「ったく何だよっ」

 夕刻の学校の廊下を歩きながら思わず愚痴が出る。カフェでの出来事から数日経っているが、未だに自分の中で様々な感情が渦巻いていた。ある程度予想はされていたが、スプーンの件は近藤店長にお咎めを受け、ペナルティーとしてスプーンの弁償代を天引きされる羽目になった。その件に関してはある程度腹を括っていたので、たいした出来事ではない。ただそれ以上に貴公子から言われた一言の方が自分の胸に引っかかりを覚えるのだ。

(今思い返すだけでも頭にくるよなっ)

 それこそ常連だとはいえ、まともに話した事もないのに、あんな事を言われる筋合いはないのだから。まあそんな彼だが、スプーンの件から店に訪れていないので、顔を数日見ていない。

(このまま来なくて良いっつーの)

 そんな事を思いつつ、職員室の前に立つ。と言うのも今日は日直であり、始まる前に担任所へ赴き授業教材等を先に持って行くからだ。いつものように数回ノックをして入室すると、先生と数人の制服を着た生徒が視界に入った。今日は思った以上に生徒がいる。自分は部屋の壁際を通り窓際で夕暮れの空をぼーっと見つめる眼鏡を掛けた担任の網谷郷の所へと行く。

「先生。何見てるんっすか?」
「あーー 都築君ですか。君も一緒に見る? 夕暮れの色って綺麗だと思わない?」
「はあ。まあそうっすね」
「都築君受け流しましたね今ーー」
「はははは。それよりも先生。今日全日制の生徒多くないっすか?」
「うーん学年上がって直ぐだし色々体制がうまくかみ合ってない感じ。特に二年生がね。ほらうちの学校学年ごとに取りまとめの学年委員ってあるでしょ。その長の生徒がなかなか優秀なの。ただね」

 網谷が話を続けようとした矢先。

「加藤先生。こちらも話合った上で相談しているんです。もう少し親身になって頂けなければ困ります」

 聞き覚えるのある声に思わずその方向に目をやると、翠眼の貴公子を中心とした数人の生徒が教師に物を申していたのだ。しかも、様子を見るに、教師もタジタジといった様子である。

「千納時琉叶君。二年の学年委員長なのよ。にしても、はっきり言うでしょ彼。ある意味あれだけ物怖じせず言えるのは羨ましい所あるかな」
「はあ……」

 確かに教師に対しても歯に着に着せぬ事が言えるのだから、誰に対しても彼はそうなのであろう。その事実を知り得た事で多少胸の靄が薄くなったものの、自分とは改め合わないような気がしてくる。まあ今は時たま彼の姿を捉えたものの、通常の学校生活ではまず顔を会わせる事がない。自分と授業時間が根本的に違いもするが、やはり全日制と定時制では明らかな一線が引かれているからだ。

(カフェの時だけどうにか乗り切るって感じか)

 とりあえず、今は嵐を過ぎるのを待つように視線を相手に向けず、ここから離脱を試みる。だが、その前に千納時の方が用が済んだらしく、生徒の群が動き出す。自分はすぐさま彼等に背を向けると、出口の方へ向かう足音が聞こえてくる。しかし、何故だが一人の足音がこちらの方へと近づいて来たのだ。息を飲み身を少し屈める自分の斜め後ろでその音がピタリと止まる。その直後だ。

「網谷先生。こちら借りていた英語の国立大過去問です。有り難うございました」
「いや良いんだよ。でももうやっちゃったのかい?」
「はい」
「相変わらず千納時君凄いね」

 すると沈黙と共に、視線を感じ始める事暫し。

「ああ。彼、都築優斗君。僕の定時制で教えている生徒なんだよ。ね都築君」

(何で話し振るんすかーー 先生!!)

 内心で絶叫するもそんな事は他の者は知るわけもなく、自分はぎこちない動きをしながら二人の方に目線を向けた。

「ははは、都築です」

 顔が自分自身ひきつっている事を理解する中、案の定彼は数回瞬きをし見つめる。そんな状況化、網谷が話しを続けた。

「微妙な表情しないの都築君。学校でお互い出くわす事なんてあるかわからない中、こうやって顔を合わせるなんて早々ないんだし。何ていうか神様が巡り合わせっていうか、偶然からの奇跡の出会いみたいになるかもしれないよ」
「網谷先生。神様とか信じるタイプなんですか?」
「ははは、千納時君、相変わらず鋭い指摘だねーー まああくまでも可能性って事にしておいてよ」
「わかりました。でも成る程。そういう考え方もありなのかもれませんね。都築君もそう思わない?」
「じ、自分ですかっ、 そ、そうっすねーー」

(何だよ、この前喧嘩ふっかけるような事言ってきたくせにっ、まさかカフェのスタッフが自分だと認識していないとか?)

 それならそれで、ここはうまくごまかして乗り切った方がいいのかもしれない。

「え、はははは、はい」

 ぎこちない笑い声を上げてみせると、彼は微笑を浮かべ、その場を立ち去るべく、自分とすれ違う。その時、千納時がボソリと呟く。

「またね。偽善者君」

 すぐさま振り向き彼の背中を目で追うと部屋から出て行く姿を捉える。と共に、自分自身の予測が大幅に違っていた事に気づく。

「はーー」

 顔を片手で覆い天井を仰ぐ。

「都築君どうしたの?」
「先生。自分も神様はいないと思いますっ」