…眠りからさめて、
記憶のなかを、もなみの花夢を、

誰かが記してゆく。

…誰?

…私は、問いかける。

「………。」

妖たちが何事か言った。

紅葉の揺れる秋風が舞い込んでくる。

「…分からないわ!何?!」

…桜天秤の重りが揺れて、
ガタン!と天秤が傾いた。

桜花ははか乃花の舞う野から
春風が吹いて、秋の衣が変わる

この季節まで花秋風を運んできた。

……                      ……
 …                      …

…宮中…〈秋の萩ノ戸〉

黒髪に紅葉色の直衣を着た若宮は
宮中をもなみと一緒に歩いていた。

…秋夕風の吹く誰そ彼れ刻に
二人、染まりゆく。

…あつい。

…小春日和に差し込む光が頬を照らす、

萩揺れる幽宮で若宮ともなみは
花恋絵巻のことで言い合っていた。

「…絶対にみてはいけない!」

「…いいえ。みます。」

渡殿を通って、母屋を抜けると、
大股で紅葉野を踏み渡り、裾のレースが綾踊る。

加羅宇多姫ノゐ琴が声を掛ける。

「…しますなよ。」

あこめ扇がパチンとなる。

彼女が使いに文を渡した。

流行歌を雅楽の箏の琴でひいていた
内親王の掬乃ノ宮が微笑む。

掬乃ノ宮は赤い十二単衣を着ており、
大きな黒目に黒髪のロングヘアだった。

加羅宇多姫は亡くなった母であり、
古い因縁で結ばれていた。

御魂は宮中にある古宮に
祀られていた。

古宮は小さな社ロで古くから
言い伝えられていた。

人は転生すると400年は呪詛で
縛られるようになる。

もなみは御魂が公家の生まれで、
普通の家の出の娘とはちがっていた。

そして、若宮ともなみは

ス咲乃オ乃ゐ琴と掬矢名タ姫乃ゐ琴と
呼ばれるようになった。

若宮は周りの妖たちの冷やかしを
うけながら細殿の隣をゆく。

…花恋絵巻は妖を封じ込めるための
ス咲乃オ乃ゐ琴と掬矢名タ姫乃ゐ琴との恋物語だった。

…決してあけてはいけない…

と言い伝えられている。

「…絶対にしてはいけなかった!」

…若宮が優しく言う。

「…あなたがわるいんでしょ‐が。」

「…ヒュ‐!ヒュ‐!」

「若宮、や‐い!」

妖たちのくすくす笑いの声が聞こえる。

「…うるさい!」

頬を赤らめて、口悪く若宮が言う。

「…そんなことないですよ。」

「…まぁまぁ、そういわずに。」

宮中でぞ‐きんがけやら、
箒がけやらで妖たちが働いている。

「…私の気持ち、考えてない!」

「…若宮ったら!」

金の刺繍糸で飾った
レースで紅葉編みした手鞠袋を

ボン!と若宮にぶつけた。

「…もう、知らない!」

…嫌な夢を、みた…

…若宮が土鬼におそわれる夢だ…

…止めたかった…

その前に、

そもそも私と結婚したこと、
忘れてるでしょっ!

もう、ほんとに知らないんだから!

…人の気も知らないで!

花恋絵巻の封印をといたら、
happyendに書き換えすることだって、できる!

そもそも、古い書物はみんな
書き方が悪いのよ!書き方が!

そう言ってもなみは、走って行ってしまう。


…もう、知らない!…なんて、

…心にも無いことを言う。

何度も心のなかで反芻する。

もなみは足を止めて、俯いた。

胸の奥が小さな音を立てて壊れたら、
こうしたら、今にも、泣きそうになる。

…やめて。

「…ちょっと、待てったら。」

…若宮が声を荒げて、
もなみの手を後ろから強く掴む。

「…ごめん。」

若宮が頭を掻きながら、そっと言う。

「…うん。」

「…でも、約束!
妖恋絵巻は開けちゃいけない、って。」

若宮の目をみれない…。

「…う、うん。」

「…ど‐ゆうこと?」

若宮が顔を覗き込む。

「…わからないよ。」

「…とにかく、封印!」

若宮が妖たちに使いを使わせる。

秋の夕焼けの望むなか、
宮中のがゆっくり夕景色に溶け込んでゆく。

本の山を妖たちが片付けるのをみながら、
もなみは若宮につながれた手を振り払えずに

手を引かれて歩いていた。

こうして、心とは裏腹に
あなたと手をつないで歩くと、胸がときめく。

…このまま手を引いて、連れ出して…

廊下をゆくと宮中を彩る
紅葉が二人舞いちる。

二人は灯ロウのついた、薄暗い書庫に入った。

「…約束。」

早鐘を打つ胸を振り絞って、
あなたが腕を強く引く。

振り返って目が合うと、
急に体が火照って胸がきつく

…締め付けられた。

…ふいに、抱きしめられると
小さな背中に温もりが伝わる。

足元の本がドサドサっと、崩れて床に落ちた。

「…ちょ、ちょっと。若宮!」

…誰かがみてたら…

すると、抱きしめる腕が強くなる。

「…だめ。」

…やめて。

…枢戸を押し開き、塗籠の奥へ
花紅葉の舞姫を通す。

舞姫の唐衣の花帯に手をかけて、
太ももに手を滑らせる。

小花で彩られた襟元をはだけさせ、
胸元に花跡をつける。

小さな花音を静かな秋の夕暮れの紅葉野に響く。

「…封印をといてはいけなかった。」

…あなたの目をみると、私は一瞬ためらう。

大きな夕瞳でみつめられると、
私は動けなくなってしまう。

あつい唇でふさぐと体が熱を持つ。

「…やめて。」なんて、
顔を背けるなんて…できない。

「…やめない。」
って、もう一度唇をふさぐ。

…この恋は、止まらない。

そのとき、秋風が書庫に吹き付けると、
パラパラとページが宙を舞い、辺りに

日暮れの宵宮が重なって、
赤い紅葉野に染まる。

ふたつの影がひとつになる。

…私の頬にふれるのは、彼名タ…。

…彼名タだけが、いい…

舞い込んだ紅葉風が花恋絵巻の封をとく。

胸の内にやきもちがたまって、
一人占めしたい気持ちでいっぱいになる。

「…してはいけなかった。」

若宮が甘い琴ノ花で言う。

「…いや!」

もなみが抱きしめられる。

胸の高鳴りが伝わって怖くなる。

…好き、という想いがあふれてく…。

「…やめないで。」

そう言って、指を絡めた。

彼が押し倒したとき、もなみが書物の
山に倒れ込み、本が雪崩みたいに崩れてく。

…ガタン!

…と、音がして、〈封印〉と墨字で書かれた
護符がベタベタ貼り付けられた箱の隅が開く。

振り向いて、

「…何コレ。」

って言うと、

〈封印〉と書かれた護符を一枚破り取る。

すると、白菊の模様に赤い和紙づくりの
〈花恋絵巻〉と書かれた書物が箱から

落ちて転がっていった。

「…〈花恋絵巻〉。」

…もなみ。…もなみ。

…誰かが記している…。

「…これが。」

もなみがハッと息を呑むと、
黒い〈影〉になった妖たちが次々と

中から出てきた!

花恋絵巻の一つを手に取り、
絵巻物の花表紙についていた

赤い紐をはらりとほどいた。

…あ。約束…

「…忘れてたッ!」

……                      ……
 …                      …

〈…妖だぁ‐!〉

〈〈封印〉がとけたぞ‐!〉

絵巻物のなかから声が聞こえる。

「…しゃべってる!」

…びっくりして、声が詰まる。

「…絵も動いてるぞ!」

若宮の肩に乗り、ねずが言う。

〈封印〉のとけた妖たちが絵巻物のなかで
生きてありありと動いているのがみえた。

ろくろ首にかけた縄を引っ張る。

干し物にかけた一反木綿が空を飛ぶ。

猫又が人を化かす。

妖に向けた矢のお化けが宙を舞う。

人々の大きな声に、土煙の匂い。

人々が剣や矛をふるい、護符が空を飛ぶ。

呪詛がとけると、花恋絵巻の
絵からでていった妖たちが、

なかから消えていった。

土でできた鬼のくぐつ人形が
襲いかかってくる!

鬼たちは次々と土の中からでてきて、
どろどろになった手足はとけて腐っていた。

小さな書庫に土鬼が立ちふさがる!

「…出口をふさがれた!」

ねずが冷や汗を垂らしながら言う。

土鬼が土を握ってぶつけてくる。

それをかわして、若宮が護符を
土鬼に貼り付けて呪文を唱えた。

未練の残った魂をただの土にかえて、
眠りにつくように若宮が指を二本たててかまえた。

「…花ノ波ゆく土ノまにまに。
  夕ノ風ふく花ノまにまに…。」

土鬼がただの土に変わってゆく。

「…もなみ、和琴はひけるか?」

ねずが言う。

「…和琴‐?!」

「…そんなのムリ‐!」

もなみが土鬼の土をかわしながら、逃げていく。

もなみの体から抜け出た魂を
土鬼が喰らおうと手をのばした…瞬間。

そのとき、若宮がもなみの
腕を引いて、向かい合うと

そっと抱きしめた。

「…え?」

びっくりして、目を見開く。

「…もなみ。」

そうして、
若宮が名を、呼ぶ。

「…こっち。」

書庫に立てかけてある赤い桜柄の
和琴を横において、もなみの手を引いて座らせた。

「…花和琴の音で封じ込めると良い。」

ねずが和琴の回りを飛び跳ねて、言った。

若宮が花和琴に手をおいて、

「…引く真似でいいから、爪を付けて、
手をおいてみてごらん。」

と、言った。

もなみは肩を下ろして、

「…うん。分かった。」

と言って、頷いた。

もなみは舞姫姿で花和琴に手を置いた。

…ポロン。…ポロン。

…花夕琴をならす。

「…ウソ‐!」

「…ひけてないけど、ひけてる‐!」

「…言っちゃダメだろ。」

花爪をつけて、和琴に手を置くと
手で弾くように花音をならす。

ひいてないのに、手でさわるだけで音が鳴る。

…若宮は、琴の音に言ノ葉をなぞらえては
花歌をうたいゆく。

若宮は隣の塗籠に供えてあった祭壇の
荻の穂に蒲の穂に稲穂を三束つかむと、

花歌にあわせて、舞を舞った。

その秋舞に合わせて、もなみが花和琴をひく。

〈…秋みくじ 結わえる手に唐衣
  浮かみてみゆる 恋の占…〉

…一は〈あ〉 …ポロン。
…琴ノ音に封じ込めてゆく。

…二六は〈き〉 …ポロン。
…鬼の手が荻の穂に変わりゆく。

…二とは〈み〉 …ポロン。
…鬼の足が稲穂の束に変わりゆく。

…ねずが和琴の上で飛び跳ねて
音を弾くもなみの隣で遊ぶ。

…三六は〈く〉 …ポロン。
…鬼が動けなくなる!

…二七は〈じ〉 …ポロン。
…荻ノ花穂乃太刀で鬼に花帆を
ふりかざすと、鬼が土煙とともに舞いちった。

…土煙が花荻風のなかを吹き荒らす。

……                      ……
 …                      …

夕風が吹き込んで、舞い散った紅葉に
本と土塊だけが静かな書庫に散らばっていた。

「…いタっ!」

…腕がじんじん痛む。

…もなみは花紅葉の十二単衣の袖をまくり、腕をみた。

「…これは。」

「…呪詛だ。」

みると、木苺色の妖花紋が体中に
アザのように浮き出ている。

右腕にくっきり紅跡が残されていた。

「…黒い桜紋の下三日月エンドウ。」

もなみが呟く。

「…黒い竜の花紋もあるぞ!」

若宮の肩からねずが覗き込んで言う。

「…三ツ揚羽蝶に黒い桜花ノ枝剣紋もあるな。」

若宮が腕に浮き出た花紋をみていった。

他にも集まった妖たちが口々に
浮き出た花紋の御名を言っていった。

すると、どこからともなく
妖のケセランパサラン(鼓草の綿毛のお化け)が

飛んできて、くりっとした目の男の子の小人が
綿毛にぶら下がると、ポケットからカブのネックレスを

取り出してカブをちぎる。

ちぎったカブは、本物の大きなカブになって
彼女の腕の花紋の一つ…黒い桜紋の上に

半分に割ったカブを押し付けた。

ケセランパサランが名帳簿〈ゆらめき〉に
カブで花紋の印鑑を押すと、

「…お前なんて嫌いだよ!ば‐か!」

って言って、「…このっ!」って言うと、

ケセランパサランの小人を捕まえるのと
同時にドロン!って姿をくらませた。

そうしたら、もなみの腕の黒い桜紋が
右腕からす‐っと消えていった。

「…ひとつ、消えた。」

彼は誰れ刻に紅葉色の舞風が吹く。

若宮は夕暮れの花荻野から
のびる影の方へとかけて行った。