水瀬真白は、スマホの画面を何度も覗き込んでいた。
《夜だけ格安で入れる遊園地》――都市伝説みたいに囁かれていたキャンペーン。当たるはずもないと思って応募したのに、当選メールは本物だった。
後日チケットが送られてきた。

「ほんとに来れちゃったな」

隣に付き合い始めて数か月の同じ大学で恋人の成瀬蓮が笑う。どこか皮肉っぽい言い方をするけれど、
表情は子どものように楽しげだった。

「俺、都市伝説ってあんま信じてなかったんだけど……意外と当たるもんなんだな」
「うん……」

真白は頷きながらも、胸の奥に小さな不安を抱えていた。

ゲートは夜なのに白く輝き、リストバンドに反応する光が心臓の鼓動みたいに明滅する。砂糖菓子の匂い、マーチングの音楽、
空に浮かぶ観覧車の青い輪。人工的な祝祭の熱気に包まれながら、真白は一歩を踏み出した瞬間に、首筋を撫でる冷気を感じた。

同じ時間帯に入場した人々が周囲にいた。

三十五歳前後の父と母に手を引かれる小さな娘――小野寺一家。
射的の前で声を張り上げる大学生らしい二人組――大河内駿と福田亮。

スマホを握りしめながら落ち着きなく周囲を見回す女子大生――月島沙耶香とその彼氏の黒川 慎司。
そして、静かな目をした長髪の女性――八乙女凛音。

人混みの中でも視線を上げず、分厚い眼鏡越しに地図を折り畳む――黒川慎司。
地図を広げて小声で議論する男女――月島沙耶香と黒川慎司。
少し離れてメモ帳にペンを走らせる女性――八乙女凛音。観察者の冷たい視線を持ち、取材風に見えた。

ゲートの掲示には、やたらと日本語と英語の二重表記が並んでいる。
《安全第一 ― Safety First》
《出口はこちら ― Exit This Way》
《夜間限定割引 ― Night Admission Special》
意味は分かるのに、翻訳アプリで貼りつけたような均質さで、温度がない。

マスコットが姿を現す。膨らんだ着ぐるみが跳ね、スピーカー越しに声を響かせた。

「ようこそ、遊びの国!ここは笑顔とドキドキが止まらない、特別な夜のパークだよ!」

子どもが歓声を上げ、陽キャの二人はふざけてマスコットと同じポーズをする。だが真白には、その声が人間の声というより、録音を加工したように聞こえて仕方なかった。

「なぁ、真白」

蓮が案内板を指差した。

「この遊園地、お化け屋敷が一番人気なんだってよ。口コミに“本気で怖い”って書いてあった。混む前に行こうぜ」
「……え、お化け屋敷?」

真白は思わず声を上げる。怖いのは苦手だ。夜の遊園地の雰囲気に飲まれている今ならなおさら。

「せっかくだろ。入場料タダみたいなもんなんだし」蓮は笑い、真白の肩を軽く叩いた。

周囲からも「まずはお化け屋敷だ」「行列できる前に」と言う声が聞こえた。小野寺一家の娘・葵でさえ「おばけ、みたい!」と母親の腕を引っ張っている。
仕方なく真白も頷いた。心の奥で冷えが広がったが、ここで一人だけ逆らうのは気が引けた。

通りを進むと、お化け屋敷の看板が目に入る。青い文字で大きく書かれた《お化け屋敷 ― Haunted Hallway》。その下に、小さな文字で英語だけの一文が添えられていた。
Run if you can. ――《逃げられるものなら逃げてみて》。

「なんか、英語の方、怖くない?」真白が小声で言うと、蓮は首を傾げた。
「どこが? 大げさだなぁ」

彼は気にした様子もなく笑う。その横顔に安心しながらも、真白は看板の言葉が胸に貼りついて離れなかった。
マスコットが通路に現れ、くるくると回転しながら呼び込みを始めた。

「笑顔の準備はできたかな?いちばんドキドキするのはここだよ!」

弾む声に客たちは再び笑い声を上げる。
真白だけは、その言葉が“歓迎”というより、“確認”のように聞こえた。
笑顔でいなければならない――そんなルールが、知らないうちに背後に立っているようで。

「ほら、行こう」蓮が手を伸ばす。

真白は迷いながらも、その手を握った。観覧車の青い輪が背後で回り続けていたが、彼女の視線はすでに、
黒い入口の奥へと引き寄せられていた――。