君がいた世界の色

静かな午後だった。

 秋が少しずつ深まり、窓の外には薄紅の葉がゆっくりと風に舞っていた。



 一歩、また一歩。

 葵は白い廊下をゆっくりと歩いていた。

 陽菜の病室へ向かうたびに、胸の奥が少しだけぎゅっと締め付けられる。けれど今日は、それ以上に少しだけ……期待していた。



 陽菜に会える。それだけで心が少し明るくなるのは、変わらない。



 コツ、コツ、とスニーカーの音が響く。

 最後の角を曲がると、陽菜の病室が見えた。



 ドアをそっと開けると、陽菜は窓際のベッドに静かに座っていた。

 点滴のチューブが手首から伸びていて、頬は少し痩せていたけれど、それでも彼女は、笑っていた。



 「おかえり、葵」

 それはまるで、何も変わらない日常のような声だった。



 一瞬、何も言葉が出てこなかった。

 葵は黙って頷くと、彼女の隣の椅子に腰を下ろす。



 「……聞いたよ。退院、できるんだって?」

 陽菜はうん、と優しく頷いた。



 「うん、来週。家で療養することになったの……このまま、ずっと病院だと思ってたから、ちょっとだけ嬉しくて」



 「そっか……それは、よかった」

 葵はそう言いながら、胸の奥で言葉を噛みしめる。

 

 家に帰れる。

 それは本来なら、嬉しいことのはずだった。けれど今回のそれは、もう長くはないという知らせでもあった。



 けれど、陽菜は言った。

 「やっぱりさ……私、外の風を感じたいなって思ってた。空の色も、夜の匂いも、ちゃんとこの目で見ておきたいから」



 その声は、いつもよりずっと静かで、でもどこか明るかった。

 「だからね、葵。お願いがあるんだ」



 「……うん、何でも言って」



 陽菜は、小さな鞄から一冊のノートを取り出した。

 カバーには、小さなシールがたくさん貼ってあって、角はほんの少し擦れていた。



 「行きたいところリスト、書いたの。前に言ってたでしょ? 花火も、夏祭りも……星空も、全部」



 葵はそのノートを受け取り、ゆっくりとページをめくった。

 そこには陽菜の丁寧な文字で、いくつもの場所が書かれていた。



 水族館(また行きたい!シャチのショーもう1回)



 夏祭り(浴衣着たい)



 高いところで星空見ながらいっぱい話す。



 花火見る(できれば手持ちも)



 夜の遊園地。



 海(秋の海でもいいよ)



 葵の誕生日を祝う(ちゃんとプレゼントも渡したい)



 

 そのひとつひとつが、今までの思い出と繋がっていた。



 「……全部行こう。絶対に。最後まで」



 葵のその言葉に、陽菜はふふっと笑った。

 「うん。ありがとう……約束、だよ?」