それは、私も感じていることだ。彼らの中には二十年もの間、科挙に挑戦し続けた者がいる。猟で生計を立てていた者もいる。皆それぞれの人生を生きていた。
私の招集に応じ、彼らはそれまでの生き様を捨て、新たな未来を手に入れんと一歩を踏み出したのだ。鼻先にちらつかせた希望をたった数日で摘み取ってしまうのは、確かに無情な行為である。
(しかし、このままでは我が身が危ない)
面首たちは私に陽の気を捧げると言う役割を与えられ、ここへ来た。いかに振舞えば私を心地よくするか、そんな講義も数ヶ月受けて来た。全ては私を悦ばせる役目を全うするために。だから彼らにとって、私を抱かんとすることは任務であり正義。決して浮ついた助平心があってのことではない。だからこそ、このまま側に置いておくのは危険なのだ。大義名分があるから。
(それに、傑倫の堪忍袋の緒が切れるのも、時間の問題じゃ)
もしも次に私の身に何かあれば、傑倫は行動を起こした面首を斬ってしまいかねない。
「……しかし意外じゃの」
私の言葉に、馬は眉を顰める。
「意外とは、いかなる意味でございましょうか」
「うむ。そちがそこまで面首どもに肩入れしているとは思わなんだ」
悠宗と江淑妃が、目を見開いた。
「母上、面首とは?」
(しまった)
控鷹監は表向き文化史編纂の役所であり、そこに集う彼らはそれに携わる役人と言うことになっている。彼らが私専用の男后妃であることは、ごく一部の人間しか知らない秘密だ。
「言い間違えた。官吏だ」
「そんな言い間違えをすることがありましょうか」
「間違えたのだから、仕方あるまい」
まずい。今日はこの辺で話を切り上げた方が良さそうじゃ。
「ともかく、妾は控鷹府を閉鎖すべきと考えておる。皇帝の許可を待っておるぞ」
そう言って私は場を後にする。
「皇帝陛下! 私が考えまするに……」
馬が控鷹府の持続について、悠宗を説得せんとまくしたてるのを背に聞きながら。
(はぁ、口を滑らせた……)
馬があの役所の真の姿について悠宗に伝えることはないだろうが、次に問い詰められたら何と答えようか。そんなことを思いながら黄麒宮から出ようとした時だった。
「おばあ様」
柱の陰から、孫の暁明がひょっこりと顔を出した。
「おぉ、暁明」
私は側まで行くとしゃがみ、目線を合わせる。
「これ、暁明。そちは悪戯っ子じゃのぅ。父上のお薬の邪魔をしたと聞いたぞ? なぜそのようなことをした」
私が笑いながらも軽く咎めるように言うと、暁明の双眸に雫が膨れ上がった。そしてきゅっと目を閉じると、激しく首を横に振る。
「違う、違うの!」
「ん? 何が違うのじゃ?」
「これ」
暁明は、私の目の前に杯を差し出す。中にはすっかり冷めてしまった薬湯が入っていた。
「これ飲むと、お父様が最近苦しそうにしてるから、隠したの」
「悠宗が? しかし先程、そちの母親が作ったものを飲んでおったが、平気であったぞ」
「お母様が作ったものは大丈夫なの。でも他の者が作ると、お父様が苦しそうなの。だから」
暁明は杯をぐいぐいと私の手に押し付ける。
「おばあ様、持って帰って。お願い!」
(持って帰れと言われても……)
その時、背後からせわしない足音が近づいて来た。暁明がぎくりとした顔つきになる。私は反射的に、袖の陰へ杯を隠した。
現れたのは馬であった。
「太后陛下、控鷹府についてひとまずは保留とさせていただきました」
(悠宗め、押し切られたか……)
あの体調では、馬のしつこい説得に堪えられなかったのであろう。
「太后陛下に置かれましても、今一度お考え直しくださいませ」
私は深々とため息をつく。
(ん?)
いつの間にか、暁明の姿がない。
(すばしっこいことじゃ)
「太后陛下、聞いておられるのですか」
(あぁ、口うるさい……)
気のせいか、この若い姿になってから、馬が以前より威圧的になったような気がする。
(いっそ、陽の気を受ければ年齢が半分になってしまうと、馬には打ち明けてしまおうか)
馬は、控鷹府が私のための男後宮であることを知っている数少ない人間の一人だ。つまりは一応協力者である。
(そうじゃ、馬には言ってしまおう。そして、控鷹府が私にとって危険な場所となってしまったと知れば、閉鎖についても同意してくれるのではないか。なにせ馬は長年私に仕えてくれている太監。なぜ馬があそこまで面首どもに肩入れしてるかはわからぬが、理由を話せば私の体のことを第一に考えてくれるはずじゃ)
そう思い、私は口を開きかけた。
――馬氏にはお気を付けなさいませ
不意に耳の奥に、青蝶の声が蘇る。
「太后陛下? いかがされましたか?」
「うん? あぁ、何でもない」
私は口をつぐむ。
(青蝶は何ゆえにあのようなことを言ったのであろうか)
私の招集に応じ、彼らはそれまでの生き様を捨て、新たな未来を手に入れんと一歩を踏み出したのだ。鼻先にちらつかせた希望をたった数日で摘み取ってしまうのは、確かに無情な行為である。
(しかし、このままでは我が身が危ない)
面首たちは私に陽の気を捧げると言う役割を与えられ、ここへ来た。いかに振舞えば私を心地よくするか、そんな講義も数ヶ月受けて来た。全ては私を悦ばせる役目を全うするために。だから彼らにとって、私を抱かんとすることは任務であり正義。決して浮ついた助平心があってのことではない。だからこそ、このまま側に置いておくのは危険なのだ。大義名分があるから。
(それに、傑倫の堪忍袋の緒が切れるのも、時間の問題じゃ)
もしも次に私の身に何かあれば、傑倫は行動を起こした面首を斬ってしまいかねない。
「……しかし意外じゃの」
私の言葉に、馬は眉を顰める。
「意外とは、いかなる意味でございましょうか」
「うむ。そちがそこまで面首どもに肩入れしているとは思わなんだ」
悠宗と江淑妃が、目を見開いた。
「母上、面首とは?」
(しまった)
控鷹監は表向き文化史編纂の役所であり、そこに集う彼らはそれに携わる役人と言うことになっている。彼らが私専用の男后妃であることは、ごく一部の人間しか知らない秘密だ。
「言い間違えた。官吏だ」
「そんな言い間違えをすることがありましょうか」
「間違えたのだから、仕方あるまい」
まずい。今日はこの辺で話を切り上げた方が良さそうじゃ。
「ともかく、妾は控鷹府を閉鎖すべきと考えておる。皇帝の許可を待っておるぞ」
そう言って私は場を後にする。
「皇帝陛下! 私が考えまするに……」
馬が控鷹府の持続について、悠宗を説得せんとまくしたてるのを背に聞きながら。
(はぁ、口を滑らせた……)
馬があの役所の真の姿について悠宗に伝えることはないだろうが、次に問い詰められたら何と答えようか。そんなことを思いながら黄麒宮から出ようとした時だった。
「おばあ様」
柱の陰から、孫の暁明がひょっこりと顔を出した。
「おぉ、暁明」
私は側まで行くとしゃがみ、目線を合わせる。
「これ、暁明。そちは悪戯っ子じゃのぅ。父上のお薬の邪魔をしたと聞いたぞ? なぜそのようなことをした」
私が笑いながらも軽く咎めるように言うと、暁明の双眸に雫が膨れ上がった。そしてきゅっと目を閉じると、激しく首を横に振る。
「違う、違うの!」
「ん? 何が違うのじゃ?」
「これ」
暁明は、私の目の前に杯を差し出す。中にはすっかり冷めてしまった薬湯が入っていた。
「これ飲むと、お父様が最近苦しそうにしてるから、隠したの」
「悠宗が? しかし先程、そちの母親が作ったものを飲んでおったが、平気であったぞ」
「お母様が作ったものは大丈夫なの。でも他の者が作ると、お父様が苦しそうなの。だから」
暁明は杯をぐいぐいと私の手に押し付ける。
「おばあ様、持って帰って。お願い!」
(持って帰れと言われても……)
その時、背後からせわしない足音が近づいて来た。暁明がぎくりとした顔つきになる。私は反射的に、袖の陰へ杯を隠した。
現れたのは馬であった。
「太后陛下、控鷹府についてひとまずは保留とさせていただきました」
(悠宗め、押し切られたか……)
あの体調では、馬のしつこい説得に堪えられなかったのであろう。
「太后陛下に置かれましても、今一度お考え直しくださいませ」
私は深々とため息をつく。
(ん?)
いつの間にか、暁明の姿がない。
(すばしっこいことじゃ)
「太后陛下、聞いておられるのですか」
(あぁ、口うるさい……)
気のせいか、この若い姿になってから、馬が以前より威圧的になったような気がする。
(いっそ、陽の気を受ければ年齢が半分になってしまうと、馬には打ち明けてしまおうか)
馬は、控鷹府が私のための男後宮であることを知っている数少ない人間の一人だ。つまりは一応協力者である。
(そうじゃ、馬には言ってしまおう。そして、控鷹府が私にとって危険な場所となってしまったと知れば、閉鎖についても同意してくれるのではないか。なにせ馬は長年私に仕えてくれている太監。なぜ馬があそこまで面首どもに肩入れしてるかはわからぬが、理由を話せば私の体のことを第一に考えてくれるはずじゃ)
そう思い、私は口を開きかけた。
――馬氏にはお気を付けなさいませ
不意に耳の奥に、青蝶の声が蘇る。
「太后陛下? いかがされましたか?」
「うん? あぁ、何でもない」
私は口をつぐむ。
(青蝶は何ゆえにあのようなことを言ったのであろうか)



