「エレーネ!」

 爽やかな顔でエレーネに声を掛け、両親と抱き合っていたエレーネを奪い抱き締めた。エレーネの背中を両手でさすり、腰から肩に交互に撫でまわす。頭にも右手が延び、髪の毛をすき、自分の胸に頭ごと抱きとめた。まるで恋人ハグだった。彼はエレーネの頬から首筋に顔を埋め、強く首筋にキスをしていた。

「エレーネ心配したよ。今日はずっと一緒に居よう!」

「あ、アランさま……」

 残念なことにエレーネは彼の愛撫を積極的に拒否していなかった。彼女の顔の反対側にも彼は顔を動かし首筋やうなじに唇を這わせていた。背中にあった手はウエストからお尻に延びようとしていた。

 エレーネは驚いて硬直しているのか分からないが、彼の動きに抵抗は見せず、顔面蒼白で俺の方を目を見開いてみていた。しかし見ようによっては、彼女は婚約者に愛されていることを実感している感じにも見えた。

 神官服の上からこれ見よがしに手で撫でまわすのは、俺という来客がいるこの場で相応しいのか? 俺には分からなかった。

 俺は視線を彼女から外し、長く続いている抱擁を見ないことにした。俺のその姿勢を見たエレーネは静かに目を閉じ、アランを抱き返した。彼女の頬を一筋の涙が流れた。

 婚約者同士の恋人ハグを見せつけられ、決まっていた事ではあるが、今この場での俺は不要分子と化している。

 俺の事は長い間放置されていた。

 長い間、見たくもない光景を見せつけられ、俺は帰ろうかと思い始めていた。魔狼に襲われメイドや護衛が殺され、イレギュラーな場所に魔狼が現れたという報告をしようと思っていたが、全く不要なのじゃないかと感じ始めたからだ。

 冒険者ギルドへの報告だけで良いだろう。そもそも伯爵領の横の領で起きた事件だった。領土が違うという事からも報告が不要なんじゃ?とも言える。一応、身内である護衛やメイドたちが亡くなったのだからと思ってきたが、すでに遺族らに清算されているのか問題解決は終わっているようだった。

 エレーネも俺との一時の吊り橋効果から解放され、婚約者と一緒に幸せになれるのでは、と思った。もし俺に恋をしていたのなら初恋だったのかは分からないが甘い思い出として記憶していてくれるだけで好いだろう。二百年経った異世界で初めて出会った女の子、エレーネ。幸せになれよ、と声を掛けた想像をしながら、ここから去ろうと思い踵を返した。

 結局、誰にも引き止められず、声すら掛からず、ロビーから玄関を通って馬車のある場所へ向かった。

 別にお礼を言われたかった訳じゃない。謝礼金が出るのも不要と思えた。ただ単に納得できない自分がいる。寂しいのかもしれないな。短い時間だったにも拘らず、あれほど一緒にいたのだから情も入る。義理の妹にして守ってやる等とも言ってしまった。今思えば恥ずかしい。

★★★★★

「待ちたまえ」

 外まで伯爵が追いかけてきた。

「なんでしょう?」

「君がエレーネを助けてここまで連れてきたのだろう? ありがとう。これは謝礼金だ。金貨で五十枚用意してある。これで君も豪遊したまえ。宿はとってあるか? 今日は我が邸宅に宿泊するか? エレーネは婚約者のアランと一緒の部屋に泊まるから会うことは出来ないが、宿泊する部屋ぐらいは用意してやる。風呂も広いぞ。どうだ? それとも街の宿をとってやろうか? 宿泊代はうちが持とう」

「いえ、お申し出ありがとうございます。私は用もありませんので帰ります。宿泊は野宿でもしますのでお気遣いなく。それが冒険者ですから」

「そうか、じゃ、ありがとうな。あと念のために聞くが、エレーネとは何もなかったか? もしもあったのなら君の頭が身体と引き離されるが、どうだろう?」

「何もありませんでした。ご心配なさらず」

「嘘ではないだろうな? 嘘は許さんぞ」

「はい。嘘ではありません。もう帰ってもよろしいでしょうか?」

「よし、許可しよう」

 言いようのない不満がヨシタカに募ってくる。何だろう、怒りでもない、失望、そうだ失望だ。嫌な予感が領内に来てからあったが、こういう展開を肌で感じていたのだろう。物凄く残念な気分だ。伯爵は俺の名前すら一回も呼んでいない。娘の命を救った恩人に対する態度とは言えないだろう。

 ヨシタカはハッキリと失望の表情をし、伯爵を横目で見ながら馬車の方へと歩き出した。伯爵は一旦、前を塞ぎ睨みつけてきたが、ヨシタカは静かに彼を躱して通り過ぎた。御者に声を掛け馬車に乗り込むと走り出した。振り返って邸宅を見る。

「さようならエレーネ。幸せにな」

★★★★★

「うぐっ……お父様、お母さま、アランさま、ひどい、ひどい、ひどいっ!」

「どうして、どうして、わたしの……そばにお兄ちゃんがいないの?」



「ねぇ、どうしてなの? さっきまで幸せだったのに、もうお兄ちゃんがいない」



「え、えーーーーん、なぜ、えーーーーーん」

 お兄ちゃんという単語を思い出した瞬間にエレーネは泣き崩れてしまったのだった。