君の背中に恋をした

【7話】

「うっす」

「失礼します」

 生徒指導室の扉を開けて僕と奏介は中に入ると、中で待っていたのは生徒指導の近藤先生だけでなく、教頭先生まで同席していた。

「……? どうして物部くんが丹野くんと一緒にいるんですか?」

「えっ……」

 教頭先生の言い方は僕がここについてきたことというよりも、僕と奏介が一緒にいることを驚いている口ぶりだった。

「そうす……丹野とは友だちで、さっきまで一緒にいたからです」

「友だち? 物部と丹野がか?」

 教頭先生以上に近藤先生は不思議そうに僕と奏介の顔を見比べたため、僕は苛立ちを覚える。

「僕と丹野が友だちなことが、なにか先生たちにご迷惑をおかけするのでしょうか?」

 口元は笑っていながらも僕は睨みつけると、先生たちは顔を見合わせて焦った様子に変わった。

「な、なるほど……。いえ、そういうわけではないのですが……。とりあえず、私たちは丹野くんに大事な話があるので、物部くんは出ていってくださいね」

 物言いは柔らかいが、教頭先生にはっきり出ていけと言われ、僕は奏介の顔を見る。

「大丈夫だって、すぐに終わらせるから。悪いんだけど、暗幕を俺のクラスに届けておいてくれないか? そしたら廊下で待っててくれよ」

 奏介に子どもがお留守番を任される時のように頭を撫でられると、僕は静かに頷いた。

(でも、僕が席を外さないといけないような話の内容なのか……?)

 嫌な予感と胸騒ぎを感じつつ、僕は暗幕を受け取って生徒指導室を出ると、とりあえず奏介のクラスに行ってから、奏介が出てくるのを待つことにした。
 
 
 
「遅いな……」

 僕は待ちくたびれて、生徒指導室前の廊下で壁に寄り掛かりながら窓の外を見つめた。

 外には学園祭の準備を切り上げて、下校を始める生徒がチラホラいた。

(学園祭……。そっか、奏介と回れるんだ……)

 高校入学、いや、中学時代を含めても、こんなに学園祭を楽しみにしたことはない。

(奏介のクラスのお化け屋敷も楽しみだし、奏介が乗りたいって言ってたジェットコースター……無事に完成させて乗せてやりたいな。でも……)

 楽しみでワクワクする気持ちと、奏介に何かあったのではないかという気持ちが、生徒指導室の扉を見つめる僕の心の中で鬩ぎ合う。

「あっ……」

「しつれーしました」

 奏介が生徒指導室から出てきて扉を閉めると、どこか肩を落としているように僕には見えた。

「奏介、どうしたんだ?」

「ん? んー……ここだとちょっとなー……。屋上にでも行くか」

「えっ……」

(それって……)

 ここではできない話ということは、そんなに深刻な内容だったのかと、僕は息が詰まるのを感じた。
 
 
 
「昼間はまだ暑い日もあるけど、この時間帯ならだいぶ涼しくなったなー」

 奏介は扉を開けて屋上に出ると、両腕を思いっきり空に向かって伸ばした。

 空は奏介に海へ連れて行ってもらったときみたいに、夕焼けに染まっていた。

 屋上のフェンスに寄り掛かった奏介は、何も言わずにただ空を見上げた。

 僕は奏介の隣へ並ぶように、フェンスに寄り掛かった。

「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか? 呼び出しなんて、一体なにがあったんだ?」

「んー、実はさー……。明日から停学だってさ、一週間」

「えっ……? て、停学? それって、ど、どうして……?」

 停学という聞きなれない言葉に僕は動揺を隠せず、フェンスに寄り掛かっていた身体を慌てて元に戻した。

「いやー……バイク乗ってんの、どうやら卒業生に見られたらしい。やっちまったなー、アッハッハ」

 奏介は頭を掻きながら笑っていたが、僕は息をのんだ。

「えっ……? でも、今までだってバイク乗ってたんだよな? なんで今更……」

(卒業生にバレるって、まさか……)

 僕は心当たりがあり、手が震えた。

「制服……」

「当たりー。どうやら碧斗を乗せたときのが見られちまったみたいでさー。あーあ、やっちまったなー……」

 奏介は手で顔を覆い隠して空を仰いだ。

「停学はいいんだけど、なんでこのタイミングなんだよ。あーあ、碧斗と学園祭回るの楽しみにしてたのになー。日程どかぶりじゃん」

「そ、そこは今、問題じゃないだろ!」

 そんなことより停学のほうが重要な問題だと僕は言いたかったが、奏介は驚いた顔を一瞬して、眉を下げた。

「……。なんだ、そっか。碧斗にとって俺と学園祭回るのはどうでもいいことなんだな」

「そんなことは言ってない! そんなことより、僕が言いたいのは……!」

 すると、奏介は僕の前に立って、僕の顔の横にあるフェンスの網を掴んだ。

「えっ……」

 まるで逃がさないと言っているかのようで、僕はどうしていいかわからなくなってしまう。

 そして、僕を見つめている奏介の顔は、どこか怒っているように見えて、言葉も出なくなってしまった。

「そんなことよりって……。なんだよ。碧斗にとって、俺との学園祭なんてどうでもよかったんだな……」

(そんなわけない! 僕だって楽しみに……)

 いつもなら素直に伝えられる気持ちも、奏介が僕を見つめてくる目がまるで他人のように冷たく、言葉が何も出てこない。

「ふーん……わかった。なんか俺だけ浮かれてて、バカみたいだな。チッ……くそっ!」

「……ッ!」

 奏介は舌打ちをして、僕の顔の横で掴んでいたフェンスを思いっきり揺すった。

 僕は驚いて目を瞑ってしまい、奏介から顔を逸らしてしまう。

 心臓の音がまるで警告音のように耳で響いている中、奏介が離れていったのを感じて、ゆっくりと目を開ける。

 すると、奏介は目の前から姿を消していて、屋上の扉がちょうど閉まる瞬間だった。

「う、嘘……! 待って……」

 このままでは何かが終わってしまいそうで、僕は必死に奏介を追いかけるために走り出した。

(いやだ! こんなの!)

 だが、屋上の扉を開けてすぐの階段にさえ、もう奏介の姿はなく、僕は必死に奏介を追いかけようと階段を駆け下りた。

(奏介……! 奏介……!)

 いくら階段を下りても奏介の姿は見えず、僕は頭が真っ白になってしまう。

「あっ……」

 必死になって駆け下りた結果、僕は階段から足を踏みはずした。

 だが、間一髪のところで手すりに掴まって、落ちずに済んだ。

「ふー……痛ッ……」

 安堵と同時に、手首に今まで感じたことのない痛みを感じて、僕は顔を歪めた。

 どうやら全体重を手で、しかも変な角度で支えてしまい、痛めてしまったようだった。

「うっ……」

(奏介……)

 名前を呼んでも今度はもう、僕を助けに現れない。

 そんなことはわかっていたが、僕は心の中で奏介の名前を何度も呼んだ。

(奏介、奏介……)

 高校三年にもなって痛みで泣くなんてばからしい。

 だが、手の痛み以上に僕は胸がどうしようもなく痛いほど締め付けられた。

 僕にはその場で胸に手を当てて、うずくまることしかできなかった。
 


 奏介が停学処分となり、もうすぐ一週間。

 学園祭二日目の最終日を迎えていた。

 昨日は在校生のみだったが、今日は一般公開が行われているため、校内は人で溢れかえっていた。

「本当にいいのか? なんなら、一緒に回るか?」

「いいんだ。特に行きたいとこもないし。むしろ代わってくれてありがとう」

「そっか、それなら……」

 僕はクラスメイトに誘われても、学園祭を回る気分にはならなかった。

 なので、みんなが進んでやりたがらない教室入口での受付係を、昨日から僕が当番交代を申し出ていた。

(ここなら座っていられるし。とくにすることもない僕にぴったりだ)

 あれから学園祭の準備は順調に進み、予定通り小さなジェットコースターが完成できた。

 小さいと言っても大人もしっかり乗れるくらい頑丈で、カーブは手作りのコースだからこそ、乗っている人に緊張感を与える力作だ。

(完成したの、奏介に見てもらいたかったな……)

 ふと、後ろを振り返ると、クラスメイトが楽しそうに準備する姿とお客さんの笑顔が、今の僕には眩しかった。

(ドンくさい僕じゃなかったら、あの日なにかが変わっていたのかな……)

 僕は右手首に巻かれた包帯を、じっと見つめた。

 奏介を追いかけて階段を踏み外したあの日、僕は手首を捻挫した。

 だが、そんなことよりも、奏介に誤解されたままで、会えなくなってしまったことが本当に辛かった。

 会いたい。

 頭の中に思い浮かぶのは、その言葉だけだった。

(明日は振替休日。ということは、明後日には奏介に……)

 会えるのは嬉しいが、正直どんな顔をして会えばいいかわからない。

 屋上できちんと言えなかったが、バイクに制服姿で乗っているのを見られたのは、きっと僕が原因だ。

(僕へ会いに来てくれた日……。きっと僕を乗せてくれようと、わざわざバイクに乗って登校してきたんだ。だから奏介が停学になったのは僕のせいで……)

 あれからすぐ、生活指導の近藤先生には、僕が奏介の後ろに乗ったことなども全て話したが、奏介の停学は覆ることはなかった。

 罪は奏介だけには背負わせたくないと言ったけれど、結局僕にはなにもできなかったのだ。

(奏介……)

 名前を心の中で呟くだけで、辛くて胸が締め付けられる。

 僕は顔を俯かせていると、誰かが僕の前に立ったのを感じた。

(そうす……)

「物部、調子悪いのか? 受付代わろうか?」

「は、林くん……。いや、大丈夫だ」

(僕は一体何を考えてるんだ。奏介がここにいるはずもないのに……)

 慌てて顔を上げて、僕は林くんに笑みを浮かべた。

「林くんは、これからたしか呼び込み当番だろ?」

「そうなんだよ。でも、この盛況っぷりなら呼び込みなんていらないだろ。こんなにお客さん並んでるんだし」

 林くんの後ろには、気付かないうちに列ができていた。

「これなら人気ランキング一位を狙えるかもなー。たしか金一封もらえるんだっけ? そしたら明日の打ち上げ、派手にやろうぜ」

「そうだね……だったら嬉しいね」

 みんなで頑張った結果が評価されるのは、やっぱり嬉しい。

 けど僕はやっぱり、奏介に見て欲しかったという気持ちが勝ってしまい、無意識に顔を俯かせてしまう。

「おいおい、暗いぞ。本当に大丈夫……か……」

「……?」

 林くんが言いかけたため、僕は俯かせていた顔を上げる。

(えっ……)

 僕の目の前で林くんは、フランケンシュタインのラバーマスクを被った制服姿の人に手を掴まれていた。

「勝手に触るな」

(この声……)