君の背中に恋をした

【6話】

『俺に……キスされたら、嬉しいか?』

 そう言われて唇を重ねた日から、もう二週間は経っていた。

 あの日、修理を終えた眼鏡を受け取り、バイクで家まで送ってもらって別れるまで、奏介と僕はほとんど言葉を交わさなかった。

 奏介はなにを思って話さなかったのかは、僕には分からない。

 だが、僕が話さなかったのは、奏介からあの海での出来事はなかったことしたいと、言われるのが怖かったからだ。

(後悔してる……なんて言われたら、僕は一生立ち直れない)

 その結果、奏介のことを避けるようになってしまい、声をかけられる前に逃げるを繰り返して今日に至る。

「はぁー……」

 僕は端っこに寄せていた机に突っ伏して、顔を腕の間に埋めた。

「おーい。大丈夫か? 体調が悪いとか?」

 クラスメイトの林くんに声をかけられ、僕は慌てて顔を上げた。

「ち、違う違う。ちょっと、疲れただけで……」

「それならいいんだけど。悪いなー。放課後に残ってもらっちゃって。あんな立派な設計図書いてくれたから、物部には現場監督やって欲しくてさ。てか、ジェットコースターって本当に作れるんだなー」

 僕たちのクラスは元々縁日をやるつもりで、輪投げやスーパーボールすくいなどを準備する予定だった。

 でも僕は、奏介が話していた手作りジェットコースターが気になっていた。

『ジェットコースターを自分たちで作れるらしくてさー。あれ、乗ってみたかったんだよなー』

 そう話していた奏介が、僕たちの作ったジェットコースターに乗ったら、どんな顔をするだろう。

 ふと思って調べてみたところ、作るのは大変であったが無理ではないことがわかった。

 そこで思い切って設計図を作り、林くんに相談してみたのだ。

『えっ! これ、物部が考えてきたの? すげーな! おーい、みんな! これ見てみろよ』

 林くんはすぐにクラスメイト全員に話を広め、盛り上がった結果、縁日からジェットコースターに出し物が急遽変更となったのだ。

「僕はネットで作り方を見て、予算内になんとか収まらないか計算しただけだから……」

「いや、計算してくれて設計図作ってくれたから、こんなトントン拍子に話が進められたんだろ。しかも、生徒会や学園祭実行委員まで丸めこんでくれてさー」

 学園祭の企画書は夏休み前に提出し終わっていたため、本来であれば出し物の変更は許されなかった。

 だが、設計図とコスト、安全面と集客率を全て盛り込んだ企画書を僕が作り直して提出したところ、なんとか内容変更が許されたのだ。

「食品を扱うのと違って保健所の届け出も必要ない。かつ、派手で集客力がありそうなことが功を奏したんだよ」

「ほんと、物部には感謝だなー。せっかくの高校最後の学園祭だし、本当はみんな、派手にやりたかったんだよなー」

(最後……。そうか、当たり前だけど、これで高校生活最後の学園祭になるのか……)

 僕は正直、高校生活で何をしてきたかと聞かれたら、勉強としか答えられない日々を送ってきていた。

 けれど、奏介との出会いをきっかけに、クラスのみんなとこうやって一つのことをやる経験ができて、本当に良かったと思っている。

「実は、奏介が乗りたいって言っていたのがきっかけなんだ」

「奏介って、あのヤンキー?」

 僕と林くんが話していると、クラスメイトたちが僕の机の周りに何人か集まってきた。

「丹野だろー。アイツって、結構ヤバイ噂聞くよなー」

「そうそう。しょっちゅう補導されてるとか、ヤバイ友だちと一緒にいるとか」

(なんだよそれ。そんなこと、奏介がするわけないだろ)

「いまどき、あんなダサイ金髪とかさー。ありえないよなー」

(それはお姉さんの練習台になってあげているだけで……)

「年寄りカツアゲしてるって聞いたぞ」

(むしろ助けて、感謝されてる!)

「まさか物部って、あのヤンキーに脅されたりしてないよな? だったら、俺たちさー」

「おいおい、奏介は……」

 林くんが間に入るよりも先に、僕は思いっきり机を両手で叩いた。

「奏介はそんなことするヤツじゃない!」

 僕は苛立ちが頂点になり、座っていた椅子が倒れる勢いで立ち上がった。

 すると、突然僕が大声を出したことで、学園祭の準備をしていたクラスメイト全員の視線を集めてしまう。

「えっと……噂だから、そんなに怒るなって……な?」

 隣にいたクラスメイトが僕の肩を叩くが、僕はつい振り払ってしまった。

「噂を口にした時点で、それは真実でなくても伝わっていくんだ! 丹野はイイヤツだ! アイツの髪は美容師であるお姉さんの練習台になっているだけで、お年寄りの多い商店街の手伝いをボランティアでするヤツだ! だから根拠のない噂は流すな!」

 僕はクラス全員に聞こえるくらい、もう一度大声で叫んだ。

「僕は……学園祭実行委員のところに行ってくる!」

 まるで捨て台詞のような言い方で、僕は速足で教室を出ると、音を立てて教室の扉を閉めた。

(くそっ!)

 僕は人生で、こんなに苛立ったことがないほど苛立っていた。

 それは、奏介が根も葉もない噂を立てられていることと、自分も以前、さっきのクラスメイトと同じようなことを考えていたのが情けなかったからだ。

(あんなにイイヤツなのに……僕のことを助けてくれて……)

 奏介のことを考えると胸が締め付けられた。

 そして、どうしようもなく、今すぐ会いたくて仕方なかった。

(奏介……)

 学園祭実行委員に本当は用事なんてなかった僕は、急いで奏介のクラスに向かった。

 だが、奏介はおばけ屋敷に使う暗幕が予想よりも足りなかったため、他の学年に分けてもらうえるようお願いしに行ったらしい。

(奏介……! 奏介……!)

 僕はとりあえず一年生から順番に探していけば会えるだろうと、一階にある一年生の教室を目指して階段を駆け下りた。
 
 
 
「や、やっと見つけた……」

 どうやら奏介は三年生から順番に回っていたらしい。

 一年生から回っていた僕が奏介に出会えたのは、二階の二年生を回り終えた頃だった。

「碧斗……。って、顔が疲れきってるぞ! 一体どうし……」

 廊下で奏介の姿を見つけた僕は、思わず足の力が抜けて廊下に膝をついてしまった。

「ど! どうしたんだ、碧斗!」

 慌てて僕を心配して駆け寄ってくる奏介に、僕は口元がつい緩んでしまうのと同時に、泣きそうになる。

「な、なんで笑ってんだ碧斗! いや、泣きそうなのか? 一体なにがあったんだ!」

「違うんだ。幸せだなって思ったんだ」

 廊下に膝をついて僕の顔を心配そうに覗き込んでくる奏介に、僕は満面な笑みで見つめた。

「あ! あれが丹野先輩かー」

「へー、本当に優しいんだー」

「はっ……?」

 見ず知らずの後輩たちが僕たちの横を通り過ぎていくときに聞こえた会話を、奏介は驚いた様子で聞き間違いかと辺りを見渡した。

「そう! 丹野奏介はこうやって人の心配をしてくれる、本当は優しいヤツなんだ!」

 僕は二年生の廊下中に響くくらい、大きな声で叫んだ。

 すると、教室にいた二年生の後輩たちが、教室から次々に顔を覗かさせた。

「なっ! えっ?」

 突然の僕の行動と置かれている状況に驚いた奏介は慌てふためき、その姿に僕は思いっきり笑ってしまった。
 
 
 
「後輩のクラス、全員に話してきたのか……?」

「全員ではない。放課後だったから、残って作業していた生徒にだけだ。これから暗幕を借りに来る丹野奏介は、金髪なのは美容師であるお姉さんの練習台で、商店街のボランティアをする優しいヤツだから、見た目でヤンキーと誤解しないようにと伝えただけだ」

「えっ……どうしよう。俺、これからどうやって校内を歩けば……。って、なんで商店街のこととか、姉さんのこと知ってんだよ!」

 奏介は余った暗幕を借りられたようで、保管されている視聴覚室に僕を連行するように引っ張っていった。

「眼鏡屋のおじいさんに教えてもらったんだ」

「だよなー。それしかないよなー……。くっそ、あのじいさん!」

 視聴覚室に到着して、奏介は掴んでいた僕の腕から手を離すと、奥に一人で進んでいった。

「おじいさんは悪くないんだ。僕が教えて欲しいと頼んだんだ」

「俺がトイレでいなくなったときだろ? ったく、勝手なことするなよ」

「ご、ごめん……」

 たしかに奏介の了承も得ずに奏介のことを勝手に聞いたのは、よくなかったと思う。

(しかも、それを奏介の許可なく話してしまうなんて……)

「……ッ」

 突然僕は罪悪感に苛まれて、顔を俯かせた。

「あったあった。って、なっ……! おいおい、どうしたんだよ急に」

 僕が俯いていることに気付いて、奏介は見つけた暗幕を抱えて駆け寄ってきてくれるが、僕は顔を上げられなかった。

「……」

「はぁー……碧斗って、本当に読めねーな」

 奏介がついた深い溜め息に、僕は呆れられてしまったと胸が締め付けられた。

「ごめん……」

「謝るなよ。別に怒ってねーからな」

「でも……!」

「あー……ごめん、碧斗。ちょっと後ろ向いて」

「えっ? あ、ああ……」

 僕は突然言われたことに戸惑いながらも、言われた通り奏介に背を向けた。

(これってもしかして、僕の顔も見たくないってこと……?)

 そう思うと突然息が詰まった僕は、身体を強張らせながら唇を噛みしめた。

「うわっ!」

 すると、急に視界が真っ暗になり、身体が何かに勢いよく引っ張られた。

「そ、奏介!」

 奏介が手に持っていた暗幕を頭から被せられ、そのまま後ろから抱き締められているのだと気付いた僕は、身体を捩じって抗った。

「奏介っ! 離し……」

「頼むから、逃げないでくれ……」

 悲痛な叫びのような声と抱き締められる腕に力が込められ、僕は抵抗するのをゆっくりと止めた。

「あの日からもう二週間も経ってるんだぞ……。正直、碧斗と話せないのすげー辛かった……」

「奏介……」

「なんなんだよ。思いっきり俺のこと避けてると思ったら、わけのわかんない大胆な行動して……本当に碧斗の行動は読めねーよ」

 そう言って、奏介はさらに僕を抱き締める腕に力を込めながら、身体を密着させてきた。

 視界が遮られているせいか、奏介の息遣いや骨の当たる感触までダイレクトに僕の身体へと伝わってくる気がして、急に恥ずかしさを感じてしまう。

「逃げない! 逃げないから、これ取ってくれ!」

 僕の必死な訴えに、奏介は腕の力を緩めて暗幕を引っ張ってくれた。

 やっと視界が開けたのと、奏介から解放されたことに安堵の溜め息を漏らすが、なんだか気恥ずかしくて、奏介に背を向けたままになってしまう。

 すると、奏介は僕の手を後ろからそっと、握るように重ねてきた。

「なんで、俺のこと探してたんだ?」

「それは……。クラスで奏介の話が出たときに、みんな奏介のことを誤解していて……なんだか無性に会いたくなったんだ」

 僕は正直に答えた。

「じゃあ、避けてたのは……?」

「そ、それは……」

 今度は正直に答えられず、途端に口を閉ざしてしまう。

「ふーん。まあ、俺も怖かったから一緒かな……」

「えっ? 奏介も怖かったのか?」

 驚いて振り向くと、奏介は優しく笑っていた。

「そうだよ。きっと……碧斗と一緒だ」

「僕と一緒……なのか?」

「ああ。きっとな」

 なにがとはお互いこれ以上口にしなかったが、気持ちが通じ合ったように笑い合った。

「そういえば、文化祭……一緒に回らないか?」

「えっ……?」

「いや、まあ嫌ならいいんだけど」

「嫌じゃない!」

 僕は食い気味に答えた。

「僕のクラス、奏介が言ってたジェットコースターを、実は作ることになったんだ!」

「えっ! 嘘だろ? だって、縁日だって言ってたよな?」

「奏介の話を聞いたら気になって……設計図作ってクラスに持っていったら、みんな賛成してくれだんだ! だから絶対、奏介に乗って欲しいんだ」

「なにそれ! すげー楽しみ! じゃあ、お互い文化祭の準備頑張らないとな」

「ああ!」

 クラスは違うのに、奏介と同じ目標に向かっていることが僕は嬉しくて堪らなかった。

 だがそのとき、校内放送を知らせるチャイムが流れた。

『あー……三年一組、丹野奏介。今すぐ生徒指導室まで来なさい。繰り返す。三年一組、丹野奏介。今すぐ生徒指導室まで来なさい』

 校内放送は奏介を呼び出すものだった。

(今の声、生活指導の近藤先生だ。放課後にわざわざ、奏介を呼び出すって一体……)

「えー、めんどくさー。今すぐってなんだろうなー……。俺、何かした記憶ないんだけどなー……暗幕置いてきてからじゃダメかー?」

 あっけらかんとして首の後ろを掻く奏介だったが、僕はなんだか胸騒ぎを覚えた。

「僕も行く……」

「えっ……? どこに?」

「そんなの生徒指導室に決まってるだろ」