刻は、3月3日。桃の節句。

…桃色の薄様に山々がみえ、
春風にのっておかげが届く。

人々は田畑を耕し、鵜が川を泳ぐ。

干物の日差しの影から花の香りがする。

…ぽたぽた。…ぽたぽた。

陽気な春の日が差し込むなか、
座布団にくるまった猫が欠伸をする…。

…竈からパチパチと
火を炊く音がして、もなみは手を止めた。

…若宮は白雪山を下りると、花小道を行く。

…籠の中に入った川魚がちゃぷちゃぷ音がする。

宮中から大通りの呉竹橋を行って、
若葉色のゐてふの並ぶ玉の緒道を道なりに、

風車のある風丘の向こうに、杏ノ花屋敷がある。

…若草に包まれた垣をこえて、
杏ノ花屋敷に入ると、若宮は円座に座った。

籠の中の川魚をとると、
串を差し、炭櫃へ並べる。

…埋火から火がおこる。

だんだんと魚の皮が焦げてゆき、
土鍋には菜花の雑炊があった。

まだ朝焼けの霜が衣に残るなか、
かじかんだ手が日に暖かい。

手の霜を火にかざして、手をこすり合わせる。

若宮は薪をくべた火の上の雑炊に
卵を割り入れる。

若宮は土鍋の中の菜花の雑炊を
椀につぎ入れ、もなみを呼んだ。

「…もなみ。」

若宮の甘い低い声が響く。

もなみは黒髪を下げおろし、
花桃の十二単衣を着ていた。

栗色の大きな目にふわっとした唇、
リンゴ頬の小顔で細身の女性だった。

もなみは厨で漬物を切って
小皿に置くと、手に持った。

若宮の呼ぶ声がして、
もなみは廊下へでると部屋に入った。

切った漬物を炭櫃の隣に置くと、
もなみは向こう側きにある若宮の

近くの円座に座った。

子らが笑いながら走ってきて、
若宮に抱きついてきた。

「…お父さ‐ん!」

若宮は彦火と花音を膝に抱き寄せる。

彦火は父親によく似た二重の碧色の瞳に
栗毛のパーマヘア、無口で大人しい性格をしていた。

花音は同じ栗色のパーマヘアに

方言のまじったツンツンした言い方をした
口癖にうるうるした涙目だった。

二人とも二、三才の子どもで
物心ついてまもなくだった。

居間に三段の男雛と女雛の妖雛飾りをおいて
白酒に桃の花をおいて、おいりを供えた。

妖孤の三人官女や五人囃子が
雛段で小さな宴会をしている。

若宮ともなみと子は手を合わすと、
「…いただきます。」と言って食べ始めた。

若宮はつぎ入れた椀の雑炊を
手にとってそっとすすった。

花おかげののった雑炊は
春の若菜の匂いがした。

若宮のねずがカリカリと麩をかじる音がする。

「…若宮!この雑炊は上手いな!」

…ねずの腹の中から声が聞こえてきて、
陽炎のような御魂が姿を持ってでてきた。

…御魂は雑炊を食べようとしている。

…若宮は下においていた
椀をひょいと取り上げると、

雑炊を食べ始めた。

「…うん。上手い。」

…若宮は雑炊をかき込むと白い息が
湯気の中に立ち上っているのがみえた。

‐…五‐人囃子の笛太鼓…‐

朝餉を取ると、若宮は
腰元に手を入れて狩衣をなおした。

…子らがねずを追いかけ回す。

‐…今日は楽しい 雛祭り…‐

…もなみは食べ終わった
椀に茶を注ぐと余った茶を口に含んだ。

妖と子ども達の楽しげな歌声が部屋に響く。

…片付けに椀をタライに入れ、
厨の土間を抜けると、垣が見えて、

その垣の門をくぐると近くの小川に出る。

…小川のほとりにタライを置くと、
綿に泡を付けて洗い始めた。

…小川に箸が流れてゆく。

流れてゆく泡と水が手に心地よい。

洗い終わると皿と椀をまた
タライに入れ、杏ノ花屋敷に戻った。

…もなみはしびつだつものを巻いていた
十二単衣の上で手を拭いた。

離れにあるこの杏ノ花屋敷は、
若宮ともなみと子が共に暮らした場所だった。

…若宮は藁沓をはくと、宮中へ向かった。

…春風に運ばれて、宮中の匂ゐが
たゆたゆに色づいてゆく。

若宮は桜天秤に、重りを一つのせる。

…由良ゆら重りが揺れる。

もなみは記憶のかげろうのさな、行く。

……                      ……
 …                      …