【8話】
『昼飯作りに来てくんね?』
由良から来たメッセージに、俺は冷蔵庫から焼きそばと野菜と豚の細切れを取り出すと、隣の家のインターホンを押した。
すぐにドアの開く音がして、顔を覗かせると、由良が「おう」と扉を大きく開いてくれた。
「おばさんは?」
「休日出勤」
「まさか、大会の事言ってないとか、ないよな?」
「言ったけど、まあしょうがねえだろ」
そう言いながらリビングへと先に引っ込むと、由良はテレビをつけた。
「試合は?」
「一時間後の十二時から。だから早めにメシ食いたくて」
「なんかドキドキするな~」
開会式は十時から始まっており、俺も同じ時間い起きて、由良から教えてもらった動画配信サイトからの中継を見ていた。
今はすごい。
司会進行役はアナウンサーだし、他にもコメンテーターとして、有名な動画配信者や芸能人を多数呼んで、一戦一戦を細かく解説していた。
今は由良の出ていないゲームの決勝トーナメント中らしく、すべてオンラインで完結している為、空き時間は自由行動のようだ。
「さっき動画見てたけど、目が回りそうだった」
「あー、お前はそうだろうなって思って見てた」
五人一組で銃撃戦を繰り広げるゲームだったが、色々なプレイヤーの画面が激しく展開される上、細かい動作が多く、ちかちかして眩暈が起こりそうだった。合わせてコメンテーターの声も大きくて、何がすごいのかも分からないまま、流されるように、すごい! と思う自分がいた。
「すごかった、何がすごいか分からないまますごかった……」
「なんだそれ」
キッチンに食材を広げて、まな板と包丁を借りると、俺はまず野菜を切り分けてから、フライパンに油を敷く。
「目玉焼き乗せる?」
「乗せる。半熟」
「はいはい」
細切れの肉を脂の上に落として焼きながら、俺はソファーで寛いでいる由良を、ちらりと見た。――多分、緊張しているのか、不安なのか。きっと落ち着かないのだろう。テレビのチャンネルをくるくると回し続けている。
「由良、ちょっと来てー」
「あ? なに?」
素直にソファからこちらに移動してくると、由良は俺の隣に立って首を傾げた。俺は彼を見上げると、一旦火を止めて、その身体を抱き締めた。
小学生くらいまでなら、俺の方が身長高かったのになあ、なんて思いながら、今はもうずいぶんと逞しく育ってしまった身体を抱き締める。
「大丈夫」
弱まっていく熱と肉の間で、小さく油の弾ける音が聞こえる。
「……あー、くっそ、なんかかっこ悪ぃ」
「そんなことないよ」
由良の両腕が俺の身体を抱き締める。
「自分のメンタル意外と弱くて、クッソ腹立つ」
「こういう時はきっと、誰だって緊張するよ」
「……指示一個間違えたり、タイミング悪いと一気に崩されるかもしんねーとか、色々考えちまう」
「うん」
「まあ、考えてもまだ始まってねえから、なんとも言えねえんだけど」
由良の背中を優しく撫でる。
「……なんか、お前にあやされるとか、ガキの頃みてえ」
「そうかもな」
小さい頃、由良は少し癇癪持ちなところもあった。今でもそうだが、自分の納得できないこについては、とことん相手を追い詰めてしまうようなところがある。でも、それ程言葉も達者ではなかった幼い頃は、思うことが言葉にできなくて、よく癇癪みたいに苛立ちを涙や物への八つ当たりで済ましている時があった。
そんな時、抱き締めて背中を撫でてやるのが、俺の役割でもあったのだ。
「なんかこうされると、落ち着く……でもなんかガキ臭くてムカついてくる……」
「なんでだよ。ムカつくなよ。落ち着け」
とんとん、と背中をあやすように撫でてやると、肩に由良の頭が凭れ掛かってくる。苛立ちなどの負の感情が抜けて、力んだ身体が弛緩するみたいに。
「いつもみたいに、強気で負かしておいでよ」
「おう」
由良の声に少しだけ、芯が戻ってきたような気がした。俺はほっとしながら彼のリクエストを作り終えると、ダイニングテーブルにそれを置く。試合まであと三十分だった。
「邪魔になるかもだから、俺は家に戻ってるね」
「さんきゅ」
玄関まで見送りに来てくれた由良を見上げると、以前と変わらない彼の真っ直ぐな双眸と、ぱちりと目が合った。俺は手を伸ばしてその頬に触れると、擦るように撫でた。
「がんばれ」
「わーってるよ。見てろ」
「うん!」
「あと」
頬を撫でる右手を取られると、くいっと引き寄せられ、唇を重ねる。下唇を優しく唇で食んで、軽く吸われると、ちゅっと音が鳴った。
「……終わったら聞かせて」
その言葉を頭の中で反芻する。そう言えば、俺はまだ由良に「好き」と声に出して伝えていないんだった。
「あ、俺」
「あとでいいから……、今は集中したいし」
「……うん、わかった」
俺は緩んだ由良の手からするりと抜け出すと、彼の家を後にした。
俺は由良に自分の気持ちを伝えないまま、三回もキスをしてしまっていたのか――と、思うと、自分がすごく不誠実な気がして、頭を抱えたくなった。
でも、由良は俺の気持ちに何となく気付いてるって言ってくれていたから、伝わっているはず。――でもやっぱり伝えていない事実は変わりはないのだから、伝えなければ。
俺は急いで家に帰ると、自室に籠り、スリープ状態だったパソコンを起動した。
明るくなったパソコンの画面には、激しい銃撃戦バトルが繰り広げられていた。多分由良が参加するゲームだ。
おそらくこれは、同じトーナメントの中の一回戦だ。もしかしたら、このどちらかが由良のチームと戦うのかもしれない――そう思うと、目が離せなくなってしまう。
早口で捲し立てる解説者の声と、小回りする画面に、思考と視線が追い付かない。
先に十三得点を先取した方が勝ち、というシンプルな内容なのはわかってるけれど、それ以外の事はあまり把握できていない。
ぼんやりと眺めていると、あっという間に試合は終了し、由良と同じく現役高校生だというチームが勝ち進んでいた。
目まぐるしい。
何度も瞬きしてから、目を擦り、次の対戦のチーム名を見れば「丸山キングダム」というダサい名前が画面に映し出された。
相手は英語らしい横文字でカッコいい分、この名前は浮いてしまう。俺は椅子に浅く腰を据えて、画面へと前のめりになった。
「丸山キングダムって、普通だけど強烈なチーム名ですね~」
お笑い芸人が笑いながら、由良のいるチーム名を口にする。
「どんな戦いを見せてくれるんでしょうね、メンバーは全員高校一年生のチームのようです」
「対する相手チームは、こちらも同じく現役高校生チームで、二年生と一年生のチームのようです」
ふっと画面がゲームへと移り変わり、画面の両端に、今回参加するメンバーの名前とともに、キャラクターが表示される。
『AIBA』
という名前を右側の一番上に見つけて、緊張が身体を固くさせる――始まるんだ。
「さあ、準備ができたようです。始まります」
興奮を抑えた、司会の声が鼓膜に響いた。
画面上で数字のカウントダウンが始まり、やがてゲームがスタートする。
六名の画面を切り替えながら、解説が入り、俺はその中で由良の動かしているキャラクターを探した。銃やサバイバルナイフを持ち変えながら、相手を攻撃し、なおかつ相手の陣地を取りに行き、崩落させる。
入り組んだマップの中を駆け抜けながら、キャラクターが物陰に隠れ、攻撃し、時には相手からの攻撃をカバーし合いながら、ゲームが進んでいく。
その中、不意に画面が由良のものに切り替わった。
「一人倒しましたね! ここから一気に敵陣地に向かいます! いやおっと、何かトラップがあるのか。ルートを変えるようですね」
「すごい、ここでこれに気付くんですね!」
由良が褒められているのが嬉しくて、こちらまでにやけてしまいそうになる。
丸山君や井上君の画面も映し出されながら、試合は息つく暇もなく、連続で十三試合行われた。
相手側もシードを昇り詰めてきたということもあり、得点数は拮抗しながら、大きく相手を離す事も離される事もなく、試合は後半戦へと続いて行く。
十一対十の時。
一得点リードしている由良のチームが、その後相手側のチームを三人とも戦闘不能状態まで押し込み、駆け抜けるように二連続得点を手にした。
思わず椅子から飛び上がると、拍手しながら由良の部屋の窓を見た。するとそこには、由良がいて、ピースサインをこちらに向けていた。
俺も同じようにピースサインを向けた。
由良はそれに嬉しそうに笑うと、すぐに部屋の中へと引っ込んでしまう。
「いや! 最後の追い込みすごかったですね!」
「丸山キングダム、チームの連携も良いですね。このゲームの趣旨をすごく理解しているっていうか」
「わかります~! すごい青春な戦い方!」
アイドルらしい女の子が、胸の前で手を握りながら、すごいですよね~と、可愛らしい声で称賛する。
俺はベッドの上に身体を預けるように飛び込むと、天井を見上げながら深く息を吐き出した。
良かった。
まだ試合あるけど、とりあえずは一戦勝てたんだ。
じわじわと湧いてくる勝利を実感して、自分の事のように、嬉しくなってくる。
それから由良のチームは一戦休み、そして再び一戦が始まると、由良のチームは好調なチームプレイを見せて、もう一つ勝利の駒を進めた。
窓越しの由良は、ひらりと手を振るだけで、特に大きなリアクションはしなかった。きっと理性的でいる為に、わざとそうしているのかもしれない。
二戦休んだ後、今度は三位決定戦となる試合の知らせが入った。
今回の試合は、本来敗者復活戦となる、ダブルイリミネーション形式ではないので、これに負けてしまえば終わりとなるが――それでも全国ベスト4以内となる。
俺はそろりと椅子に座り直し、じっと画面を見つめた。
今度はどんな相手なのだろう。
ドキドキしながら解説者やコメンテーター、司会者の話しに耳を傾ける。
今回の大会は、アンダー18と言うこともあり、18歳以下なら誰でも参加が可能な大会のようだ。
「このチームにはもうプロとして活動されている方がいるようですね」
司会者は二人の名前を挙げて、感心したように呟く。
「それでもなんか、丸山キングダムには頑張って欲しいですよね」
「チーム名、なんか気に入っちゃいました」
お道化る芸人に撮影会場となっている現場が、笑いに包まれていていた。でも、俺は笑えない。
緊張して心臓が痛い。
「そろそろ始まります」
一瞬しん、と音が消えて、画面がゲームへと切り替わった。
画面に大きくカウントダウンが刻まれ、それがゼロになると、一斉に画面の中が動き始めた。
「さあ、さっそく動きがありますね!」
右上に表示されているフィールドの地図には、恐らく味方三人の現在地が標されている。
「おっと、攻撃が始まり……、ここはいけるか?」
銃撃戦の音が画面から響き、視線が由良の見ている画面に切り替わる。物陰に赤い人物の影が映っており、それに向けて、由良のキャラクターが射撃する。大きな炸裂音。障害物に隠れ、やり過ごしながら、入り組んだ道を探る。
「これで前に進めるか、おっと違う場所で動きがあったようですね」
場面が切り替わると同時に、画面がじんわりと赤く染まり、脱落を意味する表示が出てくる。名前はマルヤマと書かれていた。
どうやら、やられてしまったようだ。
俺は頭の中で、あのぽてぽてとした愛らしい後姿を思い浮かべる。
「ここから巻き返せるか」
そう意気込んだ司会者の言葉も虚しく、先手一勝は五分と持たず、取られてしまった。
一対三、三対六。
得点差が開いて行く。
しかし、追い上げるように由良のチームが二勝連続を掴むと、勝負十対十一まで、距離は縮まった。
コメントの熱も籠り始めて、俺も手をぎゅっと握りながら、瞬きもできないくらいに、画面をじっと見つめ息を飲んだ。
あと一点。もう一点、と願いながら、目の前で容赦なく繰り広げられる戦いを見つめた。
銃弾の音、ナイフが空気を斬る音、爆弾の大きな破裂音。人の興奮した嬌声。
その中で掴み取る一点一点に、胸が震えた。
もう少し、あとちょっと。
得点を追いかけないまま、前のめりになって画面に噛り付く。
「試合終了―!」
その声にはっとなり、画面から身体を離すと、
「丸山キングダム、惜しくもここで敗退!」
「いやぁ、熱い! 熱い試合でしたねー!」
「俺やってるわけじゃないのに、すっげえ汗かいた!」
「心臓ばっくばくでした!」
画面の中で拍手が沸き起こる。
――十一対十三。
俺は画面に残った得点を見つめた。
椅子から滑り落ちるようにして、床に座り込むと、俺は長い息を吐く。――終わった。
はっと顔を上げて、俺は由良の部屋の窓を見た。しかし、そこに彼はいなかった。俺はいつの間にか握っていたスマホをベッドに置いて、自身もそこに倒れ込む。
くやしい。
すごく頑張って、楽しいそうだったのに。
ここまで戦えたことはもちろんすごいけど、でも由良ならもっとずっと高い場所まで行けるって信じていた。
……大丈夫かな。
すぐにでも話しかけたい気持ちが湧き上がってくるけれど、なんとなくそれができなくて、俺はスマホから手を遠退ける。
今どんな気持ちでいるのか。
はっきりと分かるわけではないけれど、由良には一緒に頑張ってきたチームメイトがいる。俺はその間に割って入るわけにはいかないし、その邪魔もしたくない。
――待っていよう。
俺はじっと天井を見つめてから、ゆっくりと目を閉じた。
『終わったー』
点けっぱなしだた配信の中で、閉会式が終わると、それと同時に由良からメッセージが飛んできた。
結局、由良の参加したゲームで優勝したのは、由良が最後に戦ったチームだった。
俺は『今から行っていい?』と念のために送ると、
『来て欲しい』
と返事が来た。
俺は急いで部屋を出ると、階段を駆け下り、玄関を出て隣へと急ぐ。玄関のチャイムを鳴らそうとしたところで、前触れもなくドアが開いた。
「お、はえーな」
いつもの調子で由良が現れた。
「お疲れ様」
「あー、うん、四位とかマジで中途半端過ぎて腹立つ順位だけどな」
忌々しいとばかりに、由良は舌打ちをした。俺は家の中へと身体を滑り込ませる。ぱたりと背後でドアが閉まり、
「あー……マッジで悔しい」
吐き捨てるように由良が呟いた。
苛立たし気な口調に、まだ気持ちが落ち着いてないのかと彼の背中を見つめる。きっとずっと練習に長く時間を費やしてきたのだ、そう簡単に折り合いはつかないかもしれない。
「俺の予定としては、優勝してもっかいお前に告白するつもりだったのに」
振り返った由良は、唇を不満気に曲げて、欲しかったものを買ってもらえなかった子供みたいな目で俺を見つめてくる。
「くっそダセェ……嫌になる」
拗ねたような声音に、俺は思わず笑ってしまった。
「来年、また頑張ればいいじゃん!」
「それはそれでやるけどさあ。俺は優勝して、もっかい堂々とお前に告白するつもりだったんだよ」
「じゃあ、俺が堂々と言ってやる!」
そう宣言すると、由良はきょとりと俺を見つめてくる。
弱っている彼も、自信に満ちた彼も、全部ひっくるめて俺は――、
「俺は由良が大好き!」
自分の気持ちを全て込めるみたいに、思いを全部声に乗せて、由良にぶつけた。
彼は驚いたように目を丸くしてから、ゆっくりと破願し、笑った。いきなり大きな声で告白したのが可笑しかったのが、由良はずっと笑ってる。
「なあ、ちゃんと言った!」
「わかってっけど、……お前、そんな告白の仕方あるかよ、ガキかよ!」
そう言いながら、由良の腕が俺を抱き寄せる。俺も由良の身体を、今までで一番強く抱き締めた。
「礼には敵わねぇな」
「年上だしね」
得意気に言ってやると、由良がまた笑った。こめかみに、甘えるようにして由良が頭を擦り付けてくる。
「俺も礼が好きだ、すげー好き」
「うん、知ってるよ」
俺は由良の頬にキスをした。
『昼飯作りに来てくんね?』
由良から来たメッセージに、俺は冷蔵庫から焼きそばと野菜と豚の細切れを取り出すと、隣の家のインターホンを押した。
すぐにドアの開く音がして、顔を覗かせると、由良が「おう」と扉を大きく開いてくれた。
「おばさんは?」
「休日出勤」
「まさか、大会の事言ってないとか、ないよな?」
「言ったけど、まあしょうがねえだろ」
そう言いながらリビングへと先に引っ込むと、由良はテレビをつけた。
「試合は?」
「一時間後の十二時から。だから早めにメシ食いたくて」
「なんかドキドキするな~」
開会式は十時から始まっており、俺も同じ時間い起きて、由良から教えてもらった動画配信サイトからの中継を見ていた。
今はすごい。
司会進行役はアナウンサーだし、他にもコメンテーターとして、有名な動画配信者や芸能人を多数呼んで、一戦一戦を細かく解説していた。
今は由良の出ていないゲームの決勝トーナメント中らしく、すべてオンラインで完結している為、空き時間は自由行動のようだ。
「さっき動画見てたけど、目が回りそうだった」
「あー、お前はそうだろうなって思って見てた」
五人一組で銃撃戦を繰り広げるゲームだったが、色々なプレイヤーの画面が激しく展開される上、細かい動作が多く、ちかちかして眩暈が起こりそうだった。合わせてコメンテーターの声も大きくて、何がすごいのかも分からないまま、流されるように、すごい! と思う自分がいた。
「すごかった、何がすごいか分からないまますごかった……」
「なんだそれ」
キッチンに食材を広げて、まな板と包丁を借りると、俺はまず野菜を切り分けてから、フライパンに油を敷く。
「目玉焼き乗せる?」
「乗せる。半熟」
「はいはい」
細切れの肉を脂の上に落として焼きながら、俺はソファーで寛いでいる由良を、ちらりと見た。――多分、緊張しているのか、不安なのか。きっと落ち着かないのだろう。テレビのチャンネルをくるくると回し続けている。
「由良、ちょっと来てー」
「あ? なに?」
素直にソファからこちらに移動してくると、由良は俺の隣に立って首を傾げた。俺は彼を見上げると、一旦火を止めて、その身体を抱き締めた。
小学生くらいまでなら、俺の方が身長高かったのになあ、なんて思いながら、今はもうずいぶんと逞しく育ってしまった身体を抱き締める。
「大丈夫」
弱まっていく熱と肉の間で、小さく油の弾ける音が聞こえる。
「……あー、くっそ、なんかかっこ悪ぃ」
「そんなことないよ」
由良の両腕が俺の身体を抱き締める。
「自分のメンタル意外と弱くて、クッソ腹立つ」
「こういう時はきっと、誰だって緊張するよ」
「……指示一個間違えたり、タイミング悪いと一気に崩されるかもしんねーとか、色々考えちまう」
「うん」
「まあ、考えてもまだ始まってねえから、なんとも言えねえんだけど」
由良の背中を優しく撫でる。
「……なんか、お前にあやされるとか、ガキの頃みてえ」
「そうかもな」
小さい頃、由良は少し癇癪持ちなところもあった。今でもそうだが、自分の納得できないこについては、とことん相手を追い詰めてしまうようなところがある。でも、それ程言葉も達者ではなかった幼い頃は、思うことが言葉にできなくて、よく癇癪みたいに苛立ちを涙や物への八つ当たりで済ましている時があった。
そんな時、抱き締めて背中を撫でてやるのが、俺の役割でもあったのだ。
「なんかこうされると、落ち着く……でもなんかガキ臭くてムカついてくる……」
「なんでだよ。ムカつくなよ。落ち着け」
とんとん、と背中をあやすように撫でてやると、肩に由良の頭が凭れ掛かってくる。苛立ちなどの負の感情が抜けて、力んだ身体が弛緩するみたいに。
「いつもみたいに、強気で負かしておいでよ」
「おう」
由良の声に少しだけ、芯が戻ってきたような気がした。俺はほっとしながら彼のリクエストを作り終えると、ダイニングテーブルにそれを置く。試合まであと三十分だった。
「邪魔になるかもだから、俺は家に戻ってるね」
「さんきゅ」
玄関まで見送りに来てくれた由良を見上げると、以前と変わらない彼の真っ直ぐな双眸と、ぱちりと目が合った。俺は手を伸ばしてその頬に触れると、擦るように撫でた。
「がんばれ」
「わーってるよ。見てろ」
「うん!」
「あと」
頬を撫でる右手を取られると、くいっと引き寄せられ、唇を重ねる。下唇を優しく唇で食んで、軽く吸われると、ちゅっと音が鳴った。
「……終わったら聞かせて」
その言葉を頭の中で反芻する。そう言えば、俺はまだ由良に「好き」と声に出して伝えていないんだった。
「あ、俺」
「あとでいいから……、今は集中したいし」
「……うん、わかった」
俺は緩んだ由良の手からするりと抜け出すと、彼の家を後にした。
俺は由良に自分の気持ちを伝えないまま、三回もキスをしてしまっていたのか――と、思うと、自分がすごく不誠実な気がして、頭を抱えたくなった。
でも、由良は俺の気持ちに何となく気付いてるって言ってくれていたから、伝わっているはず。――でもやっぱり伝えていない事実は変わりはないのだから、伝えなければ。
俺は急いで家に帰ると、自室に籠り、スリープ状態だったパソコンを起動した。
明るくなったパソコンの画面には、激しい銃撃戦バトルが繰り広げられていた。多分由良が参加するゲームだ。
おそらくこれは、同じトーナメントの中の一回戦だ。もしかしたら、このどちらかが由良のチームと戦うのかもしれない――そう思うと、目が離せなくなってしまう。
早口で捲し立てる解説者の声と、小回りする画面に、思考と視線が追い付かない。
先に十三得点を先取した方が勝ち、というシンプルな内容なのはわかってるけれど、それ以外の事はあまり把握できていない。
ぼんやりと眺めていると、あっという間に試合は終了し、由良と同じく現役高校生だというチームが勝ち進んでいた。
目まぐるしい。
何度も瞬きしてから、目を擦り、次の対戦のチーム名を見れば「丸山キングダム」というダサい名前が画面に映し出された。
相手は英語らしい横文字でカッコいい分、この名前は浮いてしまう。俺は椅子に浅く腰を据えて、画面へと前のめりになった。
「丸山キングダムって、普通だけど強烈なチーム名ですね~」
お笑い芸人が笑いながら、由良のいるチーム名を口にする。
「どんな戦いを見せてくれるんでしょうね、メンバーは全員高校一年生のチームのようです」
「対する相手チームは、こちらも同じく現役高校生チームで、二年生と一年生のチームのようです」
ふっと画面がゲームへと移り変わり、画面の両端に、今回参加するメンバーの名前とともに、キャラクターが表示される。
『AIBA』
という名前を右側の一番上に見つけて、緊張が身体を固くさせる――始まるんだ。
「さあ、準備ができたようです。始まります」
興奮を抑えた、司会の声が鼓膜に響いた。
画面上で数字のカウントダウンが始まり、やがてゲームがスタートする。
六名の画面を切り替えながら、解説が入り、俺はその中で由良の動かしているキャラクターを探した。銃やサバイバルナイフを持ち変えながら、相手を攻撃し、なおかつ相手の陣地を取りに行き、崩落させる。
入り組んだマップの中を駆け抜けながら、キャラクターが物陰に隠れ、攻撃し、時には相手からの攻撃をカバーし合いながら、ゲームが進んでいく。
その中、不意に画面が由良のものに切り替わった。
「一人倒しましたね! ここから一気に敵陣地に向かいます! いやおっと、何かトラップがあるのか。ルートを変えるようですね」
「すごい、ここでこれに気付くんですね!」
由良が褒められているのが嬉しくて、こちらまでにやけてしまいそうになる。
丸山君や井上君の画面も映し出されながら、試合は息つく暇もなく、連続で十三試合行われた。
相手側もシードを昇り詰めてきたということもあり、得点数は拮抗しながら、大きく相手を離す事も離される事もなく、試合は後半戦へと続いて行く。
十一対十の時。
一得点リードしている由良のチームが、その後相手側のチームを三人とも戦闘不能状態まで押し込み、駆け抜けるように二連続得点を手にした。
思わず椅子から飛び上がると、拍手しながら由良の部屋の窓を見た。するとそこには、由良がいて、ピースサインをこちらに向けていた。
俺も同じようにピースサインを向けた。
由良はそれに嬉しそうに笑うと、すぐに部屋の中へと引っ込んでしまう。
「いや! 最後の追い込みすごかったですね!」
「丸山キングダム、チームの連携も良いですね。このゲームの趣旨をすごく理解しているっていうか」
「わかります~! すごい青春な戦い方!」
アイドルらしい女の子が、胸の前で手を握りながら、すごいですよね~と、可愛らしい声で称賛する。
俺はベッドの上に身体を預けるように飛び込むと、天井を見上げながら深く息を吐き出した。
良かった。
まだ試合あるけど、とりあえずは一戦勝てたんだ。
じわじわと湧いてくる勝利を実感して、自分の事のように、嬉しくなってくる。
それから由良のチームは一戦休み、そして再び一戦が始まると、由良のチームは好調なチームプレイを見せて、もう一つ勝利の駒を進めた。
窓越しの由良は、ひらりと手を振るだけで、特に大きなリアクションはしなかった。きっと理性的でいる為に、わざとそうしているのかもしれない。
二戦休んだ後、今度は三位決定戦となる試合の知らせが入った。
今回の試合は、本来敗者復活戦となる、ダブルイリミネーション形式ではないので、これに負けてしまえば終わりとなるが――それでも全国ベスト4以内となる。
俺はそろりと椅子に座り直し、じっと画面を見つめた。
今度はどんな相手なのだろう。
ドキドキしながら解説者やコメンテーター、司会者の話しに耳を傾ける。
今回の大会は、アンダー18と言うこともあり、18歳以下なら誰でも参加が可能な大会のようだ。
「このチームにはもうプロとして活動されている方がいるようですね」
司会者は二人の名前を挙げて、感心したように呟く。
「それでもなんか、丸山キングダムには頑張って欲しいですよね」
「チーム名、なんか気に入っちゃいました」
お道化る芸人に撮影会場となっている現場が、笑いに包まれていていた。でも、俺は笑えない。
緊張して心臓が痛い。
「そろそろ始まります」
一瞬しん、と音が消えて、画面がゲームへと切り替わった。
画面に大きくカウントダウンが刻まれ、それがゼロになると、一斉に画面の中が動き始めた。
「さあ、さっそく動きがありますね!」
右上に表示されているフィールドの地図には、恐らく味方三人の現在地が標されている。
「おっと、攻撃が始まり……、ここはいけるか?」
銃撃戦の音が画面から響き、視線が由良の見ている画面に切り替わる。物陰に赤い人物の影が映っており、それに向けて、由良のキャラクターが射撃する。大きな炸裂音。障害物に隠れ、やり過ごしながら、入り組んだ道を探る。
「これで前に進めるか、おっと違う場所で動きがあったようですね」
場面が切り替わると同時に、画面がじんわりと赤く染まり、脱落を意味する表示が出てくる。名前はマルヤマと書かれていた。
どうやら、やられてしまったようだ。
俺は頭の中で、あのぽてぽてとした愛らしい後姿を思い浮かべる。
「ここから巻き返せるか」
そう意気込んだ司会者の言葉も虚しく、先手一勝は五分と持たず、取られてしまった。
一対三、三対六。
得点差が開いて行く。
しかし、追い上げるように由良のチームが二勝連続を掴むと、勝負十対十一まで、距離は縮まった。
コメントの熱も籠り始めて、俺も手をぎゅっと握りながら、瞬きもできないくらいに、画面をじっと見つめ息を飲んだ。
あと一点。もう一点、と願いながら、目の前で容赦なく繰り広げられる戦いを見つめた。
銃弾の音、ナイフが空気を斬る音、爆弾の大きな破裂音。人の興奮した嬌声。
その中で掴み取る一点一点に、胸が震えた。
もう少し、あとちょっと。
得点を追いかけないまま、前のめりになって画面に噛り付く。
「試合終了―!」
その声にはっとなり、画面から身体を離すと、
「丸山キングダム、惜しくもここで敗退!」
「いやぁ、熱い! 熱い試合でしたねー!」
「俺やってるわけじゃないのに、すっげえ汗かいた!」
「心臓ばっくばくでした!」
画面の中で拍手が沸き起こる。
――十一対十三。
俺は画面に残った得点を見つめた。
椅子から滑り落ちるようにして、床に座り込むと、俺は長い息を吐く。――終わった。
はっと顔を上げて、俺は由良の部屋の窓を見た。しかし、そこに彼はいなかった。俺はいつの間にか握っていたスマホをベッドに置いて、自身もそこに倒れ込む。
くやしい。
すごく頑張って、楽しいそうだったのに。
ここまで戦えたことはもちろんすごいけど、でも由良ならもっとずっと高い場所まで行けるって信じていた。
……大丈夫かな。
すぐにでも話しかけたい気持ちが湧き上がってくるけれど、なんとなくそれができなくて、俺はスマホから手を遠退ける。
今どんな気持ちでいるのか。
はっきりと分かるわけではないけれど、由良には一緒に頑張ってきたチームメイトがいる。俺はその間に割って入るわけにはいかないし、その邪魔もしたくない。
――待っていよう。
俺はじっと天井を見つめてから、ゆっくりと目を閉じた。
『終わったー』
点けっぱなしだた配信の中で、閉会式が終わると、それと同時に由良からメッセージが飛んできた。
結局、由良の参加したゲームで優勝したのは、由良が最後に戦ったチームだった。
俺は『今から行っていい?』と念のために送ると、
『来て欲しい』
と返事が来た。
俺は急いで部屋を出ると、階段を駆け下り、玄関を出て隣へと急ぐ。玄関のチャイムを鳴らそうとしたところで、前触れもなくドアが開いた。
「お、はえーな」
いつもの調子で由良が現れた。
「お疲れ様」
「あー、うん、四位とかマジで中途半端過ぎて腹立つ順位だけどな」
忌々しいとばかりに、由良は舌打ちをした。俺は家の中へと身体を滑り込ませる。ぱたりと背後でドアが閉まり、
「あー……マッジで悔しい」
吐き捨てるように由良が呟いた。
苛立たし気な口調に、まだ気持ちが落ち着いてないのかと彼の背中を見つめる。きっとずっと練習に長く時間を費やしてきたのだ、そう簡単に折り合いはつかないかもしれない。
「俺の予定としては、優勝してもっかいお前に告白するつもりだったのに」
振り返った由良は、唇を不満気に曲げて、欲しかったものを買ってもらえなかった子供みたいな目で俺を見つめてくる。
「くっそダセェ……嫌になる」
拗ねたような声音に、俺は思わず笑ってしまった。
「来年、また頑張ればいいじゃん!」
「それはそれでやるけどさあ。俺は優勝して、もっかい堂々とお前に告白するつもりだったんだよ」
「じゃあ、俺が堂々と言ってやる!」
そう宣言すると、由良はきょとりと俺を見つめてくる。
弱っている彼も、自信に満ちた彼も、全部ひっくるめて俺は――、
「俺は由良が大好き!」
自分の気持ちを全て込めるみたいに、思いを全部声に乗せて、由良にぶつけた。
彼は驚いたように目を丸くしてから、ゆっくりと破願し、笑った。いきなり大きな声で告白したのが可笑しかったのが、由良はずっと笑ってる。
「なあ、ちゃんと言った!」
「わかってっけど、……お前、そんな告白の仕方あるかよ、ガキかよ!」
そう言いながら、由良の腕が俺を抱き寄せる。俺も由良の身体を、今までで一番強く抱き締めた。
「礼には敵わねぇな」
「年上だしね」
得意気に言ってやると、由良がまた笑った。こめかみに、甘えるようにして由良が頭を擦り付けてくる。
「俺も礼が好きだ、すげー好き」
「うん、知ってるよ」
俺は由良の頬にキスをした。



