【第4話 僕の彼氏がスパダリすぎる】

「着替えねーの?」
「え?」

ハッと気づくと、涼風先輩が不思議そうな顔をして僕のことを見つめていた。

「き、着替えます」

慌てて僕は、先輩から貸してもらったTシャツとハーフパンツを着る。
その僕の姿を見て、先輩が呟いた。

「ダボダボだな」
「はい……涼風先輩、背が高いんで」
「俺が大きいんじゃなくて、佳南が小さいんじゃねーの?」
「そうですかねぇ……」

ぶかぶかなTシャツを少しつまんだりしながら僕が自分の身体の大きさを確認していると、ふは、と涼風先輩が笑った。
お、と思う。
涼風先輩の笑う顔を見るたびに、なんでか分からないけれど、どきどきすると同時に嬉しい気持ちになる。

「男に可愛いなんて、初めて思った」
「……女には思ったことがあるんですか?」

嬉しかった気持ちが、スン、と一瞬で冷めたのが自分でも分かった。
しかも胸がチクチク痛む。
女の子に対して可愛いと思うのは普通の事かもしれないけれど、なんか嫌だった。

「あるよ。姫は可愛い」
「あ……姫ちゃんですか」

ホッとしてしまった。先輩が女の子で可愛いと思うのは、妹の姫ちゃんなんだ。
そういえば……お母さんは仕事だと言っていたけれど。

「姫ちゃんは今日、家にいるんですか?」
「いるよ、部屋で本でも読んでるんじゃねぇかな」

そうか、家に先輩と僕のふたりきりじゃないのか……

ホッとしたような、がっかりしたような……って、なんだよ、がっかりって。
涼風先輩とふたりきりじゃなくて良かったはずだ。がっかりするなんておかしい。

自分の考えに困惑しながら先輩の隣を歩きリビングダイニングへ戻ると、リビングのソファに本とぬいぐるみを抱えた姫ちゃんが座っていた。

手にしている本とぬいぐるみは、絵本『りんごのシンさんとみかんのカワさん』シリーズのものだ。

この本の内容は、絵本を読まない僕でも知っている。
そのくらい有名で人気がある本だ。

人に見向きもされず自分は役に立たないと思っているリンゴの芯とミカンの皮だけど、最後にリンゴの芯は実をつけ飢えそうな人を救い、ミカンの皮はお城をピカピカに磨き上げてみんなを喜ばせる。

最初の頃の報われないあたりが自分に似ていると共感する人も多いらしい。
僕もそのひとりだ。

ちなみに絵本だけでなく、そのキャラクターの載った謎解き本や占いの本など幼児向け以外の本も多数出版されている。
小学生の姫ちゃんが持っていたのは謎解き本だった。

涼風先輩がこのシリーズのキャラクターのスマホスタンプを使っているのも、姫ちゃんの影響があるのかもしれない。

姫ちゃんが僕に挨拶してくれて、僕も挨拶を返す。
すると涼風先輩が、姫ちゃんへ諭すように話しかけた。

「今日はなるべく自分の部屋にいろって言っただろ」
「やだ、私もここにいる」
「しょうがねぇなぁ。勉強の邪魔すんなよ」
「え、勉強?」

先輩の言葉が意外すぎて、思わずふたりの会話に割り込む感じで声をあげてしまった。
あの高校に通っていて、勉強と言った人に会ったのは初めてだ。

「明日入塾テストがあるんだろ? 夏期講習を受けるための」
「え、はい……でも僕、勉強道具持ってきてないですよ?」

涼風先輩は僕をダイニングテーブルの席に座らせると、プリントを何枚か机の上に置いた。

「高一の夏用の予想問題作ったから、とりあえず解いてみな?」
「え、作った、って……、涼風先輩が、ですか?」
「ああ。佳南が自信ないって言ってたから。それ解けるようにしておけば、けっこう自信がつくと思うぞ」

僕の返事を聞きながら、涼風先輩は黒のエプロンを着て腰の紐をキュッと結んでいる。
その姿があまりにもかっこよくて、ドキッと僕の胸が跳ねた。

「佳南が解いてる間に昼飯用意するけど、やきそばでいい?」
「え、あ、はい。やきそば好きです」

僕は学校でもよく焼きそばパンを食べている。
そういえば罰ゲームの告白をした翌日に、自販機の所で蛇居と轟に絡まれていたところを涼風先輩に助けてもらった日に買ったのも焼きそばパンだったっけ。

トントントン……と慣れた手つきで涼風先輩が野菜を切っていく。

料理をしている涼風先輩のエプロン姿は……ずっと見ていたいくらい、かっこいい。
しかも料理の手際もいいし、僕がお茶をこぼした時だって怒らずすぐに着替えを用意してくれて優しかった。

女の人なら、誰だって涼風先輩を好きになるよ……いや、男でも涼風先輩のことを本気で好きになってしまうかも。
涼風先輩みたいになんでもできる人、藻蕗くんに借りた漫画にも出てきたな……確かスパダリって言うんだ。

そう考えたところで、ハッと我に返り慌てて先輩へ声をかける。

「あの、僕も作るの手伝います」
「勉強しろよ」
「あ、そっか……すみません」
「昼食べたら答え合わせしよーな」

僕は必死で問題を解いていく。

(この予想問題……すごい)

要点をしっかりとおさえていて、かつ、出題されそうな応用問題も載っている。
明らかに、優秀な人が作成した予想問題だった。

姫ちゃんも一緒に三人でやきそばを食べてから、先輩が添削を始める。
涼風先輩は添削を終えると、僕が間違えた問題の解説をしてくれた。

先輩の説明は、とても分かりやすい。

「涼風先輩って、すごいですね」
「高一の範囲だからな」
「でも……これ、かなりハイレベルな問題ですよ」

どうして涼風先輩は偏差値底辺の高校に通っているのだろう。
僕みたいに受験の日にトラブルがあったとか?

聞いてみたかったけれど、お父さんの話を聞いてしまった時のように無神経な質問になってしまいそうで聞けなかった。

夕方まで勉強して、先輩に洗濯してもらった僕の服も乾き、着替えてから先輩の家をあとにする。

「悪いな、バス停までしか送れなくて」
「いえいえ、むしろここまで来てもらってすみません。姫ちゃんもありがとう」

駅のバス停で涼風先輩と姫ちゃんに手を振って、僕はバスに乗る。

翌日の日曜日に実施された入塾テストは、先輩が作ってくれた予想問題とほぼ同じ問題が出たこともあり、落ち着いて受けることができた。

テストはマークシートだったから、その日の夕方には結果が出る。

合格した旨を僕はすぐに先輩へメッセージを送る。

するとすぐに返信が来て、『よかったな』とりんごのシンさんのスタンプが送られてきた。

(涼風先輩って、ほんと優しいよな……)

きっかけは罰ゲームだったけど、涼風先輩と仲良くなれたのは幸運だった。
先輩にとって「いいよ、付き合う」と返事をしたのは、ただの気まぐれかもしれないけれど。



「夏休み、一緒にどっか行くか?」

恒例になりつつあるのにまだドキドキしてしまう電車での壁ドンの状態で、涼風先輩に聞かれた。
明日から夏休み、今日は終業式だ。

「夏休みは……祖父母の家に行く以外、毎日塾の夏期講習があるんです」
「まじか、えぐいな」
「次に会えるのは、始業式ですね……」

しばらく涼風先輩に会えなくなるのだと自覚して、寂しい気持ちが湧いてくる。
でも、朝と晩に先輩からメッセージが届いて挨拶のやり取りはしているから、そんなに寂しく感じる必要はないと思いたい。
だけど学校が休みになったら……メッセージが来なくなる可能性もあるのだろうか。

「あの、休み中に勉強で分からない所があったら、涼風先輩に連絡して聞いてもいいですか?」
「いいに決まってるだろ。っていうか、勉強以外でも連絡しろよ」
「え、いいんですか」
「いいって。俺からもするし」

その言葉を聞いて、湧いてきていた寂しい気持ちが一瞬で消えた。涼風先輩の言葉には、人の心を動かす不思議な力があるのかもしれない。

夏休みが始まり、先輩とは通話とメッセージのやりとりだけでの日々が続く。

お盆以外毎日夏期講習を入れられた僕は予習復習もしなければならないため自由時間がほどんどなく、父親からは勉強しているのかと毎朝プレッシャーをかけられた。

その反動だろうか。

夜、電話で涼風先輩の低いのに優しくて甘く感じられる声を聞くと、涙が出そうになるくらい嬉しくて癒される。

「数学の問題で解き方がよく分からなくて」
「その問題写真で送って。確認してかけ直すから」

言われた通りに写真に撮って送信した。そして少し時間が経過して、涼風先輩から折り返しかかってきたので電話にでる。

本当はビデオ通話で涼風先輩の顔を見ながら教わりたい。

電話で先輩が笑うと、夏休み前に僕を何度もときめかせたあの笑顔をまた見たいなって思ってしまう。

でもビデオ通話がしたいなんて言ったら「なんでだよ?」って変に思われそうだから、言えない。

「今の説明で分かった?」
「よく分かりました。涼風先輩、やっぱり教え方うまいですね」

もう少し話していたかったけれど、これ以上長引いては先輩も迷惑だろう。
お礼を言って僕は電話を切った。

(早く会いたいな……)

こんなにも始業式が待ち遠しいのは、生まれて初めてだった。



「あの、先輩……そんなにジッと見ないでください」
「朝も言ったけど、佳南は髪切った方がいいって。きれいな顔してんだから」

手を伸ばした涼風先輩が、僕の前髪を指先で触った。
たったそれだけの事で、僕の心臓はドキンと音を立ててしまう。

夏休み明けのテストの前も勉強を教えてくれたのでお礼をしたいと伝えると、昼一緒に食べようと言われたため、今日は学校の屋上で涼風先輩と一緒にお昼ご飯を食べている。
九月なのでまだ暑いが、日陰もあるので我慢できないほどではない。

驚くことに、涼風先輩が人の来ない所で勉強したいと言うと、空き教室だったり今回のように屋上だったり先生と交渉して、鍵を貸してもらえるそうだ。
涼風先輩が外から鍵を閉めたから、屋上は貸切状態になっている。

ちなみに藻蕗くんも一緒にいるが、なぜこんな状況になっているんだ、という感じに呆然としていた。

普段は藻蕗くんとふたりで食べていると伝えたら涼風先輩が「そいつも一緒でもいいよ」と言ったから、三人でここにいる。

複雑そうな表情で僕たちを見つめる藻蕗くんの視線に気づいた涼風先輩が、「なんか言いたいことあるなら言えよ」と声をかけた。

僕は先輩の優しい一面も知っているから怖いと思う事はなくなってきたけれど、藻蕗くんは違う。
どうやら恐怖を感じて動転してしまったらしい。
そして「言えよ」と言われたから何か話さなくてはと思ったのだろう。

「ふ、ふたりは罰ゲームの告白をきっかけに仲良くなったんですか?」

少し裏返った声で藻蕗くんがしゃべった瞬間、僕の顔から血の気が引いた。
僕の告白が罰ゲームだった事は、涼風先輩に伝えていない。
正直な話、先輩は怖いどころか優しいし、今の心地よい関係のままでもいいとさえ思い始めていた。

「……罰ゲーム?」

涼風先輩が、訝しむように眉根を寄せた。
とたんに藻蕗くんがオロオロし始める。
いつもよりも小さな声で僕と涼風先輩の顔を交互に見ながら藻蕗くんは言葉を発した。

「え……も、もしかして、罰ゲームって……知らなかった……?」

いつかは話さなければいけなかった事だ。
観念した僕は涼風先輩に頭を下げた。

「ごめんなさい、先輩への告白。あれ、クラスの腕相撲大会で負けたから、僕が罰ゲームで告白する事になって」

さらに深く頭を下げる。こんな謝罪だけじゃ、足りないと分かっているけれどこれ以上の方法が分からない。