部、こっちが持っていきますからー……!」
と言いかけて、みちるに頭を軽く叩かれた。
「そういう失礼なこと言わない!」
「てへっ、ぺろっ!」
七海はマンガのように舌を出し、右手で拳を作ると頭に当てた。
舞彩亜は七海の様子に、くすっ、と手の甲を口に当てて笑った。
七海は舞彩亜に、ごめん!と表情と手でジェスチャーすると、くるりとバンドメンバーの方に振り向いて手を上げた。
「よーし、これからみんな、やるぞー!」
ほかのメンバーも全員、手を頭上で合わせると歓声を上げた。
「おー!!」
舞彩亜は七海たちにあいさつすると準備室を出て、会場である音楽室に戻った。
柊部長や田島副部長も舞彩亜を讃えてくれた。
彼らとの会話をそこそこにして、舞彩亜は工を探した。
工は同じ席に座っていた。
すぐに舞彩亜に気がついて、席を立った。
「なんと言ったらええのか、とにかくすばらしかったです!」
「あー、まあそこに座っててええよ。
あたしはうしろで七海ちゃんたちを聴くことにするわ」
「いや、舞彩亜さんといっしょに聴きたいですから。
……いっしょにうしろに行きましょう」
「え……?」
工は舞彩亜の背中を軽く押して、いっしょに客席の後方へと移動していった。
「な、なんでやねん?
せっかくいい席取ってるのに……」
「あそこは舞彩亜さんを聴いて見るために取った席ですから。
もう舞彩亜さんの出番が終わったからいいですよ。
いっしょに七海さんたちのバンド、聴きましょうよ」
「ん、ああ、うん……」
工くん、なんか積極的やな。
なにが起こったんか……。
舞彩亜は少しうろたえながら、頭の中で思った。
あ……もしかして、あたしの弾き語りが、火、つけちゃったんか……?
それならそれで目標どおりやから、うれしいことやけど……。
そう思うと、舞彩亜の頭の中が、かあーっとしてきた。
「……舞彩亜さん、だいじょうぶですか?」
「あ?」
工が心配そうに舞彩亜の顔を覗き込んでいる。
「……ああ、演奏終わったし、疲れがどっと出てきた、かな」
「まあ、そうですよね。
もうこれからの時間はリラックスしてください」
「うん、ありがと」
舞彩亜は、笑顔になって応えた。
いつも自分のことを気にかけてくれる工に、あらためて感謝の念を感じた。
やっぱり彼って、すごくいいやつや……。
新歓演奏会は再び小休憩時間に入り、ステージ上では七海たちのバンド「Yes We Can」のセッティングが行われていた。
一子のキーボードを先輩部員たちが担ぎ上げ、スタンドの上に注意深く下ろしているのが見えた(一子のキーボードNORD Grand 2は80万円前後という高価な品のため、先輩部員たちも相当気を遣っている様子だった)。
みちると七海がそれぞれ、自分のベースとギターにシールドを差してアンプにつないでいる。
元はスティックを持って、ドラムのスネア、タム、とチューニングしていきながら叩いて、キック(バスドラ)とともに感触を丁寧に確かめていた。
一子もキーボードの設置が終わりアンプにも接続されると、試しに音を出して聴こえ方を確認し始めた。
その様子を眺めながら工が言った。
「舞彩亜さん」
「ん?」
「ぼく、投稿サイトに小説を出すことにします。
いままで書き溜めてきたものがあるんで、少し手を入れて。
まずは短編から、と考えてますけど、そのうち連載も」
「……ほんま?
それはええなあ!
ってことは、サイトに出たらあたしも読めるということやな?」
工は少し恥ずかしそうに横顔を向けた。
「……いえ、まず、舞彩亜さんには先に見せます。
というのもお願い、というか、厚かましいかもしれないですけど……。
公開する前に、もしできれば感想をもらいたいと思って……」
舞彩亜は、うれしそうに弾け飛んで声を上げた。
「え、マジで!
世界中でだれよりも先にあたしが読めるってこと?
……でもあたし、小説のこととか、あんまようわからんで」
「でも、けっこう読んでらっしゃったやないですか?
こないだ、読んだことのあるものちょっとだけ聞きましたけど」
「そうやったな。
あんとき話したのは……時をかける少女、人間失格、オリエント急行の殺人、月と六ペンス、あと児童文学いくつか……そんなもんやで」
「どれも第一級の文学作品やないですか。
十分過ぎるくらいです。
そういうのを読んでらっしゃる舞彩亜さんなら、おもしろい小説か、おもしろくないか、そういう良し悪しはわかるはずです」
「そうなんかな。
まあ、工くんの助けにあたしがなれるんなら、ええけどな」
「なれます、絶対に!」
工の表情は確信に満ちているように見えた。
舞彩亜は、思わず心を動かされた。
「ほんなら、読ませてもらう。
工くんの最初の読者になれるなんて、光栄なことやわ。
……よろしくお願いします」
舞彩亜が頭を下げたので、工はあわてて、いえいえ、お願いしてるのはこちらのほうなんで、と舞彩亜に頭を起こすように言った。
「不躾なお願いですみませんけど、どうかよろしくお願いします。
舞彩亜さんの音楽にいつも力をもらってるから、ぼくもなにかしら少しでも、舞彩亜さんが楽しんだり、なにかの糧になれるようなものが書けたら、と」
舞彩亜は、心底愛おしいと思っているような笑顔を工に向けて言った。
「もういつも、あたし力もらってるよ、工くんに」
「……そうですか。
なら、うれしいです」
工は舞彩亜の表情を見て、少し照れたように目をそらすと、ステージを見た。
「あ、始まりますよ」
「……おー、そうやな」
七海たちのバンドの準備ができたようだ。
柊部長が紹介する。
「みなさま、お待たせいたしました。
この新入生歓迎演奏会、プログラム最後の演奏となりました。
新入生部員によるバンド「Yes We Can」です!
曲はプログレッシブロックバンド、イエスの名曲『ラウンドアバウト』となります!」
ひときわ大きく拍手が鳴った。
七海、みちる、唯花、一子、元が頭を下げた。
七海がマイクを取った。
「……えー、『Yes We Can』です。
ギターの望月七海です。
いちおうこのバンドのリーダーってことになってます。
メンバーを紹介します。
ベース、飛鳥みちる。
ドラム、三上元。
ヴォーカル、新唯花。
キーボード、井久田一子」
みんなが順々におじぎした。
七海は続けた。
「柊部長の紹介のとおり、このバンドは新入生だけで急ごしらえで結成したものです。
で、やる曲をメンバーみんなで相談したら、全員が演奏できる曲がイエスの『ラウンドアバウト』やったことから、これをやるバンドってことで、前のアメリカ大統領の言った言葉にかけてしゃれでこのバンド名をつけました。
ちなみにアイディアはあたしです。
ウケてくださるとうれしいんですが……。
(場内数か所から苦笑)ありがとうございます。
とにかく、このバンド、すばらしい人たちが集まりました!
そのことが、これからやる演奏でわかっていただけると思います。
難曲中の難曲に数えられるこの曲ですが、みなさん楽しんでいただけると幸いです。
……あ、前もって言っておきますが、この曲、8分近くと、ちょっと長い曲です。
そして、きょうの出演者の中でもいちばん長く時間をいただいてます。
図々しいやつらやと思ってください。(場内笑)
調整してくださった先輩部員のみなさまにも感謝です。
……では、やります、『ラウンドアバウト』」
マイクをスタンドに戻し、ギターのネックに手をやると、七海はメンバーひとりひとりを見つめた。
みちるが、唯花が、元が、一子がうなずいた。
七海もうなずくと、コードを押さえて一子を見た。
一子がシンセで、静寂から徐々に大きくなっていく効果音を鳴らし始めた。
音が最も強くなった瞬間、七海のギターが低音弦を、ポーン、と、次いでハーモニクスで、
ポロローン!
とコードを鳴らした。
続いて、フォーク調のフレーズ。
再び一子のシンセ音が迫ってくる。
七海のハーモニクス音。
フレーズ。
……美しいな……。
舞彩亜は二人の奏でる音に聴き惚れた。
工も同じだった。
二度目のフレーズが断片のまま止まり、急にテンポを早めた別のフレーズが飛び出す。
その和音の群れが下っていくとともに、前のめりにドラム、地響きのようなベースの音が鳴り響く。
『ラウンドアバウト』、約8分間の旅の始まりだ。
元が叩く正確無比なドラムと、みちるのゴリゴリとした地響きのようなベース音がぴったりとくっついて前進していく。
そのリズムに合わせて、七海がハーモニクスによるコードで今度はバッキングに回る。
その鉄壁のようなグルーヴの上に、唯花のハスキーだがよく伸びるヴォーカルが入る。
わたしはラウンドアバウト(注)になっていく
言葉たちが次から次へと飛び出してくる……
注:ラウンドアバウト(roundabout):
環状交差点。海外の高速道路や都市でよく見られる、一方向に周回する円形の交差点。
信号がなく、車が一時停止する必要なしに常に合流・分岐して進行方向を変えられる。
唯花は歌う。
こう呼ぼう
サウンドと谷間をくぐり抜ける、朝のドライブと
あの部分が来た。
リハーサルでみんなが合わせるのに苦労していた、例の一番目の戻りだ。
唯花が透き通るような声で
「...in and out the valley---...」
と伸ばす中を、元がスティックを鳴らす。
カッ、カッ!
そして、すぐさまドラムのフィルを叩く。
ドーン!とみちるのベースがそこに飛び込み、七海のギターがぴったりとくっついていく。
うまく合った、成功だ!
七海が元とみちるに目をやり、ニヤッと笑みを浮かべる。
元とみちるも目を輝かせて笑顔を見せた。
舞彩亜と工は、息を呑んで彼らの演奏を聴いて、そして見た。
……これ、すごい……。
舞彩亜は思った。
こんな、すごい音楽をやれるんだ、七海ちゃんたち……。
工も舞彩亜の隣で聴きながら、思った。
すごい演奏力だ……。
舞彩亜さんとはちがう世界の音楽だけど、これも心を鷲掴みにされる、というか……。
七海たちの音楽はずんずん突き進んでいく。
ボゥン!と突然、ベースが止む。
唯花が新たなメロディーを歌う。
そこは七海のギターによるカッティングがバック。
ドラムはハイハットだけを刻んでいる。
そして、そこに一子のキーボードによるオルガンの音色が入ってくる。
速いパッセージのアルペジオだが、指使いは正確だ。
さらに、途中からみちるのベースが戻ってくる。
威嚇するように鋭く、重く、しかしすばやく跳ね回るような音。
変則的なブレイクも、彼らはぴったりとこなしていく。
短い時間の中、ひとりひとりも練習を重ねたのだろう。
それがよくわかる息の合いかただ。
そして要所要所で唯花のヴォーカルに、みちる、一子がコーラスをつけていく。
これもしっかりとハモって、美しく響く。
みちると一子は、歌もけっこうイケるようだ。
展開部。
元がタムを叩きまくり、みちると七海がそれに合わせてユニゾンでリフを重ねる。
唯花が、空の牛乳瓶の中に木の棒を入れ、内側から鳴らしながら歌う。
オリジナルレコーディングで鳴っている、あの音を再現したわけだ。
聴いているオーディエンスの中からも、おぉ、と歓声が漏れた。
一子が途中から激しいオルガンの音で割って入ってくる。
やがて、嵐が徐々に収まっていくかのように音が静まっていく。
最初と同じ、七海のハーモニクス音が鳴る。
しかし今度は、バックに小さく一子のシンセが鳴らすシーケンサー音が寄り添っている。
唯花が静かに、愛を込めた調子で歌う。
湖のまわりに山々がそびえ立つ
24時間後にはきみと
いっしょにあそこにいるよ
グワァー、と一子のオルガン音がグリッサンドで、だんだん音を大きくして迫ってくる。
音が高音でなりだした瞬間、元のドラムとみちるのベースが加わった。
二人のリズム隊の上で、一子のハモンドオルガンソロが暴れまわる。
この曲、最大のクライマックスだ。
ここは、一子と元が主役だ。
元が、変則的なスネア打ちとフィルを混じえた複雑なドラミングで、みんなを唖然とさせる。
そして、一子が長い髪を振り乱すようにしながら弾きまくる。
外見はおしとやかな、お嬢様然としている一子だけに、そのギャップは聴いているみんなを驚かせた。
しかし、その弾きっぷりに相反して演奏は極めて正確だ。
速いフレーズもなんなく弾きこなしている。
幼少期からクラシックピアノの修練を重ねてきたことが、よくわかるうまさだ。
元も同様。
ノリノリで叩きまくっているが、ビートは寸分も乱れない。
みちるのベースと、ぴったりと合わせながら前進していく。
そこに七海のギターのリフが乗っかっていく。
みんな一体となって、飛ぶ鷲のように突き進む。
その表情には、この音楽をともに演奏する喜びがあふれていた。
七海だけではない。
元も、みちるも、一子も、そして唯花も。
旅の終わりまで、もうすぐだ。
ラストスパート!
七海のギターが、みちるのベースがともに音程を駆け上がっていく。
そして、上がりきった頂点で、七海だけが高音域をトレモロで行き来する。
最初の歌に戻ってきた。
わたしはラウンドアバウトになっていく
言葉たちが次から次へと飛び出してくる……
いまや、メンバーたちは楽しそうに、余裕さえ感じられる表情で演奏している。
ここまで乗り切ってきた。
ゴールまで、あともう少しだ。
元のドラムがはじける。
みちるのベースがうなる。
一子のシンセが響く。
唯花の声が輝く。
五人の奏でる音は、喜びの讃歌だ。
そして、唯花のヴォーカルが、
「...I'll be there with you-...」
と歌い終わる瞬間、ベースとキーボードが止んだ。
ドラムはブラシで叩かれるスネアの軽い音とハイハットだけになり、七海がミュート気味に小さくコードストロークする。
その上で、唯花、みちる、一子がコーラスをつけていく。
「タラララ、ラー、ラー、ラ、
タラララ、ラー、ラー、ラ……」
三人の天から降ってくるかのような美しいハーモニーが音程を高めていく。
そして高まったところでコーラスとドラムは急に切れ、そこに七海のギターが曲の最初と同じ、スコットランド民謡にも似たフレーズを奏で、そのラストにシンプルなEのコードを
ジャラーン!
とストロークで鳴らした。
曲が終わった。
Yes We Canのメンバー、五人は、満ち足りた表情だった。
やりきった!
七海は、みちる、元、唯花、一子を順々に見た。
それぞれが、おたがいに喜びの笑顔でうなずいた。
数秒の沈黙のあと、割れるような拍手が会場中に響いた。
柊部長と田島副部長も、熱狂したように拍手しながら話し合っていた。
七海がピックを持った右手を挙げて、深くおじぎをした。
メンバーたちも、いっしょに礼をした。
柊部長がマイクを持つと、感動に上ずった声で叫んだ。
「すごい演奏でした!
……もう、ほかに言う言葉が見つかりません!
すみません!
バンド『Yes We Can』のみなさんでした!
あらためて、彼ら彼女たちに盛大な拍手をお願いします!」
メンバーたちは拍手に答えて、オーディエンスに手を振ったり、おじぎをしたりしていた。
舞彩亜が七海のもとに駆け寄ってきた。
「七海ちゃん!
すごい、すごいよかった!
すごかったよー!!」
そして七海に抱きついた。
涙を流していた。
「ちょ、舞彩亜ちゃん、なんであなたが泣く?
泣くべきは、あたしやろが!」
「だって、めっちゃめちゃ感動したんやもーん!!」
七海は舞彩亜の頭を撫でると言った。
「舞彩亜ちゃんも、すっごくよかった!
なあ、あたしら、やってる音楽はちがうけど、おたがいに影響与え合っていい友だちになっていけると思わん?
これからもいっしょにがんばっていこうよ!」
舞彩亜は顔を上げて七海を見つめると、うなずいた。
「うん。
あたしもそう思う。
……この学校入って、軽音部に入ってよかった!
七海ちゃん、いっしょにがんばろう!」
みちる、唯花、一子も、そしてドラムセットから出てきていっしょに立った元も、七海と舞彩亜を見ながら笑顔でうなずいていた。
舞彩亜は会場の後方にいる工に手招きして叫んだ。
「工くーん!
なに、そんなうしろにおんの!
いっしょにこっち来てやー!
七海ちゃんたちを、いっしょに祝福しよう!」
みんなの様子をうしろで見守っていた工は、ふっ、と小さく笑いながら前に進み始めた。
心の中で、こうささやきながら。
舞彩亜さん、これからもがんばってほしい。
七海さんたちも……。
ぼくも、がんばるよ。
みんなそれぞれ、道が開けていくといいな……。


