彼はまぎれもなく、優しさで出来ていた。

それから、お母さんと二人での生活が半年以上続いた。

看護師として忙しく働くお母さんが、一人で家事と子育てをするのは、今思うと本当に大変だったと思う。


でも、お母さんはいつも笑顔だった。そして、たくさん笑わせてくれた。

お休みの日には、水族館や遊園地、テーマパークなど、お父さんと3人で暮らしていたとき以上に色んなところへ連れていってくれた。


幼い私に心配をかけまいと無理してたのではないか。

どうしても、そんなことを考えてしまう。
 

ある夏の日、そんなお母さんが高熱を出して倒れたと聞いたとき、
わたしはお父さんとお別れするとき以上の衝撃を受け、不安で涙と震えが止まらなかったのを覚えている。


おじいちゃんに連れられてお母さんの病室に入った私は、立ちすくんだ。

いつも元気に笑っているお母さんは、そこにはいなかった。


そこには、呼吸器をつけ点滴を打たれながら横たわる、お母さんの姿があった。

いつもよりもずっと細く、力なく見えた。本当に、お母さんなの?


私は、お母さんまで私の前からいなくなるんじゃないかと怖くなり、おじいちゃんの手を強く握りしめた。おじいちゃんはしゃがんで私の肩を抱いて言った。


「大丈夫、あと2、3日休めば、ママは元気になるって、お医者さんが言っていたからね」


「心配かけちゃったね。ちょっと疲れちゃっただけだから、大丈夫よ。
パパに言ったら、大したことないのに飛んで帰って来ちゃいそうだから、言わないでおくね」


目を覚ましたお母さんは、いつもの笑顔でそう言った。

おじいちゃんが言った通り、お母さんはそれから二晩入院し、お医者さんから「もう大丈夫でしょう」と言われて退院した。



それからの私はできるだけ、お母さんのお手伝いをしようとした。

少しでも、お母さんの負担を減らしたかった。


とはいえ、5歳の私ができることはたかがしれているし、逆に足手まといになっていたんじゃないかと思う。
 

も、お母さんは決まって、


――ありがとう、楓。
楓のおかげで、ママとっても助かっちゃった。

と言って笑顔で頭をなでてくれたり、抱きしめてくれたりした。