…夢からさめて、秋の夕暮れの書庫で
…カタン。と、本が膝の上から落ちる。
紅葉色の風鳴りが書庫に舞い込む。
「…もなみ‐!」
宮中の母屋から何ごとか声をかけられて、
もなみは書庫を後にした。
…秋香る書庫に落ち葉が舞って、
夕風が静かに吹き込んでいた…。
…カチ。カチ。カチ。
…妖おこじょの持った天秤の重りが揺れる。
…妖おこじょは、つぶれた耳、
大きな黒い目、小さな体に白い毛を持つ。
…夢のなかをゆく。
時空を超えて、秋から春へと誘う。
…… ……
… …
…花曇り。
…黒い雨が降る。
…ビン!と、
花弓を張る音がする。
…人々の逃げ惑ふ声がして、
宮中の灯火が消える。
「…竜だァ‐!」
…宮中をゆく竜が黒煙と共に、
覆いかぶさるようにやってくる。
…雨音が叩くなか、
黒い竜がうなり声をあげる。
…花矢が弧を描いて、空を切る。
…宮中の花のぼんぼりに
ぽぅぽぅと狐火が灯り、妖たちの行列がゆく。
…宮中に暗雲がかかり、
ゴゥ!っとした強い風が吹いた。
…ひょうひょうと吹き渡る嵐の中を
人型の依り代が空を飛び、呪いの声が響く。
…宮中では、5歳を迎える若颯(さはやて)の
着袴のお祝いをしていた。
宮中から聞こえてくる花琴のあけ朱音を
耳に、また、花結ふ護符の呪いを切るのを目に、
嵐の中の静寂を抜けて、しばらくして、
雷の落ちる空をまたぐ。
…花雨音の降り続く中、和琴の花音が響く。
地中深く埋まった古代の呪術、土人形〈鬼〉。
雨音のたたく空に花雷の鳴り響く大地のなかで
宮中のくぐつ呪師たちがくぐつ人形を操る。
ボコボコっと土人形たちが土煙とともにでてくる。
土でできた人形の〈鬼〉は目がくぼんで
口が聞けないようになっており、
とけた手足はどろどろになっていた。
土人形たちが宮中に襲いかかってきて、
鬼が暴れ回ってゆく!
…チャプン。
…足もとに水がかかる。
…若宮の走る音と低い声に空気がふるえる。
「…してはいけない」
…若宮は霊火を手に灯すと、
ボッと依り代を燃やした。
…はらはらと護符が切れて、花おかげが残った。
「…若宮!具合はどうだ。」
白いねずが肩に乗り、声をかける。
…雨水が白い毛にかかった。
そして、護符からかすかに煙の匂いがした。
「…してはいけない」
…もう一度、若宮が言う。
…ヒラリと直衣の花袖をはためかせて
風早のなかを若紫のおかげノ君がユく。
…花染紫に桜花ははかの金糸で織った
絞り染めの花々の衣を身に纏い、顔形の整った
姿に、…キュッと閉じた唇を上向きにして、
そして、花墨色の夕瞳は、雨音の叩く夕茜に
照らされて大きく揺らいだ。
細身の長身に運動をよくした
体格のいい姿、格好良い黒髪に、
精一杯背伸びして無理をした
花面影の残す二十二、三の若舞だった。
妖たちがみせた幻の…
雨空高く覆った夕雲の隙間に
見え隠れする、空に浮かんだ花凪海のなか、
暁に誰そ彼レる、花夕。
…その花夕に朱に絞り染めた花雨空に
袖の裾がうつって赤紅に水くくる縁を、
その花御影にうつる凪君…。
若紫色の桜にうっすらと薄様を花かけて、
桃に藤、若葉に紅葉をあわせて…
…淡色染め直衣が夕風に揺らめく。
…若宮は〈竜王〉。
…〈竜王〉は〈皇劉〉のこと。
…〈竜王〉は目にみえない精霊たちの声を聞き、
竜神の神威を天ノ御矛にかきなして、オノゴロと申す。
…若宮が〈仮名物語〉を出して、呪ゐをとく。
…呪詛だ。
物語の帳面がパラパラと開く。
一枚中心に止まると、それを破いて、
護符が雨夕空にちった。
…ポツポツと護符が雨ににじむ。
…若宮は花みくじを取り出して、おもてみを開く。
〈…北の方角に鬼あり
女子の面には注意せよ…〉
…若宮が美しい鬼の面をかぶる。
若宮が花懐に手をしのばせて、
人型の依り代を手にすると、呪いをかいて〈封〉をする。
…依り代に名とお願い事をかく。
…御名は、掬矢名タ姫乃ゐ琴。
…相手を封じ込めるためには、
まず相手の名を知らねばならぬ。
…お願い事は呪いで隠すと良い。
名は宮中にある名帳簿〈ゆらめき〉を使う。
名帳簿〈ゆらめき〉は、この花荻野ノ国の
野草や花に住まう精霊たちの御名を記してある。
〈ゆらめき〉は、薄い花紙。
一枚破り取って墨でかく。
若宮は宮中の簀子の上に降り立ち、
母屋を抜け、まっすぐ行く。
…菫の花の咲く渡殿を通り、
梨ノ対を行くと、中庭につく。
中庭には花鏡の泉があり、
時期を過ぎた妖の椿の花が咲いていた。
…若宮は小袖のたるみの中においてあった
桜模様の小瓶に入っていた水を花紙に垂らす。
…すると、花紙に名が浮き出る。
…うかみた花みくじは花おかげののった
古銭をのせて花鏡の泉の水底に沈めた。
…若宮は名をとって依り代にうつす。
…人型の依り代に〈鬼〉と記して、若宮は呪文を唱えた。
〈…花ノ波ゆく土ノまにまに
夕ノ風吹く花ノまにまに…〉
…そうして、掬矢名タ姫乃ゐ琴の花櫛を
桜酒の入った花袋に変えて、酒をあおると、
ピュ!っと吹きかけて、依り代を霊火で燃やす。
…ボッと依り代が燃えると、
若宮は母屋に飾ってあった桜花ははかノ枝を
ふりかざして、鬼をただの土塊に変えてゆく。
鬼は土煙をあげて、
桜花ははかノ花と共に、舞いちっていった。
美しい鬼の面をかぶった若宮が
狐火の舞う雨夕空をかけた。
…八千歳の雨乞ゐ。
…花矢が飛び交い、人々の声がする。
竜のいななく声がして、
雲の隙間から金のいなずまが走った。
若宮は花桶の上に乗って
桜木を手に持ち、二枝鈴をならし、舞を舞う。
…嵐のなか、若宮の花雨のりとのうたう声がする。
〈… 桜花ら乃ア雨め …〉
〈…桜雨。…桜雨。
‐ …雨かと 想っタら、
…桜花 ははか 乃花だった。… ‐
…ふる桜花 ははか 乃雨。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
オケの花音。すゞのこゑ。
花のウズめ。ハハ木のマイ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
花の天ノ岩戸。花鈴のオと。
花のウズめ。ハハ花のマイ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
雨。アメ。あめ。…桜雨。
…桜の花のあメふる 花オかげ。
…菱。桃。ユ夕ふ。…桜。
ほもち。ははク おかげ乃花。
もち来たりし。…花ヲかし。
…ぽたァん。…ぽたァん。
…カらん。…コロん。
…ぽたァん。…ぽたァん。
…カらん。…コロん。
桜ら乃雨。桜花 ははか 乃あメ。
桜花 ははか 乃タマ。雨音のたマ。
…花の夕傘。てるユ夕ふ火。
花ノわたつみ。…みユる。
…美空ノ笠。ふりしきる
桜花 ははか 乃タマ。白い桜の大多奈央ヒ。
美魂の花々わ…ちりわタる
…桜花 ははか 乃野に似て。
…いと 花ヲかし。
…ぽぅぽぅと仄のあかる
消えてわ…ユく。花夕。
花曇り。
花の雷ノ〈カミ〉さま。
…若宮の花ちカら。
八菊(やく)も乃花。かわる花空。
…八菊(やく)も立つ。
…八菊(やく)も立つ 空わ 嬉しや。
花のお屋敷。くゆ桜酒。
…花の八菊もに 八菊も立つ。
天に届く雨声。虫の音。
…伝ふ。かしほのまゝ二…
…誰か気付いて。
…彼タ矢わ ここよ。
…花曇り乃 矢んノ誰ふ(しんのぞふ)。
…イとめて 花矢。…花オかげ。
…カラン。
止む。
桜花ははか乃あ雨メ。
…ぽたァん。
…花ヒラク。花ノ夕傘。
桜の花の大多奈央ヒ。
花空にうく大きな傘を手にして…
…花雨。…花雨。
…雨かと想っタら、桜ノ花だった。
…ぽたぽた。…ぽたァん。
…天ノ火のユらに たゆたむ
な涙ミた色の この花畑わ…
あメの玉にうつる 彼名タ。
…この世貝イのなかで
彼名タだけが この瞳に
…うつること。
…天音わ 矢んノ誰ふ。
どしゃ降りのなか
…追いかけた。
天音わタ名ごこロ。
…手を のばした。
…くるくる 回って 花ヒラク。
…ぽタぽタ 咲いた 花夕。
…あふて ちりにけり。
…花の咲く頃までに。
…会ふのが 楽しみなこと!
…今の昔のとわノ彼名タのこと。
ゐ二し古ゑより たユたユと
…同じ彼名タに 恋してる。
…大好きな彼名タに恋してる。
…たユたユに。
…たユたユに。
…桜雨。…桜雨。
…雨かと想っタら、
桜花 ははか 乃花だった。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
オケの花音。すゞのこゑ。
花のウズめ。ハハ木のマイ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
花の天ノ岩戸。花鈴のオと。
花のウズめ。ハハ花のマイ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
…ぽたァん。…ぽたァん。
…カらん。…コロん。
…ぽたァん。…ぽたァん。
…カらん。…コロん。〉
…嵐が止み、雲がゆく。
雲が二手に分かれて、綺麗な花夕空が顔を出した。
…雨上がりの匂いがして、
春の暖かい日和になる。
…そして、黒い雨が白い竜にかわって、
空高く飛んでいった…。
「…お父さん!」
透明のビニールカサを咲(さ)して、
若宮のお子、若颯はマジックペンで落書きする。
ぐるぐる書きなぐって、
ピンクで花、黄色で星、
赤でチューリップ、茶色でクマを描く。
ポッピングシャワーの大玉キャンディや
お菓子を傘の端にぶら下げて、
そのキャンディを手にとって食べる。
そのキャンディをとくと、
…魔法のキャンディは夢の味がした。
…ぽんっと傘を広げる度に、キャンディが空をはじく。
「…大丈夫?」
若宮に傘を差し伸べて、雨宿りする…。
…… ……
… …
桜花ははかの花が舞ゐちる。
花紫に香る匂宮が花曇りの桜花ははかの舞ふ
…宮中をかけてゆく。
…若宮の碧色の瞳が止んだ
花小雨の夕映えに儚くうつった。
…雨のにじむ花夕日のなか高欄の上から
若紫の風をまとって飛び立ってゆく。
…夕野をこえて若草山に向かふ社の
ほとりで若宮は夕空をかけていた。
…花夕野をかける姿は軽やかでとても美しかった。
若宮はちりゆく狐火と共に花風を切ってゆく。
…遠くからみた田畑の並ぶ家々のなかを
火焚きの煙がたなびく。
花小道を行き、凪ノ丘を越えると
杏ノ花屋敷につく。
…若宮は雨上がりの水たまりの上を飛び越えて、
シャボン玉を吹く子ども達の隣を行った。
…人々で賑わう花小町の街中を走り抜け、
丸帯橋にさしかかるとゆら小舟に乗った。
…ゆらゆら舞ふ、由良小舟。
…キィキィと櫂がなる。
水音にきしむ小舟が花絨毯の道をゆく。
若宮は宮中のさわぎを抜けて、
狐火のつく花灯ロウのさなか…
ゆら小舟をゆく。
…小さな波が波紋を広げて、
花の野がいつまでも続いていた…。
…カタン。と、本が膝の上から落ちる。
紅葉色の風鳴りが書庫に舞い込む。
「…もなみ‐!」
宮中の母屋から何ごとか声をかけられて、
もなみは書庫を後にした。
…秋香る書庫に落ち葉が舞って、
夕風が静かに吹き込んでいた…。
…カチ。カチ。カチ。
…妖おこじょの持った天秤の重りが揺れる。
…妖おこじょは、つぶれた耳、
大きな黒い目、小さな体に白い毛を持つ。
…夢のなかをゆく。
時空を超えて、秋から春へと誘う。
…… ……
… …
…花曇り。
…黒い雨が降る。
…ビン!と、
花弓を張る音がする。
…人々の逃げ惑ふ声がして、
宮中の灯火が消える。
「…竜だァ‐!」
…宮中をゆく竜が黒煙と共に、
覆いかぶさるようにやってくる。
…雨音が叩くなか、
黒い竜がうなり声をあげる。
…花矢が弧を描いて、空を切る。
…宮中の花のぼんぼりに
ぽぅぽぅと狐火が灯り、妖たちの行列がゆく。
…宮中に暗雲がかかり、
ゴゥ!っとした強い風が吹いた。
…ひょうひょうと吹き渡る嵐の中を
人型の依り代が空を飛び、呪いの声が響く。
…宮中では、5歳を迎える若颯(さはやて)の
着袴のお祝いをしていた。
宮中から聞こえてくる花琴のあけ朱音を
耳に、また、花結ふ護符の呪いを切るのを目に、
嵐の中の静寂を抜けて、しばらくして、
雷の落ちる空をまたぐ。
…花雨音の降り続く中、和琴の花音が響く。
地中深く埋まった古代の呪術、土人形〈鬼〉。
雨音のたたく空に花雷の鳴り響く大地のなかで
宮中のくぐつ呪師たちがくぐつ人形を操る。
ボコボコっと土人形たちが土煙とともにでてくる。
土でできた人形の〈鬼〉は目がくぼんで
口が聞けないようになっており、
とけた手足はどろどろになっていた。
土人形たちが宮中に襲いかかってきて、
鬼が暴れ回ってゆく!
…チャプン。
…足もとに水がかかる。
…若宮の走る音と低い声に空気がふるえる。
「…してはいけない」
…若宮は霊火を手に灯すと、
ボッと依り代を燃やした。
…はらはらと護符が切れて、花おかげが残った。
「…若宮!具合はどうだ。」
白いねずが肩に乗り、声をかける。
…雨水が白い毛にかかった。
そして、護符からかすかに煙の匂いがした。
「…してはいけない」
…もう一度、若宮が言う。
…ヒラリと直衣の花袖をはためかせて
風早のなかを若紫のおかげノ君がユく。
…花染紫に桜花ははかの金糸で織った
絞り染めの花々の衣を身に纏い、顔形の整った
姿に、…キュッと閉じた唇を上向きにして、
そして、花墨色の夕瞳は、雨音の叩く夕茜に
照らされて大きく揺らいだ。
細身の長身に運動をよくした
体格のいい姿、格好良い黒髪に、
精一杯背伸びして無理をした
花面影の残す二十二、三の若舞だった。
妖たちがみせた幻の…
雨空高く覆った夕雲の隙間に
見え隠れする、空に浮かんだ花凪海のなか、
暁に誰そ彼レる、花夕。
…その花夕に朱に絞り染めた花雨空に
袖の裾がうつって赤紅に水くくる縁を、
その花御影にうつる凪君…。
若紫色の桜にうっすらと薄様を花かけて、
桃に藤、若葉に紅葉をあわせて…
…淡色染め直衣が夕風に揺らめく。
…若宮は〈竜王〉。
…〈竜王〉は〈皇劉〉のこと。
…〈竜王〉は目にみえない精霊たちの声を聞き、
竜神の神威を天ノ御矛にかきなして、オノゴロと申す。
…若宮が〈仮名物語〉を出して、呪ゐをとく。
…呪詛だ。
物語の帳面がパラパラと開く。
一枚中心に止まると、それを破いて、
護符が雨夕空にちった。
…ポツポツと護符が雨ににじむ。
…若宮は花みくじを取り出して、おもてみを開く。
〈…北の方角に鬼あり
女子の面には注意せよ…〉
…若宮が美しい鬼の面をかぶる。
若宮が花懐に手をしのばせて、
人型の依り代を手にすると、呪いをかいて〈封〉をする。
…依り代に名とお願い事をかく。
…御名は、掬矢名タ姫乃ゐ琴。
…相手を封じ込めるためには、
まず相手の名を知らねばならぬ。
…お願い事は呪いで隠すと良い。
名は宮中にある名帳簿〈ゆらめき〉を使う。
名帳簿〈ゆらめき〉は、この花荻野ノ国の
野草や花に住まう精霊たちの御名を記してある。
〈ゆらめき〉は、薄い花紙。
一枚破り取って墨でかく。
若宮は宮中の簀子の上に降り立ち、
母屋を抜け、まっすぐ行く。
…菫の花の咲く渡殿を通り、
梨ノ対を行くと、中庭につく。
中庭には花鏡の泉があり、
時期を過ぎた妖の椿の花が咲いていた。
…若宮は小袖のたるみの中においてあった
桜模様の小瓶に入っていた水を花紙に垂らす。
…すると、花紙に名が浮き出る。
…うかみた花みくじは花おかげののった
古銭をのせて花鏡の泉の水底に沈めた。
…若宮は名をとって依り代にうつす。
…人型の依り代に〈鬼〉と記して、若宮は呪文を唱えた。
〈…花ノ波ゆく土ノまにまに
夕ノ風吹く花ノまにまに…〉
…そうして、掬矢名タ姫乃ゐ琴の花櫛を
桜酒の入った花袋に変えて、酒をあおると、
ピュ!っと吹きかけて、依り代を霊火で燃やす。
…ボッと依り代が燃えると、
若宮は母屋に飾ってあった桜花ははかノ枝を
ふりかざして、鬼をただの土塊に変えてゆく。
鬼は土煙をあげて、
桜花ははかノ花と共に、舞いちっていった。
美しい鬼の面をかぶった若宮が
狐火の舞う雨夕空をかけた。
…八千歳の雨乞ゐ。
…花矢が飛び交い、人々の声がする。
竜のいななく声がして、
雲の隙間から金のいなずまが走った。
若宮は花桶の上に乗って
桜木を手に持ち、二枝鈴をならし、舞を舞う。
…嵐のなか、若宮の花雨のりとのうたう声がする。
〈… 桜花ら乃ア雨め …〉
〈…桜雨。…桜雨。
‐ …雨かと 想っタら、
…桜花 ははか 乃花だった。… ‐
…ふる桜花 ははか 乃雨。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
オケの花音。すゞのこゑ。
花のウズめ。ハハ木のマイ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
花の天ノ岩戸。花鈴のオと。
花のウズめ。ハハ花のマイ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
雨。アメ。あめ。…桜雨。
…桜の花のあメふる 花オかげ。
…菱。桃。ユ夕ふ。…桜。
ほもち。ははク おかげ乃花。
もち来たりし。…花ヲかし。
…ぽたァん。…ぽたァん。
…カらん。…コロん。
…ぽたァん。…ぽたァん。
…カらん。…コロん。
桜ら乃雨。桜花 ははか 乃あメ。
桜花 ははか 乃タマ。雨音のたマ。
…花の夕傘。てるユ夕ふ火。
花ノわたつみ。…みユる。
…美空ノ笠。ふりしきる
桜花 ははか 乃タマ。白い桜の大多奈央ヒ。
美魂の花々わ…ちりわタる
…桜花 ははか 乃野に似て。
…いと 花ヲかし。
…ぽぅぽぅと仄のあかる
消えてわ…ユく。花夕。
花曇り。
花の雷ノ〈カミ〉さま。
…若宮の花ちカら。
八菊(やく)も乃花。かわる花空。
…八菊(やく)も立つ。
…八菊(やく)も立つ 空わ 嬉しや。
花のお屋敷。くゆ桜酒。
…花の八菊もに 八菊も立つ。
天に届く雨声。虫の音。
…伝ふ。かしほのまゝ二…
…誰か気付いて。
…彼タ矢わ ここよ。
…花曇り乃 矢んノ誰ふ(しんのぞふ)。
…イとめて 花矢。…花オかげ。
…カラン。
止む。
桜花ははか乃あ雨メ。
…ぽたァん。
…花ヒラク。花ノ夕傘。
桜の花の大多奈央ヒ。
花空にうく大きな傘を手にして…
…花雨。…花雨。
…雨かと想っタら、桜ノ花だった。
…ぽたぽた。…ぽたァん。
…天ノ火のユらに たゆたむ
な涙ミた色の この花畑わ…
あメの玉にうつる 彼名タ。
…この世貝イのなかで
彼名タだけが この瞳に
…うつること。
…天音わ 矢んノ誰ふ。
どしゃ降りのなか
…追いかけた。
天音わタ名ごこロ。
…手を のばした。
…くるくる 回って 花ヒラク。
…ぽタぽタ 咲いた 花夕。
…あふて ちりにけり。
…花の咲く頃までに。
…会ふのが 楽しみなこと!
…今の昔のとわノ彼名タのこと。
ゐ二し古ゑより たユたユと
…同じ彼名タに 恋してる。
…大好きな彼名タに恋してる。
…たユたユに。
…たユたユに。
…桜雨。…桜雨。
…雨かと想っタら、
桜花 ははか 乃花だった。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
オケの花音。すゞのこゑ。
花のウズめ。ハハ木のマイ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
花の天ノ岩戸。花鈴のオと。
花のウズめ。ハハ花のマイ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
…たらん。タっ。…たッ。
…ッちゃプ。…ッちゃプ。
…ぽたァん。…ぽたァん。
…カらん。…コロん。
…ぽたァん。…ぽたァん。
…カらん。…コロん。〉
…嵐が止み、雲がゆく。
雲が二手に分かれて、綺麗な花夕空が顔を出した。
…雨上がりの匂いがして、
春の暖かい日和になる。
…そして、黒い雨が白い竜にかわって、
空高く飛んでいった…。
「…お父さん!」
透明のビニールカサを咲(さ)して、
若宮のお子、若颯はマジックペンで落書きする。
ぐるぐる書きなぐって、
ピンクで花、黄色で星、
赤でチューリップ、茶色でクマを描く。
ポッピングシャワーの大玉キャンディや
お菓子を傘の端にぶら下げて、
そのキャンディを手にとって食べる。
そのキャンディをとくと、
…魔法のキャンディは夢の味がした。
…ぽんっと傘を広げる度に、キャンディが空をはじく。
「…大丈夫?」
若宮に傘を差し伸べて、雨宿りする…。
…… ……
… …
桜花ははかの花が舞ゐちる。
花紫に香る匂宮が花曇りの桜花ははかの舞ふ
…宮中をかけてゆく。
…若宮の碧色の瞳が止んだ
花小雨の夕映えに儚くうつった。
…雨のにじむ花夕日のなか高欄の上から
若紫の風をまとって飛び立ってゆく。
…夕野をこえて若草山に向かふ社の
ほとりで若宮は夕空をかけていた。
…花夕野をかける姿は軽やかでとても美しかった。
若宮はちりゆく狐火と共に花風を切ってゆく。
…遠くからみた田畑の並ぶ家々のなかを
火焚きの煙がたなびく。
花小道を行き、凪ノ丘を越えると
杏ノ花屋敷につく。
…若宮は雨上がりの水たまりの上を飛び越えて、
シャボン玉を吹く子ども達の隣を行った。
…人々で賑わう花小町の街中を走り抜け、
丸帯橋にさしかかるとゆら小舟に乗った。
…ゆらゆら舞ふ、由良小舟。
…キィキィと櫂がなる。
水音にきしむ小舟が花絨毯の道をゆく。
若宮は宮中のさわぎを抜けて、
狐火のつく花灯ロウのさなか…
ゆら小舟をゆく。
…小さな波が波紋を広げて、
花の野がいつまでも続いていた…。


