大正が始まって十五年が経った。つまり、私が十五になった春のとき、父は錦紫蘇(にしきじそ)という鮮やかな赤色と黄色を持った植物を誕生日に贈ってくださいました。あまりにも綺麗だったので、鉢植えかなんかに植えて、部屋でずっと眺められるようにしたかったのですが、体が弱かった母は自分のように多くの時間を家の中で過ごすには惜しいと思ったのでしょう。

「この草を庭に植えておやり。これには青空の広さを知る権利があるのだから。」

確かにそうだと納得したのか、それとも母がそう言ったからなのか、今になって考えてもわかりません。ですが、わたしはその日のうちに庭で一番日のよく当たる場所に、自分の手で土を掘って錦紫蘇を植え替えました。

 その時、服の裾を汚してしまい、父に「何故、庭師に頼まなかった」と叱られたのを今でもよく覚えています。ですが、母は誇らしそうに、

「貴方は自分で考えて、それを自分で行ったのです。考えることはできても、自分で出来ない人がほとんどなの。だから、その考えを大切にしなさい。」

と言って褒めてくれたことも、同じかそれ以上に心に残っています。

 それからは、植物何て育てたことがなかったのでとても不器用ながらですが、毎日、雨の日でも傘をさして世話をしました。

 錦紫蘇の葉が五寸ほどの大きさになったときでしょうか、母が病に倒れ、医者が家に来ました。その日は文句の付けようが無い青空が見えていたのに、少しも嬉しいと思えなかったです。

 それから数日経ったある日、花菜子(かなこ)と名乗る女性が、当分寝たきりになる母の手伝いとして、泊まり込みでやって来ました。その花菜子というひとは、豆腐屋の娘さんだったらしく、その事もあるのか、いつも私たち家族だけでなく、庭師や客にも明るく、母とは日を数えないうちに仲良くなり、母は花菜子さんのことを「花菜(かな)ちゃん」とよく呼んでいました。

 花菜子さんの心温まる声掛けや、手伝いのお陰か、母の体調は少しずつですが良くなり、ほんの少しの距離ですが歩けるようになり、窓から錦紫蘇の世話をしている私を眺めていたりしていたそうです。母が少しですが動けるようになってから、花菜子さんにも余裕ができたのか、庭を散歩しているところを、時々見るようになりました。

 そして、ある雨上がりの朝、私は恋に落ちました。
 草花についた雨粒がピチョン、ピチョンと落ちていく音を聞きながら錦紫蘇の葉を見ていた時だったでしょうか。

「綺麗な花ですね。」

弱々しいのに、どこか芯があって、美しい声でした。きっと詩人は、この声ようなを「花のような声」と呼ぶのでしょう。見上げてみると、やっと顔を出した朝日が輪郭を照らしていてよく見えた顔は、美しかったです。きっと、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)もこのようなご尊顔に違いないと確信しました。

 美しさのあまり茫然としていると、その美しい人は花菜子さんだということにやっと私は気付き、以前、父に言われた言葉が再生されます。

汐偉治(せいじ)、あまり人のことをジロジロ見てはいけません。」

はっとして思わず視線を逸らすと、花菜子さんは不思議そうに覗き込んできて、恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。何とか誤魔化そうと、すっかり熱くなっている頭を回し、「綺麗な花ですね。」と花菜子さんが言ったことだけを思いだし、
「錦紫蘇は実は、これ葉なんです。」
と、今思い出しただけでも顔から火が出るような訳のわからないことを言ったのに、花菜子さんの目は初めてアイスクリンを買って貰えた子供のように輝いていました。

「へえ、これ葉っぱなんですね。こんなに葉っぱが綺麗なら、咲く花は宝石みたいに輝いているのかしら。」

 花菜子さんは五歳ほど歳上に見えるのに、心の底から溢れているとわかる表情は、無邪気な子供そのものでした。

「じゃあ、花はいつ咲くんですか。」
私はこの質問にひどく弱ってしまいます。何せ、世話こそしていましたが、錦紫蘇について何も知らなかったからでした。
 花菜子さんは、まだ何も言葉を返せていない私を気遣ったのか、

「じゃあ花が咲くのを待つことが何十倍も楽しくなりますね。早く咲かないかなあ。」

と言い、錦紫蘇にも微笑みかけていました。
 褒め上手な方だ、欲しい言葉を言ってくださる。しかも、その声は暖かい。
 私は花菜子さんが口を開く度、人として、異性として、惹かれていきました。

「花菜ちゃーん、ちょっと手伝って欲しいことがあるのだけど。」
「はーい、今行きます。」
 家から聞こえてきた母の声に花菜子さんはそう答え、駆け足で玄関の方に向かっていきました。

その後ろ姿を見ていると、私は時間の進みがどんどんと遅くなっていくような感覚に襲われます。そして、亀の歩みのようにずいぶんのんびりと時間が進むようになったとき、どうやら私は恋に落ちたんだと、気付きました。

 それから私は、錦紫蘇の花が咲けば、また花菜子さんと話すことができると考え、
「できるだけ早く花を咲かせてくださいね。」
と、話しかけたり、少し足を延ばして図書館に行って錦紫蘇につじて調べてみたりしました。ですが、話しかけても錦紫蘇は花を咲かせてくれませんでしたし、錦紫蘇について詳しく書かれている書物にも出会えませんでした。

 遠くに見える山が少し赤みがかって見えてきた日のことです。小さくて細く、頼りない鉛筆のようなつぼみが、空へと手を伸ばすように開いていました。それを見た瞬間、まわりのことなんか忘れて、また花菜子さんと話せると喜ぶのと同時に、緊張もしました。今でもそのことが昨日のように思い出せます。

 ですがその時、嬉しくもありながら、まだ来てほしくない出来事が起きます。母の体調が完全に回復しました。母は前のように、いや、前よりも働き者になり、よく笑うようになっていました。

 私は母のその姿を見て、素直に喜ぶことが出来なかったです。母が生活するときに誰かの手伝いが要らなくなるということは、花菜子さんはもう近いうちに出ていくという意味にもなり、花菜子さんと会えなくなってしまうからです。私は、母の回復を素直に喜べない自分が、どうも好きにはなれませんでした。

 それから三日後の夜、お別れ会が開かれました。お別れ会と言っても、食卓に晩御飯を並べて花菜子さんと最後の食事をするだけのものでしたが、花菜子さんはとても幸せそうに笑っていました。

 結局、錦紫蘇はつぼみのまま、その日も花を見ることは叶わなかったです。
 その日の十一時。いつもなら、とっくに寝ている時間ですが、明日になれば花菜子さんがいなくなってしまうことが嫌で、寝られずにいました。もう草木以外寝静まっていて、時間が止まっていると錯覚しそうです。

 ふと、夜風に当たりたいと思い、窓を開けました。するとそこには、夜の美しさをすべて詰め込んだと言っても過言ではない十六夜月(いざよいづき)が夜空にプカプカと浮かんでいました。

 月を見ると、昔から色々なことを思い出してしまって、その時も様々なことを思い出してしまいます。花菜子さんが家に来た日のこと、すっかり花菜子さんが家族の一員のようになっていたこと、私に話しかけてくれたこと。

 もう思い出がぐちゃぐちゃになって今が何日なのかも忘れそうになったとき、
「今日は月が綺麗ですね。」
そう私は無意識に口を動かすと、急に夜風が冷たく感じて、窓を閉めてそそくさと眠りにつきました。

 朝、父に体を揺さぶられ、起きたのは六時半のことでした。
 まだふわふわと夢見心地の中、花菜子さんを見送るため私は重いまぶたを何とか上げながら父と一緒に玄関に向かいます。

 まだ世界がボヤボヤしていると、母と花菜子さんの談笑する声が聞こえてきました。
「花菜ちゃん、手ぶらじゃ悪いから何かお土産でも持って帰りなさい。」
「いえ、今回の謝礼でも十分家族は喜びますよ。むしろこっちがお礼を言いたいぐらいよくしてもらって...」
楽しそうに話す二人を見て、父は安心したような表情で見つめていて、まだ花菜子さんとの別れを惜しんでいるのは私だけでした。

「では、またいつか。」
花菜子さんが、ドアノブに手を掛け、外へと出ます。
「気を付けてねえ。」
手を振る母に笑いかけた花菜子さんは、前を向き、街へと足を進めて行きました。

 花菜子さんが丁度家の敷地を出たときでしょうか。横から一人の男性が現れ、花菜子さんに笑いかけると、花菜子さんもふっと微笑み、二人で並んで行きます。
 私の視界はどんどん透き通って行き、喉に何かがつっかえるような感覚が今も脳裏にへばりついています。

「素敵な夫婦よねえ。」

母がうっとり言うと、父は自分も負けてはいないと言わんばかりに背筋をピンとさせ、私は茫然としていました。
 確かに、あの年齢なら結婚しているのは当然といえば当然です。ですが、私の中では、こんなはずじゃないと、納得できずにいました。そんな思いを抱えながら過ごしたその日のことは、今もよく覚えていません。

 次の日、まだ薄暗い中目が覚めてしまい、することも無いので庭へ錦紫蘇を見に行きました。すると目に写ったのは、小さな紫色の粒が、ろうそくの火のような形に並んでいました。それは、花菜子さんが早く咲いてほしいと言っていた錦紫蘇の花でした。

 それは花菜子さんが言っていた宝石のようにも見えますし、味気ない小さな花たちにも見えます。花菜子さんが綺麗と言ってくれないので、私はこの花が綺麗かどうかはわかりません。
 ですが、錦紫蘇の葉は、花のように綺麗だと言うことがわかりました。

 それから時は過ぎ、年号は大正から昭和に変わってもう九年が経ちました。
 私はこの度、御国のために海の向こう側へ戦いに行くことなり、人生の節目としてこの自伝を書きました。

 この初恋は今になっても忘れない大切な思い出なのですが、花菜子さんは覚えておられるでしょうか。もし、覚えているのならば、またお会いしたいです。

 また花菜子さんと会える日を楽しみに、行ってきますが、必ず帰って来ます。