かくして偽僧侶や霍たちの手下の宦官は、右丞相である傑倫によって処断されることとなった。皇帝付きの霍宇辰と太后付きの馬俊煕はあれから少しして目を覚ましたが、まるで人が変わったようになってしまった。人々は訝ったが、すぐ「触れてはならぬ禁忌」と認識されるようになったのか、口の端に上らぬようになった。
そして閉鎖することとなった控鷹府だが。傑倫と相談し、貞清尼寺の騒動において私のために動いてくれた面首たちについては、彼らの能力と希望に合わせた仕事を城内で与えようということになった。
まずは、凌俊豪。
彼は傑倫に弓の腕を見込まれ、推薦で兵部の武官として働くこととなった。虎退治の逸話などもあり、頼りにされているらしい。
次に、林小龍。
彼は実家で押し付けられていた事務作業に慣れていたのが功を奏し、建設や土木関連を管理する工部の庶務の仕事を与えられることとなった。
どちらも右丞相である傑倫の管理下にある部署なので、特に問題なく話は進んだ。
苑星宇は、皇帝悠宗に気に入られていたこともあり、太医署の薬園へ入ることとなった。霍の息がかかっていた者は一掃したし、星宇が悠宗についていてくれれば安心だろう。
頭脳派の匡佩芳であるが。
「畏れながら拙はこちらを一旦辞させていただきます」
彼は、私と傑倫からの話をあっさりと蹴った。
「なぜじゃ、佩芳。そちは任官したくて科挙に挑み続けてきたのであろうが」
「はい、ですが……」
佩芳は寂しそうに笑って視線を足元へやる。
「先日の、貞清尼寺の事件の際に思ったのです。拙は切り落とす気概がなかっただけで、一歩間違えば霍殿や馬殿のようになっていたのではないかと」
「何を言う。そちはあれらとは違うであろうが」
しかし佩芳は首を横に振った。
「正直に申し上げますと、拙も科挙に疲れていたのです。だから抜け道を与えられれば、あっさりとそれを選び取ってしまいました。そして出世のために畏れ多くも蓮花様を組み敷こうとした。……拙はそう言う人間です」
佩芳は背筋を正すと、真摯な眼差しをこちらへ向けた。
「拙は一度地元へ戻り、また科挙に挑みます。そしてすべてに合格してここへ戻ってこられた暁には、蓮花様のお側に仕えさせていただきとうございます」
「そちは、真面目で不器用な男じゃのぅ」
私はつい笑ってしまった。彼の生き様が愛しくて。
「待っておるぞ、佩芳。ここへ戻って来る日を楽しみにしておる」
「はい、必ずや」
他の面首たちの選んだ道も様々だった。右丞相傑倫の下にあるのは、兵部・刑部・工部の三つ。そこで働くことを望む者もいれば、今回の事件で城勤めが怖くなり地元へ戻った者もいる。報酬を受け取り蓬莱宮を後にする彼らの顔は、とても清々しく見えた。
「傑倫」
夜が訪れた。架子床に腰かける私のそばに、傑倫が跪く。
私は彼に手を差し伸べかけ、自らのやせ細った手に落胆し引っ込めた。
「蓮花様?」
「わかっておるのじゃ」
私は手を袖の中へ隠し、ため息をつく。
「妾が長生きと若さを求めたのは、ひとえに息子と孫を守るためであった。そしてそのためにそちを求め、そちは妾の求めに応じた。それだけの話なのじゃ。じゃが……」
私は架子床から立ち上がり、窓際へと進む。柔らかな光を放つ青い月が、私たちを見下ろしていた。
「傑倫、今の妾はそちに美しい自分を与えられなくなったことが、……やけに悔しくて切ない」
「蓮花様」
傑倫の立ちあがる衣擦れの音がする。そして背後に立つ気配があった。逞しい腕がゆっくりと私の体を縛める。
「傑倫」
彼の熱い腕の内側へ、私はそっと頬を寄せた。
「何度でも申し上げます。蓮花様はお美しい」
傑倫のくぐもった声が、私の髪の中へしっとりと埋もれる。
「臣の知る中で、最もお美しく、最も気高く、最も愛しいお方でございます」
私は彼の腕へ自分の手を添え、そのぬくもりを愛しく受け止めた。
「皇帝陛下の側には星宇が控えております。そして、不穏分子は廃しました。陛下と、暁明殿下周りの懸念は、幾らか軽くなったのではないでしょうか」
「そうじゃの」
私は夜の澄んだ空気を、大きく吸い込む。
「とはいえこの城内、どこに敵が潜んでいるか分かったものではない。妾はやはり、長生きがしたいし出来れば若くありたい。我が子と我が孫のために」
「……責任感の強い御方だ」
傑倫の微かに笑みを含んだ声がした。
「このままでは、臣のことを考えてくださる日がいつ来るのやら」
「ふふ、すまぬな」
傑倫のぬくもりが、じんわりと私を芯まで温める。
「妾も、そちのことだけを考えて毎日を過ごせたら、どれほど幸せかと思う」
「それは真にございますか?」
背後で、傑倫が深呼吸をしたのを感じた。
「では、臣も一層気合を入れるとしましょう。蓮花様の心の憂いを取り除くため、全身全霊をもって、陛下と殿下をお守りいたします」
「うむ、頼りにしておるぞ」
夜の甘い空気が私たちを包む。
青蝶の言っていた、次の仙薬を口にしてよい日まであと数ヶ月。
(若返りと長命を願うのは同じだが)
次こそはおかしなことにならぬよう、よく考えて秘薬を作らせねば、そう思った。
――了――
そして閉鎖することとなった控鷹府だが。傑倫と相談し、貞清尼寺の騒動において私のために動いてくれた面首たちについては、彼らの能力と希望に合わせた仕事を城内で与えようということになった。
まずは、凌俊豪。
彼は傑倫に弓の腕を見込まれ、推薦で兵部の武官として働くこととなった。虎退治の逸話などもあり、頼りにされているらしい。
次に、林小龍。
彼は実家で押し付けられていた事務作業に慣れていたのが功を奏し、建設や土木関連を管理する工部の庶務の仕事を与えられることとなった。
どちらも右丞相である傑倫の管理下にある部署なので、特に問題なく話は進んだ。
苑星宇は、皇帝悠宗に気に入られていたこともあり、太医署の薬園へ入ることとなった。霍の息がかかっていた者は一掃したし、星宇が悠宗についていてくれれば安心だろう。
頭脳派の匡佩芳であるが。
「畏れながら拙はこちらを一旦辞させていただきます」
彼は、私と傑倫からの話をあっさりと蹴った。
「なぜじゃ、佩芳。そちは任官したくて科挙に挑み続けてきたのであろうが」
「はい、ですが……」
佩芳は寂しそうに笑って視線を足元へやる。
「先日の、貞清尼寺の事件の際に思ったのです。拙は切り落とす気概がなかっただけで、一歩間違えば霍殿や馬殿のようになっていたのではないかと」
「何を言う。そちはあれらとは違うであろうが」
しかし佩芳は首を横に振った。
「正直に申し上げますと、拙も科挙に疲れていたのです。だから抜け道を与えられれば、あっさりとそれを選び取ってしまいました。そして出世のために畏れ多くも蓮花様を組み敷こうとした。……拙はそう言う人間です」
佩芳は背筋を正すと、真摯な眼差しをこちらへ向けた。
「拙は一度地元へ戻り、また科挙に挑みます。そしてすべてに合格してここへ戻ってこられた暁には、蓮花様のお側に仕えさせていただきとうございます」
「そちは、真面目で不器用な男じゃのぅ」
私はつい笑ってしまった。彼の生き様が愛しくて。
「待っておるぞ、佩芳。ここへ戻って来る日を楽しみにしておる」
「はい、必ずや」
他の面首たちの選んだ道も様々だった。右丞相傑倫の下にあるのは、兵部・刑部・工部の三つ。そこで働くことを望む者もいれば、今回の事件で城勤めが怖くなり地元へ戻った者もいる。報酬を受け取り蓬莱宮を後にする彼らの顔は、とても清々しく見えた。
「傑倫」
夜が訪れた。架子床に腰かける私のそばに、傑倫が跪く。
私は彼に手を差し伸べかけ、自らのやせ細った手に落胆し引っ込めた。
「蓮花様?」
「わかっておるのじゃ」
私は手を袖の中へ隠し、ため息をつく。
「妾が長生きと若さを求めたのは、ひとえに息子と孫を守るためであった。そしてそのためにそちを求め、そちは妾の求めに応じた。それだけの話なのじゃ。じゃが……」
私は架子床から立ち上がり、窓際へと進む。柔らかな光を放つ青い月が、私たちを見下ろしていた。
「傑倫、今の妾はそちに美しい自分を与えられなくなったことが、……やけに悔しくて切ない」
「蓮花様」
傑倫の立ちあがる衣擦れの音がする。そして背後に立つ気配があった。逞しい腕がゆっくりと私の体を縛める。
「傑倫」
彼の熱い腕の内側へ、私はそっと頬を寄せた。
「何度でも申し上げます。蓮花様はお美しい」
傑倫のくぐもった声が、私の髪の中へしっとりと埋もれる。
「臣の知る中で、最もお美しく、最も気高く、最も愛しいお方でございます」
私は彼の腕へ自分の手を添え、そのぬくもりを愛しく受け止めた。
「皇帝陛下の側には星宇が控えております。そして、不穏分子は廃しました。陛下と、暁明殿下周りの懸念は、幾らか軽くなったのではないでしょうか」
「そうじゃの」
私は夜の澄んだ空気を、大きく吸い込む。
「とはいえこの城内、どこに敵が潜んでいるか分かったものではない。妾はやはり、長生きがしたいし出来れば若くありたい。我が子と我が孫のために」
「……責任感の強い御方だ」
傑倫の微かに笑みを含んだ声がした。
「このままでは、臣のことを考えてくださる日がいつ来るのやら」
「ふふ、すまぬな」
傑倫のぬくもりが、じんわりと私を芯まで温める。
「妾も、そちのことだけを考えて毎日を過ごせたら、どれほど幸せかと思う」
「それは真にございますか?」
背後で、傑倫が深呼吸をしたのを感じた。
「では、臣も一層気合を入れるとしましょう。蓮花様の心の憂いを取り除くため、全身全霊をもって、陛下と殿下をお守りいたします」
「うむ、頼りにしておるぞ」
夜の甘い空気が私たちを包む。
青蝶の言っていた、次の仙薬を口にしてよい日まであと数ヶ月。
(若返りと長命を願うのは同じだが)
次こそはおかしなことにならぬよう、よく考えて秘薬を作らせねば、そう思った。
――了――



