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 百八段の長い階段の上にある神社。
 だから足が悪いお年寄りは登るのに一苦労で、クルクル回ったスリーブの道もあるけれどこちらは時間がかかってしまう。
「ありがとうねえ」
 だから百八段を息子さんにおんぶしてもらって登ってきた千尋おばあちゃんはとても申し訳なさそうだった。でもきょろきょろあたりを探している。
「千尋おばあちゃん」
 私が御台の上から手を振ると、ぱあっと笑顔で振り返してくれた。
「天狐様が浴衣を着てくれるって柊君から連絡来たのよ」
「今着替えてますよ」
 あの夜空に金魚が泳いでいるような派手な浴衣。
 あれを着て十七時に配信しながら街の人たちにファン登録をお願いすれば、その生配信中に皆の前に姿を現されるという計画だ。
 本当は百万人目指したいけど、目の前の計画としては町に姿が見えるようになるのが目標だから。
「楽しみねえ。でも皆にあの美しい天狐さまが見えないのはかわいそうねえ」
「ふふふふふ。大丈夫。皆に見てもらいましょう」
 えっへんと自信満々に言うけど、まだ私にも見えていない。
 今から見えるのが楽しみで仕方ないのは、私も一緒だ。
「おーい。焼きそば屋焦げ臭くないか」
「うちじゃねえぞ。イカ焼きじゃないか」
 屋台の周りを確認したけれど焦げ臭い原因は判明しなかったようだ。
 まあ熱いし人が多いから熱がこもったのかもしれない。
「咲良」
 放送内容を確認するために御台に設置された放送部で確認していると、大輝くん一矢くん、陽葵ちゃんたちが顔を出してくれた。
 三人は忙しくチラシを配ってくれていたから、私のさっきのお母さん発言は聞いていなかったらしい。
「もう十六時過ぎたから、配信の準備だろ?」
「この御台の上に守り神様が現れるんだよな。カメラはここでいいかな」
「私は妹たちとおじさんとおじいさんの二人を足止めするから、頑張ってね」
 千尋おばあちゃんも一時間だけと約束してやってきてくれている。
 皆、御台のまわりにぞろぞろ集まり出した。
『御六尾まつりの運営よりお知らせです。十七時より御台の上にこの町のゲストを招待いたしました。皆さま、どうぞお声掛けしながら集まりください』
 いよいよだ。
 座って待機しだした町の人たちへ中学生の協力者がチラシを配り、最後のファン登録をお願いする。
 ファン登録やコメントは本当に微々たる妖力の回復にしかならないんだろうけれど、それでも皆の協力のおかげで少しずつ回復しているのが私にだってわかる。
 だって尻尾の鈴の音が、わたしにも聞こえてきている。
 これで守り神様が皆の前に現れるようになって、お父さん達から配信の許可をもらって、そして守り神様が見えることが悪い事ではないって早苗おねえちゃんに伝える。
 私の意志を伝える。
 そうすればきっと傷ついた早苗お姉ちゃんも、また守り神様に歩みよれると思うんだ。
 御台から下の席を見下ろすと、百人近くの町の人たちが座っている。
 屋台の周りにもまだ人がいるし、階段をのぞってくる人たちもまだ耐えない。
 守り神様。
 今日が守り神様の復活の日だ。
 また町の皆といっぱい交流していっぱい笑って、そして貴方が守ったこの町をいっぱい知ってほしい。もっともっと知ってほしい。
 そのためにも、半ばだまし討ちではあるけれど皆に配信を見てもらうこのチャンスを、絶対に成功させたい。
 必ず、成功してほしかった。
「火事だ!」
 誰かの大声で皆が騒然とするまでは、ただただそれを願っていた。
 十六時五十四分
 人が集まった熱気と最高気温三十四度の中、夜に灯すはずの電灯か重なり合った互いの熱で発火した。
 ぶら下がっている電灯が、どんどん燃えていく。
「うわーん」
「きゃあっ」
 座っていた町の人たちも蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
 十六時五十五分。
 今にも崩れ落ちそうだったけれど踏ん張ってマイクを握った。
『運営の皆さま、境内の奥に池があります。バケツもおいてあります。今すぐ消化活動と消防に連絡をお願いします。避難はお子様、足の悪いご老人にお声掛けください。下の駐車場まで避難お願いします』
「咲良」
 榊くんが御台に上がってくる。
「榊くんも逃げて。消化はお父さんたちに任せよう」
「咲良もだよ。行くよ」
 また手を取ってくれた。
 私にも手を差し出してくれる。
 皆でお年寄りや小さな子を優先しながら階段を下りていくと、大きく鈴の音が聞えてきた。
 何度も何度も聞こえる鈴の音に、避難していた皆が振り返る。
「あ……榊くん」
 一番最初に気づいたのは、私だった。
「雨、だ」
 さっきまで三十四度の暑い日差しの空だったのに、急に雲が山に集中し出した。
 そして雨が弱く小さく降っていて、段々と大きく振り出した。
 すぐに火は消えて、皆が木の下や屋根の下に移動する。
 短い雨が降り終わったとき、時刻は十七時。
 たった数分間の悪夢が終わった。

 ひらりひらりと御台の上に落ちてきたのは、夜を泳ぐ金魚が描かれた浴衣。
そして綺麗な虹がかかっていた。
「まっ守り神様っ」
 御台にぽとんと浴衣が落ちると、鈴の音がやんだ。
「どこ! 榊くん、守り神様はどこ?」
「……守り神様は天候を操ってこの町を守ってくれてたんだよな。でも今日の守り神さまにはそんな大きな力を使えるほど回復なんてしていなかったよ」
「そんなこときいているんじゃないよ。どこにいるの?」
 榊くんの手を掴むと、彼は苦し気に首を振った。
「俺にはもう……見えない。どこにも気配を感じないよ」
「なんで?」
「柊さんか君みたいに何百年も関わっている所縁の人の方が分かるんじゃないか」
 私は見えない。榊くんの溢れる妖力のおこぼれで一時的に見えるようになっただけなのに。
「おい、絢人、咲良、大変だ。配信が始まってる」
 十七時に配信予定だったせいで、配信が開始されていた。
 急いで榊くんが配信を閉じようとしても、うまく閉じることができない。
 配信画面には守り神様が着るだずだった浴衣が落ちている。
「天狐様っ」
 その配信画面を見て叫んだのは千尋おばあちゃんだった。
「どこ? 十七時に現れるって言ったわよね。天狐様」
気配が感じられない守り神様と、火事を消すように数分だけ降った弱弱しい雨。
綺麗な虹と浴衣が映る画面の中、一矢くんと大輝くんも足元から崩れ落ちた。
もう、本当にいないの。そんなの嫌だよ。
「おい、特別ゲストってなんだ」
「もうお知らせがないなら、お祭りは終わらせて各自解散させよう」
「けが人がいないか確認するぞ」
 ざわざわと皆が御台から離れていく。
 放送係の私が、皆を誘導しなきゃいけないのに。
 もう声が出ない。守り神様を探したい。皆を安全に解散させたい。守り神さまの力を回復させるために皆にファン登録をお願いしたい。でももう守り神様は力を使いすぎて皆の前に現れない。でも今、力をもらわなきゃ守り神様が本当に消えてしまいそう。でもでもでも! 火事なんて起こったんだから今は皆の安全の方が優先だ。
 分かっている。本当は何を一番優先しなければいけないか分かっている。
 でも諦められない。でも悲しい。
 だからうまく言葉が出てこなかった。

 カンカンと御台の上に登ってくる音。
 きっと町内会の大人たちだ。お父さんやおじいちゃんかもしれない。
 配信が止められず焦っていた榊くんたちもその足音に絶望していた。
「マイクを貸して」
「え、なんで……」
 でも現れたのは、お父さんでもお爺ちゃんでもない。
 お兄ちゃんでも町内会の人でもなかった。
 ただ涙を拭いて、無表情の早苗お姉ちゃんがそこに立っていた。
「早苗お姉ちゃん! 守り神様が」
「見えてたよ。だからマイクを借りていい?」
 頭をなでてくれた早苗お姉ちゃんは私に優しく笑ってくれた。
 そしてマイクを持つと、そのまま御台に落ちていた浴衣を手にとってそして口を開いた。
『たった今、火事は消しました。古い提灯に熱がこもったための火災だったようで、根元の電源を消しております。なので復旧するまでの数分間、その場でお待ちください』
 柔らかく優しい声。
 高校の放送部コンクールで優勝したといっていた実力は本当だ。早苗お姉ちゃんの声に騒いでいた皆が落ち着いて、御台の方へ集まってくる。
「特別ゲストって、都会に引っ越した六尾早苗ちゃんのことだったのか」
「確か読者モデルしたりちょくちょくテレビに出てるんだって」
「可愛い。大きくなったわねえ」
 皆の視線に、お姉ちゃんがにっこり笑う。
 それが愛想笑いというか皆の反応にこたえるような笑顔で、早苗お姉ちゃんが投稿していたあの動画たちみたいだった。
「数分だけ。復旧するまで。先ほどの雨は偶然でも奇跡でもありません。この町を守っている守り神様が弱っているにもかかわらず力を振り絞って雨を降らしてくださりました」
 その言葉に、会場が騒がしくなる。
「私たちが守り神様の存在を忘れて、感謝を伝えにこなかったせいでゆっくり守り神様は衰弱していっていましたが、優しくて無邪気でそして純粋な神様なので誰を非難することも起こることもしません。ただただ寂しそうにしています」
 言いながらお姉ちゃんの瞳に涙があふれると、頬を伝った。
「本当に守り神様はいるの。でも見えない人の方が増えたから、見える方がおかしいって笑われたの。でも、今あの人は自分の命が消えてもいいからと力を使った。お願い。こんこんを助けて。私の大事な友達なの。こんこんを助けて」
 泣き出したお姉ちゃんに、急いで御台に上がってきたお兄ちゃんが肩を支えた。
 お姉ちゃんはきっと小さな子供のころから守り神様が見えたんだ。
 だから守り神様の名前が『こんこん』って可愛い名前なんだね。
「あの、浄瑠璃神社公式からも言わせてください。本当に守り神様が助けてくれたんです。だから、騙されたと思って、さきほどチラシで紹介したサイトから配信を見てほしいです。それでファン登録とコメント送ってほしい。守り神様、頑張ってって」
 なぜ配信が止められなかったのかわからないけれど、電波塔は守り神さまの妖力が流れている。まだ配信がとまっていないとうことは守り神様は衰弱はしていてもきっとまだ聞伸びている。
 でもこのまままた長い長い眠りにつくなんて、嫌だった。
「守り神様の力は確かにこの町を守ってくれる大切な力なんですが、本人はもっと皆と仲良くおしゃべりしたり遊びたいんです。のんびりしてもらいたいので、どうか応援コメントをおくってほしい」
 私と早苗お姉ちゃんの言葉に、お兄ちゃんも野球部で鍛えた大声でお願いしますと叫んだ。
 そして怒ると思っていたお父さんとおじいちゃんも御台にやってくると、ただただ深く頭をさげたのだった。
 数分間。たった数分間だったけれど静寂が流れた。
 それを一番に振り払ってくれたのは千尋おばあちゃんだった。
『天狐さま。雨をありがとうございます』
『守り神様、虹が綺麗。ありがとう』
 ピロロンだったり、ポコンだったりと祭り会場のあちこちで通知音が鳴り出した。
 配信も同接がもう三千を超えていく。
 コメントは、早苗お姉ちゃんへの応援コメントが多かったけれど少しずつ少しずつ守り神さまへの応援コメントが増えていった。
「いっしょにあそぼーう」
 携帯を持っていない陽葵ちゃんの妹たちも大声で応援してくれた。
 配信画面をみるとどんどんファン登録と応援コメントが増えていった。
「ま、守り神さま! 私だって、私だけの名前を貴方につけたいよ!」
「白夜、お前はそんな弱くないだろ」
「俺もまだコントロールを学ばせてもらってないです!」
「俺たちも修行中なのに!」
 私たちが大声で叫ぶ。
 どこで聞いているか分からない守り神様に届いててほしくて叫ぶ。


 ふわり。
 ひらり。
 ふわふわ。

 淡く光る羽のようなものが配信に映った。
 ゆっくりと輪郭を帯び、私の目にも映る。
 御台を見ると沢山の火蝶が飛んでいた。
「あのね、虹が蝶になったよ」
 子供たちが騒ぐ中、確かに消えた虹の代わりにどんどん色とりどりの火蝶が増えていく。
「咲良」
「あ、うん。その子たちは火蝶っていうの。火に蝶と書いて火蝶です。色んな色の羽が光るの」
 私の説明に皆が綺麗だって反応してくれる。
 皆には見えているんだ。

 ちりん。

 その音に、早苗お姉ちゃんも私も涙があふれた。

 ちりん。ちりんちりん。
「……すまないな。心配させた」
 早苗おねえちゃんが握っていた浴衣を奪い取ると、上着のように肩にかけた。
 そして六尾の尻尾を揺らし、火蝶を使役するように周りに飛ばせながら鈴の音を鳴らし御台の真ん中に立った。
 美しくて綺麗なこの町の守り神が、今、皆の前に立った。
「力を使い過ぎた瞬間、妖力の溢れているあの童子の中に入り込んでおいた。気づかなかったろう。神の力が弱すぎて」
 豪快に守り神様が笑うけれど、早苗お姉ちゃんは抱き着いてわんわん泣き出した。
「すまんな。お前がまた傷ついたら僕はいやだぞ」
「構わないわ。貴方だけが傷つくよりましよ」
 私の憧れで可愛い早苗おねえちゃんと綺麗な神様が抱きしめあった瞬間、同接とファン登録がどんどん増えていった。
「あれが守り神さま……」
「うへえ。こんな時代に神様ってまじでいるんだ」
「ママー、あの蝶々、私もほしい」
 皆が神様を見て騒然としていたので、守り神様は早苗おねえちゃんをお姫様抱っこしたまま御台をおりていく。
 そしておじいちゃんやおばあちゃん達に屋台のご飯を買ってもらい、尻尾を触ったり引っ張る子供たちと笑い、チラシを配った中学生に感謝すると守り神さまは今までで一番幸せそうに笑ったのだった。