受信日時:〇年9月×日(日) 00:47
送信者:●●●●(個人情報のため名前は伏せる)
件名:昨日の配信について
本文:
境界線ラボ様
いつも動画を楽しく拝見しています。突然のご連絡、失礼いたします。
昨夜の100万人記念の生配信を拝見しましたが、途中からお二人の様子が明らかにおかしくなり、眠れずにこうしてメールを書いています。
最初は普段通り、探索していたように見えました。●●ダムを後にし、旧道の橋に差し掛かったあたりから、コウさんがやたらと後ろを気にして振り返るようになり、声のトーンも急に落ち着かなくなったのです。カメラには何も映っていなかったはずですが、見ている側にも不安が伝わってきました。
さらに、アキさんが「子供の声がする」と叫んだ瞬間、映像全体にノイズが走り、数秒後に配信が強制終了しました。切断の直前、画面の端に“何か白いもの”が映った気がしましたが、正直あれが何だったのかは分かりません。
現在もアーカイブが公開されておらず、公式からの説明もないため、本当に無事なのかどうか心配でたまりません。どうか、お二人が安全であることを祈っております。
♢
差出人の文面からは、ファンの悪戯ではなく、単なる心霊マニアの好奇心でもなく、真剣な動揺が滲んでいた。
私は慌てて公式チャンネルを確認した。確かにアーカイブは公開されていない。画面には「動画は現在利用できません」の表示があるだけだった。いつもなら、数時間後には自動で公開される設定になっているはずなのに。
まず、私は真っ先に彼らへ連絡を試みた。いつも仕事のやり取りに使っている三人のグループチャットを開く。そこには雑談も含め、ほぼ毎日なにかしらのやり取りが残っている。
日時:〇年9月×日(日) 午前9:12
送信者:田中
「おはよう。昨日の配信、お疲れさま。無事に帰れてるか?」
画面に表示される自分の吹き出しは、あまりに軽い調子に見えて、すぐに後悔した。
だが修正する間もなく、既読はつかない。
数分待っても、沈黙だけが続いた。
不安を押し殺しながら、今度は個別に送ってみる。
日時:同日 午前9:18
送信者:田中 → コウ
「昨日の件、気になってる。落ち着いたら連絡ください」
日時:同日 午前9:20
送信者:田中 → アキ
「体調崩してないか? 配信のこと、少し話したい」
いつもなら、どちらか片方は即座に反応してきた。冗談交じりのスタンプや、深夜でも構わず飛び込んでくる通知音。そうしたやり取りが、この数年間ずっと続いていた。
だが、この日は違った。
既読はゼロ。焦りを抑えきれず、私は電話をかけた。最初は呼び出し音が規則正しく鳴った。だが十数秒後、唐突に途切れ、無機質なガイダンスが流れる。
「電源が入っていないか、電波の届かない場所にあるため掛かりません──」
続けてもう一人にも掛けたが、結果は同じだった。
全く同じ音、全く同じ長さで、途中まで呼び出し音が続き、それから冷たい機械の声が告げる。
偶然にしては、あまりに出来すぎている。
私の中で、昨夜のメールの文面と、生配信の途切れた瞬間が重なっていった。スマホを握る手が、汗で滑りそうになる。
背中を冷たいものが這い上がる感覚を、私はただ黙って受け止めていた。
彼らはいま、どこにいるのか?
そして、あの場所で何が起こったのか?
何度スマホを覗いても、状況は変わらなかった。
私は意を決して、マネージャーに連絡を取った。
彼は境界線ラボをデビュー時から支えてきた人物で、二人から「兄貴」と呼ばれるほど信頼されている。名前は仮に山岸とする。
「……やっぱり、田中さんのところも同じですか」
受話器越しに聞こえてきた山岸の声は、ひどく疲弊していた。
「ええ。グループチャットも既読がつかないし、電話も全滅です」
「こちらにも問い合わせが何件か来てます。『配信が途中で切れたままだ』『アーカイブが見れない』って……。二人からは一切、連絡がありません」
私は一瞬ためらったが、口を開いた。
「……やっぱり例の場所に行ったんじゃないですか? 山岸さん聞いてませんか?」
電話口がしばし沈黙に包まれる。
やがて低い声で答えが返ってきた。
「……考えたくはないけれど、その可能性が高いでしょうね」
「私、現場に行ってみます」
「一人で行くのは危険ですよ。……こちらで車は出します。一緒に行きましょう」
数時間後、私はマネージャーと合流した。
彼の顔色は冴えず、普段は温厚な表情も強張っている。
「では、出発します」
それだけ言うと、彼は黙り込んだ。
車を走らせるにつれて、景色は次第に人影を失っていく。
窓の外、山の木々が深さを増し、電波の表示が目に見えて不安定になった。車内の沈黙は、エンジン音だけが埋めている。
「あの……二人、そんな無茶をするように見えましたか?」
唐突に、山岸が口を開いた。
「いや。けれど、100万人突破の節目に、何か特別なことをしたいと思ったんでしょう。数字は彼らにとって、夢と同じですから」
「夢のために……ですか。僕も嬉しかった。偉業ですよ。彼らは成し遂げたんだ。そして、これからも……」
「まだ、何も分かってませんから。きっと連絡できずに、助けを待ってるのかもしれない」
「ですね……」
例の旧道に差し掛かると、空気がひどく重くなった。
湿った風が吹き抜け、カーステレオから流れるラジオにもノイズが入り込む。……唐突にスピーカーが沈黙した。ナビの案内は途中で途絶え、地図上の線は灰色に変わった。
そして、木々の切れ間に、それは現れた。
白いレンタカーが一台、道端にぽつんと取り残されている。
「……やっぱり、ここに来てたんだ」
山岸はハンドルを握りしめ、声を絞り出した。
本来、彼らは黒いワゴンを移動車として使っていたはずだ。
わざわざ噂を試すために、白を選んだのだろう。
私は目を疑った。
タイヤはぺしゃんこに潰れ、路面には黒いゴム片が散らばっていた。焦げたような匂いが漂い、ただのパンクではないことは一目で分かった。
ほどなくして駆けつけたロードサービスの作業員が、車体を覗き込んで顔をしかめた。整備士はこう証言する。
「……これは普通のパンクじゃないですね。釘や石を踏んだ痕跡もないし、外側のサイドウォールも無傷です。通常、外的要因なら外側に裂け目が残るはずなんですが……。裂け方が内側からなんですよ。トレッド面の裏側から均等に圧力がかかったような……まるで鋭利な刃物で内側から押し広げられたみたいな割け方です。空気圧の異常でも、熱膨張でも説明がつきません。十年以上この仕事をやってますけど、こんなの見たのは初めてです」
私は言葉を失った。
白い車は祟られる。
例のブログで読んだことが、現実となって目の前に突きつけられていた。
「田中さん……こっちを見てください!」
助手席のドアを開けたマネージャーが、私を小さく呼んだ。
後部座席にはカメラバッグが置かれていて、運転席には生配信用に使っていたハンディカメラが転がっている。ダッシュボードには、電源の落ちたままのドライブレコーダー。
二人の姿は消え、残されていたのは記録だけだった。
ハンディカメラは今、私の手元にある。
正直、この映像を公開すべきか何度も悩みました。だが、隠せば彼らは忘れられてしまう。それに、私は彼らのような被害者を出さないために、記録を残す義務があるのでなないか……そうも感じています。ここから先に記述するのは、あの日の配信記録と、ドライブレコーダーに残された映像の記録です。但し、何が起きても私から安全のお約束をすることはできません。知りたい人だけ見てください。なぜか? 編集作業中、何度も再生と停止を繰り返していたとき、ある瞬間にヘッドホン越しに微かに、私の名前を呼ぶ声が混じっていた気がしたのです。彼らの声じゃない。それが錯覚なのか、それとも……。私はいまだに答えを出せずにいるからです。
送信者:●●●●(個人情報のため名前は伏せる)
件名:昨日の配信について
本文:
境界線ラボ様
いつも動画を楽しく拝見しています。突然のご連絡、失礼いたします。
昨夜の100万人記念の生配信を拝見しましたが、途中からお二人の様子が明らかにおかしくなり、眠れずにこうしてメールを書いています。
最初は普段通り、探索していたように見えました。●●ダムを後にし、旧道の橋に差し掛かったあたりから、コウさんがやたらと後ろを気にして振り返るようになり、声のトーンも急に落ち着かなくなったのです。カメラには何も映っていなかったはずですが、見ている側にも不安が伝わってきました。
さらに、アキさんが「子供の声がする」と叫んだ瞬間、映像全体にノイズが走り、数秒後に配信が強制終了しました。切断の直前、画面の端に“何か白いもの”が映った気がしましたが、正直あれが何だったのかは分かりません。
現在もアーカイブが公開されておらず、公式からの説明もないため、本当に無事なのかどうか心配でたまりません。どうか、お二人が安全であることを祈っております。
♢
差出人の文面からは、ファンの悪戯ではなく、単なる心霊マニアの好奇心でもなく、真剣な動揺が滲んでいた。
私は慌てて公式チャンネルを確認した。確かにアーカイブは公開されていない。画面には「動画は現在利用できません」の表示があるだけだった。いつもなら、数時間後には自動で公開される設定になっているはずなのに。
まず、私は真っ先に彼らへ連絡を試みた。いつも仕事のやり取りに使っている三人のグループチャットを開く。そこには雑談も含め、ほぼ毎日なにかしらのやり取りが残っている。
日時:〇年9月×日(日) 午前9:12
送信者:田中
「おはよう。昨日の配信、お疲れさま。無事に帰れてるか?」
画面に表示される自分の吹き出しは、あまりに軽い調子に見えて、すぐに後悔した。
だが修正する間もなく、既読はつかない。
数分待っても、沈黙だけが続いた。
不安を押し殺しながら、今度は個別に送ってみる。
日時:同日 午前9:18
送信者:田中 → コウ
「昨日の件、気になってる。落ち着いたら連絡ください」
日時:同日 午前9:20
送信者:田中 → アキ
「体調崩してないか? 配信のこと、少し話したい」
いつもなら、どちらか片方は即座に反応してきた。冗談交じりのスタンプや、深夜でも構わず飛び込んでくる通知音。そうしたやり取りが、この数年間ずっと続いていた。
だが、この日は違った。
既読はゼロ。焦りを抑えきれず、私は電話をかけた。最初は呼び出し音が規則正しく鳴った。だが十数秒後、唐突に途切れ、無機質なガイダンスが流れる。
「電源が入っていないか、電波の届かない場所にあるため掛かりません──」
続けてもう一人にも掛けたが、結果は同じだった。
全く同じ音、全く同じ長さで、途中まで呼び出し音が続き、それから冷たい機械の声が告げる。
偶然にしては、あまりに出来すぎている。
私の中で、昨夜のメールの文面と、生配信の途切れた瞬間が重なっていった。スマホを握る手が、汗で滑りそうになる。
背中を冷たいものが這い上がる感覚を、私はただ黙って受け止めていた。
彼らはいま、どこにいるのか?
そして、あの場所で何が起こったのか?
何度スマホを覗いても、状況は変わらなかった。
私は意を決して、マネージャーに連絡を取った。
彼は境界線ラボをデビュー時から支えてきた人物で、二人から「兄貴」と呼ばれるほど信頼されている。名前は仮に山岸とする。
「……やっぱり、田中さんのところも同じですか」
受話器越しに聞こえてきた山岸の声は、ひどく疲弊していた。
「ええ。グループチャットも既読がつかないし、電話も全滅です」
「こちらにも問い合わせが何件か来てます。『配信が途中で切れたままだ』『アーカイブが見れない』って……。二人からは一切、連絡がありません」
私は一瞬ためらったが、口を開いた。
「……やっぱり例の場所に行ったんじゃないですか? 山岸さん聞いてませんか?」
電話口がしばし沈黙に包まれる。
やがて低い声で答えが返ってきた。
「……考えたくはないけれど、その可能性が高いでしょうね」
「私、現場に行ってみます」
「一人で行くのは危険ですよ。……こちらで車は出します。一緒に行きましょう」
数時間後、私はマネージャーと合流した。
彼の顔色は冴えず、普段は温厚な表情も強張っている。
「では、出発します」
それだけ言うと、彼は黙り込んだ。
車を走らせるにつれて、景色は次第に人影を失っていく。
窓の外、山の木々が深さを増し、電波の表示が目に見えて不安定になった。車内の沈黙は、エンジン音だけが埋めている。
「あの……二人、そんな無茶をするように見えましたか?」
唐突に、山岸が口を開いた。
「いや。けれど、100万人突破の節目に、何か特別なことをしたいと思ったんでしょう。数字は彼らにとって、夢と同じですから」
「夢のために……ですか。僕も嬉しかった。偉業ですよ。彼らは成し遂げたんだ。そして、これからも……」
「まだ、何も分かってませんから。きっと連絡できずに、助けを待ってるのかもしれない」
「ですね……」
例の旧道に差し掛かると、空気がひどく重くなった。
湿った風が吹き抜け、カーステレオから流れるラジオにもノイズが入り込む。……唐突にスピーカーが沈黙した。ナビの案内は途中で途絶え、地図上の線は灰色に変わった。
そして、木々の切れ間に、それは現れた。
白いレンタカーが一台、道端にぽつんと取り残されている。
「……やっぱり、ここに来てたんだ」
山岸はハンドルを握りしめ、声を絞り出した。
本来、彼らは黒いワゴンを移動車として使っていたはずだ。
わざわざ噂を試すために、白を選んだのだろう。
私は目を疑った。
タイヤはぺしゃんこに潰れ、路面には黒いゴム片が散らばっていた。焦げたような匂いが漂い、ただのパンクではないことは一目で分かった。
ほどなくして駆けつけたロードサービスの作業員が、車体を覗き込んで顔をしかめた。整備士はこう証言する。
「……これは普通のパンクじゃないですね。釘や石を踏んだ痕跡もないし、外側のサイドウォールも無傷です。通常、外的要因なら外側に裂け目が残るはずなんですが……。裂け方が内側からなんですよ。トレッド面の裏側から均等に圧力がかかったような……まるで鋭利な刃物で内側から押し広げられたみたいな割け方です。空気圧の異常でも、熱膨張でも説明がつきません。十年以上この仕事をやってますけど、こんなの見たのは初めてです」
私は言葉を失った。
白い車は祟られる。
例のブログで読んだことが、現実となって目の前に突きつけられていた。
「田中さん……こっちを見てください!」
助手席のドアを開けたマネージャーが、私を小さく呼んだ。
後部座席にはカメラバッグが置かれていて、運転席には生配信用に使っていたハンディカメラが転がっている。ダッシュボードには、電源の落ちたままのドライブレコーダー。
二人の姿は消え、残されていたのは記録だけだった。
ハンディカメラは今、私の手元にある。
正直、この映像を公開すべきか何度も悩みました。だが、隠せば彼らは忘れられてしまう。それに、私は彼らのような被害者を出さないために、記録を残す義務があるのでなないか……そうも感じています。ここから先に記述するのは、あの日の配信記録と、ドライブレコーダーに残された映像の記録です。但し、何が起きても私から安全のお約束をすることはできません。知りたい人だけ見てください。なぜか? 編集作業中、何度も再生と停止を繰り返していたとき、ある瞬間にヘッドホン越しに微かに、私の名前を呼ぶ声が混じっていた気がしたのです。彼らの声じゃない。それが錯覚なのか、それとも……。私はいまだに答えを出せずにいるからです。



