私は星宇(シンユー)を振り返る。
「この者に作らせたのじゃ。控鷹府(こうようふ)には様々な分野の知識を持った者を集めたが、このような形で役立てるとはな。母も嬉しいぞ」
 さりげなく周囲の者へ目を走らせる。苦々しい表情をしている宦官の姿が見受けられた。その中には皇帝付き太監の(フオ)も含まれている。
(やはりこ奴らがこぞって天佑(チンヨウ)の身を害しておったか)
 はらわたの煮えくり返る思いをぐっとこらえる。奴らを捕らえるにしても、根回しが必要だ。今、下手に動けば逆に天佑や暁明(シァミン)の身に危険が及ぶ。

「母上、一つお願いがあるのですが」
 久々に覇気のある息子の顔つきに、私は嬉しくなる。
「お願い? この母に出来ることであれば聞くぞ」
「では、そちらの星宇を私めにいただけませんか?」
 なんじゃと?
 悠宗(ゆうそう)の表情に目を凝らす。どうやら、冗談や酔狂で言っているわけではなさそうだ。
「欲しいと言うたか? この星宇を」
「はい。まだ勉強中とのことでしたが、素晴らしい腕に思えます。ぜひ私付きにしていただければと」
 私はもう一度星宇を振り返る。星宇は夢でも見ているかのように、ぽかんと口を開けている。当然だ。太后の面首から、皇帝付きの薬師など大出世と言えよう。
(それに、星宇が息子の薬を管理する立場になれば安心だ。しかし……)
 私は首を横に振る。
「すまぬな、悠宗。これは私のものなのだ。そう簡単には譲れん」
 私の言葉に、星宇は目を見開く。
「はは、そうでございますな」
 皇帝があっさりと引いたことで、星宇はますます狼狽えた。
「じゃが、この者が必要であればいつでも呼ぶがよい。その時は、妾も共に参上しよう」
「いえ、母上のお手を煩わせるわけには」
「母親が息子を見舞いたいだけのことじゃ」

 その時、太監の霍がまたしても割り込んできた。
「太后陛下。太后陛下は、控鷹府の閉鎖を望んでおいででしたな」
「えっ?」
 星宇が声を漏らし、慌てて口を押える。
 その背後で私付き太監の(マー)もまた、呆気に取られた顔つきでこちらを見ていた。
「それがどうかしたのか、霍? 馬に猛反対されて保留になっておるが」
「皇帝陛下」
 霍は前に進み出ると、両手を胸の前で重ね揖礼(ゆうれい)する。
「私は閉鎖に賛成でございます」
 どうした急に。
「控鷹府は文化史編纂のために作られた役所。しかしこの星宇のように、別の分野で活躍できる人材を、本来の力を発揮できぬ場所へ押し込めておいては勿体のぅございます。控鷹府を閉鎖した上で、この者には尚薬局(しょうやくきょく)にて仕事を与えてはいかがでしょう。さすれば、この者は皇帝陛下のお側に置くことが可能となります」
 霍はにんまりと目を細め、こちらを見る。
「いかがでしょうか、太后陛下」
(霍……)
 確かに私は、控鷹府の閉鎖を求めた。我が身を守るため、ひいては息子や孫を守るためだ。
(だが、今は……)



 皇帝へは少し時間が欲しいと伝え、私たちは黄麒宮(おうききゅう)を出た。何か言いたそうにソワソワしている星宇に、しゃべらぬよう圧をかけて。
 控鷹監まで戻って来ると、星宇はたまりかねた様子で口を開いた。
蓮花(リェンファ)様、控鷹府の閉鎖を望んでおられるというのは本当ですか?」
「……あぁ」
 私が頷くと、星宇は愕然となる。
「なぜ、そのようなことを……」
「そちらが、妾の気持ちを考えずにしゃにむに襲い掛かろうとするからであろうが。一服盛ったりしてな」
 星宇が狼狽える
「それは……、そうですが……、ですが……」
 ぐっと拳を固め、星宇は声を絞り出す。
「私どもは、蓮花様にそのようにご奉仕しせよと命ぜられ、集められたのです。それが蓮花様の御ためになると、悦ばせられると聞かされて」
 それに関しては、かつては間違いなくそうであった。若い男らに陽の気を捧げさせるため、選出し集めた。こんな体となる前は。
「私どもが蓮花様にとって不要な存在であるなら、先ほどはなぜ断ってしまわれたのです?」
「うん?」
「私が、皇帝付きの薬師に望まれたことに対してです! 私のことなど要らぬのに、なぜ蓮花様は自分のものだとおっしゃったのでしょう?」
「……そちを、殺させたくなかった」