夜番札は、今までにない静けさを帯びていた。
笠の裏で繊維が膨らんだり縮んだりするのは同じなのに、音が消えている。
「……拍が、鳴らない」
芽生が不安げに呟く。
白川が札を覗き込むと、朱がかすかに白く痩せていた。
「これは……沈黙の税を取られている」
沈黙の税。
それは、声を返すために、沈黙そのものを徴収する仕組み。
狐面が返済のために声を差し出してきたように、今度は沈黙が街から徴収される。
「静けさが……吸われてる?」
えまが耳を塞ぎながら言った。
確かに、斎庭にいた全員の呼吸が、どこか物足りなく聞こえた。
ざわめきも笑い声も残っているのに、隙間の静けさがなくなっている。
それは、胸の皿を逆にきしませる感覚だった。
狐面が影から現れた。
面の房が風に揺れるたび、白檀の香がふっと強まる。
声はまだ三割のまま。だが、今夜は沈黙の税を支払う番なのだろう。
「……困る」
そのひとことが出たあと、面の奥は再び沈黙に閉ざされた。
「狐……」
私が呼んでも、返事はなかった。
けれど、沈黙そのものが札の糸を震わせ、税として徴収されていくのが分かった。
「沈黙が……働いてる」
真朱が低く言う。
「沈黙を税にできるなら、街はもっと広がる」
達が棟の前に進み出た。
「……俺の沈黙も、置く」
そう言って、筆を取らず、ただ屋根の影の下で口を閉ざした。
えまも隣に立ち、小さく震える唇を結ぶ。
ふたりの沈黙が札に吸われ、棟の朱がじんわりと赤を取り戻していく。
「……礼→用→名」
私は囁く。
「沈黙も礼になる。……用は、街を守るため。名は――」
狐面の面の奥で、一瞬だけ声が震えた。
「……狐」
その一言で、札が確かに鳴った。
夜が更ける。
斎庭全体に、沈黙が薄く広がっていた。
人々は声を潜め、余計な言葉を交わさない。
けれど、その沈黙は重苦しいものではなく、街を支える梁のように感じられた。
「沈黙を税にするのは……切ない」
芽生が呟く。
「でも……切なさが働いてる」
白川がその言葉を受けて頷いた。
白布の下、更と朔弥は向かい合った。
狐面は面の奥で黙ったまま、ただ拍を落とす。
「……返す?」
私が問うと、面の奥で小さく首が振られる気配がした。
声は出ない。
けれど、沈黙が答えになっていた。
「返さない」
私が代わりに言うと、結び目が静かに鳴った。
「困る」
「困っていて」
「……毎日、困る」
声がなくても、やり取りは続く。
沈黙が税として徴収される夜、私たちの契りはむしろ強く編まれていった。
切なさは沈黙に拍を与え、街を静かに支えた。
(つづく)
笠の裏で繊維が膨らんだり縮んだりするのは同じなのに、音が消えている。
「……拍が、鳴らない」
芽生が不安げに呟く。
白川が札を覗き込むと、朱がかすかに白く痩せていた。
「これは……沈黙の税を取られている」
沈黙の税。
それは、声を返すために、沈黙そのものを徴収する仕組み。
狐面が返済のために声を差し出してきたように、今度は沈黙が街から徴収される。
「静けさが……吸われてる?」
えまが耳を塞ぎながら言った。
確かに、斎庭にいた全員の呼吸が、どこか物足りなく聞こえた。
ざわめきも笑い声も残っているのに、隙間の静けさがなくなっている。
それは、胸の皿を逆にきしませる感覚だった。
狐面が影から現れた。
面の房が風に揺れるたび、白檀の香がふっと強まる。
声はまだ三割のまま。だが、今夜は沈黙の税を支払う番なのだろう。
「……困る」
そのひとことが出たあと、面の奥は再び沈黙に閉ざされた。
「狐……」
私が呼んでも、返事はなかった。
けれど、沈黙そのものが札の糸を震わせ、税として徴収されていくのが分かった。
「沈黙が……働いてる」
真朱が低く言う。
「沈黙を税にできるなら、街はもっと広がる」
達が棟の前に進み出た。
「……俺の沈黙も、置く」
そう言って、筆を取らず、ただ屋根の影の下で口を閉ざした。
えまも隣に立ち、小さく震える唇を結ぶ。
ふたりの沈黙が札に吸われ、棟の朱がじんわりと赤を取り戻していく。
「……礼→用→名」
私は囁く。
「沈黙も礼になる。……用は、街を守るため。名は――」
狐面の面の奥で、一瞬だけ声が震えた。
「……狐」
その一言で、札が確かに鳴った。
夜が更ける。
斎庭全体に、沈黙が薄く広がっていた。
人々は声を潜め、余計な言葉を交わさない。
けれど、その沈黙は重苦しいものではなく、街を支える梁のように感じられた。
「沈黙を税にするのは……切ない」
芽生が呟く。
「でも……切なさが働いてる」
白川がその言葉を受けて頷いた。
白布の下、更と朔弥は向かい合った。
狐面は面の奥で黙ったまま、ただ拍を落とす。
「……返す?」
私が問うと、面の奥で小さく首が振られる気配がした。
声は出ない。
けれど、沈黙が答えになっていた。
「返さない」
私が代わりに言うと、結び目が静かに鳴った。
「困る」
「困っていて」
「……毎日、困る」
声がなくても、やり取りは続く。
沈黙が税として徴収される夜、私たちの契りはむしろ強く編まれていった。
切なさは沈黙に拍を与え、街を静かに支えた。
(つづく)



