その場所に、行かないでください。

カメラはフロントガラス越しに、夜の山道をただ映している。街灯はなく、ヘッドライトだけが細い道を切り開くように照らしていた。道の両脇には黒い森が迫り、時折ガードレールの向こうに谷底の闇が覗く。

「……なんかさ、街の光が一気になくなったな」

車内カメラのアキは、助手席から窓を覗き込む。

「山だからな。ダムに近づいてる証拠だろ」

コウがハンドルを握りながら返している。

「でも静かすぎない? 虫の声しか聞こえないし。いや、カエルも鳴いてるか」

「逆に安心しろよ。クマの鳴き声よりマシだろ」

「やめろ、想像したら怖くなってきた」

二人は笑う。笑い声が車内を満たし、森の闇を押し返すようだった。

「なぁ、コウあの配信、覚えてる? 初めての生配信」

「ああ、廃墟の旅館で映像飛んだやつな」

「そうそう! コメントで『息づかいしか聞こえねえ』って荒れたやつ」

「結局、あれが逆にバズったんだよな。『心霊より怖い』ってさ」

「ははっ、あれは黒歴史だろ」

ふたりの声には達成感と照れくささが混じっている。カメラ越しでも、その空気は伝わってくる。

アキがスマホを取り出して画面を確認する。

「……おい、電波一本しか立ってない」

「マジか?」

コウもちらりと覗き込む。アンテナのマークが小さく揺れて、一瞬だけ二本になり、また一本に戻った。

「着いたら配信再開できるよな?」

「まあ、多分な。最悪、録画だけでも残そう」

「いやー、100万人記念で『圏外でした』はシャレにならないって」

「心霊現象よりそっちの方がホラーだな」

二人はまた笑い合った。

しばらく走ると、カーステレオからザザッとノイズが走った。

「……おい、コウ、今の何?」

「ん? ラジオは切ってるんだけどな」

「勝手に入った? え、やばくねーー?」

「山だとあるんだよ。変な周波数拾ったんだろ。嫌な感じはしないよ」

「……ふーん」

一瞬の沈黙。だが、気まずさを打ち消すようにアキがまた口を開く。

「でもさ、俺ら本当に幸せだよな。こんな時間に山奥でバカやって、しかも見てくれる人がいるって」

「確かにな。普通の人は寝てる」

「そんな時間に、俺らは夜の闇に突っ込んでる」

「それが仕事だからな」

「幸せな仕事だよ、ほんと」

二人はまた笑い、ハイビームに映る森の影が流れていく。

「次の目標は、とりあえず150万人か。△△は突破したら何やりたい?」

「俺? 海外ロケ」

「おお、いいね。どこ?」

「海外の廃墟ホテルとか、ヨーロッパの古城とか」

「予算で死ぬぞ」

「スポンサーつける」

「お前、簡単に言うなよ」

二人は声を上げて笑っている。

「じゃあお前は?」

アキが問い返す。

コウは少し考え込んでから、ふっと笑った。

「……普通に、飯食う。ちょっといい飯」

「飯?」

「ほら、打ち上げっていっても、いつもの居酒屋だし」

「ああ……たしかに」

「俺は焼肉行きたい。しかも高級なやつ」

「夢ちっさ」

「いや、それが一番幸せだって!」

「まあ……そうかもな」

コウは口元を緩め、ハンドルを握り直した。

道がさらに細くなり、森が迫る。外気が冷え込み、窓の外は真っ暗だ。

アキがふと、窓の外を見て声を潜める。

「……なぁ今、人みたいなの立ってなかった?」

「木だろ」

「いや、影が……」

「気のせいだって。俺が何も感じてないんだから」

「……まあ、そうか」

沈黙。エンジン音とタイヤの振動だけが響く。

「でも、帰り道でガチで何か見えたら、ちゃんと俺ら逃げられるかな」

アキがぼそっと言う。

「逃げられるだろ。車あるんだから」

「まあな」

「でも、いざとなったら配信切って全力で逃げような」

「わかってるって」

二人の声に、不安と冗談が入り混じっている。
アキはスマホの画面に視線を落とす。

「おっ、電波戻った」

アキが安堵の声をあげる。

「ほら言っただろ。ダムに近いんだ」

「よかった……」

安心した空気が流れる。
コウが笑いながら言う。

「これで配信できなかったら、100万人記念が『心霊ラジオ』になっちゃうからな」

「そっちの方がバズるかもよ?」

「それは嫌だ」

二人は笑い、さらに闇の中を進んでいった。
カメラは、彼らの軽口と笑い声を記録し続ける。
幸福感に包まれながらも、その奥で何か小さな違和感が芽生えていることを、彼らはまだ知らなかったようだ。