それから俺は、めろ先輩への気持ちが爆発しないように、バイトに明け暮れた。ラーメン屋、コンビニ、そのスキマ時間に単発バイトを入れたりしながら過ごしているうちに、学校では球技大会の日を迎えた。
「しゃっーーっ、このまま絶対に優勝するぞっ!」
 隣にいるなぎぴょんが片手を振り回しながら、雄叫びをあげている。球技は男女別で、女子は園庭グラウンドでドッジボール。男子は体育館でバスケだ。
 トーナメント初戦、俺たちのクラスは三年生相手にギリギリで勝利した。
「次の相手って、五組とだっけ?」
「そう、バスケ部がうじゃうじゃいる」
「負け試合だね」
「バカ言え。優勝したら、焼き肉だぞ、焼肉!」
 なぎぴょんがこんなにもやる気になっているのは、担任が優勝したら焼肉を奢ってくれると約束したからだ。
「次の試合までステージに座って待機しようぜ」
「あ、俺、その前にタオル濡らしてくる!」
「おっけ」
 俺は一旦なぎぴょんと別れて、体育館の外にある手洗い場に向かった。
 体育館はエアコン完備だけど、まだ稼働はしてなくて一試合やっただけで汗が滝のように出てくる。タオルを水に濡らして首元を冷やしていたら、「よう」と誰かが声をかけてきた。
「あ、めろ先輩」
 今日の先輩はアクセサリーをすべて外していて、髪も邪魔にならないよう後ろでまとめていた。
「さっきの試合見てたよ。一回戦突破おめでとう」
「ありがとうございます。先輩のクラスはまだですか?」
「今やってる試合が終わったら出番だよ。そういえば、お前ってバスケ経験者だったの?」
「え、なんでですか。俺なんて全然初心者ですよ。中学は卓球部でしたし」
「じゃあ、なんでキャプテンナンバー背負ってるんだよ?」
「4番ってキャプテンなんですか?」
「一般的にはそうだよ」
「し、知らなかったです……」
 4番のビブスを渡してきたのは、なぎぴょんだ。『ましろっちはこの番号な』と軽い感じで渡されて受け取ったけど、スポーツ観戦が趣味のなぎぴょんが、キャプテンナンバーを知らないはずがないからおそらくわざとだろう。むむ、なぎぴょんめ。
「先輩の7番はどういう意味があるんですか?」
「一応、エースナンバー」
「エース! すごい!」
「俺の場合はじゃんけんで負けたから背負わされただけ。普通に荷が重いし、嫌なんだけど」
「でも、似合ってます。試合、全力で応援しますね!」
「いいのかよ。勝ち進めば、お前のクラスと当たるかもよ」
「た、たしかに!」
 そうしたら、どっちの応援をすればいいんだろう。いや、応援とかじゃなくて、戦うことになれば敵になっちゃうから、できれば当たりたくないかもしれない。
 そんなことを悶々と考えていると、めろ先輩がなぜか俺の顔を覗き込んできた。
「なんかお前、顔色悪くない?」
「え、悪くないですよ? ちょー元気です!」
「……なら、いいけど。てか、Tシャツのサイズでかくね?」
 めろ先輩が袖をつまんで確認する。名前入りの学校指定Tシャツは、入学式前の採寸会で買ったものだ。測ったときはMサイズだったけど、成長期に備えてLを注文した……のが間違いだった。
「寸法を測ってくれたおばちゃんに、育ち盛りの男の子はすぐに大きくなるって言われたんですけど、全然そんな気配ないんですよね。だから、体育の時はいつも恥ずかしいんです」
「じゃあ、俺のTシャツと交換する?」
「え、でも俺、さっきの試合でけっこう汗かいちゃったんで交換できないです!」
「汗なんて気にしなくていいよ、ほら」
 先輩はおもむろに、Tシャツを脱いだ。心の準備ができてないまま、めろ先輩の上半身が目に飛び込んでくる。
 う、わ……めちゃくちゃいい体。洋服の上からだと細身に見えるのに、筋肉はほどよくついていて、腹筋の縦のラインもうっすら浮かんでいた。
「スケベ」
 じろじろ見ていることを指摘されて、顔がカーッと熱くなる。
「す、す、すみません、見すぎました!」
「見てたことは認めるんだ?」
「お、俺も脱ぎますね」
 ひょろい体を隠すように後ろ向きになって、素早くTシャツを脱いだ。そして、めろ先輩のTシャツに腕を通すと……。
「え、あ、あれ? これ俺のより大きくないですか?」
 両手を広げてみても、体がすっぽり隠れるほどブカブカだ。
「そりゃ、そーだろうな。俺のサイズLLだし」
「ええっ!」
「俺がMなわけないだろ」
「た、たしかに……。でも、めろ先輩だってそれじゃ小さくないですか?」
「俺もお前と同じで、入学の時にちょっとでかめを買ったんだよ。だから本当はLでちょうどいい」
「な、なるほど……って! 俺のために交換しようって言ってくれたんじゃないんですか?」
「面白いかなと思って」
 めろ先輩はクスクスと笑いながら、俺の名前が入っているTシャツの上にビブスを着けた。
 自分の胸元を見てみると、そこには【光葉 夢路】と刺繍が施されている。冷静になってみれば、めろ先輩のTシャツを着てるなんて、俺得でしかない。
「じゃあ、応援よろしく」
 俺の髪の毛をくしゃりとしたあと、先輩は試合の準備をするために体育館に戻っていった。めろ先輩がいなくなっても、Tシャツからは先輩の匂いがする。自制しなきゃいけないのに、好きな気持ちが溢れてとまらない。

「遅かったじゃん」
「ごめん、ごめん!」
 気持ちを切り替えて俺も体育館に入ると、なぎぴょんが隣を開けておいてくれた。観覧席になっているステージには、待機している他の生徒もたくさんいる。
「てかTシャツ、ブカブカすぎん?」
「あはは……これには色々と深いワケがありまして」
「深い話をめろ先輩としてたから遅れたと?」
「ど、どっかで見てた?」
「見てないけど、それ先輩のTシャツだろ。Tシャツ交換とかエモいことすんなよ。羨ましすぎるわ」
「え、なぎぴょんもめろ先輩と交換したかったの……?」
「じゃなくて、こういう行事では好きな人となにかを交換するのが醍醐味なんだよ。体育祭のハチマキ交換もいいよなー。十月までにはカノジョ作んなきゃ」
 なぎぴょんがさらっと言うから、一瞬聞き逃しそうになったけど、今『好きな人』って言った……?
「あ、あれ、俺、めろ先輩のことが好きってなぎぴょんに話したっけ?」
「ううん、今聞いた」
「え、あ、わー……聞かなかったことにして」
 墓穴を掘ってしまい、両手で顔を覆った。おそらく顔も耳も真っ赤になっているだろう。
「べつにわざわざ聞かなくても、そうかなって思ってたよ。めろ先輩カッコいいもんなー。あれは惚れないほうがおかしい」
「へ、変だって思わないの? だって、男が男を……」
「性別は関係なくね? それを変だって思うほうが変だろ」
「なぎぴょん、いいやつ……!」
「それは自分でも知ってる」
 そんな会話をしていると、体育館に歓声が響いた。視線を送ると、めろ先輩が初戦のコートに入るところだった。応援の中には、先輩のことを一目見るために、園庭グラウンドから駆けつけた女子の姿もあった。
 立っているだけで輝きを放っているめろ先輩は、試合中も大活躍。華麗なドリブルで相手のディフェンスを交わしたり、仲間にうまくパスを出してアシストしたり、簡単にスリーポイントシュートを決めてしまったりと、めろ先輩のプレーにみんなが夢中だった。
「なぎぴょん、俺の好きな人すごい……」
「ましろっちのおかげかもよ?」
「え?」
「Tシャツパワー?」
 偶然かもしれないけど、得点が決まるたびに、めろ先輩は俺の名前が書いてある刺繍に手を添えていた。
「なぎぴょん、俺もう色々手遅れかもしれない」
「なにが?」
「めろ先輩を見てるだけで、たまんない気持ちになる」
「おー健康、健康」
「先輩の汗までカッコよく見えるって重症かな?」
「それも健康だから大丈夫だよ」
 濡れた髪も、汗で張りついているTシャツも、色気が半端ない。
「あ、向こうのコートの試合終わったっぽいな。俺らも二戦目の準備しないと」
「えーまだ先輩の試合が終わってないのに」
「あの調子じゃ圧勝だって。ほれ、行くぞ」
 なぎぴょんに促された俺は階段ではなく、そのままステージから飛び降りた。……くらっ。すると、なぜか急に頭がふわふわしてきた。これ、なんだろう、立ち眩み?
「え、ま、ましろっち?」
 なぎぴょんに呼びかけられた瞬間、自分の視界が反転した。周りがざわついている。人も集まっている。
 もしかして俺……倒れてる?

 *

 まぶたの裏で揺れる光と影。ゆっくりと目を開けると、白い天井が広がっていた。
「……ここは?」
 気づくと俺は、白いカーテンで仕切られたベッドの上にいた。壁にはインフルエンザ予防のポスターが貼られていて、もしかしたら保健室に運ばれたのかもしれない。
 誰かがポケットから出してくれたのか、枕元にスマホが置かれていた。
 え、3時半……!?
 球技大会は終わったのか。むしろ自分がどうなっていたのかさえ記憶がない。寝ていた体を起こして、ひとまず体育館に行ってみようとしたら、カーテンレールが静かに動いた。
「あ、目が覚めた?」
「え、め、めろ先輩」
「これ、お前のカバン」
 先輩はそう言って、ベッド脇にある椅子に腰かけた。さっきまで戦っていたはずの先輩の汗がすっかり引いている。
「あの、球技大会は……」
「お前のクラスは二戦目で敗退。うちのクラスは優勝した。まあ、俺は出てないけど」
「え、なんでですか?」
「試合よりもお前のほうが大事だろ。急に倒れるとか、本当に勘弁して……。寿命半分くらい縮んだわ」
「俺、やっぱり倒れたんですね……」
「保健の先生いわく、過労じゃないかって。バイト詰めすぎなんだよ」
「……か、過労」
「ちょっと微熱もあるから、まだ安静にしてたほうがいい」
 めろ先輩は俺の背中を支えながら、優しく寝かせてくれた。体温を確かめるようにおでこに置いてくれた手がひんやりしていて気持ちよかった。
「すみません、ご迷惑をかけちゃって」
「かけたのは、迷惑じゃなくて心配だけどな」
「優勝したってことは、先輩のクラスは打ち上げがあるんじゃないですか?」
「あるけど、俺は行かない。全員参加ってわけじゃないし、行きたいやつが行くって感じだから」
「もしも俺のことを気にしてくれてるなら全然行ってもらって――」
「元々、大人数で集まるのが苦手なんだよ。だから、お前のことがなくても行かないつもりだったから大丈夫だよ」
 アクセサリーを外していたはずの先輩の唇には、銀色の口ピが戻っていて、結んでいた髪も今はほどけていた。
「なんか髪を下ろしてると、家にいるめろ先輩みたいですね」
「そう?」
「髪の毛、ずっと伸ばしてるんですか?」
「切るタイミングを逃してるだけだよ。昔は普通に短かったし」
「短い髪のめろ先輩は想像できないです」
「お前的にはどっちがいい?」
「めろ先輩だったら、どんな髪型も似合うと思いますよ」
「そうじゃなくて、お前の好みの話」
「こ、好みですか。髪型の好みはとくにないです。好きな人がしてる髪型だったらなんでも好きです」
「へえ」
 いつかこんなふうにめろ先輩のことが好きだって言えたらいいのに。でも、告白をしたら、きっと今のままの関係ではいられない。
「帰りのことは心配しなくていいからもう少し寝とけ」
 まるで寝かしつけているみたいに、先輩は俺の髪を撫でてくれた。大きい手で触ってもらえると、なんだかすごく安心する。
「めろ先輩」
「ん?」
「いつも優しくしてくれてありがとうございます。こんなことを言うのは変かもしれないけど、先輩が大家さんでよかったです」
 片思いは苦しいけど、めろ先輩が大家さんじゃなかったら、今でも俺は遠くからその姿を見てるだけだった。
「……優しくするのは、お前だからだよ」
 先輩がなにかを言ってるけど、半分眠りかけた耳ではうまく拾えない。
「早く気づけよ、茉白」
 唇に、柔らかい感触が当たった気がした。その日俺は、めろ先輩に名前を呼んでもらえた夢を見た。こんなに嬉しい夢なら、一生覚めなくていい。