【第6話 罰ゲームで男に告白させられた僕は運がいい】
文化祭当日、僕は午前中、白い簡易着物を着て頭に三角形の白い布をつけ、お化け屋敷のプラカードを持って客寄せをした。
正直なところ暗い所は怖いから、明るい所でできるこの担当になれたのはありがたい。
午後は比較的自由時間が多いけれど、後半にまた客寄せの仕事があるため着物姿のまま行動する必要がある。
僕は猫娘の格好をした水澤さんと一緒に、文化祭の会場を巡り始めた。
三年生のフロアに行きたいという水澤さんについていく。
「浴衣カフェは凄い混んでるねー」
水澤さんに言われてそちらの方向を見て、ハッと息を呑む。
イケメン俳優のドラマ撮影かと思うくらい涼風先輩の浴衣姿が輝いて見える。
浴衣姿の涼風先輩は他校の女子高生からもモテモテで、先輩の周りには人だかりができていた。
やはり先輩は、僕なんかじゃ手の届かない人なんだと痛感してしまう。
混んでいた事もあり浴衣カフェに行くのは諦めて、駄菓子を買ったり、バンドの演奏を聴いたりして過ごした。
バンドの演奏の区切りがいい所で「ついてきて」と言われたので水澤さんについていく。
なぜか連れていかれたのは、文化祭準備で一緒にゴミ捨てへ行く時に通ったプール裏だった。
「水澤さん、こっちにはもう出店はないよ」
「知ってる。ふたりきりになりたかっただけ」
「え、なんで……?」
猫娘姿で僕の方を見ながら、水澤さんがはにかんでいる。
藻蕗くんがその良さを熱く語ってくれるコスプレの会場にいたらすごく人気が出そうな可愛さだ。
「好きだな、って思って」
「え、好きって、誰を……?」
好きと言われて動揺する僕に水澤さんは「ふふ、他に誰がいるの。まじめくんに決まってんじゃん」と笑った。
女子から告白されたのなんて、生まれて初めてだ。
「後夜祭の花火の間ずっと一緒に過ごすと、その先もずっと一緒にいられるっていうジンクスがあるんだよ」
「そうなんだ、知らなかった」
「私と、一緒にいて欲しいな」
好きだと言われた事は嬉しかった。
僕も好きだと言えば、きっと水澤さんと付き合えるんだろう。
これから先の人生で、僕の事を好きだと言ってくれる女性はもう現れないかもしれない。
だけど。
「水澤さん……ごめん」
どうして断ってしまったんだろうと考えて、すぐに答えが出た。
僕は涼風先輩の事が好きなんだ。
たとえ僕が先輩にとって、女除けのための存在程度であったとしても。
スマホで先輩に『後夜祭で一緒にいたいです』とメッセージを送る。
少しして『始まったら屋上に来て』と返信があった。
後夜祭が始まる少し前に屋上へ向かう。
本来の会場は校庭だから、人の流れと逆の方向へ進んでいる。
後夜祭は各クラスで使った衣装のまま参加するのがこの高校の伝統のようなので、僕は白い着物姿だ。
屋上への扉を開けると、涼風先輩がそこにいた。
夕焼けをバックにした浴衣姿の先輩は、涙が出そうなくらいカッコイイ。
「一緒に文化祭まわってた猫耳の子と一緒にいなくていいのかよ」
「後夜祭一緒にいて欲しいって言われたけど断りました。僕が一緒にいたいのは涼風先輩なんで」
涼風先輩が一瞬、目を見開き驚いたような表情になった。
僕はスゥッと息を吸って、勇気を出して告白する。
「涼風先輩が女の人と一緒にいるの嫌なんです。これからもずっと女除けでいさせてください」
「いらねーよ」
間髪入れずに断られてしまった。
涼風先輩が、ふ、と笑う。
「女除けなんて、佳南と付き合う言い訳に決まってんだろ」
「涼風先輩……、好きです」
そういうと先輩は僕に優しい笑顔を向けてくれた。
僕がいつもときめいてしまう、大好きな先輩の笑顔だ。
「僕と、付き合ってください」
「いいよ、付き合う」
あの時と同じ返事をされて、少しだけ心配になってしまった。
「これは罰ゲームじゃありませんよ?」
「ん、よかった。俺はずっと、佳南の事が好きだったから」
「え、いつからですか」
「実際に好きになったのは、罰ゲームで他人を庇ったりとか人のいい所をこの目で見てからだけど。実はその前から、佳南の事は知ってた」
涼風先輩は驚くような話を教えてくれた。
僕の第一志望の高校の受験日に、先輩の妹の姫ちゃんが僕に会っているというのだ。
駅の近くで突然腰が痛くなり荷物が持てなくなってしまった見知らぬおばあちゃんを助けようとした姫ちゃんだったけれど、自分ではどうにもできなくて近くにいた人――僕に助けを求めた。
姫ちゃんは学校へ向かい、その後おばあちゃんはなんとか無事に家へ送り届けることができたけれど、運の悪い僕は受験票を入れた生徒手帳を落としてしまい探し回っていて試験を受けられなかったのだ。
よく考えたら、受験票がなくても直接試験会場に向かえばなんとかなったと思う。
そして僕が落とした生徒手帳は、姫ちゃんが拾っていた。姫ちゃんはどうしたらいいか分からなくて夕方学校から帰ってきた兄の涼風先輩に渡し、先輩は然るべき場所に届けたそうだ。
滑り止めの学校の受験の時も、同じように運の悪さを発揮して受験できなかった。
でも、結果的に良かったのかもしれない。そのおかげで僕はこの高校に入学して、涼風先輩に会うことができたのだから。
そう考えている僕に、先輩が問いかけてきた。
「で、どうする?」
「どうする、って?」
「父親にあんなこと言われただろ? 俺と付き合って本当にいいのか?」
僕は力強く頷く。
「時間がかかると思いますけど、僕の好きなように生きさせてくれって説得します」
「佳南は、可愛いだけじゃなくてかっこいいよな」
ぐぃッと肩を引き寄せられたかと思ったら、涼風先輩の指が僕の顎に添えられてクイッと上を向かされた。
次の瞬間、僕の唇に何かが触れる。
先輩との初めてのキスは、花火だけが見ていた。
日曜日、僕は仕事が休みで家にいる父に思い切って自分の想いを告げてみる。
「父さんが反対しても、金髪だろうが僕は僕が一緒にいたい人といるから、もう今後は口出ししないでほしい」
「なんだ生意気な口をきいて。誰のおかげで暮らしていけてると思ってるんだ」
痛い所をつかれて、ぐッ、と僕は喉を詰まらせる。
父の仕事用のスマホが鳴って、話はそこで終わりになった。
一度で分かってもらえるなんて思っていない、また話そう、分かってもらえるまで何度でも。
僕は心の中で決意する。
電話を切った父が「休日出勤になった」と母へ告げた。
その次の瞬間、パッと父と目が合う。
「そうだ、佳南。父さんの仕事先についてきなさい。いい勉強になるだろうから」
「え、仕事についていくなんて。そんな事していいんですか」と母が父に告げている。
「いいんだ。実は今交渉が手詰りになっていてな。なんでもいいから突破口がほしい」
父は大手玩具メーカーの企画部の部長で、多くの部下を統率している。
今日会う相手は絵本『りんごのシンさんとみかんのカワさん』の作者で、コラボ商品を依頼したいが多忙を理由に断られているという。
話だけでも聞いて欲しいと担当の人が粘って、会ってもらえる事になったらしい。
「今日会う相手は佳南とそんなに年が変わらないんだ。佳南がいる事でもしかしたら、話の流れがいい方向に変わるかもしれない」
父が運転する車に乗って、一方的に話す父の話を聞きながら打ち合わせ場所へ向かう。
「実際に会ったことはないが、担当者の報告を聞く限りかなり優秀な学生のようだ」
会ったことがないのに報告だけでなぜ優秀だと分かるのか、と反論したかったが、運転中に口論になっても危ないので黙っていた。
「中学の時に父親が亡くなって、悲しむ幼い妹を励ますために絵本を作ったのが最初のきっかけだと聞いている」
その話を聞いて、涼風先輩の家を初めて訪問した日にお父さんの事で無神経な質問をしてしまったのを思い出した。
これから会う作者さんも父親を亡くしているのなら、何か質問をする時は失礼のないようにしたい。
「佳南も友人をつくるなら、その子みたいに立派な子と付き合うようにしなさい」
僕の友人関係に父が口を出さなくなるのにはまだまだ時間がかかりそうだ。
でももう、今までのように言いなりにはならない。
今日家を出る前に話した時のように、少しずつでも自分の気持ちを伝えていくようにしよう。
到着したのは、スーツの似合うビジネスマンが打ち合わせで使いそうなホテル内の喫茶店だった。
「堺です。馬路締部長には、いつもお世話になっています」
そう言って僕に名刺を渡してくれた堺さんは二十代後半から三十代前半くらいの、人の好さそうな男性だった。
「相手はまだ来てないのか?」
不機嫌そうな声で父が堺さんに告げる。
父は時間に厳しいから、待ち合わせの時間に遅れたりするのは許せないのだろう。
「いえ、彼は今電話をしに行っていて……ちょっと探しに行ってきますね」
「きみも実際に会うのは今日が初めてだっただろう。顔は覚えているのか?」
「今までSNSのやり取りだけで会ったのは初めてですけど大丈夫ですよ、彼ならひと目で分かりますから。あ、戻ってきた」
(涼風先輩!?)
このフロアにいる誰よりもかっこよくスーツを着こなした涼風先輩が、こちらに向かって歩いてくる。
僕のすぐ隣を見ると、父は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
堺さんが父と僕の事を涼風先輩に紹介してくれて、四人で席に着く。
気さくな人がらの堺さんは、ざっくばらんに涼風先輩にも話しかけていた。
「ほんと綺麗な色の髪だねー。金色にしたきっかけとかって、何かあるの?」
「父が亡くなった当時、妹が本当に落ち込んでいて。絵本に出てくる金色の髪の王子様が好きだったので、励ましたくて金色にしました。王子様みたいって、喜んでくれましたね」
そうだったんだ……。涼風先輩のこと、知れば知るほど好きになってしまう。
「妹さん想いですね、ますますファンになりました。ぜひ、弊社の商品の開発に携わっていただけないでしょうか」
堺さんのその言葉を聞いて、涼風先輩が少し悲しそうに微笑む。その笑い方は、初めて見る表情だった。
「でもこの髪色を不快に思う方もいらっしゃるでしょうから、御社と仕事をしていくうえで問題がないか心配です」
「うちは様々な価値観を大切にする会社だから、髪の色くらい全く問題ありません。そうですよね、部長」
「あ、ああ」
「それを聞いて安心しました。ただ、もうひとつ懸念がありまして」
不安そうな表情の涼風先輩に対して「なに? 何でも言って」と堺さんが前のめりになっている。
「こんな髪色にしているくらいですし、世間の感覚とのズレが心配です。御社の価値観や世間の感覚を学ぶためにも、馬路締部長のご子息の佳南くんと今後も継続して親しくさせていただいても差し支えないでしょうか」
「僕は問題ありません。父さんは、僕が涼風さんと親しくお付き合いする事になっても大丈夫ですか」
僕がそう言うと、堺さんが無自覚に後押しする発言をしてくれた。
「本人同士の気が合えば、もちろんいいでしょ。ね、部長」
「……そうだな、本人同士の気が合うなら……」
一瞬だけ涼風先輩と目が合った。まわりに人がいなかったら僕たちはハイタッチしていたと思う。
「そう言っていただけて嬉しいです。ぜひ御社と一緒に仕事をさせてください」
「え、本当ですか!?」
涼風先輩の快諾に、堺さんが目を丸くして驚いている。
打ち合わせが長引くことを考えてこのあとの予定は特に入れていなかったと涼風先輩が言ったため、僕は父の車で帰らずに先輩とふたりで電車で帰ることにした。
「父さんのあんなに驚いた顔、初めて見ました」
「今まで担当の人としか連絡とってなかったから、佳南の父親があの会社の関係者だったなんて俺も今日知ったよ。マジびびった」
「そうですか、全然表情に出ていませんでしたよ」
「まあでも、会う事を認めてもらえてよかったな。仕事のつながりがあるうちに、外堀ガッチガチに埋めてやるから安心しろよ、佳南」
涼風先輩がそう言うと、本当に安心してしまうから不思議だ。
「あれ、佳南?」
「兄さん」
駅を出た所で兄に声をかけられた。
「ん、もしかして、涼風?」
「久しぶりだな馬路締」
「え、ふたりって知り合いなの?」
兄と涼風先輩の顔を交互に見る。
「ああ、中学の時に塾が一緒で……。なあ、時間大丈夫なら少し話してくか?」
兄にそう言われて三人で駅の近くの喫茶店に入り、僕はアイスレモンティーを、涼風先輩と兄はアイスコーヒーを頼んだ。
「涼風とはあれ以来だな。昨年度佳南の生徒手帳を塾に届けてくれた時」
「珍しい名字だったし話も聞いてたから、絶対に弟だって思ったんだよ」
僕が落として姫ちゃんが拾い、先輩が届けてくれた然るべき場所は、兄の所だった。
「生徒もだけど先生たちもざわついてたんだぞ。数年前に突然塾を辞めた成績トップの生徒が、金髪になって塾の前にいるもんだから」
ハハ、と涼風先輩が笑った。
「あの時は悪かった。でもほんと、馬路締には感謝してるよ」
「なんで?」
「俺がいた頃、塾でよく弟の話をしてただろ」
「あー、してたしてた」
知らなかった。兄は僕に興味なんてないと思っていた。
「弟はすごくいい奴なのに、人が良すぎて損ばっかしてるって悔しがってたよな」
うんうん、と兄が頷いている。
「俺今、絵本を描く仕事もしてんだけど。初期の作品は馬路締から聞いた佳南をモデルにしてるんだ。優しくて、でも損ばっかしてて。だから絶対に、幸せな結末にしてあげたかった」
「うわぁ、なんか作品への愛が凄いな」
「作品への愛っていうか、作品のモデルへの愛かもな。……あのさ、俺お前の弟……佳南と付き合ってるから」
涼風先輩のカミングアウトを聞いた瞬間、ぶふぉっと兄がコーヒーでむせ始めた。
しばらく咳をしたあとで、兄はようやく言葉を発する。
「そっかー。まあ、涼風じゃぁなぁ、佳南が惚れるのもしょうがないかもなぁ」
「いや、俺の方が佳南に惚れてる」
「え、本当かよ」
「ああ。馬路締から佳南の話を聞いて、いい子だなってずっと思ってた。そして受験の日の事を妹から聞いて、高校で実際に会ったらやっぱりいい子で、完全に惚れた」
俺キューピッドじゃん、と兄が笑う。
けれどすぐに困ったような顔になった。
「でもなぁ、男同士の交際なんて父さんには猛反対されると思うぞ。頭堅いから」
「それは……たぶん大丈夫だと思う」
僕がそう答えると「え、なんで?」と兄は不思議そうにしていた。
――八年後――
八年後、大学を卒業した僕は涼風翡翠さんのマネージャーのような仕事をして、公私にわたりサポートしている。
といっても翡翠さんは何でも自分でできるから、僕がサポートされているケースも多いのだが。
運転手付きの車の後部座席に翡翠さんと並んで座り、スケジュールの確認をしていると僕のスマホにメッセージが届いた。
画面を確認する僕に、翡翠さんが話しかける。
「誰から、女?」
「はい」
とたんに翡翠さんは不機嫌そうに眉根を寄せた。
「誰だよ」
「姫ちゃんです」
「よかった、姫か。先にそう言ってくれよ、浮気かと思って心配するだろ」
「僕が浮気なんてするはずないですよ。モテないですから」
ス、と眼鏡の鼻の位置を直しながら言う。
高校生の時にコンタクトから眼鏡にしてと翡翠さんに言われて以来、僕はコンタクトをしていない。
「俺が牽制してんだよ。んで、姫はなんだって?」
姫ちゃんには、メッセージの内容はお兄ちゃんに言っても別にいいよと普段から言われている。
「先日相談された恋愛の件の続報でした」
「佳南には何かとよく報告してくるよな。俺には連絡よこさないのに」
「兄妹だと、直接言いにくい事もあるんじゃないですかね」
「それで、今回は?」
僕は送られてきたメッセージの内容を要約して読みあげる。
「姫ちゃんが好きな人に告白したら、罰ゲームだと思われたそうです」
「好きな奴って、前に言ってた奴か」
「はい」
「ったく、どういう事だよ。おい、聞いてんのか」
ドカッと音を立てて、翡翠さんがすぐ前にある運転席の座席を蹴った。
運転席にいるのは、僕の高校からの友人の藻蕗くんだ。
彼は高校を卒業してからずっと、翡翠さんの運転手として働いている。
僕は大卒だから、翡翠さんと一緒に働いている年数は藻蕗くんの方が長い。
「運転中にやめてくださいよぉぉぉ」
「姫の告白を、罰ゲームだなんて言いやがって」
「だって姫さんが俺を好きなんて、絶対に罰ゲームかドッキリかですって」
「まだ言うか!」
「ひぇぇええっ運転中はだめッ」
カーブを曲がる時のスピードが少し出ていて、藻蕗くんがハンドルをきったら思ったよりも遠心力が働いた。
翡翠さんの肩が、僕に寄りかかるような感じで一瞬だけ触れる。
「っと、わりぃ」
「いえ、大丈夫です」
たった一瞬、しかも服の上から肩が触れただけなのに、昨晩抱かれた時の肌の熱を思い出してしまった。
顔が、耳まで熱い。
あの高校に行ってなかったら翡翠さんと会えなかったと思うと、希望の高校を受験できなくて本当によかった。
今は自信を持って言える。
罰ゲームで男に告白させられた僕は、運がいい。
