場内スピーカーから、不気味に明るい声が響く。

「おめでとう! 六つのアトラクションをクリアした者たち! 出口が開くのは――たった一人だけだよ! 」

空気が凍り、三人の影が同時に振り返る。
互いの目が交錯し、わずかな希望が一瞬にして裏切りの種に変わる。

「でも安心して。最後の“第七のアトラクション”をクリアできれば、残ったみんな全員が出られるよ。もっとも――まだ誰もその場所を見つけていないけどね。探すところから始めてね。それじゃ、頑張ってね――!」

唐突に切れる声。残されたのは沈黙と、息の詰まるような緊張。

その瞬間――

空が――爆ぜた。青い球が夜を裂き、赤が追いかけ、緑がひらき、黄が降り、紫が瞬き尾を引く。さっきまで人の声があった場所に、今は花火の音だけが落ちてくる。

祝祭の色はあまりにも鮮やかで、だからこそ、ここに残った三つの影の貧しさを残酷に照らし出した。

空が――爆ぜた。赤い球が夜を裂き、青が追いかけ、緑がひらき、黄が降り、白が瞬き、紫が尾を引く。さっきまで人の声があった場所に、今は花火の音だけが落ちてくる。祝祭の色はあまりにも鮮やかで、だからこそ、ここに残った三つの影の貧しさを残酷に照らし出した。

「こんなの、おかしいよ……」

 真白の膝が抜けた。石畳に手をついたまま肩を震わせ、うわずった声が零れる。

「人が、モノみたいに、順番に消えていくなんて……もう、無理だよ。これ以上は……」

 足元に――冷たいものが絡みついた。見えない靄が皮膚の内側に手を入れてくるような、内臓のふちを撫でるような吸い込み。視界が遠ざかり、花火の色が薄い膜一枚むこうへ退いていく。

「真白!」

 蓮が抱き留め、強く引き寄せる。額と額がぶつかるほど近く、彼の息が震えているのが分かった。

「ダメだ。まだ俺たちがいる。ここにいる」

 言い切って、彼は彼女を抱きしめる。
 花火の音も音楽も遠のいて、自分の心臓の音だけがはっきり返ってくる。吸い上げられかけたものが、喉の奥に戻ってくる。
 真白はぎゅっと蓮の手を握り返し、息をついた。

「……いる。うん、ここにいる」

 少し離れた場所で、凛音が静かに見守っていた。花火の閃光がその横顔に斜めの影を置く。

「——始めから、こうなる可能性は考えてた。だから話す。私の『動機』を、全部」

 凛音は内ポケットから薄い手帳を取り出す。角の丸い文庫サイズ。表紙の布は擦り切れて、指の跡が残っていた。

「妹の優璃は、ここへ来たことがある。私には言わなかったけど、あとで分かった。夜だけ格安で入れる抽選に当たって、友だちと来たんだって。……優璃は最後までクリアした。願いも、口にした」

 花火が間をあけず重なり、色の余韻が路面の水たまりに波紋を描く。

「優璃の願いはね、『痛みを感じないで生きたい』だった。学校で、いろいろあって。毎日が苦しかった。彼女は真面目で、真面目すぎて、壊れる前にどこかを切り離そうとした。……ここは願いを叶えた。代わりに、感情を奪って、そしてクリアした」

 真白は息を呑む。

「帰ってきた優璃は、笑わなかった。怒らなかった。何にも揺れないの。目の前で転んでも、好きだった音楽を流しても、同じ温度のまま。生きているのに、空みたいだった」
 凛音は手帳をめくる。写真の隅に写った手、乱れた呼吸の記録、園の構造の走り書き。

「私は調べた。ここは感情を燃料に動く場所。六つのアトラクションは『感じる』ことを試す装置で、ぜんぶをくぐり抜けた人間には願いが与えられる。出ること以外は、ね。……でも代償がいる。つり合うなにか」
「だったら、願わなければいい。出られないとしても、願わなければ……」真白が言いかける。
「それでも、誰かは願う。私も——願う」
 凛音は夜空を見上げ、はっきり告げた。「妹の感情を返して。あの子を、あの子に戻して。代償は、私」

 花火の音の合間に、スピーカーのチャイムがからんと鳴る。
 ルミナくんの声が、いつも通りの明るさで降ってきた。
「はーい、確認しました! 願い、叶えられますよ〜。代償のご提供、ありがとうございます♪」
「待って――!」真白が一歩踏み出す。「凛音さん、ダメだよ、そんなの」
「水瀬さんいや、真白さん」凛音は微笑む。その目は不思議と穏やかで、泣いた跡も見せなかった。「あなたがいたから、ここまで来られた。短い間だったけど、ありがとう……成瀬くんも。あなたが隣にいたから、真白は折れなかった」
「そんな言い方やめてよ。終わりみたいじゃない」
「終わりにするの。私が、選ぶ。優璃が戻ってくるなら、それでいい」

 足元で、薄い光が集まりはじめた。タイルの目地に沿って細い線が走り、それが凛音の輪郭に昇っていく。髪が風に持ち上がる。夜空の紫と混ざり、身体の境界が透け、声が光の粒に変わる。

「――出口は、二人で決めて、最後のアトラクションをクリアすれば、二人で出られるから、絶対に見つけて!」

 最後の囁きとともに、光はふっと消えた。
 静寂。打ち上げの合間に訪れる、耳の内側がきしむほどの空白。
 その空白の真ん中で、ころんと小さな音がした。
 足もとに、琥珀色の飴玉が転がっていた。
 真白は手を伸ばす。指先に、ほんのわずかな温度が残っている。掌で包むと、中心にかすかな鼓動のようなものがあった。

「……り、凛音さん」

 言い切れなくて、名前が途中で泣き声に変わる。真白は飴玉を胸に抱き、肩を震わせた。蓮がそっと背を支える。

 天井のスピーカーが、別の調子のチャイムを鳴らす。

「ご案内でーす。第7ステージに到達したお客様には、ごほうびのご用意がありまーす。園内でできるかぎりの願い、叶えられまーす。——ただし、出ること以外ならねっ♪」

 続いて、事務的な音声が重なる。

「全部クリアする以外、出口通路の同時通過はできません。安全のため、ひとりずつお進みください」

「ふざけるな……」蓮が低く唸る。「俺たちは二人で——」
 真白は涙で濡れた頬を拭い、顔を上げた。

「私たちの願いは、互いを絶対に忘れないこと」

 スピーカーの向こうで、一瞬だけ空気が止まったように感じた。
「――確認中――」無機質な合成音が入り、すぐにルミナくんの声が戻る。
「はーい、オッケーでーす! それなら代償は必要ありませ〜ん♪」

 真白と蓮は顔を見合わせる。信じてしまいたくなる軽さが、かえって怖い。けれど、今はそれしか掴めるものがない。
「決めた」真白は飴玉を握りしめ、はっきりと口にした。

「クリアして、出よう。最後までやる。凛音さんの分まで」
「ああ。最後のアトラクションを見つける」

 花火がまたひとつ咲いた。今度は空の真上で大きく割れ、光の粉がゆっくりと落ちる。その尾を追うように、園内の掲示が一斉に点灯する。

《夜空に隠されたものがすべてを導く》
See the order in the sky.

 真白は掲示を見上げた。英語の太さがどこか不揃いで、でも、どの文字が強いのかを数えようとした途端、屋台の幕が風に揺れて視界を遮った。通りすぎる影と音楽と光が、考えの輪郭をさらっていく。

「順番が……ある、のかな」
「あるんだろう。でも、気づかせたくないんだ」蓮が小さく笑い、
手を握り直す。「だったら、こっちもやり方を選ぶ」

 二人は歩き出す。誰もいない屋台通りに、ポップコーンの甘い匂いだけが残っている。観覧車の支柱が低く唸り、遠くの方で、扉の錠がかちりと鳴った気がした。

「今の、聞こえた?」
「たぶん——裏」

 真白は凛音の手帳を開き、端に書かれた走り書きを指でなぞる。
スタッフは質問に答えない。宣言すると扉が動く

 ちょうどそのとき、移動式の小さなモニタが通路の影から滑り出てきた。ルミナくんが画面の中で跳ねる。

「なにかお困りかな〜?」
 蓮は短く、はっきり言う。

「最後のアトラクションに向かう。今から」

 モニタは一拍だけ明滅し、すぐに決まり文句を返した。

「いってらっしゃーい。夜空が道順を教えてくれるよ〜」

 言葉が終わるのと同時に、通路脇の目立たない扉で乾いた解錠音がした。
 二人は息を合わせ、駆け寄る。塗装の剥げた鉄扉は、押せば拍子抜けするほど軽く開いた。中は薄暗いサービス通路。非常灯が細く続き、配線の匂いと油の匂いが混じっている。

「怖い?」
「怖いよ」真白は笑う。「でも、手は離さない」
「離さない」

 非常灯の下、二人の影が重なる。飴玉の微かな温度が掌の中心で鼓動し、凛音の声の残りが胸の裏を往復する。
 通路は観覧車の基礎をかすめ、孤児のように取り残された小さな踊り場で折れる。向こう側に、メインストリートのネオンが薄く差している。
 背中のほうで、スピーカーがまた軽い音を鳴らした。

「お知らせです――向きを変えると、見えるものがあります」
 同じフレーズでも、どこかを少しずつ変えてくるのが腹立たしい。真白は振り向かず、蓮の手を強く握った。

「行こう」
「うん」

 夜空はまだ笑っている。花火は、変わらない順番でひらいては消える。
 ——それでも。
 二人は、笑わない夜の奥へ、自分たちの順番で踏み出した。