こんな老耄に、客人なんて珍しい。あぁ、あの部屋のことですか。もう、私も長くないだろう。そろそろ、誰かに話す頃合いかもしれない。
『白蛇の間』が建っている場所は、もともと祠だった。白蛇を祀る小さな社でな。地元の人間は皆しってるよ。
……白蛇の祠は、もともと恐ろしいものじゃなかった。むしろ、人に幸せを運ぶものとして、大事にされておったよ。私が子どもの頃は、毎年夏になると小さなお祭りがあってね。巫女が舞を披露する。村の人たちが紙灯籠を手に集まり、女衆は団子や野菜を供えて、皆で祈ったんです。歌を歌い「豊作を」「家内安全を」と。祠の前は提灯の灯りでほんのり明るくて、子どもたちは浴衣で走り回り、大人たちは酒を酌み交わして笑っていました。白蛇は、福を呼ぶ存在だと、みんな信じていたんです。私も母に手を引かれて参った覚えがありますよ。

ところが、その祠は壊されてしまった。
宿が増築されることになったんです。観光地として客を呼ぶために、部屋数を増やす必要があると。祠を移すべきだ、残すべきだという声もありました。けれど結局、工事を請け負った地元の建設会社が、あっさり取り壊してしまった。反対していた人たちは、「祟りがある」と口にしましたが、表立っては誰も抗えなかったんです。町にとっては大きな仕事でしたからね。

それからというもの、妙なことが続きました。工事の関係者が事故に遭ったり、病で寝込んだり……。ただの偶然かもしれません。けれど、子どもの頃から祠を目にしてきた私には、胸の奥がざわつくのを感じました。やがて宿が完成し、祠のあった場所の上に一室が建った。それが、今『幸せを呼ぶ部屋』と呼ばれている──白蛇の間です。

最初に違和感を抱いたのは、やはり宿泊客の様子でした。あそこに泊まった人は、皆ひとり客ばかり。ご夫婦や家族連れを断ってまで、ひとりしか受け入れなかった。理由を問えば「あの部屋は、一人しか受け入れない」と女将に言われたんです。あぁ、先代の女将です。今はもうお亡くなりに。穏やかな人に見えて、目の奥に鋭い光を宿した方でした。

忘れられないのが、あの放火事件です。
十数年前だったでしょうか。東京から来た男性でした。背広を着て、普通の会社員に見えましたね。帳場で交わしたやり取りも、ごく当たり前のものでしたよ。観光で来ただけで、土地にも人にも縁のない人でした。
ところが、その人が宿を出て数日後、町が騒然となった。例の建設会社の倉庫が、夜中に燃え上がったんです。調べると、火を放ったのはあの宿泊客でした。警察に捕まったときも、怯えた様子で「気がついたら火をつけていた」としか言わなかったそうです。面識もない。恨みもない。何の関わりもない建設会社だったのに……。

私には、出立の朝の顔が忘れられません。
虚ろで、どこを見ているのか分からない。声をかけても反応は鈍く、まるで別の世界にいるようでした。今思えば、あのときすでに正気ではなかったのかもしれません。

さらに奇妙だったのは、その後です。男は留置所から、忽然と姿を消した。家族のもとにも戻らず、勤め先にも現れず、消息は今も分からないまま。警察は行方を追ったそうですが、痕跡は一つも見つからなかった。蒸発、というしかありません。事件そのものよりも、その「消え方」のほうが、町の人間に強い恐怖を残したように思います。

私は当時、あれを偶然と片付けることはできませんでした。
祠を壊したのがその建設会社であり、その建設会社が放火の標的になった。しかも、火をつけたのは土地に何の縁もない宿泊客だった。繋がりがないはずなのに、あまりに出来すぎている。

……先代の女将が一度だけ、私に言ったことがあります。
「この地で眠るものを、忘れさせてはならないのです」
あのときの声は震えていました。私には意味が分からなかった。けれど、あの人は何かを知っていた。そう思わざるを得ません。

あの部屋に泊まった人が幸せになるのか、不幸になるのか……私には分かりません。ただひとつ言えるのは、あの部屋をめぐって起きたことの数々が、今も私の胸に重くのしかかっている、ということです。