普通に死ねない人生が一番苦しいんだ

 「不老不死になんてなりたくなかった。」
 そう思ったところで、もう遅い。老いず、死なない体に生まれてしまった僕は、他の人間と同じように死ぬことは許されないのだ。どうしてこの体になったのかわからない。ただ神のいたずらとしか言うことができないのだ。死にたくても死ねない人生。生きることへの希望なんてあるはずもない。苦しみを分かち合える友もいないのに、何故俺は生き続ければならないのか?その答えは、未だわからない。
 ながく続くこの命に、僕はもううんざりだ。家族を失っても生き続けねばならない辛さが、常につきまとう。一体いつまで、生きなければならないのだろう?一体いつ死ねるだろう?幸せな人生を何故崩さなければならないのだろう?

 江戸時代中期、高崎の城下町にある、絹問屋の息子として生まれた僕は、両親と弟と共に幸せな日々を送っていた。
 「こらこら、鶴之助(つるのすけ)、道の真ん中を走るのではありません。通行人の邪魔になってしまいます。」
 「はーい。」
 活気あふれる城下町の中で、普通の、無邪気な子供として育った。このまま幸せに生きて、幸せの中で死にゆく人生を歩んでいく……はずだった。この時の僕は、自分の身にこれから起こること、自分の体は他の人間とは異なることになんて、気づくはずもなかった。
 
 時が経ち、二十三歳となった僕は、若き絹問屋として、弟と共に働いていた。両親が亡くなり、その後を継いだのだ。
 古くから、ここ高崎の町、及び上野国(こうずけのくに)は、絹産業や養蚕が有名である。そのためか、次々と送られてくる生糸(きいと)を、数多くの仲問屋に卸す。これを毎日繰り返していた。
 「兄貴、ここの品物運ぶの手伝うよ。」
 「おぅ!ありがとよ!」
 弟がいてくれるだけで、どれほどありがたいか。両親亡き今、弟の存在が不可欠だ。

 「真(まこと)!休憩するぞ!」
 仕事が一段落した段階で、少し休むことにした。
 2人分の茶を淹れていると、建物の入り口から、小さな幼子の声が聞こえた。
 「父ちゃん!!!」
 振り返ると、そこには可愛い可愛い我が娘の姿があった。
 「おお!琴葉(ことは)!来てくれたんかぁ!」
 「すみませんねぇあなた。娘がどうしても父ちゃんの仕事場が見たいって聞かないもので。」
 そう話すのは、妻の和葉(かずは)だ。
 「ええよええよ。丁度休憩中だったしな。そや、今からみんなで飯でもどや!美味い蕎麦屋連れて行ったる!」
 「ええの?やったぁ!」
 「おいおい、ずるいぜ兄貴よぉ。俺も連れて行ってくれよ。」
 「お前は留守番な!」
 「なんでやぁ」
 「頼んだ!」
 「……はぁい」
 幸せだ。これほど幸せな人生があってよいのだろうか?まぁいい。一度きりの人生だ。中島鶴之助としての人生だ。この愛する家族と共に楽しく生きる他ないだろう。この時はそう思っていた。

 忙しい日々を過ごすうちに、気づけば四十歳になっていた。普通なら、弟みたいに髭はやしたおっさんにでもなっているのだが、僕の体は中々老いが来ないらしく、とても不思議でしかたなかった。それどころか、僕の体の成長は十四の頃に止まった。娘でさえ成人し、結婚したというのに、僕は未だ少年の姿のままなのだ。長く生きても六十くらいの時代、尚更おかしな話なのだ。
 雨上がりの町で、虹と共に残る水たまりに写る自分自身の姿を見るたびに、その疑問は深まるばかり。それは、家族も同じだった。
 ある日の休日の昼飯の時に、妻がふとこんなことを言った。
 「娘はとっくの昔に立派な大人になったというのに、あなたは何故少年の姿のままなのだろうねぇ。」
 「和葉、そう言われてもなぁ……僕にも理由はさっぱりわからん。でもな、この姿のままじゃあ、お客によく勘違いされて、そのせいで仕事がしにくいんよなぁ。何より、いつ老いが来るかわからん。だからこそ怖くてなぁ。」
 「もしかしたら、あの言い伝えは本当だったのかもしれませんなぁ。」
 ふと妻がそんなことを口にした。
 「言い伝えとは、どういうことだい?」
 「あら、あなた知らぬのかいな。」
 僕は首を縦に振る。
 「この町にはねぇ、百年に一度、生まれつき不老不死の子供が生まれるという言い伝えがあるわ。それも、決まって絹問屋の長男で、十四になると体の成長が止まり、男の場合、声変わりが来ないらしいのよ。」
 ちょっと待ってくれよ。今の僕の特徴そのままではないか。
 「で、でもよ、結局ただの言い伝えに過ぎないだろ?」
 「そうよ。本当だという確証は無い。だけどね、だとしたらあまりにあなたの状況とその言い伝えの内容が似すぎてはいないかい?」
 「確かにそうだが⋯…」
 「まあ、確証がないうちは、そっとしときましょ。」
 「そうだな。」
 この時の僕は、どうも妻が言う言い伝えが、ただの噂話とは思えなかった。いつものたわいない夫婦の食卓の中に、不穏な空気が流れていた。 あの話をしてから、更に二十年が経ったが、未だ姿は変わらない。もう年齢は立派なお爺さんなのに、少年の姿のまま。最早恐怖でしかなかった。

 ある日、休日であった僕は、家でひと休みしていた。
 「あなた!真さんが!真さんが⋯⋯」
 突然外出中だった妻が、そう叫びながら帰ってきた。
 「どうした和葉。ゆっくり、落ち着いて。一旦落ち着きなさい。」
 一度妻を落ち着かせる為に、居間に移動し茶を淹れて飲ませた。
しかし、僕は嫌な予感がした。帰って妻の表情、目、顔色、仕草、全てがいつもと違うし、何より、弟の名前を叫んでいたのだ。
 「一体何があったんだい?」
 「あのね……あなたの弟の奥さん、和枝さんにさっき会ってね……弟さんが、亡くなったって……」
 それを聞いた瞬間、頭が真っ白になった。信じられない。あいつは数年前に独立して、新しい絹問屋として、第二の人生を始めたばかりなのに……。
 「弟の家に行ってくる。」
 それだけ言って家を飛び出した。
 「あなた!!!」
 妻の静止を振り抜き、ただ弟の家へと走った。人通りの多い町の中を、ひたすら走った。弟がまだ行きていると信じて走った。
 だが、待っていた現実は残酷だった。弟の家に着いた瞬間に、それは嘘ではないとわかってしまうほどの風景が、目の前にあった。
 「真!!!!!」
 布団の中でやせ細り、お爺さんになった弟が、安らかな顔で眠りに着いていた……。その体は、誰が見ても死がわかるほどに冷たかった。
 今までの思い出が蘇る。両親を亡くしてからずっと二人で生きてきた。それぞれの家庭を持ってからも、時々飯を食いに行くくらい仲が良かった。真の存在は、人生において大きなものなんだ………
 膝から崩れ落ちる自分の体に、力は残っていない。弟の奥さん、子供は、ただ兄弟のいる暗い空間を、涙を流しながら見守ることしかできない。言葉もでない。ただそこにあるのは涙だけ⋯⋯。
 
 涙を流すだけ流した後、一度帰ることにした。城下町の中にある夕日は、まるで今の自分みたいだ。
 家に着いたが、誰もいないみたいに静かだった。妻はどこにいったのだろうか?
 「和葉?」
 枯れている声を絞って呼ぶが返事が無い。恐る恐る家に上がる。
 「かず、は?」
 台所に微かに影があった。少しずつ近づくも、反応が無い。そこにあったのは、台所で倒れている、妻の姿だった……
 「和葉!!!しっかりしろ!!!」
 体を起こそうと揺らすも反応が無い。それどころか、その体は酷く冷たかった、さっきの弟の体と同じように……。
 「早く!医者を?医者を呼ばねば!」
 そう言ってまた家を飛び出してしまった。夜闇の中、知り合いの医者の元へとまた走った、涙を流しながら。
 
 「残念ながら、奥さんはもう助からないでしょう。」
 呼び出した医者から言われた言葉は、あまりに無情だった。
 「そんな馬鹿な、昼間まで元気だったんだ、助かるんじゃないのか!」
 思わず僕は医者の胸ぐらを掴んだ。
 「落ち着いてください!完全に体が冷たくなっているし、心臓の音がしない。呼吸も止まっている。こんな状態じゃあ、どんな医者だろうが治せるわけないです。」
 そういわれて、僕は一度落ち着きを取り戻した。
 「お母さん!!!」
 そういって入ってきたのは娘だ。
 「お母さん!嘘だ!嘘だ!!!」
 そういって娘は泣いた……夜闇の中に、娘の泣き声だけが、ただ響いた。
 僕はもう、ただ涙を流しながら、その場に座っていた。一日で、大切な人を二人も亡くした。あまりに突然すぎる別れを、すぐに受け入れられるわけもなく、深い悲しみだけがそこにある。それを嘲笑うかのように、夜闇を切り裂くような雷と共に、外では大粒の雨が降り出した。僕の少年のままの手は、涙で濡れていた……。

 あれからどれだけの年月が経ったであろうか。二人の死への悲しみから逃げるかのように、僕は独り酒に溺れていた。
 「お父さんもうお酒はやめて!体壊したらどうするの!」
 「うるさい!酒がなきゃなぁ、いられないんじゃ!」
 「……」
 このやりとり、何回目だろうな。
 「もういい。あんたは私のお父さんじゃない。」
 娘も、酒に逃げるだけの自分に疲れたのだろう。この日以降、縁を切られてしまった。
 絹問屋時代に貯金しまくったからか、金だけは死ぬほどあった。僕は働かないまま、酒を買っては飲んでを繰り返した。まるで現実から逃げるかのように。
 だが、それでも時間は待ってはくれない。気づけば百歳の誕生日になっていた。もう酒を飲む気力すら無く、ここのところ食べ物を口にしていなかった。流石に食欲が満たされないと、また現実に戻されしまうと考え、食べ物を買いに出かけることにした。
 その道中のことだ。橋を渡っている最中、川の中に人が浮いているのが見えた。近づいてみると、そこには既に事切れていたお婆さんの姿があった。
 「琴葉…⋯なのか?」
 何故だろうか、僕はすぐにわかった。このお婆さんは、実の娘だと。
 だが悲しみの感情は生まれなかった。酔いのせいなのか、それとも、長く生きた代償なのか。僕は人の死に対する悲しみどころか、人間としての感情すら失ってしまった。目の前で大切な人が死んでいるのに、ただでさえ娘には苦しい思いをさせたのに、父親失格としか言いようが無い。それなのに、涙を流すことも、悲しみに浸ることも、謝ることすらできないのだ。
 「どうしたら、俺はお前らの場所へいけるのだろうな。」
 琴葉の遺体を抱きかかえながら、僕はそう呟いた。そんなこと、叶うはずないのに。
 この時確信に変わったのだ、僕は不老不死の人間だということが。

 あれから僕の人生は狂ってしまった。死ぬことも老いることもできない僕は、しだいに周りの人から気味悪がれるようになった。結果、独りぼっちで生きるしかなくなった。
 感情が凍ったままお酒ばかりを飲む生活も、長くは続かなかった。時代は明治へと入り、今までの通貨が使えなくなってしまい、ついには家すら無くなった。かと言って死ぬことはできない。生きるしかない僕が高崎の町で生きるには、仕事を探すしかなかった。
 だが現実はいつも厳しいもので、長く生きすぎたせいで、中島鶴之助は死んだ人として扱われていた。役所で戸籍を作ろうにも、それのせいで信じてもらえず、仕事どころか、戸籍を作ることすら叶わなかった。
 「もう、どうせ死なないならいっか。」
 そう言って向かった先は群馬の南西にある山の中だ。山にこもれば人に気味悪がられることも無いので、丁度良かったのだ。どうせ死なないなら、食べる物も必要無いので、何もしなかった。そしてそのまま時がすぎていった。

 どれくらいの時が経っただろうか。ただ何もしない人生にすら、疲れを感じるようになった。ひたすら山の中を歩き回る。それにも限界があった。
 どうしようもなく歩いていると、川沿いに小さな集落を見つけた。そこには、僕が見たことない形式の建物が、ぽつりぽつりと並んでいた。
 「なんだこの建物は?」
 遠くから見えた景色に、久しぶりに好奇心が芽生えたように感じた。しかし、同時に怖さもあった。
 山の中に時々風で流れてきた新聞とやらで、どんな時代の流れなのかとか、現代の言葉は学んではいたが、いざ下へ下りた時に、また気味悪がられないか不安なのだ。
 しかし、久しぶりに感情が戻る兆候があるのだ。もしかしたら、また幸せな人生を歩めるかもしれない。どうせ死ねないのだ。なら精一杯幸せに生きてやる。
 暗闇の中に芽生えた一筋の光へと、僕は歩き出した。