【1話】


 一目惚れなんて、信じない。顔だけで好きなんて、ありえない。


 ――今、オレの目の前には、ものすごい存在感のある、男が立っている。

 背は、百八十はあると思う。近づいてまず目に入るのが、異様に高いウエストラインと、脚の長さ。モデル体型なんて言葉が甘っちょろく感じる。肩幅もがっしりしてて、制服のシャツの隙間から、鍛えられた筋肉が見える。ただ大きいとかじゃなくて、引き締まってて無駄がない感じ。オレが理想とするルックスを、してる。

 顔は、もはや怖いくらい整ってる。よく彫刻みたいなんて聞くけど、もうこいつ、彫刻そのものみたい。綺麗な輪郭、通った鼻筋。超美形だ。艶のある真っ黒な髪色で、少し長めのウルフカットは、無造作に見えて、ちゃんと整ってる。形の良い額、眉。

 クールな印象だけど、二重の目力は半端ない。
 見つめられて命令されたら、はいって言っちゃいそうな強い光。抵抗できないような、迫力がある。

 オレが怖がってるというか強張ってるのを見て、面白がったみたいに目を細めると。
 唐突に、ふわりと迫力を緩めて微笑んだ。

 止める間もなく、ドキッと大きく揺れた心臓は、鼓動が速いまま、せわしなく動いてて、体の中でうるさすぎる。
 どうしよう、心臓が制御不能だ。
 なんなわけ、これじゃまるで……。

 そこまで考えて、違う、と心の中で叫んだ瞬間。
 目の前で、その形のいい唇が、涼しげな声で言った。
 
「オレ、自分が一目惚れなんてすると思ってなかったんだけど……どうしよ、オレ、お前が好きかもしれない」

 よく通る、低いけど優しい声で、そんなことを言われる。
 
 逃げられない訳じゃない。捕まってるわけじゃないし、普通に、学校の廊下だし。周りは新入生ばかりでざわざわと騒がしい。
 でも、動けない。

 だから。
 一目惚れって、その言葉。
 一番嫌いなんだってば……!

 そう思うのに、なぜか言えなくて。
 どうしていいか分からない。
 
 え、どうしよう。どうしたらいいんだ。

 そうだ、昨日も今日も、めっちゃ決意したはず。思いだせ、オレ……!!!



 ◆◇◆



 四月の朝。明日は高校の入学式だ。
 朝食を食べた後、二階にある自分の部屋の窓を開けると、春なのにまだ少し肌寒い風が入り込んできた。でも、気持ちいい。

 明日着ていく神陵(しんりょう)高校の制服を、ラックに掛けた。
 偏差値がめっちゃ高い学校。勉強死ぬほど頑張ってやっと受かった。この制服を着られるのがすごく嬉しい。

 時計を見るともうすぐ九時。
 昨日、幼馴染みの高橋尊(たかはし たける)から「明日、朝食べたら家行く」と連絡がきた。そろそろ来るかも? でもまだ寝てるかな。ま、いいや。

 ふと、机の上の卒業アルバムに気付く。ベッドに腰かけて、最後のページを開くと、皆に書いてもらった色んなメッセージ。微笑んでしまいながら見ていると、いくつか同じ言葉が目に留まって、思わずため息をついた。

 (すい)くん、いつまでも可愛く居てね!」「可愛すぎ、翠くん!」みたいな。女子のふざけたメッセージとハートマーク。
 ページをめくって、パラパラと写真を見ていく。

 ふっと、目に映った、笑顔の可愛い女の子。
 胸の奥に痛みが走る。

 
 ――中学を卒業したばかりのオレの短い人生には、思い出したくない過去が、ふたつある。

 ひとつめ、人生最悪の記憶は、中学二年の終わり。

 可愛くて女の子らしくて、中一からずっと好きだった子に告白した結果、大成功。人生で初めての彼女が出来た。
 初デートに映画を見に行くことになって、待ち合わせ場所で会ったその時。
 高校生くらいの男二人に声を掛けられた。

「可愛いね、君たち」
「――」
 咄嗟に声が出なかった。

 ……は? 彼女が可愛いのは分かる。
「たち」って?
 まさか、こいつら、オレのことも言ってる?

「オレ、男だけど」
「あー、はいはい、男の子のマネしてんの? なんかますます可愛いね」

 ますますムカついて、「マジで男だけど」と睨みつけると。

「え。そうなの?」
「マジで言ってる?」

 めちゃくちゃジロジロ見られる。つか、分かったなら、彼女も居るし、余計なこと言わずさっさと消えろよ。そう思った時。

「えー、マジで残念。オレ、君の方がタイプなんだけど! 一目惚れしちゃって声かけたのに、男かよ~」
「ほんと。マジで彼女より可愛くてどうすんの?」
「は……!?」

 ふざけたことぬかすな、馬鹿! 勝手に間違えたくせに!!
 つか、彼女のが可愛いに決まってんだろ!
 ……って言えたら良かったんだろうけど。

 あの時のオレは、ただただ、あまりの怒りに震えながら、呆然とそいつらを見送ってしまった。
 はっ、と我を取り戻した時に、彼女との間に流れる超気まずい雰囲気。
 オレが、ごめんね、と彼女に謝る羽目になって、彼女は、ううん、と首を振った。

 ――あいつらの心無い言葉に、多分、彼女は、相当傷ついたのだと思う。
 その日は映画を見て、お茶して帰ったのだけど。時たま、じっと顔を見つめられていたのには気付いていた。だけど、うまいフォローなんて、出来なかった。

 次の日学校で呼び出されて、やっぱり付き合えない、と別れを切り出された。

「確かに翠くん、あたしより可愛いと思う。翠くんは何も悪くないんだけど……なんだかあたし、コンプレックスになりそうで。ごめんね」

 そんな風に言われて、もう受け入れるしかなかった。
 彼女の方が絶対可愛いのに、なんて、今さら言っても無駄なことは分かったし。

 金曜に告白して日曜にデートして、月曜に振られた。そんなことってあっていいのか。ずっと好きだったのに。

 あの馬鹿二人の顔は、一生忘れないと誓ってる。
 あれ以来、可愛いって言われるのが、マジで嫌い。
 一目惚れって言葉も大嫌い。
 そういうの言う奴、全員、大きな穴掘って落としてやりたい。

 可愛いって言われるたびに、心がちょっと冷えるくらい。かなりトラウマな出来事。

 オレは大きくため息をついた。嫌なこと、また思い出してしまった。

 彼女の写真から目を逸らして、ページをめくっていく。尊の写真を見つけて、また時計を見る。そろそろ来るかなーなんて思いながら、自分のクラスのページに。
 久藤 翠《くどう すい》と印字された上に映ってる、自分の顔。

 ――染めてもないのに栗色のサラサラの髪。くっきりな二重と、まつげが長いせいで余計に大きく見えてしまう瞳。肌は嫌になるほど白くて、焼こうとしても赤くなって終了。体はどんなに筋トレしても一定以上は筋肉がつかないし、華奢と言われても、言い返せない。

 客観的に見て、嫌になるほど、つるんと可愛く見える。マジで嫌。むしろ「可愛い」は最大のコンプレックスだ。

 不本意だけど、物心ついてからずっと、可愛いと言われ続けて生きてきた。
 そりゃちびっこの時は、可愛いって言われて喜んでたけど。

 制服を着るようになってからは、「なんで女の子が学ラン着てるの」ってからかわれるし。私服で、どんなに男っぽい格好してても、女と間違われるし。顔だけ見てナンパしてくる奴とか、ほんと最悪。正直、顔が可愛くて得した記憶は全然無い。マジで普通が良かった。

 道を歩いていて知らない大人に、可愛いね、と声を掛けられることも多かった。幼心に危機感があって、母さんに訴えた結果、小三から合気道を習うことになって、以来、ずっとまじめに続けている。護身用ってのもあるけど、今となっては、楽しいから。


 自分のクラスの写真を見ていたら、仲の良かった友達、斎藤亮介(さいとうりょうすけ)の顔。今度はモヤモヤした気持ちが沸き起こった。

 思い出したくない過去の、ふたつめは、ついこないだ。
 中学の卒業式の後。クラスで集まって、カラオケで楽しく卒業パーティーをした帰り。

 親友だと思ってた亮介と二人になって、歩いていた時のこと。
 不意に、「一目惚れだったんだ」と言われた。

 一瞬、冗談かと思ったけど、亮介の顔は、真剣だった。
 一目惚れという言葉に強張ってるオレには気付かず、亮介は続けた。

「会った時から、好きだったんだと思う。付き合って、みてくれないかな」
「一目惚れって……顔が好きってこと?」
「え?」

 亮介は、オレの質問に、不思議そうな顔をした。

「確かに一目惚れではあったけど」

 別に男同士とかの偏見はない。びっくりはしたけど、問題は、そっちじゃない。オレのトラウマ、なんで抉ってくるのかな、と泣きたい。
 ――なんで「一目惚れ」?
 中学の入学式で話してから、ずっとクラス一緒で仲良かったのに。それで告白するって時に最初に言うのが、なんで「一目惚れ」?

「……オレの顔が、これじゃなかったら、好きになってない?」
「え、だって、翠は、その顔だし。って、別に顔だけが好きな訳じゃないけど」

 亮介、困った顔してる。亮介に思うことを伝えたい。でも何と言えばいいのか、自分でもよく分からない。
 一目惚れという言葉に対しての嫌悪感が、急にむくむくと心の中にいっぱいにあふれてしまった。

「――ごめん。亮介。付き合えない」
 そう言ったら、亮介は、一度唇を噛んだ。それから。

「分かった……はは。まあそうだよな!」

 亮介は、少し黙った後、急に明るく笑った。

「高校、別れちゃうからさ。ワンチャンあるかなって思って、言ってみたけど。無いよな。分かってた」

 最初のトーンとはだいぶ言い方が違う。なんだかめちゃくちゃ軽くそんな風に言って、ケラケラと笑う亮介に、オレはなんだかムッとしてしまった。

「だよなー。ごめんごめん。冗談。軽く言ってみただけ」
「冗談になってないし。亮介、しばらく顔見たくない」
「はは。まあ――なかなか見れなくなるだろ。学校違うと」
「そうだけど」

 少しの沈黙。オレは、咄嗟に言った自分の言葉を後悔しながら、なんだか耐えられなくなって、口を開いた。

「つか、皆で遊べばいいじゃん。学校、違っても」
「まあそうだよな――」

 そこで、いつも別れる場所にたどりついた。
 亮介は、ふ、と息をついて、それから。

「翠、元気でな?」

 なんだか改まった感じで、そう言われた。

「亮介も……って、どうせまたすぐ会うでしょ」
「ん。だよな。じゃあな、翠」

 一応頷いて、またね、と別れて歩き出す。気になって振り返ると、亮介もこっちを見てて、目が合った。バイバイと手を振られて、オレも振り返す。

 歩き出して――オレは、だんだん俯いた。

 亮介は、本当はどんな気持ちだったんだろう。
 好きだったって、本気だったのかな。最後、気まずいから冗談にした? それとも、顔が好きで、ほんとにワンチャン、とか軽く? そんな奴じゃないと思いたいけど、もう何がなんだか分からなくなってくる。

 いや、でも、一目惚れって、結局は顔ってことだよな。そんなの、大した好きじゃないよな?
 つか、三年間、ずっと仲良かったのに、卒業式が終わって出てきた言葉が一目惚れって。

 家までの道を一人、歩きながら、少しずついろいろ思い起こして。
 オレは、首を横に振った。
 その拍子に、ぼろ、と涙が零れた。すぐに手の甲で、ごし、と拭う。

 ずっと、仲良くしてたし、これからも仲良くしていけると思ってた。
 でも、亮介の最後の顔。
 ――もう今迄みたいには居られないのかな。なんか、そんな気がした。

 親友だと思ってた奴と、最大限に気まずくなって別れた、卒業の日だった。

 ――思い出すたびに、なんかすごくモヤモヤする。
 結局、春休みに何回か、花見だ遊園地だってクラスで集まった時は、亮介は来なかった。
 たまたまかもしれないけど、今まではそういうの、全部に参加するような奴だったから、他の友達も「亮介が来ないの珍しいね」なんて言ってた。
 オレのせいかな、と、また泣きたい気持ちになった。

 「彼女より可愛いって言われて振られた」事件の詳細は、彼女が誰にも言ってないみたいだから、オレも言わなかった。だからあの件は、オレが初デート後にただ振られたってことになってて、可哀想にっていう話になってる。
 だから、一目惚れという言葉や、可愛いと言われることが、どれほどオレの神経を逆なでするか、皆は知らない。

 でもさ。一番に一目惚れって、言わなくてもいいじゃん。
 顔なんて、外側だし。

 はーもー、ほんとよく分からんけど。
 ……この顔、いらん。

 どうせちょっと整うなら、超カッコいいイケメンにしてくれたら良かったのにな。
「可愛い顔」なんて、アイドルになるなら使えるだろうけど、一般人の男に、使用用途は無いんだよ。

 くそー。これで背が高ければまだ見る目も変わるかもしれないのに、ちっちゃいからな、オレ。やっとこないだ百六十超えたけど。でかい奴に比べたら、女子みたいなもんだろうし。

 オレの日課が、筋トレと牛乳とカルシウム摂取なのと、高校もバスケ部に入るって決めてるのは身長を伸ばしたいから。マジ、頑張ろ。

 気分が滅入る卒業アルバムを閉じて、ベッドの下で腹筋を始めたところ。
 がちゃ、とドアが開いた。

「また筋トレ?」

 尊が苦笑しながら、入ってきて、ドアを閉めた。
 オレは、腹筋をやめて、座り直した。

「頑張ってるよな」

 笑いながらオレを見てくる、尊は大きくなるごとに、イケメンへと進化した。昔は、超、鼻垂らしてたくせになぁ、と思いつつ。
 
 少し毛先が跳ねた感じの黒髪、キリっとした一重。
 サッカー部、健康的で焼けた肌。オレとは反対で、男っぽい。頭も良くて、難関私大の附属に合格してる。学年一モテるって言われてた。

「おー、いいじゃん、神陵の制服」

 制服を見て、そう言いながら、尊はローテーブルの反対側に座った。

「いよいよ明日だな、入学式」
「一緒じゃないの、初めてだね」
「幼稚園のから一緒だったもんな」

 ははっと笑う尊。そう。オレたちの母さんは、妊娠中、区で行われた母親学級で知り合った。同じ町内で、出産予定月が同じ人達が集められたらしい。そしたら徒歩二分という近所で、気もあったらしく、オレと尊は生まれる前からの幼馴染みだ。生まれてからもずっと一緒に遊んでたので、もうお互い、ほぼすべて知り尽くしている、と思う。

 オレが初彼女に振られた理由も、亮介のことも、尊にだけは話してある。
 ばらさないのはもう、分かってるし。お互いにいろいろ知りすぎてるので、秘密協定みたいなもの。

「とにかく、なめられないようにな?」
「あ、うん」
「翠はさ、中身は女っぽい訳じゃないし。いざ襲われても合気道で吹き飛ばせるから大丈夫だとは思うけど」
「一般人、吹き飛ばすのはあんまり」
「いざという時はってこと。お前に投げ飛ばされるとは、絶対誰も思わねーもんな。お前にそれが無かったら、オレ、結構心配してただろうけど」
「大丈夫だよ。そこらへんは、心配しなくて平気」
「そうだな。高校入っても、まだ続けんの?」
「もちろん。小三からだしさ、やめたくないから」

 その時、コンコン、とノックの音。はーい、とドアを開けると、母さんと、妹の(みお)が入ってきた。

「お茶どうぞ。お菓子とかはまだいらないでしょ?」
「うん、ご飯食べたばっかりだし」
「尊くん、こんにちはー」

 母さんと話してるオレの横で、澪が尊に笑顔で言ってる。「こんにちは、澪ちゃん」と尊が笑顔で返すと、澪、嬉しそう。
 いつからか、澪は尊を王子だと思ってるらしい。
 少し話してから、二人が出て行くと、尊は「かわいーな、澪ちゃん」とクスクス笑った。

「尊は王子らしいから。あ、でも、手は出さないでね」
「翠、馬鹿なのか? 小二だよ? オレ、そんなに困ってないし」
「はいはい。モテモテだもんな、尊」
「翠だって、普通に女子にモテるじゃんか」
「気を使ってくれなくていいよ。オレは、高校から頑張る」
「別に気ぃ使ってねーけど……まー頑張れー」
「もっとやる気で応援してよ!」

 はは、と尊は笑って、ふとドアの方を見てから、オレに視線を戻す。

「ほんと、おばちゃんと、澪ちゃんと翠、そっくりだな」
「言わないで」
理人(りひと)はおじさんにそっくりだしな」
「オレも父さんに似れば良かった」
「まあ、そこは選べねーからな」
「ほんと、それね」

 うちの父は普通にかなりイケメンなのだ。母は超可愛いと、皆に言われる。親同士でも言われてるし、オレの友達も言う。授業参観で二人そろってくると、嫌と言うほど目立ってた。

 高一のオレ、中二の弟の理人、小二の妹の澪。三人も産んで、そこそこ年もとってるのに、可愛いと有名な母さんに、オレはそっくり。遺伝子って怖い。性別を無視してくる。澪は女の子だから可愛くていいけど。でも、可愛いから、オレが守ってあげないとだけど。
 理人は父さんにそっくり。まだ中二だけど、イケメンのオーラはひしひしとあって、羨ましすぎる。

「でもまあ、振られた件は、しょうがねーから、とっとと忘れて、高校、次の恋に行けよな?」
「当たり前だし!」
「亮介のことは驚きはしたけど。まあ、すげえ仲良かったのも、好きだったのかと思うと、分かる気はする」
「でも、一目惚れ……」
「だからさ、亮介も言ってたんだろ、別に顔だけじゃないって。最初にそれが出ちまっただけだろ」

 そう言われて、オレは少し黙る。分かってるよ、オレだって。自分でも、ほんとに亮介が顔だけで言ったとは、思ってはないんだけど、でもやっぱりさ。
 それを一番に出してくるのが、やっぱり嫌なんだよ。
 ずっと一緒にいる中で、好きになったって言ってくれてたら全然違ったかもしれない。
 
「そういや、言ってなかったんだけど、オレ、お前のこと、結構男らしいって思ってるから」
「え? そうなの? どこが?」

 あったっけ、男らしいとこ。不思議に思って首を傾げると、尊がため息をついた。

「お前、そうやって首を傾げんのやめろ」
「え?」
「それ、可愛いって思う男、絶対居るから」
「――えっまさか、尊も?!」

 言った瞬間、ベッドのクッションを投げつけられて、顔に埋まる。

「オレにとってのお前はそういう対象では、絶対ないし、そういう対象には、絶対しない」
「なんだよそれ」
「一生このまんまがいいってこと」
「……うん。オレも」

 へへ、と嬉しくなって笑うと、ちょっと呆れた顔で、尊は笑った。

「なんでオレが男らしいの?」
「お前が彼女に三日で振られた時さ」
「四日だもん。金土日月」
「金曜の放課後に告って、月曜の休み時間だろ? なんなら、中二日じゃん」
「ああもう、うるさいな! で、何?」
「だから、振られた時、皆に「初デートで何したんだよ」ってからかわれてただろ? さんざんいじられてたのに、ほんとのこと、言わなかった」
「だって、可愛いって言われたとか言いたくないし」
「それもあるだろうけど――あの子が、言わなかったからだろ? その話がもし流れたら、あの子、「彼氏の方が可愛い」って言われた子になっちゃうもんな」
「……だって、あの子可愛いのにさ。そんなの絶対、言える訳ないじゃん」
「だからさ。さんざんいじられて、何か変なことしたんじゃ、とか言われても、なんも弁解しなかったの。ちゃんと男だな、と思ってたよ」
「えー。たけるー」

 そんなこと思っててくれたのは初耳!
 うる、と潤みそうになった瞳。その瞬間、ぴん、と額を弾かれた。

「いった……!」
「お前に、いくつか言いに来たんだよ、オレは」
「えー、何?」

 額をこすりながら、尊を見ると、指を立てられた。

「まずひとつ! 男を間近で見つめんな。目をウルウルさせんな。勘違いさせるから」
「えっ」
「ふたつ。強気で話してろ。可愛いとか、思われないように」
「あ、うん」
「お前は、顔がおばちゃんに似すぎてるだけで、中身は男なんだからさ。その内、背も伸びれば、女子に間違われることも無くなっていくと思うから、それまで頑張れよな」
「あ、はい」
「もうひとつ。可愛いとか、一目惚れっつーのも。誉め言葉だと思ってる奴らも多いから。いちいち、反応すんな」
「……うん」
「――って、言いに来たんだよ。明日からの高校生活に備えて」

 ふ、と笑う尊に、オレは、言われた言葉を考えながら、うん、と頷いた。

「分かった。……ありがと」
「おう。じゃあゲームやろうぜ。こないだの続き」
「うん! いーよー」

 それで昨日は、尊と楽しくゲーム三昧だった。

 そして今日。入学式の朝。
 朝食を食べ終えると、自分の部屋の窓を開けて、制服に袖を通した。新品の制服は、生地が硬い気がして、身が引き締まる。学校指定のリュックを持って階段を下り、玄関に置いた。リビングを通って洗面台に向かう途中、理人と澪がオレを見る。

翠兄(すいにい)、神稜の制服、やっぱカッコいいね」
 いいなぁという理人の言葉に気を良くして、ん、と頷いた時、澪が笑った。

「お兄ちゃん、めっちゃ可愛い~! アイドルやってほしい~!」
「可愛いって言うなってば! もう、澪って」
「あはは~だって可愛いんだもん!」

 思わず振り返って叫ぶと、澪はケラケラ笑って逃げていった。
 まったくもう、と洗面台の前に立つ。可愛いって、とため息が零れる。ヘアオイルを髪につけて寝ぐせを直していると。理人がやってきた。「歯磨き」と言ってオレの前に手を出してくる。鏡に映りこんだ理人の顔を見て、オレは、またため息をついた。

「理人の顔がよかった」
 思わず呟くと、歯磨きをくわえて理人は、また言ってる、と笑った。

「いいじゃん。翠兄、オレらの学年じゃ、アイドル扱いだったよ」
「マジでいらないし」
「カッコいいって言ってる子たちも居たし。いいじゃん」
「理人は、可愛いとは言われないだろ」
 そう言うと、んー、と理人は苦笑してる。

「オレも父さんに似たかった」

 オレがまたぼそっと呟くと、理人は口を漱いでタオルで拭きながらオレを見た。

「翠兄のいいとこは、顔じゃないでしょ」
「お前はまた弟なのに、なんか悟ったようなこと言ってさぁ、もうほんとにさぁ」
「まあまあ。入学式、頑張ってね」

 何を言いたいかも分からなくなって黙ったオレに、理人は笑いながら出て行った。その背中にいってらっしゃいと声を掛けながら、寝ぐせを直し終えた。

「翠、準備できた? 今日は集合も撮るだろうから、ちゃんとした方がいいよ」

 母さんの声に、もう大丈夫、と答えながら振り返る。
 今日は、母さんもばっちり正装だ。水色の爽やかなスーツに、白いコサージュを付けてる。普通に客観的に見て、ほんと綺麗だし可愛いと思う。思うけど。この人にそっくりか、と思うと、どよんと沈む。
 ――と、そこへ。

「そろそろ、行ってくるね」
「オレも、いってきます。翠兄、入学式、頑張れよー」

 父さんと理人の声がした。
 うん、と返すと、理人はそのまま出て行ったみたい。父さんは、洗面所をのぞきに来た。

「翠、入学式行けなくてごめんな」

 父さんは、ほんとイケメン。スーツを着るとかなりカッコいい、イケオジってやつだ。
 理人みたいに、父さんに似れば良かったのにと、またしても運命を呪いながら、オレは首を振った。

「ていうか、両親そろって、高校の入学式来なくて平気だから」

 オレがそう言うと、オレの隣にいた母さんを見て、父さんはため息をついた。

「オレは、母さんと一緒に出たかった。母さんのスーツなんて珍しいし」
「はいはい、またどこかで着てあげるから」
「いつ?」
「いつかね? とりあえず、いってらっしゃい。遅刻するよ?」
「いつにするか決めようよ」
「帰ってからね。はいはい、いってらっしゃい」

 なんだかんだ言いながら、玄関の方に消えていく。
 黙ってればイケメンなんだけどな。相変わらずのバカップル両親だ。というか、父さんが母さんのことを好きすぎる。
 母さんは、顔に似合わず、かなり男前な性格なので、いつも父さんをあしらってるように見えるが、それでも父さんは幸せそうなので、まあそれはそれで良さそうだ。

「澪も行ってきまーす!」
「父さんも行ってきます」
「はいはい、いってらっしゃい」

 二人を送った母さんが戻ってきて、オレを見て、にっこり笑う。

「よし、そろそろ行こっか」
「うん。あ、ちょっと待って、スマホ忘れた」

 二階に駆け上がって、ベッドの上のスマホを手に取ったついでに、鏡で自分のことを眺める。
 初めてちゃんと着る制服。この制服が着たくて、頑張った。

 オレが入学する神稜高校は、ここらへんの公立では一番の進学校。
 偏差値七十以上と言われてる神稜高校は、勉強さえ頑張っていれば、校則はかなり緩い。生徒の自主性と責任に任せる、という校風だ。

 髪型もアクセサリーも自由なんだけれど、今日はとりあえず正装で、目立たず普通に行くことにした。先輩とかに目をつけられても困るし。

 ブレザーは深いネイビー。裏地はシルバーで、脱ぐ時にオシャレだ。シャツは、白と水色、好きなほうでいい。ネクタイもあるけど、代わりに細リボンでも可。ズボンはチェック柄で、男女ともパンツ・スカートが自由だ。
 とにかく、この制服が着られて嬉しい。受験勉強、頑張って良かった。

 そう思った時、手に持ったスマホが震えた。メッセージを開くと、『頑張ろうな!』と尊から入っていた。お気に入りの、柴犬が「ぐっ」と親指立ててるスタンプを、送り返した。

 背が伸びれば、今よりはマシになるよな。
 よし、それに期待して、とりあえず、強気で行こ。
 決意を新たにしていると、母さんに呼ばれた。「今行く!」とスマホをポケットに入れて、階段を駆け降りた。


 家から河原に出て、遊歩道を歩いていけば、二十分くらいで高校に、たどりつく。
 よく遊んでた河原の道を毎日歩いて通えるのも、なんか楽しい。

「いい天気で良かったね、翠」
「うん。ほんと」
「お父さん、昨日もずっと入学式出たかったって言ってたよ」

 クスッと笑う母さんにちょっと視線を向ける。

「父さんは多分、スーツの母さんと写真撮りたかっただけじゃない?」
 オレの言葉に、母さんは苦笑してる。

「でも、翠の晴れ姿も見たかったと思うよ? ずっとこの高校に入るって言ってたけど、偏差値七十だから、難しいなあって思ってたから。ほんと、よく頑張ったよね」

 ん、とオレは頷いた。
 確かに。去年はほんと、勉強死ぬほど頑張った。
 いろんな意味で、神陵が良かったんだよね。進学校で校則自由っていうのとか、進学先も良いとか、行事が全部全力投球ですごく楽しそうとか、そういうのもあったけど。
 歩いて通えるっていうのが、ほんと良かった。電車に乗ると、変な奴が寄ってくることが多かったから。中学の部活の試合とかで混む電車に乗る時は、仲間が周りをガードしてくれてた。マジで大げさじゃなく、オレの顔はいろいろな奴を引き寄せてしまうらしい。
 今って、性別関係なく好きならいいとか、とにかく差別無く寛容であろうみたいな感じではあるし、それは別に否定はしない。でも、自分を入れて考えると、いろいろそうじゃないって思うとこもある。顔が可愛いからとか、男にしては小さいからとか。そんなので好きになられるのは違うと思う。

 一目惚れしそうとか、顔、超可愛くて好き、とか。同年代だけじゃなくて先輩とかにもよくからかわれたけど。ありえないっつの。やっぱり、人間、大事なのは外見とか性別とかより、中身だよね。
 中身も鍛えないと。とりあえず、オレの悪いとこは、すぐ涙が出ちゃうとこだな。人前では泣かないように頑張ってるけど。感動ものとかも弱いし。……って、これは絶対父さんに似た。くそー、似てほしいところが完全に、逆なんだよな。

「あ、お父さん、翠にちゃんと言った?」
「ん? なにを?」
 そう聞くと、母さんは、ふふ、と苦笑を浮かべた。

「言ってないのね。昨日考えてたのに――あのね、高校生活で出会う人は一生の関係になることも多いから。楽しんでね、って言ってたよ」
 その言葉を聞いて考えてから、オレはクスクス笑ってしまった。

「それ、中学ん時も聞いたし。父さんは、そもそも母さんとの出会いのこと、言ってるんでしょ?」
「んー、それもあるかもだけど、でも、高校の友達は、今も仲良い人多いからね」

 そうは言うけど――父さんの一番の「一生の関係」は、やっぱり母さんなんだろうし。

「父さん、高校の時に、母さんに一目惚れしたとか、たまに言ってるじゃん」
「んー、まあ、そうね」
「父さんには言ってないけど。オレ、一目惚れって信じられないんだよね。顔ってことでしょ?」
「まあ、そうね、一目惚れって言ったらそうかも」

 母さんはクスクス笑ってる。

「でも、それからずーっと居たから。一目惚れだけじゃないって分かるでしょ?」
「父さんのは分かってるよ。でもオレは男だし。やっぱり一目惚れとかは、無理かな……」
「まあ、言ってることは分かるけど」

 母さんが、苦笑いしつつ、オレを見つめる。

「翠、可愛いからなぁ。テレビに出てるアイドルより、よっぽど可愛いもんね」
「それって、もしや自分を可愛いって言ってる……?」
 思わず聞くと、母さんは笑いながら首を横に振った。

「違うのよ、なんか、翠はほんと、素直でピュアで可愛いから。余計に可愛く見えちゃうのよね」
「――ピュアとか言われるの、かなりやだけど」
「ほら、母さんは、全然ピュアな訳じゃないから、お父さんはきっとすぐ、顔と性格の違いには気付いたはずよ? お父さんの方がよっぽどピュアだからね」

 クスクス笑う母さんに、苦笑してしまう。確かに母さんは、かなりさばさばしている。顔に反して、結構男らしいし。うちで強いのは、父さんよりも、母さんだ。見た目で言ったら、カッコいい父さんが、可愛い母さんを守ってるって思われてるんだろうけど、実際は逆だもんな。

「父さんの一目惚れは、正直異次元だよ。何十年続いてんの」

 ちょっと呆れながら言うと、母さんは苦笑してる。

 そんな話をしていたら、高校の入り口が見えてきた。正門前、入学式と書かれた看板の前に、皆が並んでいる。オレたちも並んで、母さんと一緒に写真を撮った。
 その後は、生徒は下駄箱から教室に行くことになり、保護者は体育館で待つことになった。別れ際、母さんが笑う。

「翠。良い友達、出来るといいね。あと、私は式が終わったら先に帰ってるから」
「ん、分かった」
「いっぱい楽しんでね。大事な三年間。いろんなこと、精一杯頑張って」
「うん」
 頷くと、母さんは、ふ、と笑った。

「一目惚れもね。ありかもしれないよ? お父さんと母さんたちみたいに、一生居ようって人に会うかもしれないし」

 綺麗ににっこり微笑まれて、一応頷きながら母さんと別れた。

 でも心の中では。再確認。
 絶対、一目惚れなんてありえない!
 オレは、もっとゆっくり恋したい。って、別に、恋だけじゃない。
 部活も勉強も、全部、納得いくように、頑張るんだ。


 ワクワクしながら、昇降口でクラス分けの表を確認して、一年一組の下駄箱で上履きに履き替える。階段を上って一年の教室の階にたどりついた。

 クラスに向かって歩いていると、女の子たちの声が聞こえた。

「見た見た? ちょーカッコいい!」
「ねー、ほんと」

 オレを通り過ぎていく、小走りの女子たちが、オレの後ろをちらちらと楽しそうに振り返っている。
 イケメンでもいるのかな?
 ふと振り返った時、すぐ後ろを歩いてた人にぶつかってしまった。

「あ、ごめ――」

 でっか……。何センチあんの。ぶつかったのは、肩、胸? 顔が当たる高さじゃないよね。思わず眉をひそめてしまう。脚が長い。胸から、喉元、それから最後に顔を、見上げた。

 見つめ合って――ぽけ、と時間が止まった。息をするのも忘れる。
 吸い込まれそうに、強い瞳。
 騒がしい周りの声が、何秒か、完全に音を失っていた。たくさん居る周りの人たちが、見えなくて、ただただ、目の前の一人しか居ない世界。

 目の前で、形のいい唇が、涼しげな声で、言った。
 

「オレ、自分が一目惚れなんてすると思ってなかったんだけど……どうしよ、オレ、お前が好きかもしれない」

 それを言われた瞬間。周りの声が、戻ってきた。
 ざわざわ騒がしくて――そんな中で言われた、そんな言葉。

 っ……ありえないし!

 そうだ、思い出した。昨日も今日も、めっちゃした決意を!
 
 一目惚れなんか、絶対ありえない。
 ゆっくり恋して、勉強も部活も全部、頑張るんだ!

 決意してるオレの前で、ふ、と照れたように微笑みながら、前髪を掻き上げる仕草まで、絵みたいに、様になってる。

「なあ、名前、なに?」

 その瞳が、オレを見つめて、優しく煌めいた気がした。どっきんと、胸が大きく音を立てた。
 名前聞かれたくらいで、こんなにドキドキするとかっ。

「翠」って、呼んでもらいたい、なんて。一瞬思ったような。

 わー! もう、意味分かんない! ここは危険だ。危険地帯だ。

「お」
「お?」
「おしえない!」

 オレはそう叫ぶと、猛ダッシュでそこから逃げて、一番奥の一組の教室に逃げ込んだ。
 まっすぐに奥に向かって辿り着くと、がらっと窓を開けて、校庭と青い空を目に映した。

「……っ」

 顔、熱いし、胸がドキドキで死にそうだし。
 は? ナニコレ? 意味分かんない。

 男だった。しかも、あんまり柄のよくない感じの。
 でも笑うと、優しい感じで。声が良くて、カッコよくて――かぁ、と顔が熱くなる。 

 え、この症状って、まさか。

 まさか、ひとめぼ……。

 わー!!!! 
 何言ってんのオレ。

 そんな訳ないって、あいつ男だし!!
 あまりに背が高くて、なんかいっぱいアクセサリーもついてて、ちょっと不良っぽかったから。
 今までオレの周りにいた人たちとは、だいぶ違ったから。

 びっくりのドキドキだ! そうだ。それだけだ。
 ――マジで、落ち着け、オレ。

 オレは、顔とかじゃなくて――中身を見てくれる人がいい。
 一緒にいて、笑い合える人と、ちゃんと向き合っていきたいし、ずっと仲良く、手をつないで生きていきたい。

 あんなモテモテそうな、ちゃらそうな、あんな感じの男、なんて。いくらルックスがよくたって、ありえない。 
 今インプットした顔は、全部忘れるんだ。

 自分にそう言い聞かせながらも、鼓動は、まるで言うことを聞いてくれなかった。