【4話】
「たしか、うちで許されているのは自転車通学のはずだが……」
「そりゃそうだろ。免許とることも許されてねーんだから」
奏介の知り合いの眼鏡屋さんに行くと聞いて放課後に連れてこられたのは、学校から少し歩いた場所にあるバイク専用の駐車場だった。
そこには昨日乗せてもらった、奏介のバイクが置いてあった。
「本当はもっと学校の近くに停めたかったんだけどなー。さすがに教師に見つかったら面倒だろうし」
「そうだ! 停学!」
僕は自分で口にした停学という言葉に緊張が走り、思わず背筋を伸ばしてしまう。
「大丈夫だって。教師はまだ学校だし、見つかるはずがねーよ。ほら、気にすんな。よッ!」
バイクの座席下から、奏介は昨日僕に貸してくれたヘルメットを取り出すと放り投げた。
「わっ!」
放り投げられたヘルメットを慌てて反射的に受け取るが、さすがに乗るか躊躇してしまう。
(停学はまずいよな。けど……)
一昨日までの僕なら、まず乗ることは選ばなかっただろう。
だが、奏介に乗せてもらったあの感覚を、もう一度味わいたいと思ってしまっている自分がいた。
「まあ、なんかあったら俺に脅されたって言えばいいさ。教師も信じるだろ、きっと」
「えっ……」
(どうして、そんなこと言うんだよ……)
奏介は特に気にする様子もなく言ったが、僕の胸はキュッと締め付けられた。
「やだ……」
俯きながら、僕は首を大きく横に何度も振った。
「奏介にだけ、罪を背負わせるなんて絶対ヤダからな!」
なんでこんなにも必死になるのか、僕自身にさえわからなかった。
だが、奏介に突き放されたような気がしたのか、淋しさを覚えたのは確かだ。
「碧斗……」
一瞬驚いたように目を丸くした奏介だったが、すぐに笑った。
(あっ……)
嬉しそうに。
幸せそうに。
僕にはそう見えて、さらに胸が高鳴ったのを感じた。
「まあー大丈夫だって。ったく、俺がどんだけ今までバレてないと思ってんだよ。でも……サンキューな。ちょっと嬉しかった」
照れたように笑う奏介に、僕の胸はまた締め付けられた。
さっきよりも、もっと強い力で。
「ほら、さっさとメット被れ。置いてくぞ」
僕は手に持っていたヘルメットを奏介に奪われると、無理矢理被らされてしまう。
「痛いって! わ、わかった! わかったって!」
「今日は特別だからなー。デートだぞ、デート」
「デート……デート……」
聞きなれない言葉を、僕は意味を理解するように何度も口に出して繰り返してしまう。
(友だち同士でも、二人で出掛けることを最近はデートっていうのか。そうか……って、友だち……)
友だちという言葉の響きに、僕は胸をさらに高鳴らせてしまう。
「そうそう、デート。昨日後ろ乗せたときに、あんま怖がってなかったから、今日はどこか連れていこうかと思ってたんだ」
「僕を……?」
「他に誰を誘うってんだよ」
「そ、そうだよな。あ、ありがとう……」
あまりの嬉しさに僕は感情を表に出さないよう必死で、つい、ぶっきらぼうになってしまう。
「なんだよ。俺とのデートは嬉しくないのか? ざーんねん」
(えっ……)
奏介は僕に背を向けるとフルフェイスのヘルメットを被り始めたため、僕は慌てて奏介の制服のジャケットの裾を掴んだ。
「嬉しくないはずないだろ。奏介が僕のために考えて、してくれたんだから……」
僕は裾を掴んでいた手に、さらに力を込めた。
すると、奏介は急に僕に向かって振り向くと、肩を掴んできた。
「無自覚か? それは無自覚なのか?」
「えっ、無自覚? 一体何言って……」
奏介の言っている意味が分からず、僕は首を傾げてしまう。
すると、奏介は深い溜め息をついた。
「はぁー……。うん。ほら、置いてくぞ。あの眼鏡屋は、じいさん一人でやってるから閉店が早いんだ」
「あ、ああ……」
奏介の溜め息の意味がわからなかったが、奏介はそれ以上なにも言わずにバイクへ跨ってしまったため、僕も昨日のように後ろに乗った。
「しっかり掴まってろよ」
「うん……」
僕は昨日のことを思い出しながら、奏介に後ろから抱きつく形で掴まった。
「あっ……」
すると、僕はあることに気付き、思わず声を漏らしてしまう。
「ん? なんだ? なんかあったか?」
「な、なんでもない! なんでもないんだ!」
(僕は一体、なにを考えてるんだ!)
昨日のライダースーツと違って薄い制服の背中に抱きつくと、直で抱きついている気分になったなんて、僕は絶対に言えるはずもなかった。
「着いたぞ」
バイクで到着したのは、商店街の一角にある小さな眼鏡屋さんだった。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。ほら、メット寄越せ」
「あ、ああ」
僕は留め具を外してヘルメットを脱ぐと、奏介に返した。
「おお。やっぱり奏介か。うっさいバイクの音ですぐにわかったぞ」
お店の中から、おそらく八十歳を越えているおじいさんがエプロン姿で出てきた。
「まだ生きてたか、じいさん」
「うるさいわ! バイク止めんなら、表じゃなくて脇にしとけよ」
「へいへい、すみませんでした。よっと」
奏介はおじいさんに言われたとおり、バイクを脇に動かすためにバイクを押し始めた。
だが、バイクは僕の予想より遥かに重たいようで、奏介が思いっきり力を込めて押している姿を見て、僕は居てもたってもいられなくなった。
「僕も手伝うよ」
バイクのハンドルを握って奏介は押していたため、僕はバイクを後ろから押した。
「サンキューな」
「これくらい、かまわない」
嬉しそうに顔だけを振り向かせた奏介に、僕は一瞬胸が高鳴ったのを感じた。
「お前たち、仲が良いんだな。さっさと中に入ってこい。せっかくだ、茶を淹れてやる」
僕と奏介の姿を見て、安心したように表情を綻ばせたおじいさんは、お店の中に戻っていった。
「よし、完了。手伝ってくれてサンキューな」
なんとかバイクをお店の脇に移動させると、僕は奏介に背中を叩かれた。
「口のうっさいじいさんだけど、腕はたしかだから安心しろよ」
「あ、ああ」
自分で気付いていないだろうが、奏介はさっきのおじいさんと同じように、どこか嬉しそうな顔をしているように僕には見えた。
「ほら、いくぞ」
奏介に先導されてお店の中に入ると、手前は眼鏡屋さんらしく、市販の眼鏡がいくつも並べられていた。
だが、奏介が一直線に向かっていったのはお店の奥だった。
そのまま奏介についていくと、パーテーションで区切られて見えなかったお店の奥は、アンティーク風の丸いテーブルと椅子が三つ、それに作業台が置かれていた。
「とりあえず、碧斗はここで座って待ってろよ」
「あ、ああ」
奏介に促され、僕は椅子に座って待つことにした。
「じいさーん、俺も手伝うよ」
姿の見えないおじいさんに向かって叫んだ奏介は、椅子にスクールバッグを置くと、暖簾で隠されていた階段を上がっていった。
どうやら二階は住居になっているようだ。
(古いお付き合いなのか? 本当のおじいさんでは……ないんだよな? 一体どんな関係なんだ?)
疑問ばかりが頭に浮かんでいると、階段の上から騒がしいやりとりが聞こえてきた。
「じいさん。ちゃんと手すりに掴まって階段下りろよ。何かあってからじゃ、遅いんだからな」
「うちの娘みたいなこと言うな! 何十年も毎日使っている階段から、落ちるはずがないだろ」
「そういうこと言っているヤツが落ちるんだって。ほら、お盆は俺に貸せって」
「じじい扱いをするな!」
「諦めろ! もう、じじいなんだよ!」
「フッ……」
テンポの良い漫才のようなやりとりが階段を下りる音と一緒に聞こえてきて、僕はつい笑みが零れてしまう。
「なに笑ってんだ?」
湯呑を載せたお盆を持って階段を下りてきた奏介は、僕のことを不思議そうに見つめてきた。
「いや。あまりに仲が良くて、羨ましいと思っただけだよ」
「なんだよそれ。ったく、勝手に言ってろ」
「ほら、奏介もさっさと座れ」
「へいへい」
おじいさんは僕の向かい側に座ると、奏介は湯呑をそれぞれの前に置き、僕とおじいさんの間の席に腰掛けた。
「それで、今日はなにしにきたんだ? わざわざ友だちを見せびらかしにきたのか?」
「するか! そんな小学生みたいなこと! 実は、コイツの眼鏡を俺が壊しちまったから、じいさんに直してもらおうと思って来たんだよ。ほら、碧斗。じいさんに眼鏡渡してやって」
「あ、ああ……」
僕はスクールバッグの中から、壊れてしまった眼鏡を入れておいた眼鏡ケースを取り出した。
「これなんですが……」
差し出した眼鏡ケースを受け取ったおじいさんは、蓋を開けると、折れたツルの部分を取り出して顔の近くに持っていった。
「ああ。これなら数時間で直せるぞ」
(あ、そんなに早いんだ……ん?)
僕は心の中でありがたいという気持ちよりも、残念だと思う気持ちが勝っていることに首を傾げた。
「本当か? そんなに早く直せるもんなのか?」
「嘘ついてどうする。支払いも出世払いでいいぞ」
「マジで! ラッキー」
奏介は素直に喜んでいたが、僕はそういうわけにはいかないと首を横に振った。
「いえ。お金はきちんとお支払いさせてください。こういうことはちゃんと……」
だが、おじいさんは嬉しそうに僕へ笑いかけた。
「若いのにしっかりしている。奏介にも見習ってもらいたいもんだ。でも、本当にいいんだ。奏介にはいつも助けられてるからな」
「いつも、助けられてる……?」
僕は奏介の顔を見ると、奏介は急に席から立ち上がって慌てふためき始めた。
「わあ、じいさん! ストップ! ストップ! 俺、トイレ行ってくっから! 碧斗には何も話すなよ!」
奏介は逃げるように、先程下りてきた階段を駆け上がっていった。
「まったく……騒がしいやつだ」
呆れたように肩を竦めたおじいさんは、テーブルに置かれていた湯呑を手に取って口を付けた。
「あの……もしよろしければ、お話詳しくお伺いしてもよろしいでしょうか?」
僕は少し前のめり気味に、おじいさんへ話を伺った。
「ん? ああ、奏介な。アイツはこの寂れた商店街のために、ボランティアで色々してくれているんだ。縁もゆかりもないのに変なヤツだろ。バイト代出すって何度言っても受け取らんから、正直お前さんのコレ、助かったよ」
(奏介がボランティア……)
正直、昨日までの僕が知っている丹野奏介であれば、そんな話とても信じられなかった。
だが、今日一日を通して知った本当の丹野奏介なら、容易に想像できた。
「最初は通りかかっただけなのにな。今じゃあ、クリスマスの時期になれば通りの飾りつけを手伝って、夏祭りやイベントのときは裏方として一日中走り回って……。この商店街は年寄りばかりだから、みんな奏介に助けられているんだよ」
「そうなんですね」
(やっぱり……本当にイイやつなんだな……)
言葉はもちろん、まともに顔を合わせたこともなかった僕は、奏介の見た目から勝手に近づいてはいけないヤツだと思っていた。
そんな自分の浅はかな考えが急に恥ずかしくなったのと同時に、やっぱり奏介はスゴイと思った。
「知ってるかい? アイツのあの派手な髪色。自分の姉さんが美容師見習いで練習台になってるだけなんだぞ」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。金髪に合わせるためにあんな格好してるだけなんて、可愛いもんだ。あのうるさいバイクだって、この商店街のツーリング仲間と、休みの日に出掛ける用だしな」
(じゃあ、奏介はヤンキーでもないんだ。どちらかというと……)
「やっぱり奏介はヒーローなんですね」
僕が笑った顔を見て、おじいさんも笑顔を浮かべた。
「ああ、あんたも助けられたクチかい。それなのに眼鏡壊されちゃ、たまったもんじゃないな」
「そんなことないですよ。それに、壊したのは僕自身なので」
(それなのに……)
眼鏡が壊れてしまったのは、たしかに困ったし不自由だった。
だが、おかげでたった一日だったが、奏介が僕のことを気遣って優しくしてくれたことが、どうしようもなく嬉しくてしかたがなかった。
(あれ……)
胸の奥で今まで感じたことのない、温かいものが広がっていく感覚に、僕は動揺してしまう。
「お、お茶いただきますね」
僕は気持ちを落ち着かせようと、奏介が置いてくれた湯呑を手に持つと、慌てて口をつけた。
「熱いから気を……」
「アチッ」
おじいさんの忠告よりも先にお茶へ口をつけてしまった僕は、舌を軽くやけどしてしまった。
「だ、大丈夫かね?」
「だ、大丈夫です! お、おいしいお茶をありがとうございます」
慌てて立ち上がり、前のめりになって心配をしてくれるおじいさんを安心させるように、僕はもう一度ゆっくりとお茶に口をつけた。
「たしか、うちで許されているのは自転車通学のはずだが……」
「そりゃそうだろ。免許とることも許されてねーんだから」
奏介の知り合いの眼鏡屋さんに行くと聞いて放課後に連れてこられたのは、学校から少し歩いた場所にあるバイク専用の駐車場だった。
そこには昨日乗せてもらった、奏介のバイクが置いてあった。
「本当はもっと学校の近くに停めたかったんだけどなー。さすがに教師に見つかったら面倒だろうし」
「そうだ! 停学!」
僕は自分で口にした停学という言葉に緊張が走り、思わず背筋を伸ばしてしまう。
「大丈夫だって。教師はまだ学校だし、見つかるはずがねーよ。ほら、気にすんな。よッ!」
バイクの座席下から、奏介は昨日僕に貸してくれたヘルメットを取り出すと放り投げた。
「わっ!」
放り投げられたヘルメットを慌てて反射的に受け取るが、さすがに乗るか躊躇してしまう。
(停学はまずいよな。けど……)
一昨日までの僕なら、まず乗ることは選ばなかっただろう。
だが、奏介に乗せてもらったあの感覚を、もう一度味わいたいと思ってしまっている自分がいた。
「まあ、なんかあったら俺に脅されたって言えばいいさ。教師も信じるだろ、きっと」
「えっ……」
(どうして、そんなこと言うんだよ……)
奏介は特に気にする様子もなく言ったが、僕の胸はキュッと締め付けられた。
「やだ……」
俯きながら、僕は首を大きく横に何度も振った。
「奏介にだけ、罪を背負わせるなんて絶対ヤダからな!」
なんでこんなにも必死になるのか、僕自身にさえわからなかった。
だが、奏介に突き放されたような気がしたのか、淋しさを覚えたのは確かだ。
「碧斗……」
一瞬驚いたように目を丸くした奏介だったが、すぐに笑った。
(あっ……)
嬉しそうに。
幸せそうに。
僕にはそう見えて、さらに胸が高鳴ったのを感じた。
「まあー大丈夫だって。ったく、俺がどんだけ今までバレてないと思ってんだよ。でも……サンキューな。ちょっと嬉しかった」
照れたように笑う奏介に、僕の胸はまた締め付けられた。
さっきよりも、もっと強い力で。
「ほら、さっさとメット被れ。置いてくぞ」
僕は手に持っていたヘルメットを奏介に奪われると、無理矢理被らされてしまう。
「痛いって! わ、わかった! わかったって!」
「今日は特別だからなー。デートだぞ、デート」
「デート……デート……」
聞きなれない言葉を、僕は意味を理解するように何度も口に出して繰り返してしまう。
(友だち同士でも、二人で出掛けることを最近はデートっていうのか。そうか……って、友だち……)
友だちという言葉の響きに、僕は胸をさらに高鳴らせてしまう。
「そうそう、デート。昨日後ろ乗せたときに、あんま怖がってなかったから、今日はどこか連れていこうかと思ってたんだ」
「僕を……?」
「他に誰を誘うってんだよ」
「そ、そうだよな。あ、ありがとう……」
あまりの嬉しさに僕は感情を表に出さないよう必死で、つい、ぶっきらぼうになってしまう。
「なんだよ。俺とのデートは嬉しくないのか? ざーんねん」
(えっ……)
奏介は僕に背を向けるとフルフェイスのヘルメットを被り始めたため、僕は慌てて奏介の制服のジャケットの裾を掴んだ。
「嬉しくないはずないだろ。奏介が僕のために考えて、してくれたんだから……」
僕は裾を掴んでいた手に、さらに力を込めた。
すると、奏介は急に僕に向かって振り向くと、肩を掴んできた。
「無自覚か? それは無自覚なのか?」
「えっ、無自覚? 一体何言って……」
奏介の言っている意味が分からず、僕は首を傾げてしまう。
すると、奏介は深い溜め息をついた。
「はぁー……。うん。ほら、置いてくぞ。あの眼鏡屋は、じいさん一人でやってるから閉店が早いんだ」
「あ、ああ……」
奏介の溜め息の意味がわからなかったが、奏介はそれ以上なにも言わずにバイクへ跨ってしまったため、僕も昨日のように後ろに乗った。
「しっかり掴まってろよ」
「うん……」
僕は昨日のことを思い出しながら、奏介に後ろから抱きつく形で掴まった。
「あっ……」
すると、僕はあることに気付き、思わず声を漏らしてしまう。
「ん? なんだ? なんかあったか?」
「な、なんでもない! なんでもないんだ!」
(僕は一体、なにを考えてるんだ!)
昨日のライダースーツと違って薄い制服の背中に抱きつくと、直で抱きついている気分になったなんて、僕は絶対に言えるはずもなかった。
「着いたぞ」
バイクで到着したのは、商店街の一角にある小さな眼鏡屋さんだった。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。ほら、メット寄越せ」
「あ、ああ」
僕は留め具を外してヘルメットを脱ぐと、奏介に返した。
「おお。やっぱり奏介か。うっさいバイクの音ですぐにわかったぞ」
お店の中から、おそらく八十歳を越えているおじいさんがエプロン姿で出てきた。
「まだ生きてたか、じいさん」
「うるさいわ! バイク止めんなら、表じゃなくて脇にしとけよ」
「へいへい、すみませんでした。よっと」
奏介はおじいさんに言われたとおり、バイクを脇に動かすためにバイクを押し始めた。
だが、バイクは僕の予想より遥かに重たいようで、奏介が思いっきり力を込めて押している姿を見て、僕は居てもたってもいられなくなった。
「僕も手伝うよ」
バイクのハンドルを握って奏介は押していたため、僕はバイクを後ろから押した。
「サンキューな」
「これくらい、かまわない」
嬉しそうに顔だけを振り向かせた奏介に、僕は一瞬胸が高鳴ったのを感じた。
「お前たち、仲が良いんだな。さっさと中に入ってこい。せっかくだ、茶を淹れてやる」
僕と奏介の姿を見て、安心したように表情を綻ばせたおじいさんは、お店の中に戻っていった。
「よし、完了。手伝ってくれてサンキューな」
なんとかバイクをお店の脇に移動させると、僕は奏介に背中を叩かれた。
「口のうっさいじいさんだけど、腕はたしかだから安心しろよ」
「あ、ああ」
自分で気付いていないだろうが、奏介はさっきのおじいさんと同じように、どこか嬉しそうな顔をしているように僕には見えた。
「ほら、いくぞ」
奏介に先導されてお店の中に入ると、手前は眼鏡屋さんらしく、市販の眼鏡がいくつも並べられていた。
だが、奏介が一直線に向かっていったのはお店の奥だった。
そのまま奏介についていくと、パーテーションで区切られて見えなかったお店の奥は、アンティーク風の丸いテーブルと椅子が三つ、それに作業台が置かれていた。
「とりあえず、碧斗はここで座って待ってろよ」
「あ、ああ」
奏介に促され、僕は椅子に座って待つことにした。
「じいさーん、俺も手伝うよ」
姿の見えないおじいさんに向かって叫んだ奏介は、椅子にスクールバッグを置くと、暖簾で隠されていた階段を上がっていった。
どうやら二階は住居になっているようだ。
(古いお付き合いなのか? 本当のおじいさんでは……ないんだよな? 一体どんな関係なんだ?)
疑問ばかりが頭に浮かんでいると、階段の上から騒がしいやりとりが聞こえてきた。
「じいさん。ちゃんと手すりに掴まって階段下りろよ。何かあってからじゃ、遅いんだからな」
「うちの娘みたいなこと言うな! 何十年も毎日使っている階段から、落ちるはずがないだろ」
「そういうこと言っているヤツが落ちるんだって。ほら、お盆は俺に貸せって」
「じじい扱いをするな!」
「諦めろ! もう、じじいなんだよ!」
「フッ……」
テンポの良い漫才のようなやりとりが階段を下りる音と一緒に聞こえてきて、僕はつい笑みが零れてしまう。
「なに笑ってんだ?」
湯呑を載せたお盆を持って階段を下りてきた奏介は、僕のことを不思議そうに見つめてきた。
「いや。あまりに仲が良くて、羨ましいと思っただけだよ」
「なんだよそれ。ったく、勝手に言ってろ」
「ほら、奏介もさっさと座れ」
「へいへい」
おじいさんは僕の向かい側に座ると、奏介は湯呑をそれぞれの前に置き、僕とおじいさんの間の席に腰掛けた。
「それで、今日はなにしにきたんだ? わざわざ友だちを見せびらかしにきたのか?」
「するか! そんな小学生みたいなこと! 実は、コイツの眼鏡を俺が壊しちまったから、じいさんに直してもらおうと思って来たんだよ。ほら、碧斗。じいさんに眼鏡渡してやって」
「あ、ああ……」
僕はスクールバッグの中から、壊れてしまった眼鏡を入れておいた眼鏡ケースを取り出した。
「これなんですが……」
差し出した眼鏡ケースを受け取ったおじいさんは、蓋を開けると、折れたツルの部分を取り出して顔の近くに持っていった。
「ああ。これなら数時間で直せるぞ」
(あ、そんなに早いんだ……ん?)
僕は心の中でありがたいという気持ちよりも、残念だと思う気持ちが勝っていることに首を傾げた。
「本当か? そんなに早く直せるもんなのか?」
「嘘ついてどうする。支払いも出世払いでいいぞ」
「マジで! ラッキー」
奏介は素直に喜んでいたが、僕はそういうわけにはいかないと首を横に振った。
「いえ。お金はきちんとお支払いさせてください。こういうことはちゃんと……」
だが、おじいさんは嬉しそうに僕へ笑いかけた。
「若いのにしっかりしている。奏介にも見習ってもらいたいもんだ。でも、本当にいいんだ。奏介にはいつも助けられてるからな」
「いつも、助けられてる……?」
僕は奏介の顔を見ると、奏介は急に席から立ち上がって慌てふためき始めた。
「わあ、じいさん! ストップ! ストップ! 俺、トイレ行ってくっから! 碧斗には何も話すなよ!」
奏介は逃げるように、先程下りてきた階段を駆け上がっていった。
「まったく……騒がしいやつだ」
呆れたように肩を竦めたおじいさんは、テーブルに置かれていた湯呑を手に取って口を付けた。
「あの……もしよろしければ、お話詳しくお伺いしてもよろしいでしょうか?」
僕は少し前のめり気味に、おじいさんへ話を伺った。
「ん? ああ、奏介な。アイツはこの寂れた商店街のために、ボランティアで色々してくれているんだ。縁もゆかりもないのに変なヤツだろ。バイト代出すって何度言っても受け取らんから、正直お前さんのコレ、助かったよ」
(奏介がボランティア……)
正直、昨日までの僕が知っている丹野奏介であれば、そんな話とても信じられなかった。
だが、今日一日を通して知った本当の丹野奏介なら、容易に想像できた。
「最初は通りかかっただけなのにな。今じゃあ、クリスマスの時期になれば通りの飾りつけを手伝って、夏祭りやイベントのときは裏方として一日中走り回って……。この商店街は年寄りばかりだから、みんな奏介に助けられているんだよ」
「そうなんですね」
(やっぱり……本当にイイやつなんだな……)
言葉はもちろん、まともに顔を合わせたこともなかった僕は、奏介の見た目から勝手に近づいてはいけないヤツだと思っていた。
そんな自分の浅はかな考えが急に恥ずかしくなったのと同時に、やっぱり奏介はスゴイと思った。
「知ってるかい? アイツのあの派手な髪色。自分の姉さんが美容師見習いで練習台になってるだけなんだぞ」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。金髪に合わせるためにあんな格好してるだけなんて、可愛いもんだ。あのうるさいバイクだって、この商店街のツーリング仲間と、休みの日に出掛ける用だしな」
(じゃあ、奏介はヤンキーでもないんだ。どちらかというと……)
「やっぱり奏介はヒーローなんですね」
僕が笑った顔を見て、おじいさんも笑顔を浮かべた。
「ああ、あんたも助けられたクチかい。それなのに眼鏡壊されちゃ、たまったもんじゃないな」
「そんなことないですよ。それに、壊したのは僕自身なので」
(それなのに……)
眼鏡が壊れてしまったのは、たしかに困ったし不自由だった。
だが、おかげでたった一日だったが、奏介が僕のことを気遣って優しくしてくれたことが、どうしようもなく嬉しくてしかたがなかった。
(あれ……)
胸の奥で今まで感じたことのない、温かいものが広がっていく感覚に、僕は動揺してしまう。
「お、お茶いただきますね」
僕は気持ちを落ち着かせようと、奏介が置いてくれた湯呑を手に持つと、慌てて口をつけた。
「熱いから気を……」
「アチッ」
おじいさんの忠告よりも先にお茶へ口をつけてしまった僕は、舌を軽くやけどしてしまった。
「だ、大丈夫かね?」
「だ、大丈夫です! お、おいしいお茶をありがとうございます」
慌てて立ち上がり、前のめりになって心配をしてくれるおじいさんを安心させるように、僕はもう一度ゆっくりとお茶に口をつけた。

