カチカチ。…カチリ。
…桜天秤の重りが揺れる。

…〈花の渦〉の扉が、開く。

吸いこまれそうな桜花ははか乃花の舞う
淡い桃のかかった薄墨色のtimewarphallに

のみ込まれて、〈常世〉へ向かう。

…刻は、回り…
…あくる日。

…辺り一面紅桃でいっぱいの花庭。

反橋を渡り、桃の花の咲く
小道をゆくと、対屋に出る。

宮中の〈春の花の戸〉の母屋で
もなみはお香を焚いていた。

桃花に染まったを十二単衣着る。

…若宮は花菱の几帳の間から
部屋を垣間見ていた。

もなみの下ろした御髪に

一昨日もらった桜花ははかの
バレッタが光っていた。

…もなみが想ひ出す。

……                      ……
 …                      …

宮中の反橋のたもとの
花桃が咲いている花庭で…

…若宮が手渡す。

黒髪に紫の直衣を着た若花舞が
庭の花畑の野のなかで、

…静かに立っている。

「…もなみ…」

「…もなみ…」

花畑を白若草で振り袖でて、
走って野をかけてくるもなみを、

若宮は呼んでいた…。

「…これは?」

もなみは桜花ははかのバレッタを
若宮の手の上に置くと、嬉しそうに笑った。

「…桜花ははかのバレッタ。」

「…あなたのでしょう?」

若宮が言う。

「…ちがうって。」

もなみが言う。

「…お守り♪」

飛んで、…手のひらに置いて、ぎゅっと握りしめる。

「…ありがとう。」

「…うん。」

若宮が愛瞳(るめ)を見つめる。

「…髪にはね、こうやってつけるの。」

「…あっ!」

手のひらにあったバレッタを手に取ると、
前髪を掬いとり、右斜め横側にまとめて留めると、

もなみは顔をほころばせた。

桃の花が笑うように、可愛らしくうつる。

若宮はぎゅっともなみを抱きしめると、

「…もう、バレッタはいいから、
私の側を、離れないで、いて、ほしい…。」

腕のなかのもなみが少し
困ったような顔をする。

「…どうして‐。」

もなみが若宮に甘える。

きつく抱きしめた手が、
腕のなかで逃げようとするもなみを

さらに追いかけて、抱きしめると
若宮は問いかけた。

「…嫌ですか?」

夕顔の表情が曇る。

「…そんなこと、ないけど。」

少し目をそらして、戸惑いを隠しながら想う。

…もう、少し…このままで、いて…

胸の高鳴りを抑えて、
春の花桃の野に揺らめくと、

ぽたぽた舞ゐ咲った、二つの影が

若宮の腕のなかで、甘く重なった…。


……                      ……
 …                      …

若宮の直衣のおもて衣の端に、
桜花ははかのバレッタを胸につけると、

春の日向にそれがきらめく。

…同じように、春の陽の光を浴びて、
子ども達が部屋を走り回っている…。

花山吹の柄の小袿を着た茜が
桃の枝を持ってくると、もなみは

その枝の花を摘んで香に入れた。

…かぐわしい桃の花の匂いがする。

…李の花色の小袿を着た花音に、
梨の花の狩衣を身にまとった彦火…。

二人は若宮の膝の上に座った。

若宮がだっこすると
二人はきゃっきゃっと笑っている。

花音も彦火もまだ乳飲み子を
離れたばかりで、年は二つか、三つくらいだった。

母屋では若宮ともなみと茜と、子ら以外に
何人かの妖たちと、兎と猫と鼠がいた。

兎のぽぽ、猫の小菊、鼠のねずは
それぞれ薫物合せをしていた。

…御魂は上手に化けているが、
うっすらとその姿形が透けて見える。

…ぽぽ達は吹き抜けになった
夕の母屋と西ひさしの花畳の上で座る。

…御簾の影の落ちる蔀から
春の日が入っている。

…もなみは火取りを゙手に取ると、
ねずに話しかけた。

「…ねず。mellowの涙でてきた真珠…
その、粉をとって。」

ねずは火取りに飛び乗り、
小さな手で香をかきまぜる。

「…あい。」

…ねずは、真珠の粉を取り、
もなみに渡す。

…もなみは真珠の粉を一匙掬うと、
桜花ははかの花びらと一緒にまぜて練った。

…花土と朝露に濡れた
桜花ははかの花の露をあつめた

花水もひと掬いずつ注ぐ。

茜に準備してもらった桜柄のボウルに
桜卵の卵白と砂糖を入れてまぜる。

…そして、はちみつヌガーバターを
少々入れて泡立てると、メレンゲを

作って、香に合わせた。

仕上げに桜花ははかの香薬と
もなみの血と蜜…

蜂蜜キャラメルヌガーで練った…

〈花血蜜〉を一滴たらして、
手でころころ丸めてくすんだ

桜紅色をした〈花淡香楼〉ができた。


〈花淡香楼〉は、first kissの秘薬で
もなみの想ひ出のこもった香だった。

香のなかに、血と桜の花からとれた

蜜で練った〈花血蜜〉に夢をまぜて、
そのときの記憶を封じ込めたものを合わせていた。

記憶は血からとれる。

桜の花の冬虫夏草は、

初めて出会ったときの…
〈約束〉が込められいた。

……                      ……
 …                      …

冬虫夏草の蝉の幼虫が
桜木の下で静かに眠る…。

鈴蝉のなく夕宵宮夜に
…彼名タを、想ひ出す…

初めて出会った頃のあなたは、
小さくて…すごく、小さくて

つかむと、すぐ飛んで…

「…待って。」

つかむと、

「…逃げるな!」

蝉が逃げてしまう。



すると、

一匹の妖蝉が空を飛んで、
若宮に話しかけてきた。

「…俺を捕まえたかったら、
君の心臓をおくれ。」

悪魔がでてきて、若宮に話しかける。

蝉の姿をかりた悪魔は、
小さくて可愛らしかった。

「…心臓?」

「…そう。心臓。」

「…それは、ムリ!」

もなみが割って言う。

「…若宮が死んじゃう!」

急に涙がこみ上げてきて、
喉の奥が辛くなった。

「…じゃあ、どうすればいい?」

「…二人で約束しておくれ。」

悪魔は少し慎重そうに言った。

「…約束?」

「…そう、約束。」

悪魔は続けた。

「…二人で結婚しようって約束。」

「…分かった?」

「…うん。」

…もなみは涙をためると、
ぐすんと鼻をならす。

…若宮はゆっくり頷く。

…ざぁっと、夏風が吹きぬけて、
隣のプールで泳ぐ人たちの声が響く。

「…約束。」

若宮が小指を突き出す。

「…約束。」

もなみが小指を絡ませる。

指通しを絡ませて、〈指切りげんまん〉の
歌を歌うと、若宮ともなみは「…指切った。」

で二人、くすっと笑い合った。

「…じゃあ、俺はこれで。」

悪魔がドロンて姿を消す。

「…蝉一匹捕まえた!」

「…うそ。」

もなみが言う。

「…あげる!」

手を伸ばして、片手で握った蝉を
もなみに渡しては、かごの中に入れた。

夏の森でざぁっと木々が揺れる
夕宵宮夜で、妖たちが名前を呼ぶ声を

ききながら、田畑がゆっくり…
日にとけてゆくのを眺めた。


…体操部の幼なじみ…

たんまの粉 汗のにじんだレオタード

可愛いミニティー 凍った桃の天然水


「…がんば‐!」

むせ返るような夏の暑い午後。

…床体操でダンスを踊る。

氷の溶けたドリンクを飲もうと、
手を伸ばしたら、彼が先に飲んでて

…ドキっとしたこと♥!

「…何それ。」

「…俺の。ちょ‐だいッ。」

体育館の夏の夕影が、ざわざわ揺れる。


…起き抜けの目覚ましの音…
ベッドの上 眠ったままの夫の姿

…夏のかごの中の蝉…

「…忘れた?」


…7つの頃…

部活の終わりに、

…蝉取りを一緒にした
夏の日の夕方だった…

…二人、公園のなか木陰の
ブランコの上で甘いkissをする…。

「…first kiss。」

「…そうですね‐♪」

「…はぐらかした!」

…ゆらゆら揺れるブランコ…。

「…はぐらかしてません!」

…ゆらゆらブランコを背中から押す。

「…もう一回。」

「…ちゅ‐して♪ちゅ‐♪」

若宮がちゅ‐しようとする。

「…だめです!」

「…もうっ!」

夕飯の香りがして、
夕焼けにかけてゆく子ども達の

後ろ姿がいつまでも、続いていた。


朝のキッチンで
ティーシャツ姿のあなたの姿

朝食のパンをかじる。

「…忘れてる。」

「…ど‐ゆうこと?!」


…夏の追いかけっこする夕空が
幼い頃の想ひ出を彩づけては、

おぼろげながらあった
遠い…面影を残して、消えていった…。

……                      ……
 …                      …

…朱色の花柄の可愛い香炉に
火をつけると、伏籠をして上から

狩衣をかけた。

…伏籠から燻ぶる甘い匂いがする…。

‐…香楼のなかで燻されて、私はあなたになる…。‐

香楼をさわって、外を桃花衣でこすると
香りが煙になってでてきて、妖がでてくる。

呪文を唱えて、お願い事をする。

「…私だけの匂いになりなさい。」

私は香になってあなたに丸められて、
香楼のなかであなたに燻される。

‐…香楼からする香りをかぐと、
私はあなたに抱きしめられる…。‐

猫の小菊は、

「…上手に作った!」

といい、座布団においた朱色の
香の上に丸まった。

ぽぽは二足立ちで
香をころころ丸めていた。

…その傍ら、優人がねずの
しっぽを追いかけ回している。

「…できた。」

…香が焚けた後の花雪屑は
香り袋に包んで懐に入れた。

「…上出来。」

…狩衣をふわっとはおると、
若宮と同じ甘い香りがする。

…あなたの香りに染められて…

「…俺の奥さん。」

…若宮に抱きしめられる。


  …花衣を、焚きしめる…

    …抱きしめる…
     …焚きしめる…

    …抱きしめる…


  …桜花ははかノ匂宮が…

       …花紅香衣を…

     …抱きしめる…


  …きっと…  …ずっと…
      …ずっと…

   …彼名タを、忘れない…


…二人の子どもが
狩衣に着替えはじめる。

若宮はたまらなくなって、
二人を両手で抱きしめた。

…愛しいということは、
こういうことだろうか。

春の若草の萌ゆる日の温もりが
じわっと胸に広がるみたいだった。

若宮が彦火の髪の毛をくしゃっと
なぜて、静かに笑った。

「…今日の夕宵には、
一緒にお祭りに行こう。」

…若宮はもなみと子らの
抱きしめる腕に力を込める。

…絡めた指先が愛おしい。

「…うん。」

…もなみは若宮の腕の中で
抱きしめ返すと、そっと頷いた。


もなみは懐紙に包んだ

〈花淡香楼〉を一粒とって…食べた。

〈花淡香楼〉は、紅色の食べれる香を
作って、血と蜜で練った和菓子の

桃の練り切りの花杏のなかに

入れて丸めたものだった。

紅の玉を割ると、桜の花が咲いた
花鞠に一つずつ色と香りの違った

和菓子の香が包まれていた。

…火で燻さず、口でとかす…。

食べると口の中で香の匂いがして、
初恋の甘い味がする…。

…若宮がとろけるような甘いkissをする…。

   「…想い出して。」

…桜花ははかの香の匂いがする…

kissの味が、kissを重ねるごとに
時間と共に、香りが変わっていく。

 …あなたの香りが、愛しい…

    …桜花ははか…

   …優しく、抱きしめて…

       …桃…
     …菫…
       …花藤…

    …やめて…
  …想っては、いけなかった…

      …竜胆…

 …花泡のように、とけてゆく…


 …ブランコのように、揺れる心ノ誰ふ…

 …夏の鈴蝉の鳴く声… …夕方の木立のなか…

  帰り際… 手を振りながら、君を想う。

…今日、一日限りで
 …もう、会えなくなるのか、と想う…

      「…またね‐♪」

     「…じゃあ、また。」

 …手を振りながら、もう一度、唇を重ねる…

  …はせた〈想ひ出〉 …結んだ〈約束〉

   味わったfirstkissは…花淡夕夢の味

   …子どもの頃のこと、想い出す…

     「…悪魔の心臓って、」

      「…どうなるの?」

   「…きえてなくなるんだよ。」

   …大人になった、もなみは言う。

   「…じゃあ、結婚できるね。」

     …子ども達が言う…

       「…うん。」

   「…消えてなくなるって、噂。」

       記憶の中から、
  …妖蝉の悪魔が飛んできて、言った。

 「…掬矢名タ姫の血を一滴ちょうだい。」

     「…掬矢名タ姫の?」

        …そう…

   「…君は、これから先、
花血蜜なる恋蜜を人魚からもらうだろう…」

      …そのかわり…

「…愛する人を、決して忘れてはいけない…」

      「…忘れたら、
   お前の声をもらうからね…」

  そして、もなみは指を花ノ懐剣で
   切って、その血を吸うた。

      「…約束。」

   …若宮はこの言い伝えを
    守っていくと誓った。

     「…約束する。」

     「…指切った。」

  …そうして、甘いkissをした…

  あなたの香りが、愛しい…

    …桜花ははか…

   …淡く、涙が頬を伝って…

       …桜…
     …躑躅…
       …蛍…

    …もう一度、だけ…
      …願う…

  …恋しては、いけなかった…

      …七夕…

 …花泡のように、とけてゆく…

 …忍び込んだ妖狐の尾花が
 ドロンってその場を離れた…。

…薄桃に結ふ花のたよりは
仄く、淡く、紅に染まり…

…夢の浮橋に渡りたる。