【6話】


 翌朝。


「じゃあ、用意出来たら、連絡する」
「ん、待ってる」

 朝食を食べてから、碧斗の家を出た。出かける準備をしたら連絡して、一緒に電車で動物園に向かうことになってる。
 楽しみ。オレ。すごく、ワクワクしてる。

 なのに。
 なんだかなぁ、ほんと。

 ちょっとため息をつきながら歩いていると、前方に、家を出たところの尊の姿。

「尊―!」
「あ、翠。ちょっと久しぶりだな」
「尊、どっか行くの?」
「買い物」
「そっか。ちょっと話しても、いい?」

「いーけど。恋愛?」
「恋愛……ていうか」

 んー、と言葉に詰まると、尊は今閉めた門を開いた。

「部屋来いよ」
「あ、ごめん。出たとこなのに。あ、でもオレもすぐ出かけるからちょっとだけ」
「どこ行くんだ?」
「……碧斗と動物園」
「ああ、デートね」

 ふ、と笑う尊。デートじゃないし、という言葉も、なんだか言葉に出なかった。
 部屋に出て、「はいどーぞ」と促される。一拍置いて、オレは口を開いた。

「尊はさ。一目惚れって、信じる?」
「つか、お前は信じてないんだろ?」
「……うん」
「じゃあオレに聞いても無駄なんじゃねえの」

「――オレ、最初に一目惚れって言われたのが、ずっと引っかかってるんだ。顔が好きなだけじゃないかって」
「ほんと、お前のそれ……」

 尊は苦笑い。

「まあ、ずーっと可愛いって言われ続けてんの見てきたから、分かるけど。顔が好きなだけじゃないかって、結構すごいセリフだけどな?」
「……」
「顔にそんなに自信あんのって思われるかもだろ」
「……可愛いって言われつづけてるのは分かってる。でも別にオレ、この顔に自信なんて無いし」
「それは、知ってる。むしろコンプレックスだもんな」

 ほんと厄介だな、と尊は苦笑する。

「じゃあ聞くけどさ。翠は、あいつの顔、気に入ったろ?」
「……」
 確かにカッコイイと思ったけど。

「顔がカッコいいから、今も一緒にいんの?」
「……違うけど。……でも、たとえ、そうだとしても、碧斗はきっとずっとカッコいいと思うし」
「お前だって、顔はかわんねえだろ」
「違う。オレは、可愛いままじゃいないから」
「――――」

 尊は、ん? とオレを見て、ちょっと空を見て、そして、数秒後、首を傾げた。

「それは、初耳だな。可愛いままでいたいのか?」
「……っ」

 ずばりの質問に、眉が寄る。

「違う。オレ、ずっと可愛いなんて、嫌だったし――顔、変えられるなら変えたいって思ってたくらいだし」
「そうだよな。そっちはずっと聞いてる。今の、何?」

「……だから。オレは、たぶん、今が一番可愛くて、こっからどんどん、可愛くなくなってくと思うから」
「――」

「碧斗が、オレの顔、好きなら……」

 尊は探るようにオレを見てたけど、ああ、と急にすっきりした顔になって、それから、くっと笑い出した。

「ほんとにあいつのことが好きなんだな、お前」
「え」
「えって……それもわかんないのか」

 しょうがねぇな、と尊は笑う。

「あいつが、お前を好きなのが顔なら、これから成長して、男っぽくなって、今より可愛くはなくなるお前を、選ばないって、思ってんじゃねーの?」
「――――」

 ……あーもう。尊は、ほんと。なんでも分かってくれて、ほんと、嫌。

「そう、かも……」
「なんかお前の一目惚れとか可愛いへのトラウマとか、コンプレックスが、今度は変な風に、絡まってんなぁ」

 苦笑する尊に、返す言葉もない。

「一目惚れが軽いから嫌だったのに、今は、一目惚れが続いてくれないと嫌な訳な? 可愛いって思わせてないと、選ばれないって?」
「……全部口に出すの、やめてよ」

「つかさ。翠こそ、ちょっと考えたら」
「……何を?」

「――そいつ、一目惚れ撤回して、好きになってくって言って、翠と居るんだろ?」
「……うん」
「顔だけでいるような奴か、ちゃんと考えたら」
「違うと思う。……違うと思うけど――なんかオレ、自分がすごいめんどくさくて。よく分かんないんだ」
「まあお前、今までと正反対のこと、考えてるから。そりゃ混乱するわな」

 苦笑ばかりの尊は、オレをじっと見つめた。

「オレ、これから、可愛くなくなってくと思う。大人になるし、男だし。……母さんとか澪が、きっとずっと可愛いのとは、違うと思うし」
「……はは、ほんと面倒くせぇな、翠。今までそれ望んでたんじゃんか」
「そう。だよね」
「……でも、今の翠を好きなら、未来の翠も好き、なんじゃねえの?」
「――」

「つか、お前の方が、好きでたまんないんじゃねえの? 今までの価値観、ぜんぶひっくりかえっちゃうくらいじゃん。まだそんなに長く一緒にいる訳でもねえのに、何で?」
「……何でかわかんない」
「やっぱ、一目惚れじゃねえの? 一目惚れって強烈だもんなー?」
「一目惚れって、強烈なの?」

「……お前は、一目惚れ、軽いと思ってるんだろうけど。ぱっと見の顔や雰囲気見ただけで、好きになって、それがずっと続くって――ああ、翠んとこのおじちゃんみたいなね。すげーと思うけどね。別に、一目惚れって、顔の表面だけを好きなんじゃ、ねえと思うけど?」

 ……そう言われると、すごく、それも、分かるような。

「お前の嫌いな一目惚れは、あの初デートで絡んできたみたいな奴らが言ってた、一目惚れだろ。そりゃ好きな訳ねえけど」
「……」
「ずっと一緒にいる奴が言う一目惚れしたってのは、それも信じていいんじゃねえの? まあ、相手にもよるけど」
「ううう……」
「ん?」

 こめかみをグリグリしてから、天を仰ぐ。

「――あー、なんか、もう、どう考えていいか分かんなくなってきた」
「めんどくせ」

 くっくっと笑いながら尊は、オレをまっすぐに見つめた。

「デートなんだろ。楽しんでこいよ。そういうめんどくせーの何も考えず、まっすぐ相手、見てこい」
「……うん」
「別にすぐ答え出さなくても。お前の顔、そんなすぐには変わんねえから。まあゆっくり考えれば?」
「……うん」
「ほら、時間無いって言ってたろ」
「うん」

「はは。面白ろ。 あんなに変わりたいって言ってたのに、変わりたくないって思ってる翠とか」
「――おかしいよね」
「おかしくないんじゃね。そんだけ、好きってことだろ」

 まっすぐ言われて、ぽかん、としたまま、その言葉をちゃんと受け止めた瞬間。
 ぼっと、顔に火が付いた。



 くそ。
 ……あの後、散々からかわれながら尊と別れて、オレは今、自分の部屋の鏡の前。

 白のTシャツに、濃紺のスキニーデニム。斜めがけの黒のボディーバック。これでいいかな。動物園だし。
 普通、だよね。そういえば、私服で出かけるとか、初めてだし。昨日は緩いTシャツとハーフパンツだったから、体育とかの時とあんま変わんなかったけど。
 どんな服、着るんだろ、碧斗って。オレのこれで合うかな。って、服、悩み過ぎ、オレ。意識しすぎだよな……。
 全然想像つかないから、もうこれでいいや。

 用意できた、と送ると、すぐに、そっち行く、と返事が来た。

「行ってきます」
「いいなー、動物園」
 澪が羨ましがってるのを、母さんと父さんが、今度連れてってあげるね、とあやしている。
 理人も、楽しんできてねーと笑ってる。

 家を出て、碧斗の家の方に向かって少し歩くと、向こうから、歩いてくるのが見える。

「翠」
 嬉しそうに名前を呼ばれただけで、胸がドクンと跳ねた。

 私服の碧斗は、制服とは全然違う雰囲気で、いつもよりもさらに大人っぽく見える。
 紺のVネックのTシャツにスリムパンツ。……ものすごく、良い体してるのがよく分かるというか。脚、超長いし。
 なんかあんまり見れない。と思って、顔に視線を上げると、碧斗はくすくす笑った。

「私服、いいな?」
「普通の服だよ」
「すげえ、かわ――」
 咄嗟にそこまで言った碧斗は、手でぱっと口をふさいだ。
「悪い。つい」
「……いいけど。べつに」
「え。いいのか? 可愛いって言って?」
「いいから、もう、早く行こうよ」

 もう、ごまかして歩き出すと、隣に並びながら碧斗が笑う。
 可愛いって、碧斗に言われるのは、嫌じゃない。もう気づいてる。カッコいいも嬉しいし。頑張ってるとか、いい、とか。なんでも嬉しいみたい。

 電車に揺られて、動物園に向かう。
 ――電車の中でも、碧斗は視線を集めてる。モデルみたいだもんな。背高いから、超目立つし。

 碧斗は、全然気にしてなくて、オレだけを見つめてる。目が逸らされないから、オレも、碧斗を見上げてる。
 たまに、ふとした沈黙のあとで、まっすぐ見つめられると――居心地は悪くないのに、すこしだけ、呼吸が浅くなる。ちょっと、苦しい。

 動物園につくと、楽しくて、そういう空気は完全になくなった。
 久しぶりに見る動物たち。

「ホワイトタイガー、かっけー」

 遠い岩場の上で、立っている凛々しい姿に感動して、写真を撮りまくっていると、碧斗が笑いながらこっちにカメラを向けた。

「翠、もうちょっと、こっち、そう、そこ」
 カシャ、と撮ってくれた写真には、オレと、背後にホワイトタイガー。

「わー、いい、これ。送って」
「オッケ」
「ホワイトタイガーとツーショット。今日のベストかも~」
「はは。良かった」
「ありがと」

 ご機嫌で、家族に送ってみる。すぐに皆から、いいね、と返ってきた。

「悪くないな、こういうとこで翠と歩くのも。楽しい」
「……ん。楽しいね」

 笑いながら言う碧斗に、嬉しくなる。
 週末の動物園は人が多くて、気を抜くと、碧斗との間に人が割り込んでくる。そうすると。

「翠、こっち」
 呼ばれて、碧斗の手に、引き寄せられる。その度、どき、と跳ねる鼓動は。
 ……止められないみたいで、困る。そのたびに、変に意識してるのをごまかそうと、パンフに視線を落とした。

「わー、きりん! こんなにでかかったっけ」
「でかいなー。翠の十倍くらいか?」
「ん? ……さすがにそんなに無いよね?」
「ははっ」

 笑い合って、写真をたくさん撮って、軽く食べられるものをつまみながら。
 なんだか気付けば、ずっと笑ってる気がする。


 午後、水辺ゾーンに入ると。
 めっちゃ可愛いアザラシの水槽。可愛いのを堪能した後、その通路を抜けると、そこにはペンギン。

「ペンギンもすっげー可愛い」
「翠もペンギン好き?」
「うん。もって、碧斗も好きなの?」
「ん、好きだな」
「オレも、昔から好き。よちよちしてるのに、水の中ではめっちゃ速くて、カッコいいよな」

「あー……そう言うと、翠っぽいね」
「は?」
「可愛いのにカッコいいとか」
「――ペンギンと一緒にされた??」
「ん。嫌だった?」
「……嫌とか、そういうんじゃないけど。オレ、よちよちしてないし?」
「そこじゃなくて」

 おかしそうに笑う碧斗に、オレもつられて笑ってしまう。

 その後、休憩に、園内のカフェに入った。
 テラス席でジュースを飲みながら、ぼんやり空を見上げていると。

「なあ、翠?」
「ん?」
「今日、来れてよかった?」
「うん」

 すぐ頷くと、碧斗は嬉しそうに、ふんわり笑った。

「学校とは違うよな。クラスも違うしさ。あんま会えないし」
「そだね」
「そういえば、翠がモテてるの、聞いた」
「え? なんの話?」
「あの、体育ん時以来、翠くんて、強いらしいよー! って。 あの筋肉先生を投げ飛ばしたって、広まってるらしい」
「そうなんだ……」

 苦笑してしまう。

「モテてる実感は全然ないよ?」
「そう? よく女子と居るとこ見るけど」
「え、そう? まあ普通に話はしてるけど……」

 全然そんな雰囲気じゃないよな。と首を傾げていると。

「急に彼女出来ました、とかはやめろよな」
「え?」
「一応オレ、立候補はしてるだろ?」
「――撤回、したでしょ?」

「好きだし、好きになってほしいとは、言ってあると思うけど」
「――」

「彼女とかできるなら、先にオレに、心の準備させて?」
「そんな、できないから。平気」
「ほんとか?」
「……うん。とりあえず、しばらくは、できる気しないし。てか、それ言ったら、碧斗の方が、モテてるでしょ。もう告白、いっぱいされてるって」
「あれ、そんな噂届いてる?」
「碧斗の噂は、しょっちゅう届くし」
「……まあオレみたいなのは、すぐ付き合うとか、思う人も居るから。告白したもん勝ち、みたいな? 断ってるから関係ないよ」

 ふと気付くと、なんだか、二人で、やきもちでも妬きあってるみたいで。
 ちょっと、恥ずかしくなってきたオレは、立ち上がった。

「トイレ行ってくる」
「ん」

 ふ、と笑って頷く碧斗に、背を向ける。
 トイレを済ませて、手を洗った時。隣に立った男が、ふとこっちを向いた気がした。同時に、聞き覚えのある声。

「……あれ? 翠?」
「え」

 声を発した人を見ると。

 そこには、亮介が、立っていた。
 ――中学卒業式の夜、オレに「一目惚れした」と言って告白してきた、あの亮介。
 なんだか、一気に、楽しい気分から、あの時の、泣いて終わった卒業式の日の気分に引き戻された。

「ひさしぶり。こんなとこで会うなんて……少し、話せる?」
「あ、うん……」

 二人で、トイレを出たところにある自販機のスペースに立った。

「こんなところで会えるなんてね」

 亮介は、ふと微笑んだ。

「今さ、彼女とデートなんだ。戻らないとだから、手短に話すね……って、あ、オレね、彼女できたんだよ」

「へぇ……そうなんだ」

 心のどこかで、何かがざわめく。
 でもそのざわめきが何なのか、すぐには言葉にできなかった。

「でもさ、翠のことはちゃんと好きだったよ、あの時」
「え?」

「一目惚れとか。ワンチャンあったら、とか……あとから考えたら、てんぱってへんなことばっかり言っちゃったけど……ごめん」
「――」
「今はもう、翠のことはそんな風に見てない。こうして会ってても、友達だって思う……でもあの時は、マジで好きだった。言い方、悪くて、ごめんな」
「うん……」

 頷くと、亮介が、ふ、と息をついて、続けた。

「あの時、翠、顔がどうのって言ってたから、これだけは今度会ったら言おうと思ってて……一目惚れって言ったけど顔がとかじゃないし……ていうか、誰だって、好きな人の顔は、好きだと思うんだよね。翠だってさ、あの元カノのこと、すっげー可愛いって言ってたじゃん? 顔も好きだったんでしょ? ていうか、皆好きな人のことは、顔も込みで、ぜんぶ好きだと思うし」

 亮介の言葉に、返事も出来ずにただ聞いている。

「一目惚れって言っちゃったけど、あれ、顔だけって意味じゃないから。顔が好きっていうのは、ただの入り口っつうか……ずっと一緒に居て、翠が、好きだと思ってた」

 一目惚れが、入り口。
 なんかその言葉に、心のもやもやが、ふと、急に晴れた気がした。
 ……ああ。碧斗も、そう言って、くれてたかもしれない。オレが、こだわって、聞かなかっただけで。顔だけが好きなんて。言ってなかったかも。
 思い出せば、ぜんぶ、そうだった気がしてくる。

「あの時は、ごめん」
「ううん。オレこそ……ごめん」
「翠は悪くないよ」
「ううん。もともと、一目惚れ、とかが好きじゃない事情があって……それは、亮介には、関係なかったのに」
「そうなの? ……まあ、翠、可愛すぎだからね。いろいろありそう」

 苦笑しながら亮介が、笑う。

「翠もデート?」
「……ん、まあ。そう」

 そう言ったことで、ふ、と気持ちが、浮つく。

「そっか。じゃあ……ごめん、あれはもう過去のこととして……また友達で、いいかな? 皆で遊ぶときとか。やっぱり、友達として、会いたいし」
「うん。もちろん」
「ありがと。翠。じゃ、行くね」
「うん」

 手を振って、早足で歩き出した亮介。

「……亮介!」

 呼ぶと、くるっと振り返る。

「……ありがと!」

 そう言うと、亮介は、ぱあ、と笑顔になって、頷いて、離れていった。
 ふ、とため息を吐く。

 ――オレも彼女のこと、可愛いって言ってた、か。
 確かに言ってたなぁ。すっごい可愛くて、女の子らしくて、優しくて、いい子、みたいな。
 つか、オレも、可愛いが先に来てたじゃんね。

 わー。何なのオレ。
 ……全然、何も分かってなかったかも。

 
 顔は入り口で、その先があって、好きになる、か。
 もうほんと。オレってば。


 自己嫌悪と、でもそれから、なんだか妙に晴れた気持ちで、席に向かって歩いていると、キョロキョロみまわしてた碧斗と、目が合った。
 ぱ、と笑顔になる碧斗。


 ドキ、と胸が弾む。


 もう、この自分の、体の反応。
 こんなに、ドキドキするのは。

 オレはもう、たぶん、碧斗のことが、好きなんだと、思う。
 なんだか、素直に、そう、思えた。