【5話】
由良の事、好きになってもいいのかな。
そんな事を考えながら、俺は昼休みの時間を、相変わらず一人机に向き合いながら過ごす。
スマホを取り出して、昨日の夜に由良から送られたメッセージを再度呼び起こせば、昨夜の事がまざまざと蘇ってきて、何とも言えない気持ちに駆られてしまう。
優しくされたから、好きになってしまったのかもしれない。俺はそんな軽々しく人を好きになってしまう人間なのだろうか。
そんな自問自答と自責の念で、おにぎりに手も付けられない。
けれど、スマホに表示されている由良からのメッセージは何に代えがたいほど、俺の心を包むように温めてくれる。
嬉しい。
それが本音だ。
でも、その嬉しいは、まがい物かもしれない。自分の承認欲求の為だけに、そう思っているのではないだろうか。――そう思うと、由良と真正面から向き合ってない気がする。
「あー、うまく行かない!」
不意に思考を遮るような声が聞こえて、その方へと視線を向けると、いつも斜め前で固まっている女子三人組がいた。一人は頭を抱え、一人はスマホを覗き込み、もう一人は化粧ポーチを弄っている。
「ねえ、全然簡単じゃないんだけど!」
「えーでも、簡単そうにやってるよ?」
「慣れてるからじゃね?」
「じゃあ、誰でも簡単とか書くなよ! すっごいよれる」
文句を言いながらアイライナーを握り直し、鏡に再度向かい直す一人の眉間には、深い皺が刻まれている。
「もっかい最初っから流して!」
「あいよ」
「てか、諦めないの? もうメイク落としシート一枚しかないんだけど」
「最後最後!」
気合を入れ直すように、ふん、と鏡と動画を自身に向けて、アイライナーを握りしめる。
俺はそれをぼんやり眺めながら、昨日の由良の言葉を不意に思い出した。
――好きなもんを、フツーに好きって言うだけの事に、何の躊躇いがあんだよ。
「できそ?」
「今は話しかけないで~……!」
彼女達を眺めながら、心臓がとくとくと走り出そうとしている予感を感じる。俺は胸の中で蟠るものを転がしながら、それでも由良の言葉が離れなくて――手に持っていたおにぎりを置いて、ゆっくりと席を立つ。
――俺の好きを、別の人に伝えてみたらどうなるんだろう。
突然の欲求だけで身体が動いた。
「あ、あの……」
心臓がはちきれてしまいそうなくらい、緊張している。
ふっと六つの眼差しが俺を捉える。彼女たちは不思議そうな顔をしながら、俺の存在を凝視した。それはそうだろう、普段存在の主張もない異端児に、急に話し掛けられれば、誰だって驚く。
「そ、その動画、俺も見た事あって……、それコツがあるんだよ。やらせてもらってもいい?」
きもい――って言われるよな。
知らない女子ならまだしも、男子からそんな事言われたら、気持ち悪い以外の何者でもないよな。なんでこんなこと言っちゃったんだろう。
後悔ばかりが身体の中を、吹き荒らす。
「え、できンの?」
いつの間にか下がってしまっていた顔を上げると、アイライナーを手にしたままの、動画と向き合う彼女と目が合った。彼女の眼差しは蔑むようなものではなく、まるでなくしものをみつけた時みたいに、輝いていて。
ふわっと心が軽くなる。
「やってやって! 全然できないの!」
そう言いながら手に持っているアイライナーを向けられる。俺はペンシルジェルのそれを受け取り、彼女の隣の席の椅子を引くと、そこに座った。
素直に顔を向けてくれる、目を閉じた彼女の目尻を軽く引いて、
「ここ、伸ばしながら、当たりをまずつけるんだ」
彼女の目尻よりも少し上の辺りに、印の点を付ける。緊張で手汗で手が濡れてしまわない事を祈りながら、俺は覗き込んでくる二人にレクチャーした。
「目尻とこの点と、それからこの上瞼のところ。この三点を繋いで……」
「おお、なるほど」
俺の背後の肩越しに、感嘆が零れた。
「えー? できてる? 見たい!」
目を閉じながら、彼女は楽し気に声を弾ませた。目尻がはっきりと上がるように、隙間に色を入れて、意思の強そうなはっきりとして眼差しを作り上げる。
「それから、眼頭に切開ラインを入れて上げると、もっとかっこよくなるよ」
「え、やば。天才じゃん」
「え、ごめん。名前何?」
「あ、俺は安藤っていうんだけど」
「まじごめん、関わりないから覚えてなかったわ。安藤くんすごいじゃん!」
そう言いながら、豪快に肩を叩かれる。
喜んでもらえて素直に嬉しい。
俺は「どうかな?」と、目をぱっちりと開いた彼女に鏡を渡した。彼女は鏡の中を覗き込むと、目を丸くさせて、色々な角度から鏡の中の自分を確認する。
「え! ちょ、これマジでいい女感出てない?」
一頻り確認したところで、彼女がひと際大きな声を上げた。
「出てる。すっごい綺麗に入ってんじゃん!」
喜ぶ女の子の顔を見ると、ふっと胸の奥の固くなった部分が和らいで、解れていくのを感じた。
大丈夫なんだ、好きを好きって言っても。
当たり前じゃないと思っていた事が、すんななりと受け入れられたことに、胸の奥がぎゅっと詰まる。そして何よりも、嬉しい。喜んでもらえて。
「安藤くん、メイク好き?」
「うん、そうなんだ……、あんま人に言えないけど」
「えー! なんで? いいじゃんいいじゃん! てか、安藤くん可愛い顔してね?」
そう言いながら覗き込まれて、思わず身体を引っ込めると、一人二人と、迫るように顔を覗き込まれて、俺は息を詰めた。由良以外とこんな近い距離になることなんて、一度もなかったから、どうしていいか分からない。
「ほんとだ。ねー、ちょっとまだ聞きたい事あんだけど、こっちで一緒に食べよーよ」
「あ、え……いいの?」
「良いに決まってんじゃん!」
三人の表情を伺うと、その目に不穏な色はなくて、心の底からやっとほっとできる。俺はその誘いに頷いて、二つのおにぎりを手に席を移動した。
俺にこんな日が訪れるなんて、思いもしなかった。こんなふうに誰かと好きなことを話せる日が来るなんて、思いもしなかった。
「いつからメイクやってんの? 学校にはしてこないの?」
「やり始めたのは去年かな、学校にはしてこないよ。男子の制服には合わないかなって」
「えー? そう?」
「とりあず今のところは」
「てか、おにぎりに二個で足りる?」
「小食過ぎね?」
彼女たちのポンポンと飛び出してくる声に、俺はわずかに圧倒されながらも、自然と笑っている自分がいるのを発見する。――なんだ、笑えるじゃん。
呆気に取られる程、簡単に笑っている自分がいて、ふっと腹の力が抜けるのを感じた。
「礼」
不意に聞き慣れた声に呼ばれて、顔を上げると、
「一年のイケメンじゃん!」
教室の前扉に由良の姿を見つける。すると反射的に昨夜のことが脳裏にフラッシュバックして、顔が熱くなってきた。けれど、今無視するのは不自然だし、よく顔を見れば、何となく不機嫌そうに見える。知らんふりなんかしたら、絶対に機嫌を損ねてしまうのは目に見えていた。
俺は席を立つと、彼のいる前扉へと向かった。
「なんか顔赤くね?」
「そんなことないよ、どうしたの?」
由良は俺から視線を逸らすと、顔を上げて、彼女たちを一瞥する。
「アレ、なに?」
低い声で不機嫌に聞かれ、何と返そうか迷ってしまう。さっき初めて喋ったばかりだから、友達とは言い難い。
「あ、えっと、さっきメイクの話してて、それで一緒にご飯を……」
言葉に詰まりながらそう伝えると、由良はふうんと頷いて、
「良かったじゃん」
そう言いながらぐしゃりと髪を乱暴に撫でてくる。
「楽しい?」
由良が俺を優しく見つめる。
その表情に、緊張していた身体の糸が緩む気がした。安心している、嬉しいと思う、そして由良の優しい笑みを好きだと、心の底から思う。
――好きだな、この顔。
「うん、由良が好きなもの好きって言って良いって言ってくれたから、言ってみたら、楽しい」
――ありがとう。
由良は少しだけ面食らったように目を丸くしてから、ふっと息を吐くように目を細めた。
「ん、よかったな」
そうさっきよりも柔らかな手つきで俺の髪に、指をゆっくりと通す。まるで大切なものに触れるみたいに指先が繊細だから、学校だというのに、変に意識してしまいそうになる。
「由良はどうしたの? なにか用?」
「いや、音楽室移動だから、礼のバカヅラ見に来ただけ」
「おい! もうさっさと行けよ!」
相変わらずの憎まれ口に、神経をカチンと打たれて、俺は由良の背中をぐいぐいと外へと押し返した。
「はいはい、じゃーな」
由良はそう言うと、あっさりと教室を去って行く。おそらく、俺に気を使ってくれたのだろう。
俺は昼休みで人の多い廊下の中、由良が人波に紛れていくのを、最後まで見つめてから、教室の中へと戻った。
由良の事、好きになってもいいのかな。
そんな事を考えながら、俺は昼休みの時間を、相変わらず一人机に向き合いながら過ごす。
スマホを取り出して、昨日の夜に由良から送られたメッセージを再度呼び起こせば、昨夜の事がまざまざと蘇ってきて、何とも言えない気持ちに駆られてしまう。
優しくされたから、好きになってしまったのかもしれない。俺はそんな軽々しく人を好きになってしまう人間なのだろうか。
そんな自問自答と自責の念で、おにぎりに手も付けられない。
けれど、スマホに表示されている由良からのメッセージは何に代えがたいほど、俺の心を包むように温めてくれる。
嬉しい。
それが本音だ。
でも、その嬉しいは、まがい物かもしれない。自分の承認欲求の為だけに、そう思っているのではないだろうか。――そう思うと、由良と真正面から向き合ってない気がする。
「あー、うまく行かない!」
不意に思考を遮るような声が聞こえて、その方へと視線を向けると、いつも斜め前で固まっている女子三人組がいた。一人は頭を抱え、一人はスマホを覗き込み、もう一人は化粧ポーチを弄っている。
「ねえ、全然簡単じゃないんだけど!」
「えーでも、簡単そうにやってるよ?」
「慣れてるからじゃね?」
「じゃあ、誰でも簡単とか書くなよ! すっごいよれる」
文句を言いながらアイライナーを握り直し、鏡に再度向かい直す一人の眉間には、深い皺が刻まれている。
「もっかい最初っから流して!」
「あいよ」
「てか、諦めないの? もうメイク落としシート一枚しかないんだけど」
「最後最後!」
気合を入れ直すように、ふん、と鏡と動画を自身に向けて、アイライナーを握りしめる。
俺はそれをぼんやり眺めながら、昨日の由良の言葉を不意に思い出した。
――好きなもんを、フツーに好きって言うだけの事に、何の躊躇いがあんだよ。
「できそ?」
「今は話しかけないで~……!」
彼女達を眺めながら、心臓がとくとくと走り出そうとしている予感を感じる。俺は胸の中で蟠るものを転がしながら、それでも由良の言葉が離れなくて――手に持っていたおにぎりを置いて、ゆっくりと席を立つ。
――俺の好きを、別の人に伝えてみたらどうなるんだろう。
突然の欲求だけで身体が動いた。
「あ、あの……」
心臓がはちきれてしまいそうなくらい、緊張している。
ふっと六つの眼差しが俺を捉える。彼女たちは不思議そうな顔をしながら、俺の存在を凝視した。それはそうだろう、普段存在の主張もない異端児に、急に話し掛けられれば、誰だって驚く。
「そ、その動画、俺も見た事あって……、それコツがあるんだよ。やらせてもらってもいい?」
きもい――って言われるよな。
知らない女子ならまだしも、男子からそんな事言われたら、気持ち悪い以外の何者でもないよな。なんでこんなこと言っちゃったんだろう。
後悔ばかりが身体の中を、吹き荒らす。
「え、できンの?」
いつの間にか下がってしまっていた顔を上げると、アイライナーを手にしたままの、動画と向き合う彼女と目が合った。彼女の眼差しは蔑むようなものではなく、まるでなくしものをみつけた時みたいに、輝いていて。
ふわっと心が軽くなる。
「やってやって! 全然できないの!」
そう言いながら手に持っているアイライナーを向けられる。俺はペンシルジェルのそれを受け取り、彼女の隣の席の椅子を引くと、そこに座った。
素直に顔を向けてくれる、目を閉じた彼女の目尻を軽く引いて、
「ここ、伸ばしながら、当たりをまずつけるんだ」
彼女の目尻よりも少し上の辺りに、印の点を付ける。緊張で手汗で手が濡れてしまわない事を祈りながら、俺は覗き込んでくる二人にレクチャーした。
「目尻とこの点と、それからこの上瞼のところ。この三点を繋いで……」
「おお、なるほど」
俺の背後の肩越しに、感嘆が零れた。
「えー? できてる? 見たい!」
目を閉じながら、彼女は楽し気に声を弾ませた。目尻がはっきりと上がるように、隙間に色を入れて、意思の強そうなはっきりとして眼差しを作り上げる。
「それから、眼頭に切開ラインを入れて上げると、もっとかっこよくなるよ」
「え、やば。天才じゃん」
「え、ごめん。名前何?」
「あ、俺は安藤っていうんだけど」
「まじごめん、関わりないから覚えてなかったわ。安藤くんすごいじゃん!」
そう言いながら、豪快に肩を叩かれる。
喜んでもらえて素直に嬉しい。
俺は「どうかな?」と、目をぱっちりと開いた彼女に鏡を渡した。彼女は鏡の中を覗き込むと、目を丸くさせて、色々な角度から鏡の中の自分を確認する。
「え! ちょ、これマジでいい女感出てない?」
一頻り確認したところで、彼女がひと際大きな声を上げた。
「出てる。すっごい綺麗に入ってんじゃん!」
喜ぶ女の子の顔を見ると、ふっと胸の奥の固くなった部分が和らいで、解れていくのを感じた。
大丈夫なんだ、好きを好きって言っても。
当たり前じゃないと思っていた事が、すんななりと受け入れられたことに、胸の奥がぎゅっと詰まる。そして何よりも、嬉しい。喜んでもらえて。
「安藤くん、メイク好き?」
「うん、そうなんだ……、あんま人に言えないけど」
「えー! なんで? いいじゃんいいじゃん! てか、安藤くん可愛い顔してね?」
そう言いながら覗き込まれて、思わず身体を引っ込めると、一人二人と、迫るように顔を覗き込まれて、俺は息を詰めた。由良以外とこんな近い距離になることなんて、一度もなかったから、どうしていいか分からない。
「ほんとだ。ねー、ちょっとまだ聞きたい事あんだけど、こっちで一緒に食べよーよ」
「あ、え……いいの?」
「良いに決まってんじゃん!」
三人の表情を伺うと、その目に不穏な色はなくて、心の底からやっとほっとできる。俺はその誘いに頷いて、二つのおにぎりを手に席を移動した。
俺にこんな日が訪れるなんて、思いもしなかった。こんなふうに誰かと好きなことを話せる日が来るなんて、思いもしなかった。
「いつからメイクやってんの? 学校にはしてこないの?」
「やり始めたのは去年かな、学校にはしてこないよ。男子の制服には合わないかなって」
「えー? そう?」
「とりあず今のところは」
「てか、おにぎりに二個で足りる?」
「小食過ぎね?」
彼女たちのポンポンと飛び出してくる声に、俺はわずかに圧倒されながらも、自然と笑っている自分がいるのを発見する。――なんだ、笑えるじゃん。
呆気に取られる程、簡単に笑っている自分がいて、ふっと腹の力が抜けるのを感じた。
「礼」
不意に聞き慣れた声に呼ばれて、顔を上げると、
「一年のイケメンじゃん!」
教室の前扉に由良の姿を見つける。すると反射的に昨夜のことが脳裏にフラッシュバックして、顔が熱くなってきた。けれど、今無視するのは不自然だし、よく顔を見れば、何となく不機嫌そうに見える。知らんふりなんかしたら、絶対に機嫌を損ねてしまうのは目に見えていた。
俺は席を立つと、彼のいる前扉へと向かった。
「なんか顔赤くね?」
「そんなことないよ、どうしたの?」
由良は俺から視線を逸らすと、顔を上げて、彼女たちを一瞥する。
「アレ、なに?」
低い声で不機嫌に聞かれ、何と返そうか迷ってしまう。さっき初めて喋ったばかりだから、友達とは言い難い。
「あ、えっと、さっきメイクの話してて、それで一緒にご飯を……」
言葉に詰まりながらそう伝えると、由良はふうんと頷いて、
「良かったじゃん」
そう言いながらぐしゃりと髪を乱暴に撫でてくる。
「楽しい?」
由良が俺を優しく見つめる。
その表情に、緊張していた身体の糸が緩む気がした。安心している、嬉しいと思う、そして由良の優しい笑みを好きだと、心の底から思う。
――好きだな、この顔。
「うん、由良が好きなもの好きって言って良いって言ってくれたから、言ってみたら、楽しい」
――ありがとう。
由良は少しだけ面食らったように目を丸くしてから、ふっと息を吐くように目を細めた。
「ん、よかったな」
そうさっきよりも柔らかな手つきで俺の髪に、指をゆっくりと通す。まるで大切なものに触れるみたいに指先が繊細だから、学校だというのに、変に意識してしまいそうになる。
「由良はどうしたの? なにか用?」
「いや、音楽室移動だから、礼のバカヅラ見に来ただけ」
「おい! もうさっさと行けよ!」
相変わらずの憎まれ口に、神経をカチンと打たれて、俺は由良の背中をぐいぐいと外へと押し返した。
「はいはい、じゃーな」
由良はそう言うと、あっさりと教室を去って行く。おそらく、俺に気を使ってくれたのだろう。
俺は昼休みで人の多い廊下の中、由良が人波に紛れていくのを、最後まで見つめてから、教室の中へと戻った。



