ここまで掲載した映像記録と資料は、すべて私が入手できた限りのものである。二人の失踪からすでに一年以上が経過したが、公式な発表は一切なく、私ができる限りの情報提供をした警察も「捜査中です」とだけ繰り返す。家族も沈黙を貫き、ファンの間では「本人たちはまだどこかで生きている」という希望的観測と、「やはり霊界に取り込まれた」という噂が同居している。山岸には、何も記録されていなかったと伝えた。彼は、今も無事に過ごしている。
だが、私はここで記録者としての立場を踏み越えて、どうしても書かねばならないことがある。
最初にあの動画を見た日のことだ。
現場に残された映像を、机上のノートPCに繋ぎ瞬間、私は彼らの手がかりを見つけようとした。
しかし、繰り返し再生するうちに、音声の端々に聞き慣れない雑音が混ざり始めた。最初はマイクのノイズかと思った。ところが、よく耳を澄ませるとそれは言葉になっていた。
「……●、●、●」
はっきりとそう聞こえたのは、四度目の再生のときだった。気のせいだと頭では理解しようとした。私の本当の苗字は日本に同姓が多い。偶然、そういう音が重なったのだろう、と。
けれど六度目にはっきりとした。
子どもの声で、今度は「●●●さん、見てるよね」と丁寧に呼ばれた。
私は椅子から立ち上がり、スピーカーの音量を落とした。動画編集者として長年、心霊映像の依頼を受けてきたが、自分の名前が呼ばれることなど一度もなかった。画面に映るのは二人の若者の恐怖に歪む顔と、窓に浮かぶ無数の手形だけだ。それなのに、声は確かに私に向けられていた。
その夜、私は眠れなかった。
風もないのにカーテンが揺れ、廊下の奥で小さな足音が往復するのを聞いた。マンションの上の階に子供はいない。気のせいだと分かっていても、私は明かりを点けたまま朝を待った。
それでも翌日、作業を続けた。再生と停止を繰り返すたび、声は少しずつ近くなっていった。最初はざらついたノイズに埋もれていたのが、今では耳元で囁かれているかのように鮮明に響く。
「●●さんも、こっちにきなよ」
私は、つい答えてしまったのだ。「嫌だ」と。
それからだ。映像を停止しても、その声だけがスピーカーから流れ続けることがある。電源を落とし、ケーブルを抜いても、声は頭蓋骨の奥に残響する。私は自分の鼓動と呼吸だけでなく、もう一人の気配を部屋の中に感じ始めた。
私はそれでも、この記録を途中で投げ出すこともできなかった。自宅で作業することが怖くなり、編集室の隅で徹夜を重ねるようになった。そこでも異変は止まらなかった。
テキストファイルに記録を書き込んでいると、勝手にカーソルが動き出す。
「はやくおいで」
「まってる」
文字列が画面に浮かび上がり、私は慌てて削除キーを押した。だが次の瞬間には別の箇所に同じ言葉が現れる。
それでも私は原稿をまとめ続けた。
こうして記している今も、部屋の隅に誰かが立っている気がしてならない。視界の端で、壁際に小さな影が揺れている。振り返っても何もいない。それなのに、私の方に「手」が伸びてきている気がする。……私は、この記録を公開すべきではないのかもしれない。だが、ここで筆を止めれば、また犠牲者が出る。だから私は書く。恐怖に震えながらも書き続ける。
いつ、私も引きずり込まれるかわからないから。
もし、あなたがこの文章を最後まで読んだのなら、もうひとつだけ忠告しておきたい。
このページを閉じたあと、耳を澄ませないでほしい。
向こう側から呼ぶ声に、決して返事をしてはならない。
そして、あの場所には、行かないでください。
(了)
だが、私はここで記録者としての立場を踏み越えて、どうしても書かねばならないことがある。
最初にあの動画を見た日のことだ。
現場に残された映像を、机上のノートPCに繋ぎ瞬間、私は彼らの手がかりを見つけようとした。
しかし、繰り返し再生するうちに、音声の端々に聞き慣れない雑音が混ざり始めた。最初はマイクのノイズかと思った。ところが、よく耳を澄ませるとそれは言葉になっていた。
「……●、●、●」
はっきりとそう聞こえたのは、四度目の再生のときだった。気のせいだと頭では理解しようとした。私の本当の苗字は日本に同姓が多い。偶然、そういう音が重なったのだろう、と。
けれど六度目にはっきりとした。
子どもの声で、今度は「●●●さん、見てるよね」と丁寧に呼ばれた。
私は椅子から立ち上がり、スピーカーの音量を落とした。動画編集者として長年、心霊映像の依頼を受けてきたが、自分の名前が呼ばれることなど一度もなかった。画面に映るのは二人の若者の恐怖に歪む顔と、窓に浮かぶ無数の手形だけだ。それなのに、声は確かに私に向けられていた。
その夜、私は眠れなかった。
風もないのにカーテンが揺れ、廊下の奥で小さな足音が往復するのを聞いた。マンションの上の階に子供はいない。気のせいだと分かっていても、私は明かりを点けたまま朝を待った。
それでも翌日、作業を続けた。再生と停止を繰り返すたび、声は少しずつ近くなっていった。最初はざらついたノイズに埋もれていたのが、今では耳元で囁かれているかのように鮮明に響く。
「●●さんも、こっちにきなよ」
私は、つい答えてしまったのだ。「嫌だ」と。
それからだ。映像を停止しても、その声だけがスピーカーから流れ続けることがある。電源を落とし、ケーブルを抜いても、声は頭蓋骨の奥に残響する。私は自分の鼓動と呼吸だけでなく、もう一人の気配を部屋の中に感じ始めた。
私はそれでも、この記録を途中で投げ出すこともできなかった。自宅で作業することが怖くなり、編集室の隅で徹夜を重ねるようになった。そこでも異変は止まらなかった。
テキストファイルに記録を書き込んでいると、勝手にカーソルが動き出す。
「はやくおいで」
「まってる」
文字列が画面に浮かび上がり、私は慌てて削除キーを押した。だが次の瞬間には別の箇所に同じ言葉が現れる。
それでも私は原稿をまとめ続けた。
こうして記している今も、部屋の隅に誰かが立っている気がしてならない。視界の端で、壁際に小さな影が揺れている。振り返っても何もいない。それなのに、私の方に「手」が伸びてきている気がする。……私は、この記録を公開すべきではないのかもしれない。だが、ここで筆を止めれば、また犠牲者が出る。だから私は書く。恐怖に震えながらも書き続ける。
いつ、私も引きずり込まれるかわからないから。
もし、あなたがこの文章を最後まで読んだのなら、もうひとつだけ忠告しておきたい。
このページを閉じたあと、耳を澄ませないでほしい。
向こう側から呼ぶ声に、決して返事をしてはならない。
そして、あの場所には、行かないでください。
(了)



