【第5話 少しずつ変わっていく僕】

「本当にごめんなさ「知ってたけど」」

僕の言葉に涼風先輩の言葉が重なった。

「え……」

驚く僕の目の前で、涼風先輩が僕と藻蕗くんを交互に指さす。

「俺に告白する前、ふたりで教室で話してただろ。『俺の代わりに罰ゲームで告白なんて、ごめん~』とかなんとか」

確かに話していた。腕相撲でわざと負けた僕に、藻蕗くんは当日も翌日も何度も謝ってくれた。
その場を、涼風先輩に見られていたなんて。

「で、どーすんの? 罰ゲームだってバレたから俺と付き合う話はなかった事にする?」
「え、なかった事にするっていうか……」

罰ゲームだとバレて絶対に怒られて嫌われると思っていたから、そんな風に聞かれて戸惑ってしまう。

「別に、このまま付き合っていてもいいよな?」

涼風先輩にそう言われて、一瞬キョトンとしてしまった。
すぐにハッと我に返り、先輩へ告げる。

「でもそれって、涼風先輩には何のメリットもありませんよ」
「あるよ。佳南と付き合ってるって公言してもいいなら、俺は女除けができてありがたい」
「公言ですか……」

罰ゲームで告白した時は、すぐ夏休みになるし僕が告白したなんて噂も、きっと休み明けにはみんなも忘れてしまうだろうと思っていた。

実際のところ、罰ゲームの発案者であるクラスメイトの蛇居と轟は涼風先輩と直に接したせいかすっかりおとなしくなり、罰ゲームが無事に終わった事だけをクラスのみんなに話して噂なんて広まってさえいない。

登校する時とか涼風先輩と僕が一緒にいることで周囲が騒めく時もあるけれど、たぶん僕はみんなに先輩の舎弟のひとりくらいに思われているだろう。

でも付き合っていると公言するとなると話は別だ。
みんな面白おかしく騒ぎ立てるに違いない。先輩はそれでもいいのだろうか。

「女除けって漫画の話みたいで、すげぇ。それでもモテるんだろうな……」

漫画好きの藻蕗くんが、しみじみと呟いている。

そうか、涼風先輩なら僕と付き合ったという黒歴史があろうとなかろうとそのモテっぷりにはほとんど影響がないのか。

それなら少しの間でもお役に立てるように、女除けとして付き合ったままの状態でいてもいいのかもしれない。
だけど、付き合っている旨を公言か……

「ダメ? 他に好きな女でもいんの?」
「いないですけど……」

今まで恋愛に疎くて、女性を好きだとか付き合いたいとか思ったことがない。
でもそれは、今までの話なだけだ。
先輩に彼女ができて僕との関係が終わってしまったら、僕だって次の恋愛に真剣に向き合わなくてはならない。

「もし僕の事を好きになってくれる女の子がもしいたら、付き合いたいと思っています」

僕の言葉が終わると、涼風先輩が大きなため息を吐いた。こころなしか少し不機嫌そうな顔をしている。

「それなら俺と何かあるなんて公言しない方がいいかもな。でも公言しないにしても、俺とは付き合ったままでいてくれ」
「どうしてですか?」
「付き合ってるって言わなくても佳南だけを大切にしていれば、たいていの女はそれで諦めるだろ?」 

涼風先輩にそう言われて、僕の心臓が音を立てて跳ねた。

(付き合ったままでいれば僕だけを大切に……し続けてくれるのだろうか)

そんな事を考えてしまう僕に対して、涼風先輩は話を続ける。

「それに俺、よく告られるからさ」

(知ってます、見たことあります)と心の中で相槌を打つ。

「俺と一緒にいれば、どんな風にしたら女から告られるのか分かって佳南にもメリットがあると思わないか?」

「そうですかね……」

今日の涼風先輩は珍しくよく話す。なんだか逃げ道を塞がれていく感じがした。

「そうだよ、だから俺のそばにいろよ」

僕の心臓が再びドキッと音を立てる。

まるで愛を乞うような視線を涼風先輩に向けられて、僕は思わず「はい」と頷いていた。

そんな僕を見て、ふ、と嬉しそうに先輩が笑う。

ああ、やっぱり。
涼風先輩の笑顔は、僕の心をなぜかキュンとときめかせるんだ。

スルッと僕の前髪に先輩の指が触れた。それだけで僕の胸は不思議と高鳴ってしまう。

「とりあえず今度、一緒に髪切りに行こ―ぜ。俺がよくカットモデルしてるしてるとこ紹介するから」

涼風先輩の提案を聞いて、藻蕗くんが自分の髪を弄りながら会話に参加する。

「俺はどうでしょう、切った方がいいっすかね」
「んー、切っても変わんねぇと思う」
「変わんないかぁ……」

先輩に変わらないと言われ、分かりやすくショボンとしょげた藻蕗くんのリアクションがツボにはまったようで、涼風先輩が笑っている。
最初は怖がっていた藻蕗くんだけど、いつの間にか涼風先輩と会話ができるようになっていた。
藻蕗くんはけっこう大物かもしれない。



(こんなオシャレな美容室、初めて来た……)

涼風先輩が僕をつれてきてくれたのは、テレビや雑誌で紹介されているような美容室だった。
いつも駅前のカット10分で千円台の店で散髪している僕には未知の世界だ。

どうやって注文したらいいか分からなかったので、お任せで切ってもらう。
仕上げにヘアワックスをつけてくれた。
こんな風に髪をセットしてもらったのなんて、七五三の時以来かもしれない。

先輩にコンタクトも勧められたので、まずは試しにワンデーのものにチャレンジしてみる。

眼鏡を外しコンタクトにして髪をセットした姿で登校すると、朝の教室が騒めいた。

「えー、めっちゃいい!」
「どうしたのー」
「うっそ、イケメンじゃん」

今までほとんど話したことがなかった女子たちにたくさん話しかけられている。

以前話しかけられた時は動揺してしまったが、今日は落ち着いた気持ちで彼女たちの話を聞く事ができた。
涼風先輩のように雲の上のさらに上みたいな人と接する機会が多かったから、雲の上くらいの人と話すのは平気に感じられる。

朝以降も翌日からも、女の子たちからたくさん話しかけられるようになった。
以前は女子にドキドキして上手く答えられずゴニョゴニョしゃべっていた僕だけど、涼風先輩以上にドキドキする存在はいない事に気づき、今では女子と普通に会話ができるようになっている。

「あ、それ重いから持つよ」
「ありがとー」

同じクラスの水澤さんから文化祭に使う道具が入った大きな箱を受け取り、指定された場所へ運ぶ。
今月末、僕たちの高校では文化祭がある。
普段授業をサボりがちな生徒たちも、文化祭は好きなようで準備からみんな気合が入っていた。

僕たちのクラスの企画は、昔ながらの雰囲気の『お化け屋敷』だ。

涼風先輩のクラスは浴衣を着て接客をする『浴衣カフェ』らしい。

「まじめくん、ここテープでとめるから、そっち持っててくれる?」
「うん、いいよ」

眼鏡を外して見た目は変わったが、僕のあだ名は今もまじめくんのままだ。

先ほど僕が荷物を受け取った水澤さんに頼まれて、今度は大道具の製作を手伝った。
水澤さんは前はいつも長い髪をおろしていたけれど、作業をするためなのか最近はポニーテールとか三つ編みとか髪型を変えていることが多い。

文化祭が近づいてきたある日、大きなゴミ袋を収集場所まで持っていくのを僕が手伝った時の水澤さんの髪型はお団子だった。
ふたりで大きなゴミ袋を手にプール裏を並んで歩いている時に、ふと思い立って水澤さんに声をかける。

「今日の髪型、すごくかわいいね」

とても可愛い髪型で、涼風先輩の妹の姫ちゃんにも似合いそうだなって朝からずっと思っていたんだ。

「えー、ほんと? ありがとー」

お礼を言ってくれた水澤さんに、どうやってお団子にしているのか聞いてみようかと思ったけれど、聞いても不器用な僕じゃ姫ちゃんにしてあげることはできない事に気づいて聞くのはやめておいた。

「まじめくん、今ちょっといい?」
「うん、いいよ」

一緒にゴミ捨てをした翌日、水澤さんに声をかけられたのでついていく。
着いた先は、大道具を仮置きしている空き教室だった。僕たちの他には誰もいない。

(何を運べばいいのかな……)

そう思っていると、水澤さんに「文化祭ふたりで一緒に回ろう」と誘われた。

「僕、たぶん藻蕗くんと一緒に行動すると思う」

まだはっきりと約束したわけじゃないけれど、なんとなくそう考えていた。

「まじめくんと藻蕗の休憩時間重なってないよ。私が交換してもらっちゃったから」
「そうなんだ……」

三年生は最後の文化祭だから涼風先輩は忙しいだろうし、誘いたくても誘えない。
ひとりきりで文化祭の自由時間を過ごすくらいなら……

「うん、僕でよければ一緒に回ろう」
「よかった、約束ね」

その翌日の朝の電車で、僕を壁ドンしている涼風先輩から驚きの提案があった。

「なぁ佳南。文化祭で休憩時間合わせて一緒に回らねぇ?」

まさか涼風先輩から誘われるとは思ってもみなかった。
残念だけど、先に誘ってくれたのは水澤さんだ。

「すみません、休憩時間は他の人と先に約束しちゃって」
「あー、昼一緒に食べてる奴とか」
「あ、いえ、藻蕗くんじゃなくて……」

訝しむ表情をした涼風先輩に、「誰と?」と聞かれた。

「同じクラスの、水澤さんです」
「女?」
「はい」

僕が返事をした途端、涼風先輩は壁ドンしていた肘を曲げ電車の扉に額をつけるようにして、はぁぁ、と大きなため息を吐いた。

先輩との距離がほどんどゼロになったことに驚き、僕の身体がビクッと跳ねる。

「佳南、明日からは、また眼鏡にして」
「え、はい。分かりました」

涼風先輩に勧められたからコンタクトにしただけで、目の渇きが気になっていたので正直ありがたい。

「あと今日、一緒に帰るぞ」
「今日ですか、はい」

夏休みがあけてすぐに文化祭準備が始まり、クラスごとに帰る時間がバラバラだったため、一緒に帰るのは初めてだ。

放課後は僕たちのクラスの方が遅くまで作業をしていたようで、先輩を待たせてしまった。

すみません、と謝ってから一緒に帰り、電車に乗って自宅の最寄り駅へ向かう。

涼風先輩と自宅からの最寄り駅は同じだが、僕はそこからさらにバスに乗らなければならない。
バス停に向かおうとすると、先輩に声をかけられた。

「もう暗いから家まで送ってく」
「え、大丈夫ですよ。ここからバスに乗りますし」
「バス降りてから少し歩くんだろ? 心配だから送る」

心配するような事なんてないですよ、と言おうとして気がついた。

先輩の後ろにある駅の柱に『痴漢に注意』というポスターが貼ってある。
それを見て、以前電車で痴漢に遭った時の事を思い出してしまった。

あの時は涼風先輩が僕を守るように立ってくれたから痴漢もいなくなったけれど、もし先輩がいない時に痴漢に遭ってしまったら……

そう考えてしまったら怖くなり、申し訳なく思いつつ先輩に送ってもらう事にした。

涼風先輩は、バスに乗っているだけでも耳目を集めてしまう。
バスに乗っている女子高生が全員、何度もチラチラと先輩の方を見ていた。

バスを降りて、もうすぐ家が見えるという所で僕の足が止まる。

「どした?」

最近文化祭準備で忙しくて夜の電話がなくなったせいだろうか。もっと涼風先輩と一緒にいたいと思ってしまった。

「もう少しだけ話してても大丈夫ですか。高校の文化祭初めてなんで、色々と教えてほしいです」
「ん、いーけど」

文化祭のことで僕が質問すると涼風先輩が答えてくれる。
今知っておかないと困るという内容ではないけれど、先輩の声が心地よくて質問し続けてしまう。
先輩は僕が何を聞いても、丁寧に答えてくれた。

「佳南か?」

突然、よく知った声が聞こえてきたので驚いた。
視線を向けた先に、会社帰りの父が立っている。

「あ、父さん、こちら同じ高校の「こっちへ来なさい」」

僕の言葉が終わらないうちに、父が言葉を被せてきた。
グイッと、父親に腕を引っ張られて一瞬で涼風先輩と距離ができる。

「なにやってんだ佳南、不良となんてかかわるな」
「違うよ父さん、先輩は不良なんかじゃなくて」
「不良に決まってるだろう。あんな金髪でチャラチャラした格好をして」

ほら行くぞ、と父が僕の腕を引っ張る。

「先輩のこと何にも知らないくせに、そんな風に言うなよ!」

僕は初めて、父親に言い返した。