狐面の契り――婚約破棄から始まる、男装令嬢とあやかし学園の夜

 三日。
 灯が揺れながら示したその数字は、祈りではなく、現実の刃だった。
 朔弥が「三日で上塗りを剝がす」と告げたあの夜明けから、学院の空気は目に見えて変わった。皆が口を閉ざし、笑うときにも瞼の奥で数字を数えている。三、二、一――その残りを。

 午前、書記局の棟へ足を運んだ。廊下には、硯を磨く音が途切れず響いている。誰もが整然と、正しさを墨に落とし続けていた。
 その整いすぎた正しさこそが、狐面の言っていた「正しすぎる手」なのだと、胸の奥が冷えた。
 「更」
 背後から低く呼ばれて振り向くと、朔弥が面のまま立っていた。
 「お前はここで探るな。俺が見る」
 「でも、名を盗んだ手跡は、ここに残っている」
 「だからこそ、お前を近づけられない」
 彼の声は、いつもより硬かった。守ろうとする強さが、鋭さに変わっている。
 私はそれ以上、言葉を返せなかった。

 午後になると、学院の外から王都の兵が三十騎、門前に駐留した。
 鎧の音は、祭の喧噪よりも重い。灯の輪が彼らを避けるように縮む。
 「学院は王都の庇護を受けている」――そう言うのは形式上の言葉。実際には、庇護の影に監視の刃が潜んでいる。
 生徒たちの間に不安が広がり、笑いは影に吸い込まれて消えていった。

 夜。生徒会室に呼び出されると、そこには幹部たちが揃っていた。
 「学院は学院の牙を持つ」
 朔弥が静かに告げた。
 「三日の猶予で、牙を研ぎ、突き立てる準備をする」
 「牙……?」
 私は問い返した。
 「守るための牙だ。均衡に従うだけなら、学院はただの檻になる。檻ではなく、牙を示す」
 その言葉に、皆の目が一斉に強張った。だが否定する声はなかった。
 狐面の“観客”が望む舞台ではなく、学院自身の意志を示すための――牙。

 深夜。
 私は契り堂に戻った。上塗りの朱はまだ剝がれず、紙の下から血の匂いが細く滲み続けていた。
 指先で触れると、また囁きが戻ってくる。
 ――さらさ。
 今度は笑うような声色で。
 「笑うな」
 私は低く呟いた。
 「名は、奪わせない」
 そのとき、背後で紙がめくれる音がした。
 振り向くと、そこに立っていたのは――書記局の副局長。端正な顔立ち、教本の字そのものの筆跡を持つ男。
 「桂木更紗。君は――王都に行かねばならない」
 囁きと同じ冷たさが、彼の声に宿っていた。