だが(フオ)に対し、傑倫(ジェルン)が冷ややかに言い返す。
「手に入れる何かと言うのが、幼き皇帝の後ろ盾になり、国を思うがままに動かすことか?」
「あぁ、そうだ」
「国一つ分に匹敵するものを、貴様は失ったと言いたいのだな」
「その通りだ!」
 霍の怨念のこもった顔つきはもはや悪鬼のようだった。
「我らは命を繋ぐ手段を失った。故に新しい子を手に入れようとしただけだ」
暁明(シァミン)殿下は、貴様らを親になどしたくないだろうよ」
 私は傑倫の前に出る。
「霍よ、そこまで大事なものなら切り落とさず、真正面から科挙に挑めばよかったのじゃ」
「何を!」
「あえて抜け道を選んだのは、そち自身であろう」
「ぐぅ、うぅうう……!」

 その時、張り詰めた空気をぶち壊すかのように能天気な声が、どこからともなく聞こえて来た。
「ま、そこまで言っちゃ可哀相っスよ。科挙って、家柄もそれなりに裕福じゃないと、そもそも受けられないんスよねぇ」
 現れたのは、蝶の刺繍をほどこした青い衣を身に纏う女道士だった。
青蝶(チンディエ)
「どもっス」
 ひらひらと手を振っている彼女へ、その場にいた者たちは皆面くらう。武器を構えかけた傑倫と俊豪(チンハオ)を、私は慌てて押しとどめた。
「まー、でも、自分の人生が思うようにいかなかったからって、人を殺して地位を奪おうなんてのは、どうかと思うっスね」
 青蝶はトコトコと霍の前へと進み出る。霍は青蝶と目が合うと、汚いものでも見たかのように顔をしかめた。
「そんな顔しなくていいじゃないっスか。美少女、ショック受けちゃいますよ?」
『《《しょっく》》』とな? まぁいい、どうせ仙界語だ。
「霍氏、もしやり直せるなら、やり直したいっスか?」
「ふざけているのか、貴様」
「んにゃ、真面目な話」
「なら、そこの」
 霍は、俊豪たち手柄のあった面首に目を向け、毒々しく笑う。
「そやつらが今日この場へ邪魔しに来ぬよう、あらかじめ殺しておくところからやり直したいのぅ」
「あ、そういうのいらないんで」
 青蝶はさらっと返すと、表情を引き締めた。
「宝物を切り落とす前に戻れるとしたら、戻りたいっスか? アタシが聞きたいのはそこっス」

 霍の顔からどす黒いものが薄れる。やがて目を伏せると、吐き捨てるように言った。
「当然だ。宦官の殆どが願っていることだ」
「そこの(マー)氏もっスか?」
「あぁ」
「おけおけ~」
 青蝶はうんうんと頷くと、パンパンと高らかに手を叩く。そしてその手を、霍と馬の額に当てた。
「行け」
 その瞬間、二人は糸の切れた操り人形のようにガクリと崩れ落ちた。

「馬? 霍?」
 私は青蝶を振り返る。
「……二人を殺したのか?」
 床に力なく倒れ伏した二人の太監の姿に、周囲の宦官や偽僧侶たちも蒼ざめている。
 しかし青蝶は悪びれる様子もなく、にんまりと目を細めた。
「おねんねしてもらっただけっス」
「おねんね……?」
 青蝶は頭の後ろで手を組み、軽やかな足取りで円を描くように歩き回る。
「やー、二人とも切ったことに激しい後悔を抱いてたのが、一連の騒動の原因だったみたいなんで、じゃあそれをしなかった時のパターンを見せてあげよっかなぁ、と」
 あげよっかなぁ、ではないわ。『《《ぱたぁん》》』とは何じゃ。
「ま、アタシの見る限りじゃ、今のルートが一番彼らにとって幸せなんスよね。なんせ、この国の頂点とその御母堂に仕える身分にまで上り詰めたんスから。けど、満たされすぎて逆に欠けてるものが目につくようになってしまった。現状のありがたみを感じなくなってしまったようなんで、この道を進まなかった時の自分を見せてやるっス。体感時間六十年コースで」
 青蝶は悪戯っぽく歯を見せて笑う。
「目が覚めた時には、今の自分の恵まれた環境に気付いて大人しくなるっしょ」
 そんなことが出来るものだろうかとは思うが、私自身が彼女の術で若返った実体験がある。きっと彼女なら出来てしまうのだろう。
「やー、人間ってマジ面白いっスわ。こういうのを上から観察してんの楽しいんスよね」
 青蝶の言っていることはよく分からないが、深く聞かないこととした。
(それにしても、観察が好きとは)
 思うに私の周辺で起きたこともすべて、彼女にとっての娯楽だったのではなかろうか。