***
昨日よりもおかずを多くして二人分の弁当を持って学校へ行った。
自分の分も気持ちの分だけ多くしている。まだまだ成長期だ。もしかしたら身長だって高くなるかもと期待を込めた。
滞りなく進んでいく授業よりも昼食タイムの方が気になっていた。その授業の休憩時間を利用して、クラス内では数ヶ月先にある体育祭の話題がチラホラと出ているのが聞こえてくる。
——体育祭か。今年はどうしようかな。
数学の授業の合間に考える。
昔から足は遅くないので、中学生の時から短距離かリレーには出ていた。
愁が競技に出ている姿を妄想して、危うく尊死しかける。
——良~~ッ、何それ見たい‼︎ 何なら僕は保護者席で良い‼︎ カメラマンしたい!
スマホ片手に推しを連写したい。
チラチラと何度も隣に視線を這わせると目が合った。ノートに文字を書きこんだ愁がコチラに向けてノートを掲げてみせる。
『見すぎ。とけるからあまり見ないで』
思わず笑ってしまい「ほう、村上余裕そうだな」と先生に名指しされてしまった。
「ごめんなさい、推しに夢中すぎて先生の話なんて全然聞いてませんでした!」
「村上ぃ~良い度胸してんな! ちょっとこっち来い」
「すみません。勘弁してください」
手招きしながら教師がニンマリと嫌な笑みを浮かべている。コツコツと隣から机を叩かれたので視線を向けると、答えが書かれたノートを見せられた。
教師に手招きをされるままに黒板の前まで行き、教えてもらった答えを書き込む。
「お、何だちゃんと出来てるじゃねえか」
感心したような声音で褒められた。
——え? 顔もスタイルも頭も良くてスケボー上手いとか僕の推しって神過ぎん⁉︎
「愁、ありがとう」
「別に……」
素っ気なく返されたものの、本当に授業なんてどうでも良くなってきて、気分上々のまま席に戻ったのだった。
目当ての昼休憩になり、いつもの場所で愁と座り込む。
「今日は昨日より多めに作ったよ」
「本当に? すごい嬉しい」
美咲に教わりながら夜から仕込みを始めたから、朝はめちゃくちゃ楽だった。
おかずとご飯を別容器に分けたので、きっと今日は満足してもらえる筈だ。
「作るのって覚え出すと楽しくてさ。これから大学行って就職となると自分で作らないといけなくなるし、一石二鳥だよ。愁に感謝だね」
破顔しながら言うと愁が微かに笑う。
「光流は今日の夜九時頃ってあいてる?」
「今日はちょうどバイトだからその時間くらいに終わるし、あいてるよ」
「じゃあ、帰りに前に会った公園に来てくれる?」
「もしかしてスケボー見せてくれるの?」
「約束だからね。オレの練習に付き合って? 補導される時間の前には家に着くようにするから」
頭がもげそうなくらいに首を縦に振った。
「楽しみにしてる! スマホで撮影してもいい? 動画が良いんだけど」
「それはさすがにまだ恥ずい。もう少し慣れてからで……」
「何で? めちゃくちゃ上手いのに! ボード操ってる時の愁て顔つきから変わるし普段とのギャップが凄いんだよね。カッコいい!」
「ちょ、褒め過ぎ。やめて。それに光流は普段からオレを見過ぎなんだよ……ガチで勘弁して」
「それは断ってもいいかな? 推しはいつなんどきでも脳内フィルターに保存しときたいの」
「訳わかんねえ」
撮影はまだNGらしい。残念だけど仕方ない。バイト帰りに初めて出会った公園へ行く約束をして、残りの弁当を食べた。それからは他愛ない会話へと移っていく。
愁とはどんな会話でも自然に話せるから楽しくて、あっという間に時間が過ぎていった。
——そうだ。美咲さんに連絡しなきゃ。
帰りが遅くなると心配させてしまうのもあって、先にメッセージアプリで「バイト終わりに友達と公園に行ってくるね」と送信する。すぐにOKと書かれたスタンプが返ってきた。
朗らかで優しくて、しっかりしてるとこもあるけどどこか抜けた所もある美咲の事が光流は家族として大好きだ。
***
「村上くん、引き継ぎ終わったらもう上がっていいからね」
バイトしている飲食店の店長に言われて、調味料の補充をしていた光流は顔を上げた。
分かりました、と返事して次のバイト生に変わってもらう。時刻は午後九時を少し超えていた。
——早く。早く行きたい!
急いで帰り支度を済ませて、目当ての公園に向けて走る。息を切らしながら公園に近付くと、ガラの悪そうな男たちの声が聞こえてきた。
——もしかして絡まれてるのって愁なんじゃ……。
植木の間を縫って確認する。やはり絡まれていたのは愁だったのもあり、勝手に体が動いて男たちの前に飛び出していた。
「三人で一人によってたかって何してるんですか?」
「バカ、来るな!」
愁が声を張って言った時には遅かった。
「ああ? 何だお前」
愁に絡んでいた一人が足早に歩いてきて、男に胸ぐらを掴まれた。
「卑怯です」
そう言うと静かな公園内にゲラゲラと下卑た笑い声が響き渡る。
——飛び出したのは良いけど、喧嘩なんてした事ないんだけどどうしようかな……。
逃げ一択だ。何とか愁と一緒に逃げられないか逡巡していた時だった。
呻き声が聞こえてきて、愁が殴られてしまったんじゃないかと慌てて視線を向ける。
「愁、大丈……っ、へ⁉︎」
腹を押さえて呻いていたのはガラの悪い二人だった。地に膝をつき四つん這いの姿になっている。それを見て焦ったのか男が腕を振りかぶった。
——あ、殴られる。
しかし何かを受け止める乾いた音だけがして、一向に痛みが来ない。自分を殴ろうとしていた男の拳は愁が掴んでいた。男との間に身を割り込ませている。
「何しようとしてんのアンタ……絡むならオレだけにしといてくれる? 希望通りにアイツらと同じようにしてあげるからさ」
初めて愁の低音の声を聞いた。
背筋が寒くなるほどに感情が一切こもっていなくて、こちらが身震いしてしまいたいくらいだった。
「ちっ、くそが……」
男の負け惜しみめいた声が上がる。愁が受け止めた拳に更に負荷がかかっていくのが分かった。今にもミシッと音がしてきそうなくらいの強さで握られている。
「分かったよっ。分かったから離せ!」
男は脂汗をかきながら、仲間を放置して逃げていってしまった。
「ほら、アイツが仲間を引き連れて来ない内に帰ろう光流」
手を繋がれて早歩きでその場を離れる。さっきとは違ってやんわりと繋がれていて、通常の体温のはずなのに掴まれている所が火傷しそうなくらいに熱くなっていた。
——ダメ。なんか体が変だ。繋がれている手に意識を持ってかれる。
話題を変えたくて口を開いた。
「愁て……喧嘩も強いんだね」
「昔誘拐されかけたんだよ。護身術的に色々習わされた。それを適当に混ぜてる。ていうか、光流は喧嘩出来るの?」
「ムリ」
「ねえ……さっき何で混じろうとしたの⁉︎」
呆れ顔で見つめられた。
「自分の推しがピンチかもしれないのに知らんふりなんて出来ないよ」
笑いながら言葉を紡ぐと愁がもっと呆れかえった表情をみせた。
今はウィッグも被ってないし、マスクも眼鏡もかけていない。鮮やかな青みの強い浅葱色と呼ばれる色合いの瞳が覗いていた。
——綺麗な海みたいだ。吸い込まれそう。
旅行のパンフレット記事でよく見かける。本当の目の色は初めて見たので、興奮度数MAXになった。瞬きもせずに食い入るように見つめる。
「だからさ……見過ぎだってば。せめて瞬きはしよ?」
「綺麗なんだから仕方ないよ。僕にとっては尊すぎて鼻血もんだし。僕の推しがカッコ良くてツラい」
「光流って本当に変な奴だよね……」
ため息をつかれた。
「話戻すけど、こういう時は警察呼ぶだけにしてくれる?」
「混ざった後に呼ぶね」
「いや、喧嘩出来ないくせに何言ってるの? 混ざって怪我する前に呼んでって言ってるの」
真剣な表情で言われてしまったので苦笑した。心配してくれたのだろう。その気持ちが伝わってきたので大人しく頷く。
「分かった。そうするよ。足引っ張っちゃってごめんね」
「違う! オレは光流をしんぱ……っ、ううん、何でもない」
言葉を途中で切られてそっぽ向かれてしまった。愁が何を言おうとしていたのか気にはなって首を傾げる。
「僕、何かした?」
「だから何でもないって」
「そう? でもスケボー出来なくなっちゃったね。僕すっごく楽しみにしてたんだけど」
「昼間でもいいけどね。光流、週末は?」
「バイト……」
「んじゃ、またバイトある日の夜だね」
悔しい。ガックリと肩を落とすと、ふんわりと微笑まれたのですかさずスマホのシャッターをきった。
「おい……」
「最高に尊いっ。永久保存版ゲット!」
「光流って強気な癖に喧嘩出来なかったり、すぐ落ち込んだりさ……強いのか弱いのか良くわかんない」
「物理的に強くはないよ。でも気持ち的には愁の為なら何でもする」
しっかりと目を合わせて微笑んで見せると、即行で愁が反対方向を向いた。
「そういうセリフ、誰にでも言わない方がいいよ」
先に歩き出した愁の後を追いかける。
——今初めて言ったんだけどな……。
本音を直接口にするのは難しい。オブラートに包みながらだったらいいのかなと思考を巡らせる。
結局スケボーができる唯一の公園に行けなくなってしまい、帰るしかなくなった。もっと一緒に居たかっただけに残念な気持ちになる。
「愁てここから家遠いの?」
「電車で十分くらいだからそんなに遠くない。光流は?」
「うちはすぐそこ」
もうお別れだ。家に帰るのが億劫に感じたのは初めてだった。
そんな気持ちが胸内を占めていて動けなくなってしまう。明日から祝日と重なって週末に入るから数日間は会えなくなってしまう。じゃあ……と声をかけられた時に被せるように言った。
「明日から休みだしさ、良かったら僕の家に来ない? 美咲さんも連れてきてって言ってたから。僕ね、友達出来たの初めてだから美咲さんも大はしゃぎなんだよね」
「突然お邪魔しても迷惑じゃないの?」
「電話してみる。OKだったら泊まってくれる?」
「まあ……それなら」
スマホを取り出して美咲に発信する。いつも通りの落ち着いた声音で快諾してくれた。
「良いってさ。行こう?」
「オレも……友達の家に行くの初めて」
同じだと言う事が嬉しくて表情が緩んだ。
愁と一緒に家に帰ると滋も帰宅していて、快く迎えてくれた。
「滋さんおかえりなさい。いつもより早かったんですね」
「ああ、たまには早く帰りたいからね。光流くんと美咲の顔を見ておきたいし。海堂くんだっけ? 光流をよろしくね」
「いえ、こちらこそいつも助けられています」
照れくさそうに愁が頭を下げた。そのあとは一緒に食卓を囲んで、風呂に入って部屋に行くとベッドの横にもう一組布団が敷かれていた。
「愁、ベッドと布団どっちが良い?」
「布団で寝た事ないから布団がいい」
即行で決まった。家に来てからどこかソワソワしながらも瞳を輝かせてばかりの愁を見ていると、こっちまで嬉しくなってきて鼻歌混じりにベッドに乗った。
「光流っていつも一人楽しそうだよね」
「人をバカみたいに言うのやめて!」
「悪口じゃないよ。見ていると楽しいって言いたかっただけ。て事でおやすみ」
背を向けた愁の耳が赤くなっているのが分かった。これは照れている。確信出来たので、その姿をスマホで撮影した。次いで、シャッター音に振り返った愁も映す。
「照れてる推しがカッコ良くて可愛い! それに髪色も目の色もめちゃ綺麗。隠すの勿体無い!」
「あのね……っ」
諦めたようにため息を吐かれた。
***
平日になり、その日は昼休憩が終わって愁と一緒に教室に帰ると、おかしな空気になっているのが分かった。
チラチラ視線を向けられるのに、誰とも深く視線が絡まない。
——何かあったんかな?
三限目までは何もなく普段と同じだったので、昼休憩中になにかがあったとしか思えなかった。
慣れているのかそんな空気をものともせず、愁は大股で歩いて先に席についた。好奇心の入り混じった瞳から逃れるように机の上に上半身を倒していく。
「なあ、海堂お前って愛人の息子ってホント?」
ニヤニヤとしながら声をかけてきたのは佐藤というクラスメイトだった。
「そうだけど。それが何? あんたに何か迷惑かけた?」
表情一つ変えずに棒読みに近い声音で愁が答えると、至る所でザワザワとし始める。
——ああ、そういう事か。
世の中は思っている程に綺麗じゃない。無関心だったり、誰かを虐げたがる輩やそれを見て楽しむ人もいる。それは身に染みるほど自分自身が一番良く分かっていた。
佐藤のところに木村と佐伯も集まってくる。愁を標的にしようとしているのが丸わかりだ。
愁と同じように大股で歩いて行ってカバンを置くなり席についた。
「C組に腹違いの妹がいるんだよな? 同じ年齢で同じ学校とかやり辛いんじゃね?」
「別に? その前にあの子は関係なくない?」
愁の顔色が何一つ変わらない。ただ、妹を〝あの子〟と言った言葉に引っ掛かりを覚えた。
「ここまで当たり前のように不倫してるとか有り得なくね?」
「だとしたらお前もそんな見た目して裏では結構遊んでたりして?」
頭にきて、両手をバンッと机に叩きつけて立ち上がる。
「あのさぁ……っ!」
普段感情も露わにした事なかったし、大きな声も出してこなかったからか、皆驚きを隠せない様子で一瞬空気が止まった気がした。
「僕のとこなんて実父は二歳の時に女の人作って出てったし、実母にも「三歳になってもあんたみたいにロクに口もきけない子なんて要らないわ」って言われてアパートに置き去りにされましたけど何か? 別に今時珍しくもないでしょ。親は親、子は子。親がそうだからって子まで親みたいになるわけじゃないよ。なのに知ったかぶって外野がゴチャゴチャ煩い‼︎ きみたちに何の関係があるの⁉︎」
ゼーハーと肩を震わせて息をする。
勢いに任せて何ともない風に言ってしまったが、正直トラウマにはなっている。美咲と滋に声をかけられるまで一人でいるのが怖くて碌に留守番さえも出来なかったくらいだ。
今は落ち着いているものの、捨てられたくない、愛されたいと願う気持ちは多分人より大きい。
机の上で握り拳を作って、もう一度席に座り直す。さすがに教室内が静まり返り、誰も口を開かなかった。
学校生活において一番の難題があるとすれば、それは自分たちで何人かのグループを組んで何かをする時だ。いまその問題に直面している。
——調理実習どうしよう?
難しくなるレベルとしても空いた隙間に押し込められる一人よりも、二人の方が難易度が上がってしまう。別々の班に入るのも念頭に入れはするものの、二人一緒にやりたい。
「あの……村上くんと海堂くん。今度の調理実習の班、一緒にやらない? ちょうど二人いると人数ぴったりでお互い助かると思うんだ。どうかな?」
女子生徒二人組に声をかけられた。
「良いけど……。本当に僕らで良いの?」
「うん、逆に助かる! 私たちいつも二人だから他のグループには入れなくて、バラけるしかないから……」
——なるほど。
二人だとこういう班を組むタイプの授業は厳しいと同じ事を感じているのだろう。どうしようかと悩んでいたから正直助かった。
「愁どうする?」
「光流が良いなら良いよ」
そう言われたので「じゃあお願いします」と返事をした。
「やった‼︎ 楽しみにしてるね!」
去っていく二人を眺める。
「はっ、女の気ぃ引いてみっともなっ」
「陰キャ共が調子乗ってんじゃねえよ」
——何言ってんの? 陰キャは僕だけですけど⁉︎
愁がどれだけ神がかったイケメンか説明してやりたいところだ。ここで言ったら逆に愁に迷惑をかけてしまうので唇を引き結ぶ。
「今度は言い返せませんってか?」
笑い声まで腹の立つ奴らだ。
「あのさ、僕の推し活の邪魔をしないでくれない? 愁は僕の推しだから悪く言わないで‼︎」
「キモっ、陰キャが陰キャ推すとか意味わかんねえ。ゲイなんじゃねえの?」
「それはそれでキモいわ」
「ていうか、ゲイだったら何? 仮にそうだとしても関係なくない? 異性を好きになろうと同性を好きになろうとそれこそ僕の勝手だよ。きみたちにバカにされるいわれも覚えもない!」
「村上くんが自己主張するの初めて見た。しかも佐藤たち相手に……」
「推し活良いよね!」
「応援してるから頑張ってね!」
「うん、ありがとう! 推し活て最高だよね!」
掛けられた言葉に返す。
——うんうん。これこれ。一部の人にでも伝わって良かった。
身の内話と推し活運動を暴露したからか、何故かクラスメイトが時々優しい。同情もあるかもしれないけど、気持ちが嬉しかった。
それ以来揶揄われなくなったどころか、色んな意味でたくさんの味方が出来た。
「ぶふ……っ」
マスクで顔を全て覆ってしまったが、愁が肩を震わせてまで笑っていた。
「くくっ……、ふ……ッふは」
——それ、前見えないから危ないよ?
そして調理実習当日。全てが完璧に思えた推しの弱点が発覚する。しんなりとし過ぎている以前に黒い物体がフライパンの上に固まっていた。
「愁てさ……」
「うん。オレ料理は壊滅的に苦手なの」
「そ、そういう事もあるよね……」
「村上くんは?」
「僕は最近料理出来るようになったよ」
「良かった! じゃあこれの続きお願いしてもいい? 私たちは別の料理を仕上げちゃうから!」
「分かった」
焦げたのが玉ねぎだけで良かった。愁を椅子に座らせた後で三人で目配せし、完璧にフォローしあって何とか誤魔化し完成品に仕上げていく。その横で愁が瞳を輝かせていた。
「皆凄い! オレの好きな生姜焼き!」
——好きなんだ……。というか大型ワンコみたいで可愛い。
悶える。だから料理が出来ないのに率先してまでやろうとしていたのか思うとと納得した。
***
愁と一緒にいるようになって二ヶ月が経とうとしていた。
クラス内の話題はもっぱら体育祭の件だ。次の時限にやるホームルームと来週のホームルームを使って、誰がどの種目に出るか決める事になっている。
「愁、何かやりたいよね?」
「光流が?」
「ううん、愁が。僕はカメラマンで」
グッと親指を立ててみせた。
「そんなドヤ顔で言われても困るんだけど」
始業開始のチャイムが鳴り、項目が書かれていく。どんなものをするかは、事前にもう投票式で決められているので黒板に名前を書いていくだけである。
「はいっ、海堂くんがリレーのアンカーやりたいそうです!」
「言ってませーん」
「ええっ、走ろうよ! 僕は写真担当で!」
「村上くんが走ればいいでしょ。オレが撮ってあげるよ」
「僕の写真なんか要らない~。推しの写真がいい」
ダメだ。やる気ゼロだ。推しを活躍させたいのにこれでは良い写真が撮れそうにない。どうしたものかと頭を悩ませる。
「夫婦漫才はいいから二人は少し黙ってくれる?」
ヤジが飛んできた後でクスクスと笑い声も聞こえてきた。本音がダダ漏れ過ぎていたようで少しだけ反省する。
——次の時間、確か体育でバスケだったよね。
良い案を閃いて、コッソリと愁にだけ聞こえるように耳打ちした。
「じゃあ僕と勝負しない? 次の時間の体育でやるバスケでたくさん点取れた方が勝ちってのどう?」
唸りながら愁が考えている。
「いいよ……オレが勝ったら何してくれるの?」
「愁の言う事なら何でも聞く!」
「……」
微かに愁の眉間に皺が寄った。
「だからそんな事誰これ構わず言うなっての。際どいセリフだって気がつかない?」
少し不機嫌そうにしているのが謎だ。
「愁にしか言ってないけど?」
また盛大なため息を吐かれた。
足の速さに加えてフリースローだけは得意だった。ボールのコントロールには自信がある。勝つ気満々で着替え終えて体育館へ行く。
「愁、忘れないでよね!」
「はいはい。分かったから……」
気怠そうに愁が言葉を紡ぐ。
組み分けされると、良い感じに愁とは別チームになった。
「村上!」
ボールを回されシュートしようと構えたが、アッサリとカットされてしまい相手側のボールとなる。
——え、あれ……?
それから何度もチャンスは回ってきたけれどいくら構えてもボールはすぐに奪われてしまった。そしてとある事に気がつく。
今までの練習は自分一人で個人的にやっていただけだった。つまり、敵が居ない。ボールをフリースローラインから放るだけなので簡単に入ったのだ。
——僕はとんでもなく救いようのないバカだ。
あんなにやる気出していたのが恥ずかしくて、意気消沈とし頭を抱えてうずくまる。
——ヤバい。推し活やめろとかって言われたらどうしよう……。
泣きそうだ。結局、自分たちのチームは負けてしまい、次のチーム対戦へと変わってしまった
「うわ、何点目? 海堂上手くね?」
「すげえ!」
ゴールのリングに捕まってぶら下がっていた愁が床に降り立つ。
——良~~っ。
目の保養になり過ぎる。負けたのも落ち込んでたのも忘れ、視線が愁へと釘付けになった。
オフェンスを続行して、愁の手にまたボールが渡った。
スケボーで鍛えた体幹、バランスの取り方、動体視力、俊敏性、跳躍力、身長の高さ全てにおいて天性のセンスを兼ね備えている。それプラスやけにバスケに慣れている気がした。
まだ愁に因縁をつけようとしている佐藤がわざと足を引っ掛けようとしていたが、背後に目でもついているような動きで恐るべき跳躍力でかわす。
「は? 何で……」
「マジかよ、アイツ」
「海堂をとめろ!」
そんな相手を抜きまくって、そのままダンクを決める。カシャン……パサリと音を響かせて、床に見慣れた黒い物体が二つ落ちた。
——あれって確か……。
「あ……」
愁が床に降りながら頭に触れている。
「え、なんか落ちた……って、ウィッグと眼鏡?」
「嘘。海堂くんてめちゃくちゃイケメンじゃん!」
「地毛が金髪だから黒いカツラ被ってたの⁉︎」
「ハーフっての本当だったんだ!」
「村上くんの気持ち分かった。これは推せるわ。寧ろ推すしかないわ」
バスケで激しい動きをしたのと、ダンクの衝撃だろう。黒髪はウィッグだったのがバレ、愁が本当は超がつくほどのイケメンだと知れ渡る。
皆が唖然としている間、愁は床に降りるなり何事も無かったかのようにウィッグを被り直して眼鏡をかけた。
「あーーー……、ほら、気のせい気のせい。バスケしよう?」
さっきまでの気迫もなりをひそめ、適当にバスケを流し始めようとする。
「「「いや、無理ありすぎだろ‼︎」」」
四方八方から愁に対してツッコミが入った。
***
「ねえねえ、海堂くんってハーフっていうのホントだったんだね! もしかして目の色も変えてる?」
「あーー……うん。そうだね」
「バスケも凄く上手かったし何か習ってたの?」
「全然。バスケは元々好きだったし、たまにストバスに混ざったりしてたから……」
心底面倒くさそうに愁が答える。愁の良さを布教出来た気がして嬉しい。嬉しい筈なのに胸の奥が少しモヤモヤする。
ほんのりと寂しく思ってしまうのは、愁の秘密が自分だけの秘密じゃなくなったからだろうか。
何故こんな気持ちになってしまったのか理解出来なくて、大人しく椅子に腰掛けて窓の外を眺めた。
愁の周りは体育の授業以降、女の子でいっぱいで近づけなくなっているし、隣の席だというのに姿さえも見えない。
時間だけが流れていき、とうとう放課後になった。
——愁、どこ行ったんだろ。女の子たちと帰っちゃったんかな?
「あ、ねえ村上くん、海堂くん見なかった?」
「ううん、見てないよ」
入学して一度も会話した事もない女子に話しかけられ、苦笑混じりに口を開く。
「えー。靴無かったしやっぱりもう帰っちゃったんかな。一緒に帰りたかったのにな」
ブツブツと独り言を溢しながら、教室から出て行った後ろ姿を見つめる。
——愁だったら山野さんみたいなタイプよりもう少し大人しい子が似合いそうだけどな。
彼女……山野イチカはこの学年で一番可愛いと言われている女の子だった。
何だかまた胸の奥がモヤッとした気がして、早く帰る為に教室を出た。靴箱に行こうと一階に降りて保健室の前を通る。すると突然扉が開き、中に引きずり込まれた。
——何? 今度は何? ていうか誰?
振り返ると、シッと人差し指を口にあてられる。そこには愁が居た。
——あれ? 山野さんが靴無いとかって言ってなかったっけ?
「あー、マジ面倒い。やっと解放された」
「なんか愁久しぶりに見た気がする。人気者になっちゃったね」
「陰キャのままで良かったんだけど……」
扉に軽く押し当てられている状態になっていて、近すぎる距離に何故かドキドキしてしまう。
「あのさ、なんでオレに勝てるなんて思ったの? すっごい自信ありげに挑発してきたからバスケ得意なんだと思ったら普通に下手だったし、シュートする前に奪われ過ぎでしょ」
「フリースローなら得意だったんだよ。う……個人での練習では……」
最後らへんは小声になって消えていく。
相手のいる試合とでこんなに違うとは思ってもみなかった、と肩を落として言うと、愁が大口を開けて笑う。
「ぶふ……っ。もう無理。光流ってガチで意味分かんない。突然オレに推しとか言い出すし、オレのことになると必死すぎるし、ケンカ出来ないくせに混ざろうとしてくるし、バスケ出来ないくせに挑んでくるし、理解不能すぎてここまで来ると笑える」
耳が痛い。でも、笑った顔もカッコよくて身悶えそうになった。
「ねえ、オレが勝ったんだから罰としてオレのいう事を一つ聞いて。リレーに出ても良いけど光流も一緒に出てよ。違う人とリレーメンバー組むならオレは出ない」
足は早い方だ。
「そんなんでいいの?」
「オレを推してるんでしょ? じゃあ光流が直接オレにタスキで繋いでよ。物理的にオレを背後から推して。オレは光流だけに推されたいから」
笑ったからなのか愁の瞳には少し熱が籠っている気がして、また心音が跳ね上がる。
——何か、今日の僕は変だ……。
「うん、頑張る! 僕、中学から短距離かリレーには出てたから、足は早い方なんだ」
「じゃあ決まりね」
一緒って言われたのがとても嬉しくて、胸がくすぐったい。愁を取り巻く言動に一喜一憂させられているものの、ここまで元気をくれるのは愁しかいないと思う。
次週にあったホームルームで立候補し、無事二人で出れるようになった。

