【第1話 運が悪い僕は、罰ゲームで男に告白させられる】
この世界の人は大きく三つに分けられる。
『運がいい人』『運が普通の人』『運が悪い人』だ。
そして僕は間違いなく、『運が悪い人』の部類に属している。
運が悪いから、親に言われてテレビやゲームを我慢していたのになぜか小学生の時に視力が落ちて、眼鏡をかけるようになった。
銀縁眼鏡をかけてから、黒髪の僕のあだ名はずっと『真面目くん』だ。
本当の名前は馬路締 佳南(まじじめ かなん)なのに、先生でさえたまに間違えて『まじめくん』と呼ぶ。
運が悪いから、身長が170センチに届かず169.4センチで止まってしまった。
小数点以下を四捨五入しても170センチにならない。
運が悪いから、高校受験の本命の日も滑り止めの日もトラブルで試験を受けられなくて、二次募集をかけていた不良の多いこの高校に通う羽目になった。
そして高校一年生の今、罰ゲームで校内一喧嘩が強い先輩へ告白することになったのも。
全部全部、僕の運が悪いからだ。
放課後になり、告白するために待ち合わせ場所の、屋上へと続く階段の最上段を目指すけれど、自然と足取りが重くなる。
これから僕が告白する相手はモテすぎるため、彼女を奪ったとか逆恨みされて喧嘩を売られることが多く、挑んできた奴を返り討ちにし続けて最強だと言われている人だ。
理由なく自分から殴ったりするような話は聞いたことがないけれど……
(男の僕が罰ゲームの告白なんてしたら、ふざけんな、って下手すると殴られるかも……)
本音を言えばこのまま階段をおりて帰りたいが、現場確認のためにこの罰ゲームの発案者であるクラスメイトがふたり、僕から少し遅れてついてきているから引き返せない。
もう少しで着いてしまう……、意思のない機械のように動く自分の足を見つめ、俯いて階段をのぼっていると――
「馬路締佳南?」
頭上から声が降ってきて、驚いた。
驚いたのは突然話しかけられたから、というのもあるが、名前を呼ばれた事による方が大きい。
正直なところ、偏差値底辺のこの高校に通うような生徒が、当てずっぽうでも僕の名前を読めるとは思っていなかった。
先輩を呼び出すために書いた手紙で僕の名前を知ったのだろう。でも漢字にフリガナは振っていない。
見上げると、僕が使った見覚えのある封筒を片手に、金色の髪の美丈夫が屋上と校舎内をつなぐ扉の前に立ち、こちらを見つめていた。
三年の涼風 翡翠(すずかぜ ひすい)先輩だ。
不機嫌そうな表情にもかかわらず秀麗で、顔がいい。
しかも背が高い、170センチに届かない僕と違って180は余裕であるだろう。もしかしたら185センチくらいあるかもしれない。
脚が長くてモデルでもできそうな体型だけど細すぎず、腕には程よく筋肉がついている。
(下から見ても、完璧に整った顔立ちだな)
現実逃避するようにそんな事を考えながら、罰ゲームの告白をするために手紙で呼び出した相手――涼風先輩を見つめる。
「……はい、そうです」
そう答えた僕の声は、自分でも驚くほど掠れていた。
「話って、何?」
イケメンは声までいいのかよ、とツッコミを入れたくなるような、聞きほれてしまう低い声だ。
涼風先輩はモテる。つい最近も、一年の女子ふたりからたて続けに告白されていたと噂で聞いている。
でも誰が告白してもいつも、「無理」と断られてしまうらしい。
その点についてだけは気が楽だった。
先輩も断るのは慣れているだろうから、とっとと告白して断ってもらおう。
もしかしたら告白したことが少しの間だけ噂になるかもしれないが、どうせ再来週から夏休みだ。僕が告白したなんて噂も、きっと休み明けにはみんなも忘れてしまうだろう。
そう考えていても、自分でも気づかないうちに緊張していたのかもしれない。
先輩の方を見続けて言葉を発することができず、俯きながら必死にセリフを絞り出す。
「す、涼風先輩……好き……です。僕と……付き合ってください」
今まで恋愛に疎くて、好きな人がいたことがない。
僕にとっては人生で初めての告白だ。
まさか女性に告白するよりも先に、男へ告白するなんて思わなかった。
(怒ったり殴ったりせずに、さっさと断ってくれ)
俯いたまま、先輩からの「無理」という言葉を待つ。
「いいよ、付き合う」
想定していた返事と違って、思わず顔を上げる。
すると人を殺めることができそうなくらい鋭い目つきだと普段から噂されている先輩が、心なしか優しい表情をしていたので気が動転してしまった。
「え、いい……? え、は、いい!?」
「今日は用事があって一緒に帰れないから、とりあえず連絡先だけ交換しとくか」
意外な返事に動揺しすぎたせいか、そのあとの記憶がない。
気づいたら家についていた。しかも自分の部屋で寝て起きた後だ。
告白したのは夢だったのか……?
そう思ったけれどスマホに残った先輩の連絡先が、あれは現実にあった出来事だったのだと僕に告げていた。
しかも夜11時に『おやすみ』のメッセージが入っている。
なんて事だ、返事もせずに無視した状態になっているじゃないか。かといって、今さら『おやすみなさい』と返事をするわけにもいかない。
どうしよう……、と悩んでいると『おはよ』とメッセージが届いたのでスマホを放り投げそうになるくらい驚いた。
慌てて『おはようございめす』と返信する。
送ってから気がついた。語尾を間違えている。だがもう既読。
すると『めす、って』と笑っているスタンプが送られてきた。
送られてきたスタンプは『りんごのシンさんとみかんのカワさん』という絵本に出てくるキャラクターだ。
捨てられるりんごの芯とみかんの皮が主人公で様々なグッズが発売されており、シュールだけどかわいいと女子の間で人気がある。
(こんなスタンプ使うんだ……)
喧嘩が強いと噂の先輩が可愛いスタンプを選んだ姿を想像してしまい、思わず頬が緩んでしまう。
学校へ行くと、教室に入る前にクラスメイトの藻蕗(もふき)くんに話しかけられた。
不良の多いこの学校では珍しく、藻蕗くんは僕と似た感じの真面目そうな見た目をしている。
「昨日はごめんな、本当は俺が罰ゲームだったはずなのに」
「僕が負けただけだから、藻蕗くんは気にしないで」
「でもさぁ、まじめくん昨日手加減してくれただろ?」
昨日はクラスの親睦を深めるためといって、授業のひとコマを使って腕相撲大会が行われた。
提案したのはクラスの中心人物の蛇居と轟だ。昨日の罰ゲームの告白の際に僕の後からついてきていたふたり。
勝者を決めるよりも、最弱の者に罰ゲームをさせる話で蛇居と轟の周囲は盛り上がっていた。
罰ゲームの内容が涼風先輩への告白に決まり、そして最弱決定戦に残ったのが、僕と藻蕗くんだ。
僕は藻蕗くんが昨日の朝、『放課後にバイトの面接があるんだ』と話しているのを聞いていた。
罰ゲームで告白なんてしていたら、バイトの面接に間に合わなくなってしまう。
それにもし先輩を怒らせて顔を殴られたりしたら、その顔で面接へ行っても受かるはずがない。
だから少し力を抜き、わざと負けたんだ。
僕には昨日の放課後、特に用事がなかった。
藻蕗くんには昨日帰らなければならない事情があって、運が悪い僕には用事がなかっただけだ。
だから藻蕗くんは気にしなくていい。
すると先ほどよりも小さな声で、藻蕗くんが僕に話し始めた。
「蛇居と轟の奴らさぁ、彼女が涼風先輩を好きになったからって、先輩に罰ゲーム仕掛けて怒らせて問題を起こさせようとしてたらしい」
「そういう事だったのか……」
最近たて続けに涼風先輩へ告白した一年女子ふたりは、蛇居と轟の元カノだったようだ。
「殴られたりしなかったか」と藻蕗くんが心配そうにしていたので「大丈夫、殴られたりなんてしてないよ」と答える。
殴られはしなかったけど……
付き合うって、涼風先輩は本気で言っているのだろうか。
どこかへ行くのに付き合うっていうのと勘違いしているんじゃないかと少しだけ思ったが、告白の際に僕が「好きです」と言っているからそれはないだろう。
「本当にごめんな……」
藻蕗くんはまだ落ち込んでいるようだった。
「昨日だって僕が告白に行く前に何度も謝ってくれたじゃないか。この話はこれで終わり。もうこれ以上、気にしなくていいよ」
僕は高校で数少ない友人の藻蕗くんに安心してもらいたくて、彼に笑顔を向ける。
昼休みになり、お弁当持参の藻蕗くんには教室で待っていてもらって僕は購買へと向かった。
そして廊下の前方に美人な女の先輩たちと一軍男子たちに囲まれて歩いている中心の人物の姿に気づく。
涼風先輩だった。
あの周りだけなんだか華やかなオーラを感じる。
前方だから背中を眺めていられるが、うしろから歩いてきたら思わず道をあけてしまいたくなるような存在だ。
そんな涼風先輩が、僕と付き合うなんて、昨日の返事はやっぱり冗談だよな……。
連絡先を交換したのも、僕が涼風先輩のまわりにいないタイプだったから、少しだけ構ってみたくなったのかもしれない。
なんとなく涼風先輩に近づくのがためらわれて、少し時間をおいて先輩の姿が見えなくなってから歩き出す。
購買で焼きそばパンとメロンパンを買って、自販機でレモンティーを買った。
自販機から少しだけ離れたところで突然、うしろからガシッと肩を掴まれて心臓がビクッと跳ねる。
驚いて振り返ると、ニヤニヤした表情の蛇居と轟が僕のすぐそばに立っていた。
「なぁ、昨日の罰ゲームの代わりに、ジュースおごってくれよ」
「は? 罰ゲームはちゃんとやっただろ?」
蛇居に掴まれている肩は痛いくらいだった。
反対側の肩を、轟にドンと小突かれる。
「あれさぁ、全然罰ゲームにならなかったじゃん。涼風先輩が『いいよ』なんて軽く答えて本気にしてなかったし」
本気にしていないと改めて人から指摘されて、なぜかズキンと胸が痛んだ。
「だからさぁ、なんか代わりに罰ゲームやらないと、ずーっと終わらないよ?」
ここで飲み物をおごってしまうのは簡単だ。
でも一度でもおごったら、蛇居と轟は何かと理由をつけて今後も僕に絡んでくるだろう。
どうしよう……、と俯いて視線を下げたまま考えていたから気づかなかった。
蛇居たちの背後に、人影が迫っていた事に。
「「ぐぁっ!?」」
声に驚いて顔を上げた先で、蛇居と轟が苦悶の表情を浮かべている。
ふたりとも、涼風先輩の指がめり込みそうな強さで頭を掴まれていた。
「なぁ、俺の佳南に何してんの?」
涼風先輩がマジギレしている。
噂に聞いていた、人を殺めそうな鋭い目つきだった。
「な……にもしてましぇん」
蛇居と轟はふたりとも涙目になっている。
「嘘ついたら承知しねぇぞ」
ぐ、と涼風先輩はさらに指に力を込めたらしい。
「いだだだだ……っ」
これ以上こうしていたら、ふたりの頭がどうにかなってしまうかも。
僕は慌てて声を発した。
「大丈夫です、本当に何もされていませんから」
僕の言葉が届いたのか分からないけれど、パッと涼風先輩がふたりの頭から手を放す。
次の瞬間、蛇居と轟は脱兎のごとく逃げていった。
「涼風先輩すみません、迷惑かけて」
深々と、涼風先輩に向かって頭を下げる。
「迷惑かけろよ、付き合ってんだから」
「え?」
言われた言葉が意外すぎて思わず顔を上げると、頭にポンと手をおかれた。
ふ、と小さく涼風先輩が笑う。
「いつでも頼っていいからな」
涼風先輩の言葉を聞いて僕の心臓が、きゅん、と音を立てた。
なぜ……きゅん?
きゅんってどういうことだ。
男にときめくなんて、おかしいよな?
今の、きゅん、無し無し無しっ。
そう思っているのに、頬が勝手に熱くなっていくのを止められない。
見えなくても分かる。
絶対に今、自分は真っ赤な顔をしていると思う。
