【第3話 僕の初デートは、いきなり彼氏の家!?】

朝食を食べるために一階へおりたら、ダイニングテーブルの席へ先に座っていた父親と会ってしまった。
いつもの事だが、父は朝から気難しい顔をしている。
普段僕と同じくらいの時間に起きる兄の姿がなかったため、キッチンに立つ母へ声をかけた。

「兄さんは?」
「もう家を出たわよ。学校の自習室の改修工事が終わって、朝の時間も使えるから勉強するんですって」
「そうなんだ」

兄は僕の二歳年上で高校三年生だ。僕と違って進学校へ通っている。
父が箸を置いた。
そして僕の方を見て、不機嫌そうな声で話しかけてくる。

「栢多(かやた)は朝から勉強してT大もA判定だというのに、佳南、お前勉強時間が少ないんじゃないか?」

一般的な高校生に比べたら僕の勉強時間は多い方だと思う。だけど父には、それだけでは足りないのだろう。

「あんな学校に行っているんだから、せめて学年一位は維持しなさい」
「はい」

第一志望だった兄と同じ高校を受験できず、しかも滑り止めの高校どころか偏差値底辺の高校に通うようになってから、父は一段と僕に厳しくなった。

「母さん、栢多と同じ塾の夏期講習を佳南の分も申し込んでおいてくれ」
「佳南はお兄ちゃんと同じ塾でいいの? 夏期講習でも入塾テストがあるけど」
「いいよ」

父に逆らっても無駄だ。父はいつでも、自分が一番正しいと思っているのだから。
ちなみに僕は、中学生の時にその塾の入塾テストに落ちている。
入塾テストの時に隣の席の子が消しゴムを忘れて、僕は二個持っていたからひとつ貸したけど、運の悪い僕は残った方の消しゴムをテスト中に落としてしまったんだ。
しかも消しゴムはどこに落ちたか分からなくて、僕は動揺してしまった。
落ち着いて考えてみれば、係の人に告げればよかっただけなのだが。
テストに落ちたことを告げると、父はがっかりしたようにため息を吐き、それ以降はその塾への入塾を勧めてくることはなかった。

またあの塾へ入れないなんて事態になったら、僕はさらに父を失望させてしまうんだろう。

朝食を口へ運んだけれど、なんだか味がしなかった。

沈んだ気分のまま、昨日と同じ時間の混雑した電車に乗る。
すると昨日と同様にドアの所で僕を壁ドンしている涼風先輩から、ふに、と痛くない力で頬をつねられた。

「どした、暗い顔して」
「え」

涼風先輩に指摘されたのが意外で驚いてしまう。
僕は普段から暗い表情をしていると自覚しているから、本当に暗い顔をしていても誰も気づかないと思っていた。

「塾の夏期講習を受けるための入塾テストが日曜日にあるんです。ちょっと自信がなくて」
「ふぅん」

涼風先輩は、僕がなんでそんな事を言っているのか意味が分からない、という感じの表情をしていた。
いや、もしかしたら分からないというよりも、塾の話なんて興味がないだけかもしれない。
今通っている高校で、塾の話なんて誰からも聞いたことがないし、そもそも塾に通っている人なんているのだろうか。

塾の話どころか、昼休みに僕は教室で驚くような話を聞いてしまった。
廊下側の教室の定位置でお昼を食べている僕と藻蕗くんから、少し離れた机の所で数人の女子が話している。

「今週末は彼の家でデートなんだ~」
「相手の親は? いるの?」
「いるわけないじゃん」
「下着かわいいの着てきなよ~」
「新しいの買いにいこうよ、選んであげる」
「ありがと~。ね、初めてって、痛いってほんとにほんと?」
「初めてマジ痛いから」
「痛いけどね~、すぐ慣れるよ」

具体的な内容は出てこないけれど、なんとなくどんなデートをする予定なのか感じ取ってしまった。
藻蕗くんにも分かったのだろう、僕の方を見て話しかけてくる。

「すごい会話だな」
「そうだね……」

僕が返事をすると、内緒話をするような感じで藻蕗くんが顔を寄せてきて、小さな声で聞いてきた。

「まじめくんはそういう経験……あんの?」
「な、ないよ。藻蕗くんは?」
「あるわけないだろ。高校生がリアルでそんな体験するなんて、俺は都市伝説だと思ってるよ」

まわりに聞こえないようにコソコソ会話をすることに集中していたせいか、まわりが騒がしいなと気づいた時にはすでに、その原因の人物がすぐそばにいた。

「おい、お前らちょっと近すぎんじゃねぇの?」
「「うわ」」

廊下側の窓から涼風先輩に話しかけられて、僕と藻蕗くんは飛び上がりそうなほど驚いてしまった。
藻蕗くんなんてお化けでも見たかのような表情で先輩を見て、口をアワアワさせている。
そんな状態の藻蕗くんに涼風先輩が話しかけた。

「佳南とちょっと話していい?」
「いいです、いいです。自分はちょうど、トイレ行くところだったんで」

腰が抜けたような感じでヘコヘコ歩きながら藻蕗くんが教室を出て行くと、先輩が今度は僕に話しかけてきた。

「なぁ、土曜日ってなんか用事ある?」
「へ、ぁ、土曜日?」

土曜日は翌日の入塾テストに備えて家で勉強しようと思っていた。
でも用事があるかといえば……

「ない……です」

内緒話でもするように、涼風先輩が顔を近づけてきて僕の耳元で囁く。

「うちに来いよ」
「え、なん、で……?」

藻蕗くんの時はなんともなかったのに、先輩に近づかれるとドキドキしてしまうのはどうしてだろう。

「いろいろと教えてやるからさ」
「え、いろいろって、何を……」

僕の質問に対して、涼風先輩はドキッとするような蠱惑的な笑みを浮かべて答えた。

「佳南が喜ぶことだよ。じゃ、土曜な」

涼風先輩が教室から立ち去ると、先ほど過激な会話をしていた女子たちが僕のまわりに集まってきた。

「ねぇねぇねぇ、今の何?」
「涼風先輩と仲いいの?」
「なに話してたの~?」

そう聞かれて思い出してしまった。
今僕に質問している女子たちが、先ほどしていた会話の内容を。

(え、あれ、家に呼ばれるって……いろいろと教えてやるって……もしかして、そういうこと!?)

動揺した僕が女子たちの質問に上手く答えられずゴニョゴニョしゃべっていると、彼女たちは段々と興味を失っていったようだ。

少ししてチャイムが鳴り昼休みが終わると、みんな怠そうに席へつき日常へと戻っていく。

僕のスマホには先輩との朝晩のメッセージに添えられた絵本『りんごのシンさんとみかんのカワさん』のキャラクターのスタンプに混じって、土曜日に先輩の家へ行く約束のやり取りが加わった。

駅から家までの地図も送られてきたため、僕は土曜日の午前10時に直接先輩の家へ行き、緊張しながら玄関のベルを鳴らす。
少しして、涼風先輩がドアを開けてくれた。

「おじゃまします。あのこれ、少しですが」

僕は駅前のお店で買ったマドレーヌの入った紙袋を先輩に渡す。

「ありがと。でも次からは気を遣わなくていいからな」

(次、が……あるのかな?)

そんな事を考えてすぐに、大事なことを思い出す。

「あの、家にあがるので親御さんにもひとことご挨拶した方がいいかなって思うのですが」
「あー、母親は今日仕事でいねーわ」
「お父さんも今日はお仕事ですか?」
「父親は俺が中二の時に亡くなってる」

自分に両親がいるからって何も考えずに無神経な質問をしてしまったことに気づき、「そうですか」と答えることしかできなかった。

「そこ座って」

リビングダイニングに案内されてダイニングテーブルの椅子を示されたのでそこへ座る。

「ん」
「ありがとうございます」

グラスへ入れた飲み物を出されたためお礼を言ってひとくち飲んだ。
嬉しいことに、僕の好きなレモンティーと同じ味がする。

(涼風先輩の家にいるなんて、緊張するな……)

自分でもそう考えた通り、緊張していたのだろう。しかもかなり。

あ、と思った時には手が滑って持っていたグラスが僕の太腿の上に落ちた。

グラスが割れなくて良かった……けど、僕の股間のあたりはびしょ濡れだ。

「派手に零したな」
「す、すみません」
「俺の服貸すから、着替えな」

涼風先輩に促されるまま脱衣所へ移動する。

(涼風先輩の家の浴室……)

なぜか浴室の扉が見えただけで、心臓がバクバクと激しく音を立てた。

「服、洗うから貸して」
「だ、大丈夫です。そのうち乾きますから」

そう答えた瞬間、先輩の手が僕のシャツの裾に触れる。
そしてそのままクイッとほんの少しだけシャツを捲られた。

「脱がないなら、無理やりにでも脱がすけど?」
「ぬ、脱ぎますっ自分でっ」

僕は顔が熱くなるのを感じながら、慌てて服を脱ぎ始める。
不幸中の幸いなことに、パンツだけは濡れていなかった。

身につけているものが眼鏡とパンツだけになった僕は、濡れた服を先輩に渡して代わりの服……おそらく涼風先輩の服を受け取る。

たとえ見たくなくても、涼風先輩の視界には僕のパンイチ姿が入ってしまっているだろう。

(穿いてきたのがヨレヨレのパンツじゃなくてよかった……)

今日は新しいパンツを身につけている。
そう考えてホッとしたところで思い出してしまった。

先日の昼休みに教室で、女子たちがしていた会話の内容を。

『今週末は彼の家でデートなんだ~』
『下着かわいいの着てきなよ~』
『新しいの買いにいこうよ』

(いや、僕は別に新しいパンツをわざわざ買ったわけじゃなくて、たまたま家に新しいのがあったから穿いただけで……っ)

自分自身に謎の言い訳をしていたら、さらに思い出してしまった。

『相手の親は? いるの?』
『いるわけないじゃん』

(そうだった。今日は先輩の親が家にいないんだ……)

『ね、初めてって、痛いってほんとにほんと?』
『初めてマジ痛いから』
『痛いけどね~、すぐ慣れるよ』

そこまで思い出したところで女子の姿が消えて、今度は記憶の中の先輩が、僕に蠱惑的な笑みを向けて囁いた。

『いろいろと教えてやるからさ』

服を着ていないのに全身が熱い。
僕の心臓が、バックンバックン聞いたことのない音を立てている。

(僕は今日、いったい何を教えられるんだ……っ)