「蓮花様」
傑倫は私の前へ恭しく頭を下げる。
「臣のお召しは、昨夜が最後と言うお話でしたが」
「傑倫……」
これまで自ら名乗りを上げ、老いた身に嫌な顔一つせず奉仕してくれた忠臣だが、やはり太后の希望と割り切り仕方なく行っていたのだろうか。ようやく苦痛から解放されると思いきや、しつこく私に誘われ、今、迷惑をしているのだろうか。
(あぁ、きっとそうだ。立場が逆であれば、私とて……)
胸の奥が、ツキンと痛んだ。
「いえ、違うのです、蓮花様! そうではなく」
私の心中を察してか、傑倫は慌てたように声を張り上げる。なぜか切なげな眼差しをこちらへ向けて。
「明日には控鷹監での育成を終えた若い面首たちが、蓮花様に最上の時間と奉仕を捧げに参ります。今更、臣のような四十近い男など……」
「言うてくれおるわ」
ちりりと胸が焼ける。
「妾など七十を超えておるが?」
「! 申し訳ございませぬ」
傑倫は勢い良く頭を下げる。
「今の蓮花様は、臣より年若く見えますれば、口が滑りました」
「……」
私は傑倫へ背を向ける。
「嫌がる者に強いる気はない。下がれ」
「蓮花様!」
「そちの忠心のおかげで、このように若い姿を取り戻すことが出来た。その褒美のつもりであったが……」
違う、私は彼に見せたかったのだ。
傑倫と並んでも引け目を感じぬ姿になった私を。
齢周りの釣り合いが取れるようになった私を。
「かつて皇帝の寵を一身に浴びた美しかった頃の妾であれば、そちのこれまでの忠誠に報いられると思うたが。とんだ思い違いであったな。あぁ、恥ずかしい」
次の瞬間、背後からきつく抱きしめられた。
「傑倫」
「蓮花様、御無礼をお許しいただきたい」
逞しい腕が、私の胸元を締め付ける。
「どうか誤解なさらないでください、臣は……」
温かな吐息が耳朶をくすぐる。
「蓮花様のことはこの世で最もお美しいお方だと思っております。今のお姿は当然ながら、以前のお姿も」
「口の上手い」
「思ってもいないことを口にできるほど、臣は器用な人間ではありませぬ」
わかっている。だからこそ私は彼に信用を預けているのだ。
「傑倫」
「は」
「……陽の気を捧げよ」
「かしこまりました」
私たちは向かい合い、互いの背に手を回すと架子床へと倒れ込んだ。
「ほぁああぁああ~~っ!?」
翌朝、私の目を覚まさせたのは頓狂な叫び声であった。
「……なんじゃ、今の声は」
瞼を開けば眼前には、眦も裂けよとばかりに目を見開き、口をわななかせている傑倫の顔があった。昨日に続き、またも見たことのない表情をしている。幽鬼すら恐れぬ男が、こんな顔をする日が来るとは。
「どうした傑倫、そのように驚い……」
そこまで口にして、頭の芯がキンと冷える思いがした。
(まさか……!)
私はガバリと身を起こし、自らの頬に両手でぺたぺたと触れて確かめる。奇跡の若返りは昨日一日限りの儚い夢に終わったか、そう思ったのだ。
(ん? んん?)
しかし、てのひらの下の肌はすべすべもちもちとしている。昨日よりもさらに調子がいいくらいだ。いつものように手の甲を朝の光にかざす。陶器のように滑らかな肌が、キラキラと朝陽を跳ね返した。
「なんじゃ、傑倫。妙な声を出しおって」
ん? 気のせいか、また声が少し高くなったか? 昨日より澄んでいるようにも思える。
一つ咳払いし、傑倫を振り返る。
「てっきり老いた姿に戻ってしまったかと、肝を冷やしたぞ」
その言葉が終わらぬうちに、傑倫は飛び掛かるようにして私に衫を頭から被せて来た。
「な、何をする、傑倫!」
「い、いいから着てください! それを、早く!」
何をそんなに焦っているか分からぬが、ひとまず私は言われた通りに衫の袖へ腕を通した。
(うん?)
胸の前を合わせようとして気付く。
(私の胸、もう少し大きかったような……)
「良いですか、蓮花様。気を確かにお持ちください」
そう言う傑倫はまだ素裸のまま、狼狽えながら私の手鏡の柄を掴む。そして、ぶるぶる震えながら、それを差し出してきた。
(先に気を確かに持つのは、そちであろうが)
呆れながらも、彼から手鏡を受け取った。
「落ち着いて息を整え、心してゆっくりと鏡の中をご覧ください」
「まだるっこしいのぅ」
傑倫の助言を無視して、私は鏡へさっと目をやった。
「ヒュ!?」
喉から笛のような音が飛び出す。
鏡に映ったのは、まだ二十歳にもなっていない頃の私であった。
「こ……、れは……。い、いかなることじゃ……」
昨日の姿の時点で相当若いと感じたが、今日の私はそれの比ではない。
「小娘では、ないか……」
恐らく、後宮に入ったばかりの頃の姿だ。まだ先帝の目に留まることなく、『才人』という立場で曾賢妃さまの偏殿で暮らしていた時代の……。
「まるで十八の頃の妾じゃ……」
その時、身なりを整えた傑倫が「あ」と小さな声を上げた。
「どうした、傑倫」
「昨日は三十代、そして今日は十八……。蓮花様」
「なんじゃ」
「半分になっておられませんか?」
半分?
首を捻る私へ、傑倫は姿勢を正し空中に数字を書く。
「蓮花様は元々七十二でいらっしゃいました。昨日のお姿は三十代、ひょっとすると半分の三十六だったのでは?」
なんじゃと?
「そして十八……、なるほど。三十六の半分と言うことになるな」
「左様にございます」
傑倫は真剣な眼差しで私を見る。
「蓮花様は女道士の術にて、陽の気を受けるごとに若返る体になられたとのこと。これがその術の効果だとすれば、もしももう一度陽の気を浴びた場合……」
「十八の半分……、九歳!?」
待て、確かに私は若返りたいと願った。だが、幼子になりたいわけではない。
「何たることだ……。えぇい、何青蝶め!」
「うぃっス」
返ってきた声に飛び上がる。思わず傑倫にしがみつき背後を振り返ると、牀に胡坐をかいて座る女道士の姿があった。
「呼んだっスか?」
傑倫は私の前へ恭しく頭を下げる。
「臣のお召しは、昨夜が最後と言うお話でしたが」
「傑倫……」
これまで自ら名乗りを上げ、老いた身に嫌な顔一つせず奉仕してくれた忠臣だが、やはり太后の希望と割り切り仕方なく行っていたのだろうか。ようやく苦痛から解放されると思いきや、しつこく私に誘われ、今、迷惑をしているのだろうか。
(あぁ、きっとそうだ。立場が逆であれば、私とて……)
胸の奥が、ツキンと痛んだ。
「いえ、違うのです、蓮花様! そうではなく」
私の心中を察してか、傑倫は慌てたように声を張り上げる。なぜか切なげな眼差しをこちらへ向けて。
「明日には控鷹監での育成を終えた若い面首たちが、蓮花様に最上の時間と奉仕を捧げに参ります。今更、臣のような四十近い男など……」
「言うてくれおるわ」
ちりりと胸が焼ける。
「妾など七十を超えておるが?」
「! 申し訳ございませぬ」
傑倫は勢い良く頭を下げる。
「今の蓮花様は、臣より年若く見えますれば、口が滑りました」
「……」
私は傑倫へ背を向ける。
「嫌がる者に強いる気はない。下がれ」
「蓮花様!」
「そちの忠心のおかげで、このように若い姿を取り戻すことが出来た。その褒美のつもりであったが……」
違う、私は彼に見せたかったのだ。
傑倫と並んでも引け目を感じぬ姿になった私を。
齢周りの釣り合いが取れるようになった私を。
「かつて皇帝の寵を一身に浴びた美しかった頃の妾であれば、そちのこれまでの忠誠に報いられると思うたが。とんだ思い違いであったな。あぁ、恥ずかしい」
次の瞬間、背後からきつく抱きしめられた。
「傑倫」
「蓮花様、御無礼をお許しいただきたい」
逞しい腕が、私の胸元を締め付ける。
「どうか誤解なさらないでください、臣は……」
温かな吐息が耳朶をくすぐる。
「蓮花様のことはこの世で最もお美しいお方だと思っております。今のお姿は当然ながら、以前のお姿も」
「口の上手い」
「思ってもいないことを口にできるほど、臣は器用な人間ではありませぬ」
わかっている。だからこそ私は彼に信用を預けているのだ。
「傑倫」
「は」
「……陽の気を捧げよ」
「かしこまりました」
私たちは向かい合い、互いの背に手を回すと架子床へと倒れ込んだ。
「ほぁああぁああ~~っ!?」
翌朝、私の目を覚まさせたのは頓狂な叫び声であった。
「……なんじゃ、今の声は」
瞼を開けば眼前には、眦も裂けよとばかりに目を見開き、口をわななかせている傑倫の顔があった。昨日に続き、またも見たことのない表情をしている。幽鬼すら恐れぬ男が、こんな顔をする日が来るとは。
「どうした傑倫、そのように驚い……」
そこまで口にして、頭の芯がキンと冷える思いがした。
(まさか……!)
私はガバリと身を起こし、自らの頬に両手でぺたぺたと触れて確かめる。奇跡の若返りは昨日一日限りの儚い夢に終わったか、そう思ったのだ。
(ん? んん?)
しかし、てのひらの下の肌はすべすべもちもちとしている。昨日よりもさらに調子がいいくらいだ。いつものように手の甲を朝の光にかざす。陶器のように滑らかな肌が、キラキラと朝陽を跳ね返した。
「なんじゃ、傑倫。妙な声を出しおって」
ん? 気のせいか、また声が少し高くなったか? 昨日より澄んでいるようにも思える。
一つ咳払いし、傑倫を振り返る。
「てっきり老いた姿に戻ってしまったかと、肝を冷やしたぞ」
その言葉が終わらぬうちに、傑倫は飛び掛かるようにして私に衫を頭から被せて来た。
「な、何をする、傑倫!」
「い、いいから着てください! それを、早く!」
何をそんなに焦っているか分からぬが、ひとまず私は言われた通りに衫の袖へ腕を通した。
(うん?)
胸の前を合わせようとして気付く。
(私の胸、もう少し大きかったような……)
「良いですか、蓮花様。気を確かにお持ちください」
そう言う傑倫はまだ素裸のまま、狼狽えながら私の手鏡の柄を掴む。そして、ぶるぶる震えながら、それを差し出してきた。
(先に気を確かに持つのは、そちであろうが)
呆れながらも、彼から手鏡を受け取った。
「落ち着いて息を整え、心してゆっくりと鏡の中をご覧ください」
「まだるっこしいのぅ」
傑倫の助言を無視して、私は鏡へさっと目をやった。
「ヒュ!?」
喉から笛のような音が飛び出す。
鏡に映ったのは、まだ二十歳にもなっていない頃の私であった。
「こ……、れは……。い、いかなることじゃ……」
昨日の姿の時点で相当若いと感じたが、今日の私はそれの比ではない。
「小娘では、ないか……」
恐らく、後宮に入ったばかりの頃の姿だ。まだ先帝の目に留まることなく、『才人』という立場で曾賢妃さまの偏殿で暮らしていた時代の……。
「まるで十八の頃の妾じゃ……」
その時、身なりを整えた傑倫が「あ」と小さな声を上げた。
「どうした、傑倫」
「昨日は三十代、そして今日は十八……。蓮花様」
「なんじゃ」
「半分になっておられませんか?」
半分?
首を捻る私へ、傑倫は姿勢を正し空中に数字を書く。
「蓮花様は元々七十二でいらっしゃいました。昨日のお姿は三十代、ひょっとすると半分の三十六だったのでは?」
なんじゃと?
「そして十八……、なるほど。三十六の半分と言うことになるな」
「左様にございます」
傑倫は真剣な眼差しで私を見る。
「蓮花様は女道士の術にて、陽の気を受けるごとに若返る体になられたとのこと。これがその術の効果だとすれば、もしももう一度陽の気を浴びた場合……」
「十八の半分……、九歳!?」
待て、確かに私は若返りたいと願った。だが、幼子になりたいわけではない。
「何たることだ……。えぇい、何青蝶め!」
「うぃっス」
返ってきた声に飛び上がる。思わず傑倫にしがみつき背後を振り返ると、牀に胡坐をかいて座る女道士の姿があった。
「呼んだっスか?」



